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【PW】199909《箱庭の狂騒》
答えの場所
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夜闇を振り払う様に燃え盛る炎。
原動力になっているのは、1軒の木造建築の家だ。
木々に囲まれた村の一角にある、何の変哲もない和式の家が炎に蝕まれながら崩れていく。
燃える家の周りには、多くの人々が取り囲み、燃える様子を眺めていた。
不思議と誰1人、鎮火に走る者は、いない。
それどころかその手には、松明が握られている。
流れ込んでくるのは、これを見ている者の絶望。
悲しみと言うより怒りに似た何か大きく黒い塊がユラユラとそのものを蝕んでいく感覚。
今にも暴れ出しそうなその体を必死で抑える誰かがいる。
体格的には、同じ位だろうか背後から羽交い締めにして抑えている。
「やめろ、やめるんだ…じゃないとお前まで…」
声の質からして男の子だろう、呻く様な声に微かに混ざる嗚咽に泣いているのだとわかる。
彼もまた同じ様な気持ちを抑えているのだとわかる。
それでも、ユラユラと内に燃える黒い塊は彼を蝕んでいく。
目を覚ます。
そこには、相変わらずの天井と微かに香る油で焼いている匂い。
恐らく目玉焼きだろうか。
そんな事を思いながら体を起こして寝室を後にする。
「あっおはよ、朝飯作っておいたよ」
リビングに出るとキッチンから皿をもった梨花が呑気な声で挨拶をしてくるのをまだ覚めきらぬ暁は、ノンベリとした声で返しながら洗面台へと向かっていった。
歯磨きをして顔を洗うと少しずつ目が覚めてくるが頭の中はまだ何処かボンヤリとしていた。
何とも後味の悪い映画の様な夢の事を思い出しながら寝癖頭を整えるとトイレを済ませてリビングへ戻る。
梨花は、出るのが早いのか先に朝飯を食べており、暁はゆっくりと対面に座ると手を合わせてから食事を始めた。
目玉焼きにウィンナー、それとご飯と味噌汁というシンプルなラインナップだった。
「そういえば、今日も定時?」
梨花が徐に聞いてくるのに対して暁は、箸を止めて少しだけ考える素振りをする。
「まぁだろうな、本来ならやる仕事も無いし暇だからな」
「何それ、うらやま」
「冗談、無駄な資料と睨めっこして崇央の愚痴に付き合わされるんだぞ?地獄だよ」
「こっちからすると、調査で無茶されるよりマシよ」
梨花のその言葉に暁は、何も返せず唇を尖らせ眉間に皺を寄せる事しか出来なかった。
「とりあえず、私今日は、帰って来れないから晩飯は適当に済ませておいてね」
帰って来るって、ここは暁の家であり、梨花の家ではない。
しかし、それを訂正する程の浅い関係でも無いし、何よりもいずれは、それを当たり前にしようとすら思ってもいる。
暁は、軽く頷きながら、食事を済ませると梨花の分の食器も台所に持っていくとそのまま食器を洗い始めた。
「んじゃあ、先に出るね」
「あいよ~」
軽快な声と共に玄関の閉まるドアが聞こえ、暁は食器を洗い終えるとスーツに着替えて家を後にした。
8月の暑さは今も衰えを知らない。
容赦ない日差しが降り注ぎ、駅に向かう迄の間にワイシャツの中は、ジンワリと汗が広がっていく。
暁は、そんな太陽を見上げた。
飯坂病院襲撃事件から3週間が経とうとしていた。
最初の1週間は持ち切りだったワイドショーも3週間も経てば別の話題へと切り替えられ、襲撃事件の襲の字もテレビから姿を消していた。
この場合、警察からマスコミへの圧力が入ったのだろうがこうも見事にテレビがそっぽを向くと大衆の興味もゆっくりと逸れていくものだった。
正直、暁からすれば納得のいかない事だらけなのだがそれをどうこうできる力も情報も無く、上の指示に従う事しか出来なかった。
