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湖畔の歓待(5)
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晩餐会はシルヴァリエにとって思いがけず居心地の悪いものとなった。
というのも、イボンヌが張り切って持って来てくれた服というのが、シルヴァリエのものは上級貴族の夜会服に相当するようなフリルとボタンと宝石がこれでもかというほどあしらわれた豪奢なもの。いっぽう、カルナスが渡されたものは、貴族の家で働く下男が身につけるような簡素なものであったからだ。
自分にもカルナスと同じような簡素な服を持ってくるか、カルナス用にもう少しましな服はないのか、とシルヴァリエはイボンヌに遠回しに尋ねた。しかしイボンヌは「サイズの合う服があいにくそれしかありませんの」と、カルナスとシルヴァリエが着ていた服はこちらで洗うからとさっさと回収していってしまうものだから、渡されたものを身につけざるを得なかった。
公爵家の嫡男であるシルヴァリエにとってそれは着慣れた衣装であり、質実剛健を旨とするカルナスにとっても平素の服装とさして変わらぬものである。しかし、騎士団においては、団長であるカルナスが最上位の立場、副団長のシルヴァリエはその下だ。その序列にすっかり馴染んでいたというのに、シルヴァリエのほうが主人然とした格好をしているというのは、どうにも収まりが悪い。幸いだったのは、カルナスのほうではまったくそれを気にしていなさそうに見えるところだった。
しかし問題はそれだけではなかった。晩餐の長卓においてシルヴァリエとカルナスはルイーズを挟んで向かい合わせの席を割り振られたが、シルヴァリエの席はルイーズから見て右側でカルナスが左側と指示された。ラトゥールでは屋敷の主人から見て右側のほうがより上座、と定められている。つまりはラトゥールの基準に従えばシルヴァリエのほうがカルナスよりも上座に座らされたわけで、これまた居心地が悪い。しかし左側を上座であるとする地方もあるので、ルイーズの故国もまたはそのような習慣なのだとすれば、簡易的な晩餐の場でいちいち指摘するのも野暮な話だった。さらには、ともにテーブルを囲んだルイーズの護衛たちが、どうやって魔物を退けたのか、と、しきりにカルナスではなくシルヴァリエに尋ねてくる。シルヴァリエが答えあぐねていると、カルナスが言葉少なに返事をした。魔物笛で引き寄せ、狩猟で捕まえていた兎を与えて気を引いたが逃げきれず、矢をいかけ、倒れたところで槍を口の中に突き刺した。その話に嘘はない。しかしその大半を行ったのはカルナスだ。だがカルナスは、シルヴァリエの弓の腕について言及したのみで、他をやったのは自分である、とは匂わせるほどにも言わないものだから、傍目には、武勲を誇らぬ謙虚な主人と、主人に代わり戦功を誇らしげに語る下男、といった様相を呈してくる。
メニューの味に文句はないがどうも胃の腑の調子がおかしくなるような晩餐のあと、食後のワインを注ぎながらイボンヌが、月を映すユニレイ湖の姿が美しいのでふたりをテラスに案内してフルートを聞かせてはどうか、とルイーズに提案した。
「ルイーズ様のフルートときたらそりゃあもう、春に鳴く小鳥のような愛らしさで、本業の演奏家にはなれないのが先生から惜しまれるほどの腕前ですのよ。そうそう、聞けば、シルヴァリエ様も竪琴がお得意とか」
「ああ、ええ……」
シルヴァリエはカルナスのほうをちらりと見た。カルナスはイボンヌのほうを向きながら、ワインの注がれたグラスを口もとに運んでは戻し、運んでは戻し、あまり進まない様子だ。シルヴァリエの竪琴の腕前はといえば、宮廷の演奏会で恥をかかない程度には習得している。つまりは、一般的な感覚から言えば相当な腕前ということではある。
イボンヌがそれを知っている理由はカルナスが教えた以外に考えられないが、カルナスがそんなことを知っていること自体がシルヴァリエには意外だった。
「せっかくですから、ルイーズ様とシルヴァリエ様で合奏でもされてはいかが。ユニレイ湖には夜に光る鱗を持つ珍しい魚がいるとか。美しい音楽に惹かれて、湖面に姿を見せるかもしれませんわよ、ホホホ」
「イボンヌ、おふたりとも、お疲れでしょうから……」
ルイーズがイボンヌをたしなめるように言う。
「いえ、鍛えておりますので、あれくらいはどうということもありません」
ルイーズに、イボンヌではなく、カルナスが答えた。
「ただ、私は演奏どころか音楽などなにひとつわからぬ不調法者です。ここは恥をかかぬようシルヴァリエに任せるといたしましょう」
「あらまぁ、いえいえ、武人であればしかたもないことですわよ、ホホホホホ。それでは、シルヴァリエ様とルイーズ様だけということで」
イボンヌが両手をこすり合わさんばかりの勢いで言った。シルヴァリエが口を開くより一瞬早く、
