3 / 4
第3話 花を数える <完>
しおりを挟む
エリーネは言った。
「仮面を外して、あなたはどうするの……」
「さらして困るような顔でもないさ。舞踏会からは追い出されるだろうけど、もう十分楽しんだから思い残すこともない」
「……」
初めは遠慮がちに、次第に大胆になってエリーネはフレデリクの素顔を見つめた。『僕よりいい男はいない』と言っていたのも、嘘ではないと思った。
「ありがとう……」
エリーネはフレデリクの手から仮面を受け取った。
「この次あなたに会ったら、必ずこのお礼をするわね」
「それは難しそうだな」
「どうして?」
「顔も名前も知らないのに、どうやって僕たちだって分かる?」
「それもそうね。言われるまで気が付かなかったわ」
軽口をたたきながら、エリーネは仮面で顔を隠す。
もう一度彼を見つめる。フレデリクは目を閉じたままでいる。
エリーネは突如、彼の顔に、髪に、触れたい気持ちになる。思わず彼の素顔に手を伸ばす。
すると、フレデリクが言った。
「もういい? もう、目を開けても?」
その言葉にはっとなって、エリーネは伸ばしかけた手を引っ込める。
「もうちょっとだけ待って……あ、そうだ」
エリーネが何かを思いついた。
「あなたは恋多き男なんでしょう? 好きだった人の名前を十人言って。そうしたら目を開けていいわ」
「えっ」
「さあ、どうぞ」
「……」
フレデリクの困惑した様子が伝わって来る。
エリーネは微笑み、仮面で隠した自分の両頬を押さえる。背を向けて走り去る。
――さよなら。
エリーネが去った後も、しばらくの間、フレデリクは考え込んでいた。
今までに恋をした相手。十人は軽く超えているはず。でも名前が全く出て来ない。あるいはエリーネの前でそれを言いたくないだけかもしれない。
「……だめだ、降参。目を開けても?」
返事はない。フレデリクはそっと目を開ける。
そこにさっきまでの彼女の姿はなく、夜風が彼の髪を揺らす。彼はふう、と息をつく。
――他の女の名前を言わせようなんて、ひどいな。一番最初に呼びたかったのは、君の名前なのに……。
******
仮面舞踏会の翌日。
エリーネは窓越しに外を見ていた。
彼女の婚約者がやって来る。彼は両手に大きな花束をかかえている。
花の色は赤く、その花の数は数えきれないくらい多い。昨夜出会った彼と約束した数ではなかった。
――あなたでは、なかった。
エリーネの気持ちは沈んだ。彼女は自分が手に持った白い花を見つめる。髪に差した花を確認するように触れる。
そうしてずっと外を見つめていた。
******
同じころ、フレデリクは彼の婚約者を訪れた。フレデリクは両手に大きな赤い花束を抱えていた。
室内に入った時、彼の婚約者は後ろを向いて窓の外を見ていた。彼はその姿に緊張して声をかけた。
「お嬢様、僕はフレデリクです。あなたの婚約者です」
婚約者は振り向いた。フレデリクは見た。
彼女は白い花を一本、手に持っている。昨夜の彼女と約束した数ではなかった。
――君では、なかった。
フレデリクは思わず目を閉じた。胸がしめつけられる。でもそれも一瞬のこと。
すぐに微笑を浮かべ、彼は婚約者の前に出て膝を付く。そして、持ってきた大きな花束から、二本だけを引き抜くと彼女の前に差し出した。
前夜に約束した、二本の赤い花。
「お嬢様、ご挨拶申し上げます。まずはこの花を受け取っていただけますか……?」
「ええ……では、私からもあなたに花を」
彼の婚約者は髪に飾っていた花を引き抜いた。白い花だった。持っていた花と合わせて、両手で握りしめる。
約束した、二本の白い花。
フレデリクは驚きを持って彼女と花とを見つめる。
偶然そうなったのではなかった。二人とも、はっきりとした意図があって、それぞれの花を持ったのだった。
エリーネは笑顔で言う。
「昨日会ったエリーネよ。私、すぐにあなたの顔が分かった……だって、あなたが先に仮面を外してくれてたから」
お互いに花は放り出し、相手に向かって腕をのばす。
フレデリクはエリーネをしっかりと抱きしめた。
「うれしい。エリーネ、それが君の名前なんだ」
「そうよ、フレデリク」