事務所に到着し、2週間前から慣れない自分のデスクに座り、書類をまとめる、それが今の暁の主な仕事になっていた。
主にまとめるのは、自分が調査した案件とそれ以前に担当していた班が抱えていた案件の整理だ。
正直自分が担当していない案件に関しては、どう書いたらいいものかわからず、星見達に聞こうと思うのだがそれは崇央によって遮られ、関係者で話を聞けたのは、為永という橋渡しの潜入官からだった。
「つまり、この時の調査は、そこまで行われなかったと?」
『えぇ、それよりも早く、彼が消えてしまったので』
為永は、受け答えが柔らかい男で何処か頼りなさを感じる男だった。
暁が担当してから数ヶ月経つが星見達と直接やり取りしていた分、彼とこんなに話す機会は今までなく何とも言えないぎこちなさも感じていた。
しかし、何とも不穏というかなんとういうか。
まさか調査班の第一の対象から逃げられているとは、何とも不吉な旅路だったか。
前任者の林もどう調査すればいいのか,どうすれば危険がないのか相当気を揉んだのだろう、それは理解できるがそれでも調査出来てないのでは、話にならない。
お陰で書類は不備だらけで肝心な能力の有無すらわかっていない。
一つだけわかっているとすれば、白というわけでは、ないと言うことだけだ。
「ちなみに星見さん達は、この男の事は?」
『知りませんね、彼等も唐突に中止と言われたので戸惑っていましたし』
つまり、これはシンプルにコチラのミスと言う事だ。
正直それだけ分かれば後は、どうにでもなると思い暁は、丁寧に礼を告げて電話を切った。
そのまま暁の視線は、フロアー分けされている崇央の部屋のドアへと向いた。
どうするか?
暁は、視線を資料に戻し、再度この案件を確認する。
鍋島 教介25歳。
工場勤務の男。
年明けから妙に金回りが良く、それがきっかけで筋者に目をつけられる。
本人曰く、何もしてないのに金が貢がれると言っていたらしい。
公安部が事前調査を開始する。
別段、特筆する行動はないが唯一あるとすれば池袋の駅前の喫茶店で長身の若い男と接触。
鍋島が何か必死で頼んでいる様が目撃されるがその次の日に行方をくらました。
長身の若い男。
暁は、そのワードが最初から妙に気になっていた。
これは、縁では無いのか?
そう考えて頭から離れなくなってしまったのだ。
正直、以前なら想像力の無い貧祖な発想だと簡単に振るい捨てる事が出来たのだが今は、この考えに妙な自信があるのだ。
かと言ってこれを崇央に素直に言って縁と会う事を了承されるとは、到底思えない。
調査するなんて言おうものなら「謹慎中は大人しく」と言われるのが関の山だろう。
なら、話は簡単だ、これを崇央に告げないでこの案件をどうするのか聞いてみるのだ。
暁の予想からするに崇央は林に聞いてみろと言い、その林は答えたくないまたはわからないと応える、次にこれを調査した公安の捜査官達に話を持っていき、最後に縁へと向かう。
遠回りだが、問題なく進む内容だ。
そう思うと、暁は善は急げとばかりに崇央の部屋へと乗り込んだ。
「そうか、そう言われるとそうだね、ならこっちで処理するよ」
「え?」
「は?」
予想外の崇央の返しに暁は素っ頓狂な返事をして、その様子に崇央は、怪訝な表情を浮かべた。
「素直過ぎないかそれ?普段なら無理にでも少し調べてとか言うじゃんお前」
「そうかもね、でも今現在、先輩には調査に関わらせるなってのが上の指示でね」
「どういう意味?謹慎にしてもキツくないか?」
暁がそう言うと崇央は、溜息をつきながら背もたれに体を預けた。
「それだけ、あのマルクトって呼ばれてる存在が危ないんでしょ、特に先輩は調書を読む限り憎まれてる」
「それなら尚更、俺を上手く使うのが上の判断じゃないか?普段なら餌の様に扱うだろ?」
「言い方、でも今回はそうもいなかいんでしょ、どうもこの件には三本の華ってのも関わっているらしいし」