「ええ、是非。光栄なことだな、シルヴァリエ」
と、カルナスが答えた。
というのも、イボンヌが張り切って持って来てくれた服というのが、シルヴァリエのものは上級貴族の夜会服に相当するようなフリルとボタンと宝石がこれでもかというほどあしらわれた豪奢なもの。いっぽう、カルナスが渡されたものは、貴族の家で働く下男が身につけるような簡素なものであったからだ。
自分にもカルナスと同じような簡素な服を持ってくるか、カルナス用にもう少しましな服はないのか、とシルヴァリエはイボンヌに遠回しに尋ねた。しかしイボンヌは「サイズの合う服があいにくそれしかありませんの」と、カルナスとシルヴァリエが着ていた服はこちらで洗うからとさっさと回収していってしまうものだから、渡されたものを身につけざるを得なかった。
公爵家の嫡男であるシルヴァリエにとってそれは着慣れた衣装であり、質実剛健を旨とするカルナスにとっても平素の服装とさして変わらぬものである。しかし、騎士団においては、団長であるカルナスが最上位の立場、副団長のシルヴァリエはその下だ。その序列にすっかり馴染んでいたというのに、シルヴァリエのほうが主人然とした格好をしているというのは、どうにも収まりが悪い。幸いだったのは、カルナスのほうではまったくそれを気にしていなさそうに見えるところだった。
しかし問題はそれだけではなかった。晩餐の長卓においてシルヴァリエとカルナスはルイーズを挟んで向かい合わせの席を割り振られたが、シルヴァリエの席はルイーズから見て右側でカルナスが左側と指示された。ラトゥールでは屋敷の主人から見て右側のほうがより上座、と定められている。つまりはラトゥールの基準に従えばシルヴァリエのほうがカルナスよりも上座に座らされたわけで、これまた居心地が悪い。しかし左側を上座であるとする地方もあるので、ルイーズの故国もまたはそのような習慣なのだとすれば、簡易的な晩餐の場でいちいち指摘するのも野暮な話だった。さらには、ともにテーブルを囲んだルイーズの護衛たちが、どうやって魔物を退けたのか、と、しきりにカルナスではなくシルヴァリエに尋ねてくる。シルヴァリエが答えあぐねていると、カルナスが言葉少なに返事をした。魔物笛で引き寄せ、狩猟で捕まえていた兎を与えて気を引いたが逃げきれず、矢をいかけ、倒れたところで槍を口の中に突き刺した。その話に嘘はない。しかしその大半を行ったのはカルナスだ。だがカルナスは、シルヴァリエの弓の腕について言及したのみで、他をやったのは自分である、とは匂わせるほどにも言わないものだから、傍目には、武勲を誇らぬ謙虚な主人と、主人に代わり戦功を誇らしげに語る下男、といった様相を呈してくる。
メニューの味に文句はないがどうも胃の腑の調子がおかしくなるような晩餐のあと、食後のワインを注ぎながらイボンヌが、月を映すユニレイ湖の姿が美しいのでふたりをテラスに案内してフルートを聞かせてはどうか、とルイーズに提案した。
「ルイーズ様のフルートときたらそりゃあもう、春に鳴く小鳥のような愛らしさで、本業の演奏家にはなれないのが先生から惜しまれるほどの腕前ですのよ。そうそう、聞けば、シルヴァリエ様も竪琴がお得意とか」
「ああ、ええ……」
シルヴァリエはカルナスのほうをちらりと見た。カルナスはイボンヌのほうを向きながら、ワインの注がれたグラスを口もとに運んでは戻し、運んでは戻し、あまり進まない様子だ。シルヴァリエの竪琴の腕前はといえば、宮廷の演奏会で恥をかかない程度には習得している。つまりは、一般的な感覚から言えば相当な腕前ということではある。
イボンヌがそれを知っている理由はカルナスが教えた以外に考えられないが、カルナスがそんなことを知っていること自体がシルヴァリエには意外だった。
「せっかくですから、ルイーズ様とシルヴァリエ様で合奏でもされてはいかが。ユニレイ湖には夜に光る鱗を持つ珍しい魚がいるとか。美しい音楽に惹かれて、湖面に姿を見せるかもしれませんわよ、ホホホ」
「イボンヌ、おふたりとも、お疲れでしょうから……」
ルイーズがイボンヌをたしなめるように言う。
「いえ、鍛えておりますので、あれくらいはどうということもありません」
ルイーズに、イボンヌではなく、カルナスが答えた。
「ただ、私は演奏どころか音楽などなにひとつわからぬ不調法者です。ここは恥をかかぬようシルヴァリエに任せるといたしましょう」
「あらまぁ、いえいえ、武人であればしかたもないことですわよ、ホホホホホ。それでは、シルヴァリエ様とルイーズ様だけということで」
イボンヌが両手をこすり合わさんばかりの勢いで言った。シルヴァリエが口を開くより一瞬早く、
「ええ、是非。光栄なことだな、シルヴァリエ」
と、カルナスが答えた。
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