「ずっと君の名前を呼びたかった。愛してる、エリーネ」
「私も。……本当に、昨日のうちから、あなたのことが……」
フレデリクの手がエリーネの顔に触れる。彼はエリーネの頬を軽く上向かせる。
ゆっくりと顔を近づける。エリーネは目を閉じる。フレデリクも目を閉じる。二人の唇が触れてそしてしっかりと合わさった。
<完>
「仮面を外して、あなたはどうするの……」
「さらして困るような顔でもないさ。舞踏会からは追い出されるだろうけど、もう十分楽しんだから思い残すこともない」
「……」
初めは遠慮がちに、次第に大胆になってエリーネはフレデリクの素顔を見つめた。『僕よりいい男はいない』と言っていたのも、嘘ではないと思った。
「ありがとう……」
エリーネはフレデリクの手から仮面を受け取った。
「この次あなたに会ったら、必ずこのお礼をするわね」
「それは難しそうだな」
「どうして?」
「顔も名前も知らないのに、どうやって僕たちだって分かる?」
「それもそうね。言われるまで気が付かなかったわ」
軽口をたたきながら、エリーネは仮面で顔を隠す。
もう一度彼を見つめる。フレデリクは目を閉じたままでいる。
エリーネは突如、彼の顔に、髪に、触れたい気持ちになる。思わず彼の素顔に手を伸ばす。
すると、フレデリクが言った。
「もういい? もう、目を開けても?」
その言葉にはっとなって、エリーネは伸ばしかけた手を引っ込める。
「もうちょっとだけ待って……あ、そうだ」
エリーネが何かを思いついた。
「あなたは恋多き男なんでしょう? 好きだった人の名前を十人言って。そうしたら目を開けていいわ」
「えっ」
「さあ、どうぞ」
「……」
フレデリクの困惑した様子が伝わって来る。
エリーネは微笑み、仮面で隠した自分の両頬を押さえる。背を向けて走り去る。
――さよなら。
エリーネが去った後も、しばらくの間、フレデリクは考え込んでいた。
今までに恋をした相手。十人は軽く超えているはず。でも名前が全く出て来ない。あるいはエリーネの前でそれを言いたくないだけかもしれない。
「……だめだ、降参。目を開けても?」
返事はない。フレデリクはそっと目を開ける。
そこにさっきまでの彼女の姿はなく、夜風が彼の髪を揺らす。彼はふう、と息をつく。
――他の女の名前を言わせようなんて、ひどいな。一番最初に呼びたかったのは、君の名前なのに……。
******
仮面舞踏会の翌日。
エリーネは窓越しに外を見ていた。
彼女の婚約者がやって来る。彼は両手に大きな花束をかかえている。
花の色は赤く、その花の数は数えきれないくらい多い。昨夜出会った彼と約束した数ではなかった。
――あなたでは、なかった。
エリーネの気持ちは沈んだ。彼女は自分が手に持った白い花を見つめる。髪に差した花を確認するように触れる。
そうしてずっと外を見つめていた。
******
同じころ、フレデリクは彼の婚約者を訪れた。フレデリクは両手に大きな赤い花束を抱えていた。
室内に入った時、彼の婚約者は後ろを向いて窓の外を見ていた。彼はその姿に緊張して声をかけた。
「お嬢様、僕はフレデリクです。あなたの婚約者です」
婚約者は振り向いた。フレデリクは見た。
彼女は白い花を一本、手に持っている。昨夜の彼女と約束した数ではなかった。
――君では、なかった。
フレデリクは思わず目を閉じた。胸がしめつけられる。でもそれも一瞬のこと。
すぐに微笑を浮かべ、彼は婚約者の前に出て膝を付く。そして、持ってきた大きな花束から、二本だけを引き抜くと彼女の前に差し出した。
前夜に約束した、二本の赤い花。
「お嬢様、ご挨拶申し上げます。まずはこの花を受け取っていただけますか……?」
「ええ……では、私からもあなたに花を」
彼の婚約者は髪に飾っていた花を引き抜いた。白い花だった。持っていた花と合わせて、両手で握りしめる。
約束した、二本の白い花。
フレデリクは驚きを持って彼女と花とを見つめる。
偶然そうなったのではなかった。二人とも、はっきりとした意図があって、それぞれの花を持ったのだった。
エリーネは笑顔で言う。