「華?」
「三本の一角さ、それぞれ【陽烏】、【陰鳩】、【華門】ってのがあってそれの総称が三本って言われてる奴等なの、ちなみに事後処理班は主に陽烏と陰鳩が行ってる」
「今更そんな詳しく説明してどうした?今まで黙ってた事だろ?」
暁が率直な感想を告げると崇央は、ゆっくりと頬杖をつきながら暁を見上げた。
「どうせ、何を言っても引く気ないんでしょ?何か見つけたんだろうし、むしろ良くこの3週間大人しく事務作業に勤しんでたって思うぐらいだよ」
言うに事欠いてコイツは…
暁は、反論してやろうかと思ったが思った以上に図星な部分が多く口を真一文字に閉ざしながら視線を背けた。
「やるならやるで目立たないでやってくれ、それと、報告は入れてくれよ、さすがに管理責任になる、んでそれで誰を当るつもりなの?」
「東堂縁、アイツら曰く俺の元部下らしいし、それにこの鍋島が接触してた男の特徴が縁だと思えて仕方なくなってな」
「それは、勘?それともリンク?」
「半々、だけど勘だけならここまで気にならないから恐らくリンクもしっかりと反応していると思う」
暁の素直な応えに崇央は、頷きながらゆったりと手をドアへ向けた。
それに従う様に暁はドアに向かい歩き出す。
「死ぬなよ、これは命令だ」
ドアノブを回すと同時に背後から崇央の言葉が耳に届き、暁はゆっくりと肩を竦めた。
「善処する」
そう告げると部屋を後にした。
少し迷ったが鞄は、事務所に置いていき外に出ると真夏の名残がある日差しが容赦なく降り注いで来る。
さて、縁は何処にいる。
暁は、小さく深呼吸すると縁の存在を頭に残しながら意識を周囲に拡散させる。
イメージは、体を街に溶け込ませる様な感じだ。
雑踏の音が遠くなる、匂いも、すべてが透き通って行く様な感覚だ。
その中に波紋の様に鳴る音が触れる。
そこか、暁は目を開けると感覚に導かれる様に人混みを抜いながら歩き出した。
恐らく、場所は、サンシャイン通り近くのチェーン店の喫茶店だ。
何をしているかまでは、わからないが今現状一人でいるらしいというのが感覚的に理解ができた。
正直、暁自身このリンクがどういうものか分からないでいるが使える物は使う方針で進む事に決めた。
マルクトとの戦闘からか、多少リンクの使い方と制御も感覚的だがわかってきてもいた。
事務所から4分程歩いた所に目的地は、あった。
日差しと人混みのせいか軽く汗をかいた体には、チェーン店の冷房は少し寒く感じる。店内は繁盛と言っていいほどに人で賑わっている。
つい先月に爆発事件が起きた付近とは、到底思えない。
喉元過ぎれば熱さを忘れるとは、言うが、ここまでの様子を見ると何とも言えない気持ちにもなった。
暁は、カウンターに向かいアイスコーヒーを2つ注文して受け取ると、そのまま自然な足取りで縁が座っているテーブルにさも最初からそうだったかの様に自然と対面に座った。
突然の暁の登場に縁は、一瞬咥えたいた煙草を落としそうになりながら気持ちを立て直すと大きな溜息を漏らした。
「何してんすか?」
「何って、アイスコーヒーを一緒にどうかなってな」
「リンク使って、わざわざ人の位置探ってまで、アイスコーヒーを俺と一緒に飲みたいだなんて、普通どう思います?」
「まぁ、そこは、何かあるって思うよな?」
暁の応えに縁は、苦笑いを浮かべながら首を横に振った。
「縁、お前には聞きたい事が山ほどある」
「応えられる範疇でお願いします、一応今俺、処理班の補充要員なんで」
「ハルの代わりか?」
「あと、テツです、アイツも傷は癒えたとは、いえ本調子じゃないし、マルクトとの1件で凹んでもいるんで」
縁の応えに、暁は少しだけ苦い気持ちになりながらゆっくりとアイスコーヒーを1口啜った。
「まずは、ハルは相変わらずか?」
「えぇ、病院に行ってないんですか?」
「おふれが回ってきたんだよ、お前はハルに近づくなって」
