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幼年の記憶(1)
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長らく子供に恵まれなかったゴルディアス・アンドリアーノのもとにようやく生まれた一粒種、シルヴァリエ・アンドリアーノを、ゴルディアスは目に入れても痛くないほどに可愛がった。シルヴァリエを産んだ血筋と器量は良いがあまりに奔放すぎる若い妻は、シルヴァリエを産んで間も無くゴルディアスから多額の手切れ金をせしめ行きずりの男と国を出奔したらしいが、詳細についてはゴルディアスが明らかにしていないのでわからないままだ。ともあれ、大アンドリアーノの威光と、そのアンドリアーノの当主すら射止めた母譲りの美貌に守られたシルヴァリエにとって、出自におけるわずかな翳りなどその経歴にも精神にも大した瑕疵はもたらさなかった。
そんなシルヴァリエは幼いころから宮廷人たちの人気のまとだった。幼いころのシルヴァリエのあだ名「ルー」は、シルヴァリエが自分をそう呼んだことに端を発する。シルヴァリエ自身に自分でそう呼び始めたころの記憶はないが、幼児には少し長すぎる「シルヴァリエ」という名前から、聞き取りやすく発音しやすいところだけを切り出してそう口にしたのだろう、というのは容易に想像できる。幼児特有の甲高い声で「ルーはキャンディがほしい」「ルーは犬をだっこしたい」などと居丈高な割には可愛らしい要求を繰り返すシルヴァリエを面白がり、女王陛下すらも「ルー」「ルー」と呼びかけたものだから、シルヴァリエは随分大きくなるまで自分の本名こそが「ルー」であり「シルヴァリエ」のほうはなにか特別な場で使う称号のようなものだと勘違いしていたものだ。
ともあれ、大公爵家の跡取りとして幼い頃よりあらゆる方面の英才教育を受けたシルヴァリエが最も好んだのが、狩猟である。ゴルディアスが買い与えたその年一番の仔馬にまたがり、金色の髪をなびかせて森じゅうを駆け回っては雷光のような早さで矢を放ち次々に獲物を仕留めていくシルヴァリエには、民間信仰の神「狩猟の神ルー・ロー」との名前の相似にちなんで「狩猟の神の愛し子ルー」の二つ名までつけられた。
王家主催の狩猟祭は、通例では参加できるのは社交界に参加してから、つまりはある程度の年齢以上になるが、シルヴァリエが例外的に12歳になるやならずやで狩猟祭への参加が認められたのは、アンドリアーノの家名以上にシルヴァリエ自身の人気によるところが大きい。
そんなシルヴァリエが狩猟祭に参加するにあたり騎士団から専任の護衛がつくと聞いて、シルヴァリエは誇らしいと同時に煩わしい、と思った。護衛がつくということはそれだけシルヴァリエが重要人物であるという証だったが、重々しい鎧をつけた無骨な集団が疾風のように馬を駆るシルヴァリエについてこられるとは到底思えない。
「スナメリオが女王陛下に直接申し出て、陛下が承認したものだ。お前はまだ幼く、それでいて重要人物だ。特権に伴う煩わしさとの付き合いかたを知るにはいい機会だろう」
自分が頼めばなんでも願いを叶えてくれる父、ゴルディアスにシルヴァリエが訴えると、ゴルディアスからはそんな返事が返ってきた。
スナメリオはゴルディアスの叔父にあたる男だったが、ゴルディアスよりも年下だった。当時王立騎士団の小隊長を務めており、武芸に通じ頭も切れる男だったため、シルヴァリエが生まれるまでは、このままゴルディアスに子供ができなければスナメリオを養子にとってアンドリアーノ本家を継がせるのがいい、という意見がアンドリアーノ一族のなかでは主流であったと聞く。
それが本当であればスナメリオにとってシルヴァリエはまさに目の上のたんこぶといったところだっただろうが、シルヴァリエ自身はスナメリオからなんらかの悪意や害意を感じたことはなく、自分を可愛がってくれる親戚のひとり、というくらいだった。
