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【PW】199909《箱庭の狂騒》
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夏はまだ居座っているがそれももしかしたら長くないのかもしれない。
夕刻になるにつれて熱帯びていた風が冷たく感じてくる。
香樹実の少し先を資材や工具を持ちながらはしゃぐクラスメイト達が学校へと帰っていく。
文化祭まで後2週間、高校生になって初めての文化祭、この特別な時間が楽しくない筈もない。
香樹実も前の時は、きっとこの瞬間を全力で楽しんでいた。
そう思いながら、学校へ戻る道すがらの夕空を見上げ、体の中にある重く黒い何かに気分を苛まれて行くのを感じる。
あの襲撃事件の後からこれは香樹実の中に居座り、今も奥底でゴロゴロと転がっている。
本当は、これを取っ払う為にも本当の事を追いたい。
そう思っているが上から下された命令は暫くの休養だった。
皆まで言われなくてもわかっている。
これは謹慎なのだ。
何がどうしてそうなのかまでは、わからない。
だけど、調査班が少ないこの状況で態々、休養を与える、それももう3週間を経とうとしているのだ。
今は、動くなそう言われてると言っても過言では無い。
謹慎の理由は、班長である暁の行動が理由だという。
本来、香樹実達、調査班はその存在を認知されてはいけない。なのにも関わらず暁は、救援と言い訳して奥の調査をした。
それが原因だと鷲野に言われたが正直納得は、いっていない。
香樹実達は何も出来なかったがそれでも行動をした人間が処罰を受けるというのも納得は出来ない。
そのお陰で出た成果もあるというのに…
あれから何回もしている自問自答と不平不満のループをしながら学校へ戻ると辺りはすっかり暗くなっていた。
時刻は19時を迎え、先生達が帰る様に各クラスを回り始めていた。
香樹実も促される様に帰宅準備をして校門に向かうとフトした気配を感じて昇降口で足を止めた。
軽く周囲を見渡すと昇降口の出入口に本を読みながら立っている1人の長い黒髪の女子高生の姿が目に入った。
上級生の藤だ、香樹実がそれに気づいた様に藤もまた本から目を離してコチラを見ると少しだけ肩を竦めた。
「先輩のクラスは、何をやるんですか?」
香樹実が近づいてそう声をかけると藤は、本を鞄にしまいながら首を横に振った。
「さぁね、私参加してないんだよね」
「え?何でですか?」
そう聞くと藤は、苦笑いを零した。
「襲われてからクラスから腫れ物扱いされててね、それに」
「それに?」
「工作系苦手なのよね」
藤はそう言いながら肩を竦めて歩き出し、香樹実はそれに離されない様にその横を歩き出した。
校門を抜けて、駅に向かう道を他愛もない話で歩いていると冷たい風が頬を切った。
「まだ時間ある?」
藤がそう訊いて来て、香樹実は自分の眉間に指を当てて少しだけマッサージした。
「私ってそんなに顔に出てます?」
「その問いだけ、そこまでわかるなら上等よ、とりあえず、喫茶店でもどう?いきつけがあるの」
藤にそう言われ、付いていくとそこは、民家の一角にある隠れ家的なカフェだった。
藤は、通い慣れた足取りで店に入っていく。
中に入ると柔和な笑顔を浮かべた中年の夫婦がゆったりとする声で出迎えてくれた。
「あら、恵未ちゃん、こんな時間に珍しいわね、お友達?」
「えぇ」
奥さんの方が藤にそう声をかけ藤もまた柔和な笑顔でそれに応える。
藤が連れを連れてくるのが珍しいのか覗く様にひょっこりと顔を出すとニンマリとした笑みを浮かべた。
「恵未ちゃんがお友達とは珍しいわね~」
母親と言うより孫と祖母の様な感覚に近いのだろうか、藤もまたいつもなら見せない笑顔を見せながら奥さんの肩を叩いた。