暁のその応えに縁は、怪訝な表情を浮かべた。
「それは華が言ってきてるんですか?」
「わからん、俺も上司から言われただけだから、鳩か烏か華か、誰がそれを命令してるのか詳しくは教えてもらってない」
「納得いってないってツラですね」
「当たり前だ、だが、それで駄々を捏ねたところでハルが起きるわけでもないし、俺に出来る事も無い」
暁の素直な本音だった。
その言葉に縁は、軽く頷くと紫煙をゆっくり吐いた。
「ハルは、相変わらず眠ったままです。起きる気配もマルクトの支配も消える様子もない、正直俺にはアイツが何を考えているのかわからないっす」
「どういう意味だ?」
「アイツは、多分、自らの意思で目覚めようとしてないんです。アイツならマルクトの支配を殺せる筈なので」
「リンクが使えないとかは?」
「それだと辻褄が合わないんです。俺はこっちの世界に来てから1度だけアイツのリンクを感じたことがあります。確か1月の終わり2月の頭くらいだったと思います」
「ハルのリンクってどんな能力なんだ?」
暁がそう訊くと縁は、眉間に皺を寄せ難しい表情のまま固まった。
これをここで話していいものかどうか迷ってもいるのだと思う。
蘇我と似ているリンクだと聞かされてはいるが蘇我のリンクもそれがどんな力なのかちゃんとわかっていないというのも正直な話だ。
「アイツは《断つ者》というリンクで、簡単に言えばリンクとの切断、そして魂を殺す事が出来る、稀有なリンクなんです」
リンクですら稀有な存在の筈だからその中からより稀有な存在とも言われるのだから相当なものなのだろうとは、大きく理解出来ても、それがどれ程のモノなのかまだ日が浅い暁には、深くは理解できなかった。
しかし、もしそうであるならば、それと同じ蘇我もまた稀有な存在ではあるということは、わかった。
「殺す事が出来る、それはもしかして…」
そして、リンクを殺す、魂を殺す事が出来るという応えは、同時に肉体を持たないものでもあるソレもまた殺す事が出来るのでは、無いか?暁はそう考え口にすると縁は、ゆっくりと頷いた。
「上位者、アイツらは魂だけの存在、アイツらを根本的に殺せるのは、恐らくハルだけかと」
「だが、縁のリンクでもアイツのリンクを喰ってたろ?俺のリンクも燃やした筈だ」
「確かに俺達もアイツらを消す事は、出来ます。だけどそれはあくまで一部です、根本的に消せるかどうかと問われれば相当時間をかければ恐らくってレベルです」
相当時間をかければ恐らく、か…
ふと、3週間前に見た、蘇我の一刺しを思い出した。
時間からして一瞬、消える迄に時間がかかったとは、言えど消える結末から逃げる事は出来なかった。
つまり、あの一刺しで全てが決まっていたという事だ。
だがもしそうならば、何故…
「ハルを殺さずに生かしておく?そんな能力なら生存の為には、殺しておいた方がいいだろ?」
ふと、した疑問を思わず口に出してしまった。
縁もそれについて何度か考えていたのだろう、暁の問に対する縁の表情はそれを物語る様に重苦しいモノへと変わっていた。
「正直俺にもわかりません、それはマルクト自身に聞かないと、だけど」
「だけど?」
「ある男、まぁ上位者なんですけど言ってました、《世界は単一でできているのではない、光があり闇がある、どちらかかければそれは白いだけか黒いだけの何かだ、無もまた有があればこそ証明される、ならば有が無いのならそれはもはや無ではなく、ただの空白でしかない》だと」
ただの空白、光が闇の証明になり、闇が光の証明になる。
つまり、自分の証明の為にハルを生かしておいたという事なのか?
敵は、ワザと敵対者を作っているという事なのか?
何の為に?
敵対者なんて居ない方がいい、特に計画を推し進めるには、邪魔な筈だ、だけど敵はそれを必要としている。
証明する為?
自分達が正義だと正しいと、だが誰に?
民衆?
