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夜毎の訪問(1)
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ラトゥール王国の名門貴族、アンドリアーノ公爵家の嫡子であるシルヴァリエ・アンドリアーノは、蝋燭を片手に夜の回廊を進んでいた。
端正な横顔を時折ひきつらせるのは、昼間の過酷な訓練で痛めた左肘が原因だ。
目指す先は、王立騎士団の騎士団長、カルナス・レオンダルの部屋。
今のシルヴァリエは、その王立騎士団の副団長という身分である。
とはいっても、シルヴァリエは馬上槍はおろか短剣すらもまともに扱えない。手玉にとるのが得意なのは宮廷社交界にデビューしたばかりのウブな貴族の娘たちの恋心くらいのものだ。
そんなシルヴァリエが名目だけとは副団長の肩書きを得ているのは、ひとえに父である現アンドリアーノ公が金と政治力でゴリ押しした結果である。
そんなシルヴァリエから見てカルナスは一歳ほど年下にあたるが、ふたりの経歴は真逆といってもよい。
大公爵家の嫡子としてなに不自由なく育てられ、長じてからは名だたる宮廷の美女たちに手を引かれるがまま酒と薔薇の日々に溺れていたシルヴァリエ。
享楽の申し子の二つ名を持つ、と聞けば生まれに甘えたできそこないの放蕩息子と思われそうだが、その中身はどうあれ、上背のあるすらりとした体型に透けるようなプラチナブロンドとエメラルドのような瞳は物語から抜け出してきた白馬の王子さながらで、王や王妃の覚えもめでたい。白磁のような顔立ちにいつも柔和な表情を浮かべているが、そんなシルヴァリエをよく思わない貴族に絡まれれば時にぴしゃりと言い返し、時にのらりくらりとかわし、いつの間にか自分の味方につけている。
相手の油断を誘い、結局は誰をも自分の味方にしてそこから利を得る、という如才のなさは、すでに父である現アンドリアーノ公を超えているとすら言われていた。
いっぽうカルナスはといえば、日に焼けて少し赤茶けた黒髪と浅黒い肌に、深い紺色の瞳。いつも厳しい、怒ったような表情で、相手のことを真正面から睨みつけるように見つめる。彼と向かい合って目をそらさずにいられるものはほとんどいない。
その性格は見た目以上に頑なで、逆に言えば虚偽不正を嫌う清廉潔白な性格。周囲にも厳しいが誰よりも己に厳しく、騎士団長となってからも、誰に命令されることもなく部下に課す数倍の訓練量をひとり黙々とこなしていた。
鬼の騎士団長、と呼ばれ一見大柄に見えるが、それは一部の隙もなく鍛え上げられた全身から発せられる迫力によるもので、初めて間近で向かい合ったカルナスが意外に小柄であることにはシルヴァリエも驚いたほどだった。
弱小貴族の末子として生まれ、少年のころから騎士団に身を置き、大人も音をあげるほどの厳しい訓練の日々を送っていたがためか、若くしてその実力は十分。今どきの騎士にしては珍しいほどの生真面目で高潔すぎる性格ゆえか友人と言えるほど親しい相手もいないようだが、そんなカルナスの不器用さの唯一の理解者が、カルナスと同年代の息子を幼いころに亡くしていた前の騎士団長だった。
その前騎士団長が半年ほど前に国境の蛮族たちとの戦いで落命した際に、その遺志を継いでラトゥール王国歴代最年少の騎士団長となると、カルナスは騎士団内に慣例的にはびこっていた不正をすべて一掃した。そんなカルナスには恨みを持つ者も多く、一方で彼を慕う者たちからも畏敬の念ゆえに少し距離を置かれているところもあるが、本人はそんな状況をむしろ好都合と思っているようだ。
そんなふたりが上司部下の関係となれば、もちろん相性などよいわけがない。
しかも、生真面目で妥協を許さず――わずかとはいえ年若いカルナスのほうが、上司なのである。
シルヴァリエにとっては、考えうる限り最悪といってよい関係だった。
もっとも、上司とはいっても、騎士団のなかだけの話だ。一歩外に出れば、大アンドリアーノ公爵家の息子シルヴァリエと、騎士団長を勤めているとはいえ貴族としての身分はせいぜいが中の下といったレオンダル家の、しかも嫡子ですらないカルナスの立場は逆転する。
しかし、シルヴァリエがカルナスの部屋の扉に慣れた様子で手をかけたのは、それが理由ではなかった。
「カルナス団長。副団長シルヴァリエ・アンドリアーノ、参りました」
まったく、シルヴァリエが敬語を使う年下の相手など、カルナスくらいのものである。
もちろん、はじめからそうではなく、カルナスからの手厳しい洗礼に遭ってそうしたものだ。
しかし、シルヴァリエのせっかくのかしこまった挨拶に、カルナスからの返事はなかった。
「団長、カルナス団長……お返事を待たず、失礼致します」
シルヴァリエがそう言って開いたカルナスの部屋扉の向こうには、濃密な闇が広がっている。
一歩中に入り後ろ手に扉を閉めたシルヴァリエが闇に向かって蝋燭をかざすと、部屋の中央に置かれたベッドの天蓋から落ちる薄いカーテンの奥で、なにかがうごめいているのが見えた。