「郁美、立ってもらってないで席へ案内してあげて」
カウンターの奥から苦笑いに近い、旦那さんの声が聞こえ、奥さんも慌てて2人を窓辺のテーブル席へと案内してくれた。
席につくと、藤がブレンド2つと残り物でケーキを2つ注文すると奥さんは何度か会釈しながらカウンターへと向かっていった。
「こんなお店あったんですね」
「まぁねって言っても私もここを知ったのは、ほんの数ヶ月前よ」
「以前から知ってるとかじゃなく?」
「えぇ、ここはテツやマツの家でハルの溜まり場でもあるの」
ハル、それは晴人の事だと分かると香樹実は小さな溜息を漏らした。
才田晴人、まさかアイツも帰還者だとは、夢にも思わなかった。
以前の世界でも自由奔放で下らない話もしたし変に察しが良かった場面に何度か驚かされる事もあった。
でも、少し振り返ってみると少しだけ様子が違う場面も幾つかあった気もする。
自由奔放な振る舞いのせいか、才田は一部の人に受けが悪かった。フラフラとしてて真面目にしている自分をバカにしている様に感じるのだろう、熊切などは妙に才田を苦手にしている態度を見せる時が多々あった。
そして、思い出したくないがもう1人、それをアリアリと態度に出しているのがいる。香樹実は以前の時にパートナーっという部分も含めて彼の考えに傾向して才田と徐々に話さなくなっていた。
そう考えると今、才田と話すのは、その縛りが無くなったからだと思っていた。
しかし、よくよく思い出してみれば自分と才田にそこまでの接点は以前もなかった筈だ、それを考えたら今みたいに話しているのも変に思うべきだったのかもしれない。
そう思うと、香樹実はゆっくりと溜息を漏らした。
「本当に、こうも色々わかってからわかる事って多いんですかね…」
ふと漏れた本音に藤は、運ばれてきたコーヒーを啜りながら静かに香樹実を見つめた。
「ハルの事?それとも元旦那?」
「アイツはどうでもいいです、才田もそうだけど友達の事もです…」
「確か、貴方の旦那と不倫してたって親友さん」
「えぇ、私あの時、理不尽に殺されたアイツの事で怒っていたんです」
そう、才田に言われた時の言葉に香樹実は、自分に奥底にあった怒りに気づいた。しかしそれは、同時に自分の情けなさに嫌気がさすものでもあった。
あんな裏切られ方をしたというのに未だに友達だと思っていた事実。
「そんなもんじゃない、怒るってことは、簡単に割り切れる間柄じゃなかったって証明じゃない」
「え?」
「だって、そうでしょ?もし今からここに相当態度の悪い客が入ってきて、不快な思いをさせられても、どうせ一晩寝れば簡単に忘れる、でも寝ても時が過ぎても忘れられないってのは、それまで深く付き合ってきたって証拠じゃない」
藤のそんな些細な言葉に香樹実の中の何かがストンっと落ちていくのを感じた。
そっか、確かに裏切られたけど…全て嘘だったわけじゃないんだ。
そう思うと少しだけほんの少しだけだが小さな開放感を感じた。
「でも、本題はそこじゃないんじゃない?」
藤の鋭い一言に香樹実は、ゆっくりと鼻から空気を吸うと口から盛大な溜息を漏らした。
「少し緩んだ瞬間に切り込まないで下さいよ…」
香樹実がそう言うと藤は、楽しそうにニヤニヤと笑いながら先を話す様に促してきた。
「以前、私が子供を亡くした話をしましたよね」
「確か、心臓病で亡くなったていう」
「はい、でも私の子供は1人じゃないんです、正確に言えば私の子供じゃなく妹の子供で引き取った子なんですけど」
「妹さんの子を引き取ったって、妹さんは?」
「亡くなりました…中東で戦争に巻き込まれて…」
香樹実の言葉に藤は息を飲み、次に口から出る言葉を察した香樹実は、ゆっくりと首を横に振った。