「なぁ、お前達はかつての世界で戦争してたんだよな?」
暁がふとした疑問を問うと縁は、ゆっくりと頷いた。
「えぇ、最初はどんな奴らなのか影すら踏めませんでしたけど」
「だが、それがわかった。だがそのキッカケはなんだったんだ?」
「きっかけですか…それはとても何気ない時から始まった感じですかね」
そういうと縁はポツリりと語り出した。
原動力になっているのは、1軒の木造建築の家だ。
木々に囲まれた村の一角にある、何の変哲もない和式の家が炎に蝕まれながら崩れていく。
燃える家の周りには、多くの人々が取り囲み、燃える様子を眺めていた。
不思議と誰1人、鎮火に走る者は、いない。
それどころかその手には、松明が握られている。
流れ込んでくるのは、これを見ている者の絶望。
悲しみと言うより怒りに似た何か大きく黒い塊がユラユラとそのものを蝕んでいく感覚。
今にも暴れ出しそうなその体を必死で抑える誰かがいる。
体格的には、同じ位だろうか背後から羽交い締めにして抑えている。
「やめろ、やめるんだ…じゃないとお前まで…」
声の質からして男の子だろう、呻く様な声に微かに混ざる嗚咽に泣いているのだとわかる。
彼もまた同じ様な気持ちを抑えているのだとわかる。
それでも、ユラユラと内に燃える黒い塊は彼を蝕んでいく。
目を覚ます。
そこには、相変わらずの天井と微かに香る油で焼いている匂い。
恐らく目玉焼きだろうか。
そんな事を思いながら体を起こして寝室を後にする。
「あっおはよ、朝飯作っておいたよ」
リビングに出るとキッチンから皿をもった梨花が呑気な声で挨拶をしてくるのをまだ覚めきらぬ暁は、ノンベリとした声で返しながら洗面台へと向かっていった。
歯磨きをして顔を洗うと少しずつ目が覚めてくるが頭の中はまだ何処かボンヤリとしていた。
何とも後味の悪い映画の様な夢の事を思い出しながら寝癖頭を整えるとトイレを済ませてリビングへ戻る。
梨花は、出るのが早いのか先に朝飯を食べており、暁はゆっくりと対面に座ると手を合わせてから食事を始めた。
目玉焼きにウィンナー、それとご飯と味噌汁というシンプルなラインナップだった。
「そういえば、今日も定時?」
梨花が徐に聞いてくるのに対して暁は、箸を止めて少しだけ考える素振りをする。
「まぁだろうな、本来ならやる仕事も無いし暇だからな」
「何それ、うらやま」
「冗談、無駄な資料と睨めっこして崇央の愚痴に付き合わされるんだぞ?地獄だよ」
「こっちからすると、調査で無茶されるよりマシよ」
梨花のその言葉に暁は、何も返せず唇を尖らせ眉間に皺を寄せる事しか出来なかった。
「とりあえず、私今日は、帰って来れないから晩飯は適当に済ませておいてね」
帰って来るって、ここは暁の家であり、梨花の家ではない。
しかし、それを訂正する程の浅い関係でも無いし、何よりもいずれは、それを当たり前にしようとすら思ってもいる。
暁は、軽く頷きながら、食事を済ませると梨花の分の食器も台所に持っていくとそのまま食器を洗い始めた。
「んじゃあ、先に出るね」
「あいよ~」
軽快な声と共に玄関の閉まるドアが聞こえ、暁は食器を洗い終えるとスーツに着替えて家を後にした。
8月の暑さは今も衰えを知らない。
容赦ない日差しが降り注ぎ、駅に向かう迄の間にワイシャツの中は、ジンワリと汗が広がっていく。
暁は、そんな太陽を見上げた。
飯坂病院襲撃事件から3週間が経とうとしていた。
最初の1週間は持ち切りだったワイドショーも3週間も経てば別の話題へと切り替えられ、襲撃事件の襲の字もテレビから姿を消していた。
この場合、警察からマスコミへの圧力が入ったのだろうがこうも見事にテレビがそっぽを向くと大衆の興味もゆっくりと逸れていくものだった。
正直、暁からすれば納得のいかない事だらけなのだがそれをどうこうできる力も情報も無く、上の指示に従う事しか出来なかった。
事務所に到着し、2週間前から慣れない自分のデスクに座り、書類をまとめる、それが今の暁の主な仕事になっていた。
主にまとめるのは、自分が調査した案件とそれ以前に担当していた班が抱えていた案件の整理だ。
正直自分が担当していない案件に関しては、どう書いたらいいものかわからず、星見達に聞こうと思うのだがそれは崇央によって遮られ、関係者で話を聞けたのは、為永という橋渡しの潜入官からだった。
「つまり、この時の調査は、そこまで行われなかったと?」
『えぇ、それよりも早く、彼が消えてしまったので』
為永は、受け答えが柔らかい男で何処か頼りなさを感じる男だった。
暁が担当してから数ヶ月経つが星見達と直接やり取りしていた分、彼とこんなに話す機会は今までなく何とも言えないぎこちなさも感じていた。
しかし、何とも不穏というかなんとういうか。
まさか調査班の第一の対象から逃げられているとは、何とも不吉な旅路だったか。
前任者の林もどう調査すればいいのか,どうすれば危険がないのか相当気を揉んだのだろう、それは理解できるがそれでも調査出来てないのでは、話にならない。
お陰で書類は不備だらけで肝心な能力の有無すらわかっていない。
一つだけわかっているとすれば、白というわけでは、ないと言うことだけだ。
「ちなみに星見さん達は、この男の事は?」
『知りませんね、彼等も唐突に中止と言われたので戸惑っていましたし』
つまり、これはシンプルにコチラのミスと言う事だ。
正直それだけ分かれば後は、どうにでもなると思い暁は、丁寧に礼を告げて電話を切った。
そのまま暁の視線は、フロアー分けされている崇央の部屋のドアへと向いた。
どうするか?
暁は、視線を資料に戻し、再度この案件を確認する。
鍋島 教介25歳。
工場勤務の男。
年明けから妙に金回りが良く、それがきっかけで筋者に目をつけられる。
本人曰く、何もしてないのに金が貢がれると言っていたらしい。
公安部が事前調査を開始する。
別段、特筆する行動はないが唯一あるとすれば池袋の駅前の喫茶店で長身の若い男と接触。
鍋島が何か必死で頼んでいる様が目撃されるがその次の日に行方をくらました。
長身の若い男。
暁は、そのワードが最初から妙に気になっていた。
これは、縁では無いのか?
そう考えて頭から離れなくなってしまったのだ。
正直、以前なら想像力の無い貧祖な発想だと簡単に振るい捨てる事が出来たのだが今は、この考えに妙な自信があるのだ。
かと言ってこれを崇央に素直に言って縁と会う事を了承されるとは、到底思えない。
調査するなんて言おうものなら「謹慎中は大人しく」と言われるのが関の山だろう。
なら、話は簡単だ、これを崇央に告げないでこの案件をどうするのか聞いてみるのだ。
暁の予想からするに崇央は林に聞いてみろと言い、その林は答えたくないまたはわからないと応える、次にこれを調査した公安の捜査官達に話を持っていき、最後に縁へと向かう。
遠回りだが、問題なく進む内容だ。
そう思うと、暁は善は急げとばかりに崇央の部屋へと乗り込んだ。
「そうか、そう言われるとそうだね、ならこっちで処理するよ」
「え?」
「は?」
予想外の崇央の返しに暁は素っ頓狂な返事をして、その様子に崇央は、怪訝な表情を浮かべた。
「素直過ぎないかそれ?普段なら無理にでも少し調べてとか言うじゃんお前」
「そうかもね、でも今現在、先輩には調査に関わらせるなってのが上の指示でね」
「どういう意味?謹慎にしてもキツくないか?」
暁がそう言うと崇央は、溜息をつきながら背もたれに体を預けた。
「それだけ、あのマルクトって呼ばれてる存在が危ないんでしょ、特に先輩は調書を読む限り憎まれてる」
「それなら尚更、俺を上手く使うのが上の判断じゃないか?普段なら餌の様に扱うだろ?」
「言い方、でも今回はそうもいなかいんでしょ、どうもこの件には三本の華ってのも関わっているらしいし」
「華?」
「三本の一角さ、それぞれ【陽烏】、【陰鳩】、【華門】ってのがあってそれの総称が三本って言われてる奴等なの、ちなみに事後処理班は主に陽烏と陰鳩が行ってる」
