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狩猟の祭典(4)
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シルヴァリエは頭を抱え込みたい気持ちだったが、女王も臨席するような場でそんなことができるはずもない。シルヴァリエは表面上穏やかな表情を浮かべたまま、デュロワ伯爵夫人が座る背後で姿勢良く立ち続けた。が、その実ほとんど上の空だった。
またよりによって間の悪いことに、カルナスが座る騎士団の席はデュロワ伯爵夫人のはす向かいにある。時折そちらのほうへ目をやるとカルナスが座る椅子の背後でシルヴァリエ同様直立の姿勢で控えるグランビーズが笑いかけてくる。シルヴァリエもそれに軽く口角を上げて返す。カルナスの顔は見られない。
会議の席次は、上座はもちろん女王陛下。次に宰相。王と宰相は最後に入室してくるのがしきたりのため、今はまだ空席になっている。さらに大貴族たちの席が続き、その次に座るのが実務担当の代表者たち。警備を担当する騎士団の団長であるカルナスと、当日の国外の来賓歓待の手配を任されて入るデュロワ伯爵夫人の席が近いのは至極当然である。会議といっても形式的なもので顔合わせだけしたらすぐに終わる、騎士団の訓練とやらはその日おやすみなのでしょう、あなたにピッタリの香水を調合したから是非試してほしいのよシルヴァリエ――というデュロワ伯爵夫人の誘いに、深く考えずに乗ってしまったのがそもそも間違いだった。なぜ騎士団に今日カルナスが不在なのか、少し考えればわかることだ。
いや、顔を合わせただけならまだよかった。そう言われたから来ただけ、と正直に言えばすむことだ。よりによってなんであんなタイミングで――
「まあジュスティーヌ。あなたったらいつの間に新しい助手を雇ったの?」
シルヴァリエの果てない懊悩を中断させたのは、女王の声だった。どうやらいつの間にか入室して来たらしい。いつの間にか、と思いはしたものの、シルヴァリエの体はほとんど無意識のまま女王への敬礼の姿勢をとっていた。
「またまた随分きれいな子を雇ったのねえ。あなたのところへ通う楽しみがまた増えたわ」
「そうでしょう……と言いたいところですが、残念ながら本日一日限りの助手ですの。私専任の助手にしたいのはやまやまですけれど、そんなことをしたら陛下の後ろにいらっしゃるかたに嫌われてしまいますから」
「あらまあそうなの、ゴルディアス?」
女王は自分の背後を歩く二人の男のうちの片方に、そう尋ねた。
二人の男のうちのひとりは、現在の宰相、ラズリー・トロン。非貴族階級から選ばれた初の宰相だ。そして、女王が話しかけたもう一人の男は、アンドリアーノ公爵家の現在の当主。つまりはシルヴァリエの実の父親である。
「嫌うなどとんでもない」
ゴルディアス・アンドリアーノは、髭をたくわえた口から、朗々とした声で答えた。
「デュロワ伯爵夫人のお望みとあらばたったひとりの息子ぐらい惜しくもありません。しかしうちのシルヴァリエときたらあいにく不肖の息子にて、夫人のお役にはとてもとても。シルヴァリエにできることと言ったらアンドリアーノを継ぐぐらいがせいぜいものでしょう」
ゴルディアスがそう答えると、周囲が一斉に湧いた。この国の公爵家はアンドリアーノだけではないが、宰相と同格の扱いを受けているのはアンドリアーノだけである。アンドリアーノ公爵家はそれだけ特別な存在であり、それを踏まえた上でのゴルディアスのジョークだ。
シルヴァリエも周囲に合わせて笑いながら、ちらりとカルナスの方を見る。カルナスは無表情のまま、机上に置かれた資料を読みふけっていた。
「転職は無理みたいよ、私と一緒で。残念ねえ、シルヴァリエ」
「恐れ入ります」
「それにしてもシルヴァリエ、最近なにかいいことでもあった?」
「え?」