「話すと選択したのは、私なのでこれは私の独り言の愚痴です、妹は前々から飢餓や貧困、内戦なんかで傷つく子供達を助けてあげたいって言っていました。そしてその為に結婚は捨てるとも、凄い子ですよ、宣言通りに結婚もせずに国際医療ボランティアに参加して戦禍の中東へ2010年に旅立ちました、それからたまにの手紙が届く程度で殆ど音沙汰なくて、父も母も私やもう1人の妹もいっつも不安でした、手紙が届いた時なんて生きてるってわかるだけで家族で泣きながら喜んだりもしてて…本当に尊敬できる妹でした…でも2016年の秋に外務省の方と1人の5歳の男の子が私達の家を尋ねてきました。それは妹の死とそして初めて会う甥っ子、誠との出会いでした」
香樹実の中にあの時の情景が蘇る。
新品の服に身を包み、髪も整えられ、何処かおめかしをしている様子の子供には、アンバランスなボロボロのリュックサックを大事そうに抱えているあの姿。
私を見た時に妹を思い出したのかお母さんと言いかけて口を閉ざし、私達に頭を下げるその姿に香樹実は、衝動的に抱き締めてしまった。
誠が香樹実に母親の姿を重ねた様に香樹実もまた誠の姿に亡くした和穂の面影を重ねていたのだ。
抱き締めると同時に誠は、大声で泣きながら香樹実を抱き締め、香樹実はその背中を擦りながら静かに涙を零した。
「その誠君がどうしたの?」
藤の言葉に香樹実は、過去の海から戻ると小さく息を吐いた。
「爆破の時に、微かに聞こえてきた才田とマルクトの会話の中にその名前があったんです」
「あの時に?貴方、意識が?」
「微かですけど、でもハッキリと言ったんです」
《そういえば、マコトっとかいったガキにも同じ手法を使ったけ、最後は眠りながら病院ごと焼けて行ったな確か》
マルクトと呼ばれていた男の声が頭の中で響くと香樹実の全身に寒気が走った。
「誠は、亡くなる1週間前に意識不明で発見されて、最後は、病院の火事でそのまま焼死になりました…そしてそれを奴は、笑いながら言葉にして才田はそれに怒った…」
「たまたま同じだった可能性は?」
「あります、でも、どうしても頭から離れないんです…」
藤の冷静な判断に香樹実もまた冷静な反応をする。
そう、誠とという名前も病院が火事というのもあの時代には、何処にでもあった話だ、明確な場所も時も話していたわけじゃない。
才田が自分と同じ様にあの時代から帰ってきたのならばまだ7歳の子供の話と言うよりも年相応の人だと想定するのが最も良識的な判断だ。
だけど、香樹実はそれで納得が出来なかった。
しかし、その事を知る等の本人である才田は…
「才田はまだ?」
香樹実がそう訪ねると藤は、首を横に振った。
「目覚める兆しは無いって」
香樹実はその応えに少しだけ肩から力が抜ける。
「そういえば、テツさんとマツさんは?」
フト、頭を過ぎる2人の話をすると藤は再度、首を横に振った。
「あれから2人に会えてないの、元々の仕事に戻ったって話は聞いたけど様子がね」
「どうかしたんですか?」
「わからない、だけど、退院してからのテツさんとは、顔を合わせてないの、稗田さんに聞いてみたんだけど、今は溜まった仕事を片付けてるんだって言われるだけでね」
つまり、話を聞けないと言う事だ。
テツやマツなら才田と誠の事を何か知っているかもしれないと思っていた香樹実にとって肩透かしされた気分だった。
才田は、いつ目を覚ますのか。
本当に目を覚ますのか、せめて誰かそれを知っている人間は、居ないのか、考えても心当たりは見つからない。
目の前の藤も香樹実より才田との関わりがあるがそれもそこまで深くなく、知っているのは帰還して以降の話だ。
それから香樹実は、藤と少しだけ話すと2人でカフェを出てそれぞれの帰路についた。
頭の中は、誠と才田の事でいっぱいだった。だからこそ気づくのが遅れた。
それに気づいたのは、自宅のマンションの正面玄関についた時だった。
首筋に不快な風が触れる。それが何を示すか解るからこそ香樹実は、溜息を抑える事が出来なかった。
「あんた、自分が何してるかわかってる?もはやストーカー行為だよ、それ」
苛立ちを隠さない口調で香樹実がそう言うとマンションの外壁に隠れていた和之が姿を現した。
「ストーカーとは、心外だな、俺はお前守る為に…」
「誰も頼んでない」
和之の言葉を遮る様に香樹実は、言うとマンションの中へ入ろうとするがそれを和之が先回りをして妨げてくる。
藤と話して少しだけ軽くなった黒いモノがゆっくりと、重くなっていくのを感じる。
「少しは俺の話を訊けよ、もうこれ以上お前はこの件に関わるな」
「何様?何でアタシがアンタの命令を訊かないといけないの?私の道は私が決める、アンタとはもう別れたの、今では夫婦ですらないの、関わらないで」
「オマエ…」
来る、和之の手が香樹実の肩を掴もうと動くのを感覚で察知した香樹実は、すかさず鞄でその手を叩き落とした。
「何?今度は、殴ろうとでもする?口じゃ勝てないから」
「お前が俺の言う事を訊かないからだろ!?俺はお前の為を思って…」
「私の為?そう思うならもう私に関わらないで、こんな時間が一番無駄!」
香樹実の言葉に和之の表情が歪む。
「お前は何もわかってない!才田にだって騙されてたろ!」
その言葉により香樹実の気持ちは荒んでいく。
「だからなに?アンタにそれ関係ある? 」
「俺は、お前が心配なんだよ!なんで分からない!?」
「アンタのは、心配じゃない…」
そう言いかけて、フト周りに別な感覚が入り込んでくるのを感じた。
とても冷たく重い感覚。
だけど、それに似た感覚を香樹実は知っている。
「車木君だったけ、申し訳ないが星見さんは君を嫌っている様だし、僕にも彼女に聞きたいことがある、今日はお引き取り願いたいんだけど」
丁寧な口調に落ち着いた声は背後の道路から聞こえ振り返るとそこには半袖のグシャグシャのワイシャツを着た、青年が立っていた。
香樹実は、一瞬その姿に誰か気づかなかったが変わらないその目に誰かわかると自分の目を疑った。
「なんだ、あんた?」
車木は、そう言いながら青年と香樹実の間に立つとゆっくりとその距離を縮めていく。
「忠告はしておくよ、これ以上近づくならそれなりの対処はさせて貰うよ」
青年の目が鋭いモノになる、車木は一瞬たじろいだがそれでも尚距離を縮め様とするのを香樹実が肩を掴み止めた。
「アンタじゃ無理、帰って」
「なにを…」
「帰って!これ以上騒ぐなら警察呼ぶよ!」
香樹実がそう真っ直ぐ言うと和之は、掴まれている肩を回そうとするが直ぐにその手の動きは止めらた。
目の前の青年が一気に距離を詰めて和之の腕を掴んでいたのだ。
「言われた通りにしてくれ、さもないと力づくで黙せるしかなくなる」
腕を掴まれた事に慌てて向く和之に対して青年が静かに冷たい視線で見つめながら諭すと和之は、体から力を抜いた。
香樹実達はそれを確認して和之から手を離すと和之は気にくわないと表情で言いながら駆け足で夜の道路へと姿を消した。
香樹実は、その後ろ姿を見送り、改めて目の前の青年に目を向ける。
グシャグシャのワイシャツにスラックス、暫く剃っていないのだろう顎や頬に不精髭が生えていた。以前知っている姿は清潔感に静観さを備えた好青年という印象だったのに今では、くたびれた中年にすら見えた。
「ありがとうございます、テツさん助かりました」
香樹実がそう言うとくたびれた青年、テツが少しだけ苦笑いを零した。
夕刻になるにつれて熱帯びていた風が冷たく感じてくる。
香樹実の少し先を資材や工具を持ちながらはしゃぐクラスメイト達が学校へと帰っていく。
文化祭まで後2週間、高校生になって初めての文化祭、この特別な時間が楽しくない筈もない。
香樹実も前の時は、きっとこの瞬間を全力で楽しんでいた。
そう思いながら、学校へ戻る道すがらの夕空を見上げ、体の中にある重く黒い何かに気分を苛まれて行くのを感じる。
あの襲撃事件の後からこれは香樹実の中に居座り、今も奥底でゴロゴロと転がっている。
本当は、これを取っ払う為にも本当の事を追いたい。
そう思っているが上から下された命令は暫くの休養だった。
皆まで言われなくてもわかっている。
これは謹慎なのだ。
何がどうしてそうなのかまでは、わからない。
だけど、調査班が少ないこの状況で態々、休養を与える、それももう3週間を経とうとしているのだ。
今は、動くなそう言われてると言っても過言では無い。
謹慎の理由は、班長である暁の行動が理由だという。
本来、香樹実達、調査班はその存在を認知されてはいけない。なのにも関わらず暁は、救援と言い訳して奥の調査をした。
それが原因だと鷲野に言われたが正直納得は、いっていない。
香樹実達は何も出来なかったがそれでも行動をした人間が処罰を受けるというのも納得は出来ない。
そのお陰で出た成果もあるというのに…
あれから何回もしている自問自答と不平不満のループをしながら学校へ戻ると辺りはすっかり暗くなっていた。
時刻は19時を迎え、先生達が帰る様に各クラスを回り始めていた。
香樹実も促される様に帰宅準備をして校門に向かうとフトした気配を感じて昇降口で足を止めた。
軽く周囲を見渡すと昇降口の出入口に本を読みながら立っている1人の長い黒髪の女子高生の姿が目に入った。
上級生の藤だ、香樹実がそれに気づいた様に藤もまた本から目を離してコチラを見ると少しだけ肩を竦めた。
「先輩のクラスは、何をやるんですか?」
香樹実が近づいてそう声をかけると藤は、本を鞄にしまいながら首を横に振った。
「さぁね、私参加してないんだよね」
「え?何でですか?」
そう聞くと藤は、苦笑いを零した。
「襲われてからクラスから腫れ物扱いされててね、それに」
「それに?」
「工作系苦手なのよね」
藤はそう言いながら肩を竦めて歩き出し、香樹実はそれに離されない様にその横を歩き出した。
校門を抜けて、駅に向かう道を他愛もない話で歩いていると冷たい風が頬を切った。
「まだ時間ある?」
藤がそう訊いて来て、香樹実は自分の眉間に指を当てて少しだけマッサージした。
「私ってそんなに顔に出てます?」
「その問いだけ、そこまでわかるなら上等よ、とりあえず、喫茶店でもどう?いきつけがあるの」
藤にそう言われ、付いていくとそこは、民家の一角にある隠れ家的なカフェだった。
藤は、通い慣れた足取りで店に入っていく。
中に入ると柔和な笑顔を浮かべた中年の夫婦がゆったりとする声で出迎えてくれた。
「あら、恵未ちゃん、こんな時間に珍しいわね、お友達?」
「えぇ」
奥さんの方が藤にそう声をかけ藤もまた柔和な笑顔でそれに応える。
藤が連れを連れてくるのが珍しいのか覗く様にひょっこりと顔を出すとニンマリとした笑みを浮かべた。
「恵未ちゃんがお友達とは珍しいわね~」
母親と言うより孫と祖母の様な感覚に近いのだろうか、藤もまたいつもなら見せない笑顔を見せながら奥さんの肩を叩いた。
「郁美、立ってもらってないで席へ案内してあげて」
カウンターの奥から苦笑いに近い、旦那さんの声が聞こえ、奥さんも慌てて2人を窓辺のテーブル席へと案内してくれた。
席につくと、藤がブレンド2つと残り物でケーキを2つ注文すると奥さんは何度か会釈しながらカウンターへと向かっていった。
「こんなお店あったんですね」
「まぁねって言っても私もここを知ったのは、ほんの数ヶ月前よ」
「以前から知ってるとかじゃなく?」
「えぇ、ここはテツやマツの家でハルの溜まり場でもあるの」
ハル、それは晴人の事だと分かると香樹実は小さな溜息を漏らした。
才田晴人、まさかアイツも帰還者だとは、夢にも思わなかった。
以前の世界でも自由奔放で下らない話もしたし変に察しが良かった場面に何度か驚かされる事もあった。
でも、少し振り返ってみると少しだけ様子が違う場面も幾つかあった気もする。
自由奔放な振る舞いのせいか、才田は一部の人に受けが悪かった。フラフラとしてて真面目にしている自分をバカにしている様に感じるのだろう、熊切などは妙に才田を苦手にしている態度を見せる時が多々あった。
そして、思い出したくないがもう1人、それをアリアリと態度に出しているのがいる。香樹実は以前の時にパートナーっという部分も含めて彼の考えに傾向して才田と徐々に話さなくなっていた。
そう考えると今、才田と話すのは、その縛りが無くなったからだと思っていた。
しかし、よくよく思い出してみれば自分と才田にそこまでの接点は以前もなかった筈だ、それを考えたら今みたいに話しているのも変に思うべきだったのかもしれない。
そう思うと、香樹実はゆっくりと溜息を漏らした。
「本当に、こうも色々わかってからわかる事って多いんですかね…」
ふと漏れた本音に藤は、運ばれてきたコーヒーを啜りながら静かに香樹実を見つめた。
「ハルの事?それとも元旦那?」
「アイツはどうでもいいです、才田もそうだけど友達の事もです…」
「確か、貴方の旦那と不倫してたって親友さん」
「えぇ、私あの時、理不尽に殺されたアイツの事で怒っていたんです」
そう、才田に言われた時の言葉に香樹実は、自分に奥底にあった怒りに気づいた。しかしそれは、同時に自分の情けなさに嫌気がさすものでもあった。
あんな裏切られ方をしたというのに未だに友達だと思っていた事実。
「そんなもんじゃない、怒るってことは、簡単に割り切れる間柄じゃなかったって証明じゃない」
「え?」
「だって、そうでしょ?もし今からここに相当態度の悪い客が入ってきて、不快な思いをさせられても、どうせ一晩寝れば簡単に忘れる、でも寝ても時が過ぎても忘れられないってのは、それまで深く付き合ってきたって証拠じゃない」
藤のそんな些細な言葉に香樹実の中の何かがストンっと落ちていくのを感じた。
そっか、確かに裏切られたけど…全て嘘だったわけじゃないんだ。
そう思うと少しだけほんの少しだけだが小さな開放感を感じた。
「でも、本題はそこじゃないんじゃない?」
藤の鋭い一言に香樹実は、ゆっくりと鼻から空気を吸うと口から盛大な溜息を漏らした。
「少し緩んだ瞬間に切り込まないで下さいよ…」
香樹実がそう言うと藤は、楽しそうにニヤニヤと笑いながら先を話す様に促してきた。
「以前、私が子供を亡くした話をしましたよね」
「確か、心臓病で亡くなったていう」
「はい、でも私の子供は1人じゃないんです、正確に言えば私の子供じゃなく妹の子供で引き取った子なんですけど」
「妹さんの子を引き取ったって、妹さんは?」
「亡くなりました…中東で戦争に巻き込まれて…」
香樹実の言葉に藤は息を飲み、次に口から出る言葉を察した香樹実は、ゆっくりと首を横に振った。
「話すと選択したのは、私なのでこれは私の独り言の愚痴です、妹は前々から飢餓や貧困、内戦なんかで傷つく子供達を助けてあげたいって言っていました。そしてその為に結婚は捨てるとも、凄い子ですよ、宣言通りに結婚もせずに国際医療ボランティアに参加して戦禍の中東へ2010年に旅立ちました、それからたまにの手紙が届く程度で殆ど音沙汰なくて、父も母も私やもう1人の妹もいっつも不安でした、手紙が届いた時なんて生きてるってわかるだけで家族で泣きながら喜んだりもしてて…本当に尊敬できる妹でした…でも2016年の秋に外務省の方と1人の5歳の男の子が私達の家を尋ねてきました。それは妹の死とそして初めて会う甥っ子、誠との出会いでした」
