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1 余暇のはじまり

1-1 はじまり

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「どうかしら?」と心配そうにアナイスは訊いた。
「よく書けていると思うわ。素敵よ」
 読み終わった手紙をジュリーは丁寧にたたんだ。
 手紙は、アナイスが生まれて初めて書いた恋文だった。しかし書いた後で心配になって、まっ先に親友のジュリーに見せてしまった。
 ジュリーが「素敵よ」と言ってくれたのでアナイスはほっとした。アナイスに深刻さはなかった。恋に思い悩むのも楽しかったし、何よりも、二人で内緒話をするのが楽しみだった。

 外の音に気づいて窓の下を見ると、馬車が到着したところだった。二頭立ての無蓋の軽装馬車で、屋根は折り畳んであったから乗っている二人の姿がすぐにわかった。
 そのうちの一人が、アナイスが恋している青年だった。アナイスの片想いはまだ、彼女の親友以外、誰も知らないことだった。

 馬車に向かって窓の内側からジュリーが手を振った。アナイスは慌ててその手を抑え、ジュリーを物陰に引っ張る。しかし、二人が隠れるよりも一瞬早く、青年はジュリーに気づき、かぶっていた帽子をとると、窓に向かって大きく振って応えた。
「彼、こっちに気づいて手を振ってくれた!」
「なんてことを!」
 アナイスは悲鳴をあげた。
「でもこっちにいるのが誰だかは分からなかったと思う。大丈夫よ」
「それはそれで残念だけど」
「今日この後の予定は?」
「遊戯室でゲーム。それから歌の練習」
「行きましょう」
 二人は転がるようにして小部屋を出て、次の目的地に向かった。


 ***

 二人の若い男が馬車から飛び降りた。二人を降ろした馬車が走り去ると、セドリックは言った。
「気づいたかい? そこの窓から手を振ってくれていた。よく見えなかったけど……あれは誰だったかな」
 セドリックはジュリーのいた窓の方に向かって、もう一度手を振る真似をした。若い女性のようだったが、窓の格子が邪魔になって、残念ながら顔までは分からなかった。
 エヴァンはその背に向かって静かに言った。
「しかし、……君の親戚というのは、本当に女性ばっかりなんだな」
「うん?」
「客人が、不自然に女性が多い、それもいわゆる結婚適齢期の女性とその母親ばかり……」
「そう思ったか」
「君の伯母さんが、君のことを心配して、何か世話を焼いていると考えるのが自然かな」
「まさか」
 セドリックは目を見張って軽く首を横に振ったが、すぐに思案顔になると、つぶやくように言った。
「でも実際のところ、本当に女性の親戚が多いんだ、昔から、一同で集まると、女の子ばっかりだった。それに……もし今回の招待に何か考えがあって、……何か意図されてのことであっても、それに従ってもいいと俺は思っている」
「そうかい」
 エヴァンは友人の横顔をまじまじと見つめた。セドリックは背筋を伸ばして遠くを見ていた。
「これは当主としてのけじめなんだ。今年の夏が、君と気楽に過ごせる、最後の夏かもしれないんだ」

 セドリックはすでに所領の一部を継いでリュミニー子爵を名乗っており、そろそろ身を固める覚悟を決めたようだった。その相手は、自分で見つけるかもしれないし、人の薦めによるかもしれなかった。
 
エヴァンはわざとらしく大きなため息をついて言った。
「ああ、僕も付き合いがいいな。君が言うのでなければ、こんな山奥に来なかったのに」
 二人の到着したラグランジュ伯爵夫人の山荘は、王都から馬車で四十分の距離。訪問に不便はなく、決して山奥でもはなかった。
 セドリックも笑って、本気で怒っている訳ではない友人をなだめた。
「まあまあ。伯母上は派手で賑やかなことが好きなんだ。道連れは多い方が喜ばれる。我々も気晴らしに来たと思えば、いいじゃないか」

 ラグランジュ伯爵夫人の山荘は三階建ての壮麗な建物だった。前庭と中庭を備え、大小百あまりの部屋があった。
 十年がかりの修繕が完了し、改装後のお披露目を兼ねて客人を集め、会話と音楽とダンスを楽しむというのが、伯爵夫人の今夏の目論見のようだった。
 セドリックが受け取った伯母からの招待状には、山荘にぜひ滞在なさって、とあったが、それについては彼は辞退した。代わりに近隣にある自分の別邸から日参することにし、親友のエヴァンも誘うことにした。 
 エヴァンはぶつぶついいながら、付き合いよく友人に従った。

「さて、今日はどこで何に呼ばれていたんだっけ?」
「遊戯室でゲーム」
 予定に対して、セドリックは別の提案をした。
「その前に、あの場所に行ってみないか」
「あの場所?」
「誰かさんが手を振ってくれた所さ」
 セドリックは二階の端の窓を指した。
 エヴァンもそれに同意した。
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