シルヴァリエは、ベッドのほうへ進みカーテンに手をかけた。
中からはくちゅくちゅとした規則的な水音が聞こえている。
「……少し遅すぎたか」
端正な横顔を時折ひきつらせるのは、昼間の過酷な訓練で痛めた左肘が原因だ。
目指す先は、王立騎士団の騎士団長、カルナス・レオンダルの部屋。
今のシルヴァリエは、その王立騎士団の副団長という身分である。
とはいっても、シルヴァリエは馬上槍はおろか短剣すらもまともに扱えない。手玉にとるのが得意なのは宮廷社交界にデビューしたばかりのウブな貴族の娘たちの恋心くらいのものだ。
そんなシルヴァリエが名目だけとは副団長の肩書きを得ているのは、ひとえに父である現アンドリアーノ公が金と政治力でゴリ押しした結果である。
そんなシルヴァリエから見てカルナスは一歳ほど年下にあたるが、ふたりの経歴は真逆といってもよい。
大公爵家の嫡子としてなに不自由なく育てられ、長じてからは名だたる宮廷の美女たちに手を引かれるがまま酒と薔薇の日々に溺れていたシルヴァリエ。
享楽の申し子の二つ名を持つ、と聞けば生まれに甘えたできそこないの放蕩息子と思われそうだが、その中身はどうあれ、上背のあるすらりとした体型に透けるようなプラチナブロンドとエメラルドのような瞳は物語から抜け出してきた白馬の王子さながらで、王や王妃の覚えもめでたい。白磁のような顔立ちにいつも柔和な表情を浮かべているが、そんなシルヴァリエをよく思わない貴族に絡まれれば時にぴしゃりと言い返し、時にのらりくらりとかわし、いつの間にか自分の味方につけている。
相手の油断を誘い、結局は誰をも自分の味方にしてそこから利を得る、という如才のなさは、すでに父である現アンドリアーノ公を超えているとすら言われていた。
いっぽうカルナスはといえば、日に焼けて少し赤茶けた黒髪と浅黒い肌に、深い紺色の瞳。いつも厳しい、怒ったような表情で、相手のことを真正面から睨みつけるように見つめる。彼と向かい合って目をそらさずにいられるものはほとんどいない。
その性格は見た目以上に頑なで、逆に言えば虚偽不正を嫌う清廉潔白な性格。周囲にも厳しいが誰よりも己に厳しく、騎士団長となってからも、誰に命令されることもなく部下に課す数倍の訓練量をひとり黙々とこなしていた。
鬼の騎士団長、と呼ばれ一見大柄に見えるが、それは一部の隙もなく鍛え上げられた全身から発せられる迫力によるもので、初めて間近で向かい合ったカルナスが意外に小柄であることにはシルヴァリエも驚いたほどだった。
弱小貴族の末子として生まれ、少年のころから騎士団に身を置き、大人も音をあげるほどの厳しい訓練の日々を送っていたがためか、若くしてその実力は十分。今どきの騎士にしては珍しいほどの生真面目で高潔すぎる性格ゆえか友人と言えるほど親しい相手もいないようだが、そんなカルナスの不器用さの唯一の理解者が、カルナスと同年代の息子を幼いころに亡くしていた前の騎士団長だった。
その前騎士団長が半年ほど前に国境の蛮族たちとの戦いで落命した際に、その遺志を継いでラトゥール王国歴代最年少の騎士団長となると、カルナスは騎士団内に慣例的にはびこっていた不正をすべて一掃した。そんなカルナスには恨みを持つ者も多く、一方で彼を慕う者たちからも畏敬の念ゆえに少し距離を置かれているところもあるが、本人はそんな状況をむしろ好都合と思っているようだ。
そんなふたりが上司部下の関係となれば、もちろん相性などよいわけがない。
しかも、生真面目で妥協を許さず――わずかとはいえ年若いカルナスのほうが、上司なのである。
シルヴァリエにとっては、考えうる限り最悪といってよい関係だった。
もっとも、上司とはいっても、騎士団のなかだけの話だ。一歩外に出れば、大アンドリアーノ公爵家の息子シルヴァリエと、騎士団長を勤めているとはいえ貴族としての身分はせいぜいが中の下といったレオンダル家の、しかも嫡子ですらないカルナスの立場は逆転する。
しかし、シルヴァリエがカルナスの部屋の扉に慣れた様子で手をかけたのは、それが理由ではなかった。
「カルナス団長。副団長シルヴァリエ・アンドリアーノ、参りました」
まったく、シルヴァリエが敬語を使う年下の相手など、カルナスくらいのものである。
もちろん、はじめからそうではなく、カルナスからの手厳しい洗礼に遭ってそうしたものだ。
しかし、シルヴァリエのせっかくのかしこまった挨拶に、カルナスからの返事はなかった。
「団長、カルナス団長……お返事を待たず、失礼致します」
シルヴァリエがそう言って開いたカルナスの部屋扉の向こうには、濃密な闇が広がっている。
一歩中に入り後ろ手に扉を閉めたシルヴァリエが闇に向かって蝋燭をかざすと、部屋の中央に置かれたベッドの天蓋から落ちる薄いカーテンの奥で、なにかがうごめいているのが見えた。
シルヴァリエは、ベッドのほうへ進みカーテンに手をかけた。
中からはくちゅくちゅとした規則的な水音が聞こえている。
「……少し遅すぎたか」
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