香樹実の中にあの時の情景が蘇る。
新品の服に身を包み、髪も整えられ、何処かおめかしをしている様子の子供には、アンバランスなボロボロのリュックサックを大事そうに抱えているあの姿。
私を見た時に妹を思い出したのかお母さんと言いかけて口を閉ざし、私達に頭を下げるその姿に香樹実は、衝動的に抱き締めてしまった。
誠が香樹実に母親の姿を重ねた様に香樹実もまた誠の姿に亡くした和穂の面影を重ねていたのだ。
抱き締めると同時に誠は、大声で泣きながら香樹実を抱き締め、香樹実はその背中を擦りながら静かに涙を零した。
「その誠君がどうしたの?」
藤の言葉に香樹実は、過去の海から戻ると小さく息を吐いた。
「爆破の時に、微かに聞こえてきた才田とマルクトの会話の中にその名前があったんです」
「あの時に?貴方、意識が?」
「微かですけど、でもハッキリと言ったんです」
《そういえば、マコトっとかいったガキにも同じ手法を使ったけ、最後は眠りながら病院ごと焼けて行ったな確か》
マルクトと呼ばれていた男の声が頭の中で響くと香樹実の全身に寒気が走った。
「誠は、亡くなる1週間前に意識不明で発見されて、最後は、病院の火事でそのまま焼死になりました…そしてそれを奴は、笑いながら言葉にして才田はそれに怒った…」
「たまたま同じだった可能性は?」
「あります、でも、どうしても頭から離れないんです…」
藤の冷静な判断に香樹実もまた冷静な反応をする。
そう、誠とという名前も病院が火事というのもあの時代には、何処にでもあった話だ、明確な場所も時も話していたわけじゃない。
才田が自分と同じ様にあの時代から帰ってきたのならばまだ7歳の子供の話と言うよりも年相応の人だと想定するのが最も良識的な判断だ。
だけど、香樹実はそれで納得が出来なかった。
しかし、その事を知る等の本人である才田は…
「才田はまだ?」
香樹実がそう訪ねると藤は、首を横に振った。
「目覚める兆しは無いって」
香樹実はその応えに少しだけ肩から力が抜ける。
「そういえば、テツさんとマツさんは?」
フト、頭を過ぎる2人の話をすると藤は再度、首を横に振った。
「あれから2人に会えてないの、元々の仕事に戻ったって話は聞いたけど様子がね」
「どうかしたんですか?」
「わからない、だけど、退院してからのテツさんとは、顔を合わせてないの、稗田さんに聞いてみたんだけど、今は溜まった仕事を片付けてるんだって言われるだけでね」
つまり、話を聞けないと言う事だ。
テツやマツなら才田と誠の事を何か知っているかもしれないと思っていた香樹実にとって肩透かしされた気分だった。
才田は、いつ目を覚ますのか。
本当に目を覚ますのか、せめて誰かそれを知っている人間は、居ないのか、考えても心当たりは見つからない。
目の前の藤も香樹実より才田との関わりがあるがそれもそこまで深くなく、知っているのは帰還して以降の話だ。
それから香樹実は、藤と少しだけ話すと2人でカフェを出てそれぞれの帰路についた。
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それに気づいたのは、自宅のマンションの正面玄関についた時だった。
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「あんた、自分が何してるかわかってる?もはやストーカー行為だよ、それ」
苛立ちを隠さない口調で香樹実がそう言うとマンションの外壁に隠れていた和之が姿を現した。
「ストーカーとは、心外だな、俺はお前守る為に…」