「昨日会ったエリーネよ。私、すぐにあなたの顔が分かった……だって、あなたが先に仮面を外してくれてたから」
お互いに花は放り出し、相手に向かって腕をのばす。
フレデリクはエリーネをしっかりと抱きしめた。
「うれしい。エリーネ、それが君の名前なんだ」
「そうよ、フレデリク」
「ずっと君の名前を呼びたかった。愛してる、エリーネ」
「私も。……本当に、昨日のうちから、あなたのことが……」
フレデリクの手がエリーネの顔に触れる。彼はエリーネの頬を軽く上向かせる。
ゆっくりと顔を近づける。エリーネは目を閉じる。フレデリクも目を閉じる。二人の唇が触れてそしてしっかりと合わさった。
<完>
0
お気に入りに追加
21
あなたにおすすめの小説
王子好きすぎ拗らせ転生悪役令嬢は、王子の溺愛に気づかない
エヌ
恋愛
私の前世の記憶によると、どうやら私は悪役令嬢ポジションにいるらしい
最後はもしかしたら全財産を失ってどこかに飛ばされるかもしれない。
でも大好きな王子には、幸せになってほしいと思う。
不憫な侯爵令嬢は、王子様に溺愛される。
猫宮乾
恋愛
再婚した父の元、継母に幽閉じみた生活を強いられていたマリーローズ(私)は、父が没した事を契機に、結婚して出ていくように迫られる。皆よりも遅く夜会デビューし、結婚相手を探していると、第一王子のフェンネル殿下が政略結婚の話を持ちかけてくる。他に行く場所もない上、自分の未来を切り開くべく、同意したマリーローズは、その後後宮入りし、正妃になるまでは婚約者として過ごす事に。その内に、フェンネルの優しさに触れ、溺愛され、幸せを見つけていく。※pixivにも掲載しております(あちらで完結済み)。
ふたりは片想い 〜騎士団長と司書の恋のゆくえ〜
長岡更紗
恋愛
王立図書館の司書として働いているミシェルが好きになったのは、騎士団長のスタンリー。
幼い頃に助けてもらった時から、スタンリーはミシェルのヒーローだった。
そんなずっと憧れていた人と、18歳で再会し、恋心を募らせながらミシェルはスタンリーと仲良くなっていく。
けれどお互いにお互いの気持ちを勘違いしまくりで……?!
元気いっぱいミシェルと、大人な魅力のスタンリー。そんな二人の恋の行方は。
他サイトにも投稿しています。
迷犬騎士団長の優れた嗅覚 ~私の匂いを覚えないでください!~
采火
恋愛
ひょんなことから性別を偽って騎士団に所属していたアンジェ。
彼女は自分の性別を自覚した日、騎士団を辞めた。
アンジェが騎士を辞めた理由。それは、騎士団規則に反しているからというのもあったが、大部分の理由は───騎士団長ユルバンの、無駄にハイスペックなスキルが、お年頃アンジェの心を傷つけたからだった。
それから二年、アンジェはしつこく「少年騎士アンジェ」につきまとうユルバンの視界をかいくぐって来たものの、とうとうアンジェのもう一つの姿「少女アンドレア」を見られてしまう。
同一人物であるのを隠すため、アンジェは「双子の妹」として誤魔化したけど───?
「わずかに今の方が女性らしい甘い匂いがするが、九割九部、記憶の中のアンジェと同じ匂い。アンドレア嬢、アンジェと一緒に住んでいるんだろう! 頼む、俺にアンジェを感じさせてくれ!」
発言からして気持ち悪い騎士団長ユルバンの優秀すぎる「嗅覚」が、じわじわと本当のアンジェにせまっていく!
※小説家になろう様にも掲載中
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
王女殿下の秘密の恋人である騎士と結婚することになりました
鳴哉
恋愛
王女殿下の侍女と
王女殿下の騎士 の話
短いので、サクッと読んでもらえると思います。
読みやすいように、3話に分けました。
毎日1回、予約投稿します。
公爵令嬢は愛に生きたい
拓海のり
恋愛
公爵令嬢シビラは王太子エルンストの婚約者であった。しかし学園に男爵家の養女アメリアが編入して来てエルンストの興味はアメリアに移る。
一万字位の短編です。他サイトにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる