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高原の狩猟(4)
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カァン! カァン! という激しい金属音とともに、森の木が揺れる。鳥たちが周辺の木々から一斉に舞い上がるのに切っ先を向け、シルヴァリエは限界まで引いていた弦を手放した。ひゅうっ、と空気を切り裂く音の直後、空に向かっていた鳥が一羽、錐揉み状に落下する。
すべて鳥が去ったあとの空間をさらに何本かの矢が通り過ぎたが、それらはすべて弧を描いて地に落ちて行った。
「お見事ですね、副団長」
ノルダ・ロウが言った。あいかわらずの無表情だが、口調を聞く限りは心底感心しているようだ。
騎士団にはシルヴァリエ以外にも何人か弓を備えているものがいたが、途中で見かねたように自ら弓を手にしたカルナスが一羽仕留めたのを除いては、飛ぶ鳥を射抜いているのはシルヴァリエひとりだった。もともとは鹿や猪などの大物狙いが騎士団の流儀なようで、木陰に隠れているような小さな鳥は範疇外。弓もまたそれにあわせて騎士たちは、みな大型の、威力はあるが扱う速度は劣るものを構えている。中程度の鳥を仕留めるのに適した軽弓を使っているのはシルヴァリエひとりだ。それでもカルナスは明らかに機嫌が悪かった。
「もう少し増やしたほうがいいか……」
カルナスがぼそりと呟いた言葉で、周囲の騎士たちに戦慄が走る。カルナスがよくいえばストイック、悪くいえば無類の訓練好きなのは知られた話である。自身がそもそも時間さえあればなにかの訓練をしているが、カルナスが団長になってからというもの、訓練時間が増え騎士団内に休日というものが実質消失した、というのはシルヴァリエもモーラスから何度も聞いていた。
いっぽうで、カルナスが団長になってからというもの休日に街で素人娘相手に管を巻くような一部の悪徳騎士もまた消滅した。そういう性格の人間がいなくなったというわけではなく皆そんなことをするほどの体力も時間もなくなったためだが、そんなわけで騎士団外からのカルナスの評判はめっぽう良かった。さらにはカルナスが団長になってからというもの討伐任務中の死者重傷者も減り、ここ数ヶ月はゼロ。カルナス以前は、騎士団に依頼が来るような討伐任務といえばただの辺境警備隊には手のあまるような、すでに屈強の護衛軍や村や街が独自に雇っている傭兵隊にも犠牲者が出ているような内容がほとんどで、つまりは騎士団も出陣時点で何名かの犠牲は覚悟しなければならなかった。その状況がカルナスの訓練好きによりかなり改善されたということだ。日々の訓練が過酷な代わりに死亡率は下がり、つまりは手柄を立てる機会が増える。そういう理由で、騎士団内にもカルナスの訓練好きを一概に批判する声はまあまあ少なかった。
とはいえ、そんなカルナスが、この状況で「増やす」といえば訓練時間をおいて他にはない。ただでさえ過酷な騎士団内の訓練がさらに悲惨なものになる予感に、騎士たちが震え上がるのもまた無理のない話であった。
「もう少し奥まで行けば大物もいるんでしょうけどね」
ノルダ・ロウがいまだ猟果のない騎士たちをフォローするに言う。狩りのためにやってきたのは高原のはずれにあたるルルドの森の周辺沿い。ルルドの森はモディラティオ山脈の裾野に広がる広大な森林で、夜になれば魔物も出る。夕暮れも迫ろうという時刻、へたに奥まで足を踏み入れると危険だということで、今日はあまり深くは入らず小動物を狩るだけで済ます、とは、カルナスが決めたことだ。
「今日は下見が主な目的です。暗くなってきたことですし、このあたりでよいのではないですか、カルナス団長」
「……そうだな」
ノルダ・ロウの言葉にカルナスは首肯したが、その直後、馬の鞍に何本かぶら下げた投擲用の小槍を手に取り、少し遠くの茂みに向かって勢いよく投げた。
自らが陣頭に立って鍛え上げた騎士たちが名ばかり副団長のシルヴァリエに遅れをとったことの怒りの発露か、とみな身をすくめる。しかしカルナスは、小槍が突き刺さった茂みがガサガサと揺れるのを見て、軽く何度か手を払っただけだった。
「半矢か。今日は私も調子が悪い」
「何かいましたか」
「たいしたサイズではないな。兎かなにかだろう。ノルダ、先に帰還してくれ。私は仕留めてから戻る」
「おひとりで?」
「人数を必要とする獲物でもなさそうだからな」
「追うほどのこともないのでは? 食料は足りております」
「半矢の獣を放っておくのは哀れだろう」
「ですが……危険です」
「私がか?」
「…………」
「私ひとりのほうがいい。先に戻れ」
「しかしルルドの森は……せめて誰かお連れいただけませんか」
「急な狩猟で予定がずれた。野営地に戻ってからもやることが山積みで、明日からも忙しい。なによりみな疲れているだろう。私ひとりでいい、戻れ」
「ですが……」
「次は言わんぞ」
「……………………」
「僕、行きましょうか」
カルナスとノルダ・ロウの間に横たわる緊張感に気づいていないかのように、シルヴァリエはふたりの間に割って入った。
「僕は別に予定もないはずですし。半矢の兎の痕跡を追うのも得意ですよ」
「ああ……」
ノルダ・ロウが、ほっとしたようにシルヴァリエを見た。
「そうですね。シルヴァリエ副団長も弓の腕は確かなようですし、野営地でこれというご予定もありません。適任ではないですか、カルナス団長」
「…………っ」
カルナスは横目でシルヴァリエの顔を一瞥したあと、ノルダ・ロウを睨みつけながら、声を出さずに小さく口を動かした。
それに対しノルダ・ロウも声を出さずに口を動かして返事をする。
シルヴァリエが見たところ、どうやらカルナスが「足手まといだ」と言ったのに対し、ノルダ・ロウは「あなたが守ってさしあげればよいでしょう」と答えたようだ。
「これ以上議論していても太陽は沈み獲物は遠ざかるばかりです。我々は一足先に戻り、団長と副団長は兎の後を追う。それでよろしいですか」
ノルダ・ロウが、今度は声に出して言った。
「いいだろう」
カルナスは感情のない声で答えた。
すべて鳥が去ったあとの空間をさらに何本かの矢が通り過ぎたが、それらはすべて弧を描いて地に落ちて行った。
「お見事ですね、副団長」
ノルダ・ロウが言った。あいかわらずの無表情だが、口調を聞く限りは心底感心しているようだ。
騎士団にはシルヴァリエ以外にも何人か弓を備えているものがいたが、途中で見かねたように自ら弓を手にしたカルナスが一羽仕留めたのを除いては、飛ぶ鳥を射抜いているのはシルヴァリエひとりだった。もともとは鹿や猪などの大物狙いが騎士団の流儀なようで、木陰に隠れているような小さな鳥は範疇外。弓もまたそれにあわせて騎士たちは、みな大型の、威力はあるが扱う速度は劣るものを構えている。中程度の鳥を仕留めるのに適した軽弓を使っているのはシルヴァリエひとりだ。それでもカルナスは明らかに機嫌が悪かった。
「もう少し増やしたほうがいいか……」
カルナスがぼそりと呟いた言葉で、周囲の騎士たちに戦慄が走る。カルナスがよくいえばストイック、悪くいえば無類の訓練好きなのは知られた話である。自身がそもそも時間さえあればなにかの訓練をしているが、カルナスが団長になってからというもの、訓練時間が増え騎士団内に休日というものが実質消失した、というのはシルヴァリエもモーラスから何度も聞いていた。
いっぽうで、カルナスが団長になってからというもの休日に街で素人娘相手に管を巻くような一部の悪徳騎士もまた消滅した。そういう性格の人間がいなくなったというわけではなく皆そんなことをするほどの体力も時間もなくなったためだが、そんなわけで騎士団外からのカルナスの評判はめっぽう良かった。さらにはカルナスが団長になってからというもの討伐任務中の死者重傷者も減り、ここ数ヶ月はゼロ。カルナス以前は、騎士団に依頼が来るような討伐任務といえばただの辺境警備隊には手のあまるような、すでに屈強の護衛軍や村や街が独自に雇っている傭兵隊にも犠牲者が出ているような内容がほとんどで、つまりは騎士団も出陣時点で何名かの犠牲は覚悟しなければならなかった。その状況がカルナスの訓練好きによりかなり改善されたということだ。日々の訓練が過酷な代わりに死亡率は下がり、つまりは手柄を立てる機会が増える。そういう理由で、騎士団内にもカルナスの訓練好きを一概に批判する声はまあまあ少なかった。
とはいえ、そんなカルナスが、この状況で「増やす」といえば訓練時間をおいて他にはない。ただでさえ過酷な騎士団内の訓練がさらに悲惨なものになる予感に、騎士たちが震え上がるのもまた無理のない話であった。
「もう少し奥まで行けば大物もいるんでしょうけどね」
ノルダ・ロウがいまだ猟果のない騎士たちをフォローするに言う。狩りのためにやってきたのは高原のはずれにあたるルルドの森の周辺沿い。ルルドの森はモディラティオ山脈の裾野に広がる広大な森林で、夜になれば魔物も出る。夕暮れも迫ろうという時刻、へたに奥まで足を踏み入れると危険だということで、今日はあまり深くは入らず小動物を狩るだけで済ます、とは、カルナスが決めたことだ。
「今日は下見が主な目的です。暗くなってきたことですし、このあたりでよいのではないですか、カルナス団長」
「……そうだな」
ノルダ・ロウの言葉にカルナスは首肯したが、その直後、馬の鞍に何本かぶら下げた投擲用の小槍を手に取り、少し遠くの茂みに向かって勢いよく投げた。
自らが陣頭に立って鍛え上げた騎士たちが名ばかり副団長のシルヴァリエに遅れをとったことの怒りの発露か、とみな身をすくめる。しかしカルナスは、小槍が突き刺さった茂みがガサガサと揺れるのを見て、軽く何度か手を払っただけだった。
「半矢か。今日は私も調子が悪い」
「何かいましたか」
「たいしたサイズではないな。兎かなにかだろう。ノルダ、先に帰還してくれ。私は仕留めてから戻る」
「おひとりで?」
「人数を必要とする獲物でもなさそうだからな」
「追うほどのこともないのでは? 食料は足りております」
「半矢の獣を放っておくのは哀れだろう」
「ですが……危険です」
「私がか?」
「…………」
「私ひとりのほうがいい。先に戻れ」
「しかしルルドの森は……せめて誰かお連れいただけませんか」
「急な狩猟で予定がずれた。野営地に戻ってからもやることが山積みで、明日からも忙しい。なによりみな疲れているだろう。私ひとりでいい、戻れ」
「ですが……」
「次は言わんぞ」
「……………………」
「僕、行きましょうか」
カルナスとノルダ・ロウの間に横たわる緊張感に気づいていないかのように、シルヴァリエはふたりの間に割って入った。
「僕は別に予定もないはずですし。半矢の兎の痕跡を追うのも得意ですよ」
「ああ……」
ノルダ・ロウが、ほっとしたようにシルヴァリエを見た。
「そうですね。シルヴァリエ副団長も弓の腕は確かなようですし、野営地でこれというご予定もありません。適任ではないですか、カルナス団長」
「…………っ」
カルナスは横目でシルヴァリエの顔を一瞥したあと、ノルダ・ロウを睨みつけながら、声を出さずに小さく口を動かした。
それに対しノルダ・ロウも声を出さずに口を動かして返事をする。
シルヴァリエが見たところ、どうやらカルナスが「足手まといだ」と言ったのに対し、ノルダ・ロウは「あなたが守ってさしあげればよいでしょう」と答えたようだ。
「これ以上議論していても太陽は沈み獲物は遠ざかるばかりです。我々は一足先に戻り、団長と副団長は兎の後を追う。それでよろしいですか」
ノルダ・ロウが、今度は声に出して言った。
「いいだろう」
カルナスは感情のない声で答えた。
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