「誰も頼んでない」
和之の言葉を遮る様に香樹実は、言うとマンションの中へ入ろうとするがそれを和之が先回りをして妨げてくる。
藤と話して少しだけ軽くなった黒いモノがゆっくりと、重くなっていくのを感じる。
「少しは俺の話を訊けよ、もうこれ以上お前はこの件に関わるな」
「何様?何でアタシがアンタの命令を訊かないといけないの?私の道は私が決める、アンタとはもう別れたの、今では夫婦ですらないの、関わらないで」
「オマエ…」
来る、和之の手が香樹実の肩を掴もうと動くのを感覚で察知した香樹実は、すかさず鞄でその手を叩き落とした。
「何?今度は、殴ろうとでもする?口じゃ勝てないから」
「お前が俺の言う事を訊かないからだろ!?俺はお前の為を思って…」
「私の為?そう思うならもう私に関わらないで、こんな時間が一番無駄!」
香樹実の言葉に和之の表情が歪む。
「お前は何もわかってない!才田にだって騙されてたろ!」
その言葉により香樹実の気持ちは荒んでいく。
「だからなに?アンタにそれ関係ある? 」
「俺は、お前が心配なんだよ!なんで分からない!?」
「アンタのは、心配じゃない…」
そう言いかけて、フト周りに別な感覚が入り込んでくるのを感じた。
とても冷たく重い感覚。
だけど、それに似た感覚を香樹実は知っている。
「車木君だったけ、申し訳ないが星見さんは君を嫌っている様だし、僕にも彼女に聞きたいことがある、今日はお引き取り願いたいんだけど」
丁寧な口調に落ち着いた声は背後の道路から聞こえ振り返るとそこには半袖のグシャグシャのワイシャツを着た、青年が立っていた。
香樹実は、一瞬その姿に誰か気づかなかったが変わらないその目に誰かわかると自分の目を疑った。
「なんだ、あんた?」
車木は、そう言いながら青年と香樹実の間に立つとゆっくりとその距離を縮めていく。
「忠告はしておくよ、これ以上近づくならそれなりの対処はさせて貰うよ」
青年の目が鋭いモノになる、車木は一瞬たじろいだがそれでも尚距離を縮め様とするのを香樹実が肩を掴み止めた。
「アンタじゃ無理、帰って」
「なにを…」
「帰って!これ以上騒ぐなら警察呼ぶよ!」
香樹実がそう真っ直ぐ言うと和之は、掴まれている肩を回そうとするが直ぐにその手の動きは止めらた。
目の前の青年が一気に距離を詰めて和之の腕を掴んでいたのだ。
「言われた通りにしてくれ、さもないと力づくで黙せるしかなくなる」
腕を掴まれた事に慌てて向く和之に対して青年が静かに冷たい視線で見つめながら諭すと和之は、体から力を抜いた。
香樹実達はそれを確認して和之から手を離すと和之は気にくわないと表情で言いながら駆け足で夜の道路へと姿を消した。
香樹実は、その後ろ姿を見送り、改めて目の前の青年に目を向ける。
グシャグシャのワイシャツにスラックス、暫く剃っていないのだろう顎や頬に不精髭が生えていた。以前知っている姿は清潔感に静観さを備えた好青年という印象だったのに今では、くたびれた中年にすら見えた。
「ありがとうございます、テツさん助かりました」
香樹実がそう言うとくたびれた青年、テツが少しだけ苦笑いを零した。
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クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
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ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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