「あなたは子供の頃から理知に富んだ綺麗な顔をしていたけれど、久しぶりに見たら……そう、男ぶりがあがった、と言えばいいかしら」
「息子は今、騎士としての鍛錬に励んでおりますゆえ」
シルヴァリエが答えるよりも前に、ゴルディアスが若干胸をそびやかしながら言った。
「ああ、そうだったわね。騎士団での生活はどう、シルヴァリエ。あなたには少し厳しすぎるのじゃない?」
「いや……」
シルヴァリエは再びカルナスをちらりと見た。カルナスは相変わらず資料のページをめくっている。
「……楽しくやっています」
「そういえばカルナス団長もいらしていたのだったわね。どうかしら、カルナス団長。あなたは自分にストイックなのはいいのだけれど、誰にでもそれを求めるところがあるから、少し心配だわ。シルヴァリエと仲良くやれている?」
「シルヴァリエはよくやっています」
カルナスは資料を机に置くと、姿勢を正し女王の目を見てハキハキと答えた。臣下の礼節としてお手本にしたいような姿だ。
「このまま鍛錬を続けていけば、私など軽く超える騎士となるのは間違いないでしょう」
「あら、王立騎士団の中でも歴代最高の騎士と名高いカルナス団長がそんなことを言うなんて。ゴルディアス、息子さんを狙っているのはジュスティーヌだけじゃないみたいね」
「間違いなくおせじというやつでしょうが、カルナス団長からそんなことを言っていただけるとはまったく光栄ですな」
「相変わらず人気者ねえシルヴァリエは……あらっ! シルヴァリエ、顔真っ赤よ?!」
女王がそう素っ頓狂な声を上げる前から、熱くなった耳を自分の両手で覆い隠していた。
「カルナス団長に褒められたの、そんなに嬉しかったのかしら?」
「ち、違います。陛下がそんなに僕を持ち上げるからです。そろそろ本題に入りませんか」
「あら、シルヴァリエに諭されちゃったわ。そうね、そうしましょうか。この部屋は少し暑いみたいだし、窓を開けてくれる?」
女王の指示に従い、室内の衛兵が次々に窓をあける。吹き込んでくる涼風に少し落ち着いたシルヴァリエが、みっともないところを見られてしまったな、とカルナスの方をさりげなく確認すると、カルナスは頬杖をついて相変わらず資料を眺めていた。
またよりによって間の悪いことに、カルナスが座る騎士団の席はデュロワ伯爵夫人のはす向かいにある。時折そちらのほうへ目をやるとカルナスが座る椅子の背後でシルヴァリエ同様直立の姿勢で控えるグランビーズが笑いかけてくる。シルヴァリエもそれに軽く口角を上げて返す。カルナスの顔は見られない。
会議の席次は、上座はもちろん女王陛下。次に宰相。王と宰相は最後に入室してくるのがしきたりのため、今はまだ空席になっている。さらに大貴族たちの席が続き、その次に座るのが実務担当の代表者たち。警備を担当する騎士団の団長であるカルナスと、当日の国外の来賓歓待の手配を任されて入るデュロワ伯爵夫人の席が近いのは至極当然である。会議といっても形式的なもので顔合わせだけしたらすぐに終わる、騎士団の訓練とやらはその日おやすみなのでしょう、あなたにピッタリの香水を調合したから是非試してほしいのよシルヴァリエ――というデュロワ伯爵夫人の誘いに、深く考えずに乗ってしまったのがそもそも間違いだった。なぜ騎士団に今日カルナスが不在なのか、少し考えればわかることだ。
いや、顔を合わせただけならまだよかった。そう言われたから来ただけ、と正直に言えばすむことだ。よりによってなんであんなタイミングで――
「まあジュスティーヌ。あなたったらいつの間に新しい助手を雇ったの?」
シルヴァリエの果てない懊悩を中断させたのは、女王の声だった。どうやらいつの間にか入室して来たらしい。いつの間にか、と思いはしたものの、シルヴァリエの体はほとんど無意識のまま女王への敬礼の姿勢をとっていた。
「またまた随分きれいな子を雇ったのねえ。あなたのところへ通う楽しみがまた増えたわ」