「今更そんな詳しく説明してどうした?今まで黙ってた事だろ?」
暁が率直な感想を告げると崇央は、ゆっくりと頬杖をつきながら暁を見上げた。
「どうせ、何を言っても引く気ないんでしょ?何か見つけたんだろうし、むしろ良くこの3週間大人しく事務作業に勤しんでたって思うぐらいだよ」
言うに事欠いてコイツは…
暁は、反論してやろうかと思ったが思った以上に図星な部分が多く口を真一文字に閉ざしながら視線を背けた。
「やるならやるで目立たないでやってくれ、それと、報告は入れてくれよ、さすがに管理責任になる、んでそれで誰を当るつもりなの?」
「東堂縁、アイツら曰く俺の元部下らしいし、それにこの鍋島が接触してた男の特徴が縁だと思えて仕方なくなってな」
「それは、勘?それともリンク?」
「半々、だけど勘だけならここまで気にならないから恐らくリンクもしっかりと反応していると思う」
暁の素直な応えに崇央は、頷きながらゆったりと手をドアへ向けた。
それに従う様に暁はドアに向かい歩き出す。
「死ぬなよ、これは命令だ」
ドアノブを回すと同時に背後から崇央の言葉が耳に届き、暁はゆっくりと肩を竦めた。
「善処する」
そう告げると部屋を後にした。
少し迷ったが鞄は、事務所に置いていき外に出ると真夏の名残がある日差しが容赦なく降り注いで来る。
さて、縁は何処にいる。
暁は、小さく深呼吸すると縁の存在を頭に残しながら意識を周囲に拡散させる。
イメージは、体を街に溶け込ませる様な感じだ。
雑踏の音が遠くなる、匂いも、すべてが透き通って行く様な感覚だ。
その中に波紋の様に鳴る音が触れる。
そこか、暁は目を開けると感覚に導かれる様に人混みを抜いながら歩き出した。
恐らく、場所は、サンシャイン通り近くのチェーン店の喫茶店だ。
何をしているかまでは、わからないが今現状一人でいるらしいというのが感覚的に理解ができた。
正直、暁自身このリンクがどういうものか分からないでいるが使える物は使う方針で進む事に決めた。
マルクトとの戦闘からか、多少リンクの使い方と制御も感覚的だがわかってきてもいた。
事務所から4分程歩いた所に目的地は、あった。
日差しと人混みのせいか軽く汗をかいた体には、チェーン店の冷房は少し寒く感じる。店内は繁盛と言っていいほどに人で賑わっている。
つい先月に爆発事件が起きた付近とは、到底思えない。
喉元過ぎれば熱さを忘れるとは、言うが、ここまでの様子を見ると何とも言えない気持ちにもなった。
暁は、カウンターに向かいアイスコーヒーを2つ注文して受け取ると、そのまま自然な足取りで縁が座っているテーブルにさも最初からそうだったかの様に自然と対面に座った。
突然の暁の登場に縁は、一瞬咥えたいた煙草を落としそうになりながら気持ちを立て直すと大きな溜息を漏らした。
「何してんすか?」
「何って、アイスコーヒーを一緒にどうかなってな」
「リンク使って、わざわざ人の位置探ってまで、アイスコーヒーを俺と一緒に飲みたいだなんて、普通どう思います?」
「まぁ、そこは、何かあるって思うよな?」
暁の応えに縁は、苦笑いを浮かべながら首を横に振った。
「縁、お前には聞きたい事が山ほどある」
「応えられる範疇でお願いします、一応今俺、処理班の補充要員なんで」
「ハルの代わりか?」
「あと、テツです、アイツも傷は癒えたとは、いえ本調子じゃないし、マルクトとの1件で凹んでもいるんで」
縁の応えに、暁は少しだけ苦い気持ちになりながらゆっくりとアイスコーヒーを1口啜った。
「まずは、ハルは相変わらずか?」
「えぇ、病院に行ってないんですか?」
「おふれが回ってきたんだよ、お前はハルに近づくなって」
暁のその応えに縁は、怪訝な表情を浮かべた。
「それは華が言ってきてるんですか?」
「わからん、俺も上司から言われただけだから、鳩か烏か華か、誰がそれを命令してるのか詳しくは教えてもらってない」
「納得いってないってツラですね」
「当たり前だ、だが、それで駄々を捏ねたところでハルが起きるわけでもないし、俺に出来る事も無い」