ともあれ頼りのゴルディアスにそう言われては断るすべがない。シルヴァリエが初めて参加する狩猟祭当日、案の定、己だけではなく馬にまで重苦しい鎧を着せた騎士の集団が鉄の壁さながらにシルヴァリエの周りを固めた。うんざりしたシルヴァリエが森の中で早々に彼らをまいてやろう、と企みながら周囲をぐるりと見回すと、そんな内心を見透かすようにじっと自分を見つめる灰色の瞳と視線がかちあった。
シルヴァリエと目があう、ということは、身長が同じくらい、つまりは子供ということである。見れば、その少年は騎士たちが使う槍こそ持っているものの、鎧は身につけていない。こざっぱりはしているが装飾のない安物のシャツとズボンの上に、革製の胸当てと、腿までを覆うやはり革製と思われる具足をつけているだけだ。
シルヴァリエがあまりに無遠慮に上から下までじろじろ見ていることに腹を立てたのか、亜麻色の髪に灰色の目をしたその少年は、怒ったような顔をしてぷいとそっぽを向き、他の騎士たちの影に隠れてしまった。
「スナメリオ叔父さん、彼は?」
シルヴァリエは、当日の自分の警護を担当していたスナメリオに尋ねた。
「うちの騎士団の騎士見習いの子だよ。かなり小さい頃に入団したらしくて馬も槍も並みの騎士より上手に扱うけど、年齢はルーのひとつ下。無骨な大人に囲まれるばかりではルーもつまらないかと思って連れてきたんだ。仲良くするといい」
「へえ、名前は?」
「名前? ええと……おい、あいつの名前、なんだっけ?」
スナメリオがさらに周囲の騎士に尋ねる。
「いいよ、自分できく」
シルヴァリエは鎧の群れをかき分けてその少年のところへ行くと、
「やあ。僕がルーだよ。今日はよろしく」
と手を差し出した。
「……本日はお役目にあずかれて光栄です。よろしくお願いいたします」
大人びた言葉をどこかたどたどしく口にしながら、少年が握り返してきたその手は、柔らかいシルヴァリエの手には痛みを感じるほど肌がガサガサに荒れていた。普段のシルヴァリエの周囲に、こんな手をした者はいない。爪の先まで香油で手入れしたあとは、デュロワ伯爵夫人のサロンで手に入る透明や色付きのマニュキュアで爪を飾り立てるのが今の宮廷の常識だ。シルヴァリエが驚いた表情をすると、少年は恥じるように手を引っ込めた。
「ああ、ごめん。騎士見習いって大変なんだね。君、名前は?」
シルヴァリエがそう尋ねると、少年は俯いたままぼそぼそと口のなかで答える。シルヴァリエは聞き取れたところだけを拾い上げ、
「レオ? いい名前だね」
と言った。
少年は複雑そうな表情をしたあと、ありがとうございます、とまたぼそぼそ口のなかで返事をした。
そんなシルヴァリエは幼いころから宮廷人たちの人気のまとだった。幼いころのシルヴァリエのあだ名「ルー」は、シルヴァリエが自分をそう呼んだことに端を発する。シルヴァリエ自身に自分でそう呼び始めたころの記憶はないが、幼児には少し長すぎる「シルヴァリエ」という名前から、聞き取りやすく発音しやすいところだけを切り出してそう口にしたのだろう、というのは容易に想像できる。幼児特有の甲高い声で「ルーはキャンディがほしい」「ルーは犬をだっこしたい」などと居丈高な割には可愛らしい要求を繰り返すシルヴァリエを面白がり、女王陛下すらも「ルー」「ルー」と呼びかけたものだから、シルヴァリエは随分大きくなるまで自分の本名こそが「ルー」であり「シルヴァリエ」のほうはなにか特別な場で使う称号のようなものだと勘違いしていたものだ。
ともあれ、大公爵家の跡取りとして幼い頃よりあらゆる方面の英才教育を受けたシルヴァリエが最も好んだのが、狩猟である。ゴルディアスが買い与えたその年一番の仔馬にまたがり、金色の髪をなびかせて森じゅうを駆け回っては雷光のような早さで矢を放ち次々に獲物を仕留めていくシルヴァリエには、民間信仰の神「狩猟の神ルー・ロー」との名前の相似にちなんで「狩猟の神の愛し子ルー」の二つ名までつけられた。
王家主催の狩猟祭は、通例では参加できるのは社交界に参加してから、つまりはある程度の年齢以上になるが、シルヴァリエが例外的に12歳になるやならずやで狩猟祭への参加が認められたのは、アンドリアーノの家名以上にシルヴァリエ自身の人気によるところが大きい。