「そうでしょう……と言いたいところですが、残念ながら本日一日限りの助手ですの。私専任の助手にしたいのはやまやまですけれど、そんなことをしたら陛下の後ろにいらっしゃるかたに嫌われてしまいますから」
「あらまあそうなの、ゴルディアス?」
女王は自分の背後を歩く二人の男のうちの片方に、そう尋ねた。
二人の男のうちのひとりは、現在の宰相、ラズリー・トロン。非貴族階級から選ばれた初の宰相だ。そして、女王が話しかけたもう一人の男は、アンドリアーノ公爵家の現在の当主。つまりはシルヴァリエの実の父親である。
「嫌うなどとんでもない」
ゴルディアス・アンドリアーノは、髭をたくわえた口から、朗々とした声で答えた。
「デュロワ伯爵夫人のお望みとあらばたったひとりの息子ぐらい惜しくもありません。しかしうちのシルヴァリエときたらあいにく不肖の息子にて、夫人のお役にはとてもとても。シルヴァリエにできることと言ったらアンドリアーノを継ぐぐらいがせいぜいものでしょう」
ゴルディアスがそう答えると、周囲が一斉に湧いた。この国の公爵家はアンドリアーノだけではないが、宰相と同格の扱いを受けているのはアンドリアーノだけである。アンドリアーノ公爵家はそれだけ特別な存在であり、それを踏まえた上でのゴルディアスのジョークだ。
シルヴァリエも周囲に合わせて笑いながら、ちらりとカルナスの方を見る。カルナスは無表情のまま、机上に置かれた資料を読みふけっていた。
「転職は無理みたいよ、私と一緒で。残念ねえ、シルヴァリエ」
「恐れ入ります」
「それにしてもシルヴァリエ、最近なにかいいことでもあった?」
「え?」
「あなたは子供の頃から理知に富んだ綺麗な顔をしていたけれど、久しぶりに見たら……そう、男ぶりがあがった、と言えばいいかしら」
「息子は今、騎士としての鍛錬に励んでおりますゆえ」
シルヴァリエが答えるよりも前に、ゴルディアスが若干胸をそびやかしながら言った。
「ああ、そうだったわね。騎士団での生活はどう、シルヴァリエ。あなたには少し厳しすぎるのじゃない?」
「いや……」
シルヴァリエは再びカルナスをちらりと見た。カルナスは相変わらず資料のページをめくっている。
「……楽しくやっています」
「そういえばカルナス団長もいらしていたのだったわね。どうかしら、カルナス団長。あなたは自分にストイックなのはいいのだけれど、誰にでもそれを求めるところがあるから、少し心配だわ。シルヴァリエと仲良くやれている?」
「シルヴァリエはよくやっています」
カルナスは資料を机に置くと、姿勢を正し女王の目を見てハキハキと答えた。臣下の礼節としてお手本にしたいような姿だ。
「このまま鍛錬を続けていけば、私など軽く超える騎士となるのは間違いないでしょう」
「あら、王立騎士団の中でも歴代最高の騎士と名高いカルナス団長がそんなことを言うなんて。ゴルディアス、息子さんを狙っているのはジュスティーヌだけじゃないみたいね」
「間違いなくおせじというやつでしょうが、カルナス団長からそんなことを言っていただけるとはまったく光栄ですな」
「相変わらず人気者ねえシルヴァリエは……あらっ! シルヴァリエ、顔真っ赤よ?!」
女王がそう素っ頓狂な声を上げる前から、熱くなった耳を自分の両手で覆い隠していた。
「カルナス団長に褒められたの、そんなに嬉しかったのかしら?」
「ち、違います。陛下がそんなに僕を持ち上げるからです。そろそろ本題に入りませんか」
「あら、シルヴァリエに諭されちゃったわ。そうね、そうしましょうか。この部屋は少し暑いみたいだし、窓を開けてくれる?」
女王の指示に従い、室内の衛兵が次々に窓をあける。吹き込んでくる涼風に少し落ち着いたシルヴァリエが、みっともないところを見られてしまったな、とカルナスの方をさりげなく確認すると、カルナスは頬杖をついて相変わらず資料を眺めていた。
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