暁の素直な本音だった。
その言葉に縁は、軽く頷くと紫煙をゆっくり吐いた。
「ハルは、相変わらず眠ったままです。起きる気配もマルクトの支配も消える様子もない、正直俺にはアイツが何を考えているのかわからないっす」
「どういう意味だ?」
「アイツは、多分、自らの意思で目覚めようとしてないんです。アイツならマルクトの支配を殺せる筈なので」
「リンクが使えないとかは?」
「それだと辻褄が合わないんです。俺はこっちの世界に来てから1度だけアイツのリンクを感じたことがあります。確か1月の終わり2月の頭くらいだったと思います」
「ハルのリンクってどんな能力なんだ?」
暁がそう訊くと縁は、眉間に皺を寄せ難しい表情のまま固まった。
これをここで話していいものかどうか迷ってもいるのだと思う。
蘇我と似ているリンクだと聞かされてはいるが蘇我のリンクもそれがどんな力なのかちゃんとわかっていないというのも正直な話だ。
「アイツは《断つ者》というリンクで、簡単に言えばリンクとの切断、そして魂を殺す事が出来る、稀有なリンクなんです」
リンクですら稀有な存在の筈だからその中からより稀有な存在とも言われるのだから相当なものなのだろうとは、大きく理解出来ても、それがどれ程のモノなのかまだ日が浅い暁には、深くは理解できなかった。
しかし、もしそうであるならば、それと同じ蘇我もまた稀有な存在ではあるということは、わかった。
「殺す事が出来る、それはもしかして…」
そして、リンクを殺す、魂を殺す事が出来るという応えは、同時に肉体を持たないものでもあるソレもまた殺す事が出来るのでは、無いか?暁はそう考え口にすると縁は、ゆっくりと頷いた。
「上位者、アイツらは魂だけの存在、アイツらを根本的に殺せるのは、恐らくハルだけかと」
「だが、縁のリンクでもアイツのリンクを喰ってたろ?俺のリンクも燃やした筈だ」
「確かに俺達もアイツらを消す事は、出来ます。だけどそれはあくまで一部です、根本的に消せるかどうかと問われれば相当時間をかければ恐らくってレベルです」
相当時間をかければ恐らく、か…
ふと、3週間前に見た、蘇我の一刺しを思い出した。
時間からして一瞬、消える迄に時間がかかったとは、言えど消える結末から逃げる事は出来なかった。
つまり、あの一刺しで全てが決まっていたという事だ。
だがもしそうならば、何故…
「ハルを殺さずに生かしておく?そんな能力なら生存の為には、殺しておいた方がいいだろ?」
ふと、した疑問を思わず口に出してしまった。
縁もそれについて何度か考えていたのだろう、暁の問に対する縁の表情はそれを物語る様に重苦しいモノへと変わっていた。
「正直俺にもわかりません、それはマルクト自身に聞かないと、だけど」
「だけど?」
「ある男、まぁ上位者なんですけど言ってました、《世界は単一でできているのではない、光があり闇がある、どちらかかければそれは白いだけか黒いだけの何かだ、無もまた有があればこそ証明される、ならば有が無いのならそれはもはや無ではなく、ただの空白でしかない》だと」
ただの空白、光が闇の証明になり、闇が光の証明になる。
つまり、自分の証明の為にハルを生かしておいたという事なのか?
敵は、ワザと敵対者を作っているという事なのか?
何の為に?
敵対者なんて居ない方がいい、特に計画を推し進めるには、邪魔な筈だ、だけど敵はそれを必要としている。
証明する為?
自分達が正義だと正しいと、だが誰に?
民衆?
「なぁ、お前達はかつての世界で戦争してたんだよな?」
暁がふとした疑問を問うと縁は、ゆっくりと頷いた。
「えぇ、最初はどんな奴らなのか影すら踏めませんでしたけど」
「だが、それがわかった。だがそのキッカケはなんだったんだ?」
「きっかけですか…それはとても何気ない時から始まった感じですかね」
そういうと縁はポツリりと語り出した。
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