そんなシルヴァリエが狩猟祭に参加するにあたり騎士団から専任の護衛がつくと聞いて、シルヴァリエは誇らしいと同時に煩わしい、と思った。護衛がつくということはそれだけシルヴァリエが重要人物であるという証だったが、重々しい鎧をつけた無骨な集団が疾風のように馬を駆るシルヴァリエについてこられるとは到底思えない。
「スナメリオが女王陛下に直接申し出て、陛下が承認したものだ。お前はまだ幼く、それでいて重要人物だ。特権に伴う煩わしさとの付き合いかたを知るにはいい機会だろう」
自分が頼めばなんでも願いを叶えてくれる父、ゴルディアスにシルヴァリエが訴えると、ゴルディアスからはそんな返事が返ってきた。
スナメリオはゴルディアスの叔父にあたる男だったが、ゴルディアスよりも年下だった。当時王立騎士団の小隊長を務めており、武芸に通じ頭も切れる男だったため、シルヴァリエが生まれるまでは、このままゴルディアスに子供ができなければスナメリオを養子にとってアンドリアーノ本家を継がせるのがいい、という意見がアンドリアーノ一族のなかでは主流であったと聞く。
それが本当であればスナメリオにとってシルヴァリエはまさに目の上のたんこぶといったところだっただろうが、シルヴァリエ自身はスナメリオからなんらかの悪意や害意を感じたことはなく、自分を可愛がってくれる親戚のひとり、というくらいだった。
ともあれ頼りのゴルディアスにそう言われては断るすべがない。シルヴァリエが初めて参加する狩猟祭当日、案の定、己だけではなく馬にまで重苦しい鎧を着せた騎士の集団が鉄の壁さながらにシルヴァリエの周りを固めた。うんざりしたシルヴァリエが森の中で早々に彼らをまいてやろう、と企みながら周囲をぐるりと見回すと、そんな内心を見透かすようにじっと自分を見つめる灰色の瞳と視線がかちあった。
シルヴァリエと目があう、ということは、身長が同じくらい、つまりは子供ということである。見れば、その少年は騎士たちが使う槍こそ持っているものの、鎧は身につけていない。こざっぱりはしているが装飾のない安物のシャツとズボンの上に、革製の胸当てと、腿までを覆うやはり革製と思われる具足をつけているだけだ。
シルヴァリエがあまりに無遠慮に上から下までじろじろ見ていることに腹を立てたのか、亜麻色の髪に灰色の目をしたその少年は、怒ったような顔をしてぷいとそっぽを向き、他の騎士たちの影に隠れてしまった。
「スナメリオ叔父さん、彼は?」
シルヴァリエは、当日の自分の警護を担当していたスナメリオに尋ねた。
「うちの騎士団の騎士見習いの子だよ。かなり小さい頃に入団したらしくて馬も槍も並みの騎士より上手に扱うけど、年齢はルーのひとつ下。無骨な大人に囲まれるばかりではルーもつまらないかと思って連れてきたんだ。仲良くするといい」
「へえ、名前は?」
「名前? ええと……おい、あいつの名前、なんだっけ?」
スナメリオがさらに周囲の騎士に尋ねる。
「いいよ、自分できく」
シルヴァリエは鎧の群れをかき分けてその少年のところへ行くと、
「やあ。僕がルーだよ。今日はよろしく」
と手を差し出した。
「……本日はお役目にあずかれて光栄です。よろしくお願いいたします」
大人びた言葉をどこかたどたどしく口にしながら、少年が握り返してきたその手は、柔らかいシルヴァリエの手には痛みを感じるほど肌がガサガサに荒れていた。普段のシルヴァリエの周囲に、こんな手をした者はいない。爪の先まで香油で手入れしたあとは、デュロワ伯爵夫人のサロンで手に入る透明や色付きのマニュキュアで爪を飾り立てるのが今の宮廷の常識だ。シルヴァリエが驚いた表情をすると、少年は恥じるように手を引っ込めた。
「ああ、ごめん。騎士見習いって大変なんだね。君、名前は?」
シルヴァリエがそう尋ねると、少年は俯いたままぼそぼそと口のなかで答える。シルヴァリエは聞き取れたところだけを拾い上げ、
「レオ? いい名前だね」
と言った。
少年は複雑そうな表情をしたあと、ありがとうございます、とまたぼそぼそ口のなかで返事をした。
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