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48 ノシュカト
しおりを挟む彼女は逃げるように部屋を出て行った。それが可愛くて可笑しくて、ドアが閉まった瞬間笑ってしまった。
僕は本当に目覚めることができたのだな。
彼女も本当にいる。
手と腕を動かしてみる。問題なく動く。
上半身を起こす。
僕の右足。感覚はある気がする。
怖いけれど確認しなくては。
そう思った時、彼女が飲み物を持って部屋に戻って来た。
仕切り直すように体調を聞かれたのが余計に可笑しくて、こちらはせっかくおさまっていた笑いを堪えながら答えなければならなかった。
どうやらキツネ達が彼女に僕の事を知らせてくれたらしい。
穴の中にいる間もたくさん木の実や果物、ムカの葉まで持って来てくれた賢いキツネ達。
ありがとう。本当に助かったよ。
彼女が持ってきたのはレモン水に塩と砂糖を混ぜた物だという。
初めて飲むものだが……彼女が作ったものならば大丈夫だろう。
飲んでみると身体に染み込むようでとても美味しい。喉が渇いていることに気付かされ、あっという間にコップ一杯飲み干してしまった。
彼女がもう一杯コップに注いでくれてから部屋を出て行った。
意識を失っている間に見た夢で昔の事を思い出した。
彼女のあの黒髪と瞳……昔ノヴァルト兄上に聞いた女神の色と同じだ……
今までいろいろな場所に植物を探しに出向いたが、どの地域でも見たことがない……おそらく国外にもいないだろう。
話をした感じは可愛らしくて楽しい女性だが……
彼女の事を考え始めるとキツネ達がベッドに登って来た。
僕の顔や右足の辺りに鼻を近づけ心配そうにしている。
僕が縄を解いてやった子キツネもケガがなかったようで良かった。撫でるとさらに鼻を近づけ僕の顔を舐めてくるからくすぐったい。
しばらくそうしていると、彼女が食事を持ってきてくれた。
キツネ達が一斉に彼女の方をみる。お腹が空いているようだ。
「お待たせしました」
美味しそうな匂いと共に彼女が部屋に入ってくる。
キツネ達もクルクルと彼女に近づいていく。彼女が愛おしそうにキツネ達を見ている。
キツネ達もここで食べてもいいかと聞かれ、一緒に食べることにする。
貴方は一緒に食べないのかと聞こうとした時、ようやく気付いた。
僕が名乗っていなかった事を。
彼女は僕が王族だと知っているのだろうか。あまり畏まった様子ではなさそうだが、名前を名乗っても変わらずにいてくれるだろうか。
女性に対してこんなことを思うのは初めてだ。
これまで会ってきた女性達は僕達兄弟に気に入られようと必死で全てが裏目に出ているようだった。
僕らの為に着飾り、化粧をして香水を付ける。
多少やり過ぎなそれらは視界に入らずとも、嫌でも彼女達の存在を知らしめる。
今思うと彼女達も僕達の為にそう教育されてきたところもあるのだろう。
兄上達はわかっていたのだと思う。
僕の態度をみて、もう少し優しく出来ないのかと言われた事があった。
今思うと冷たすぎた……かもしれない。
甘い花の香りと森の爽やかな空気……トーカの事は目で追ってしまう。ここではそうしないとまるで空気のようで見失ってしまいそうだ。
フルネームを名乗らなくてもこの国の者ならば僕の顔と名前だけで王族だとわかるだろう。
彼女は……僕の名前を聞いても驚きもせず態度を変えることもしなかった。
知っていてそうしているのかはわからないが嬉しかった。
そして、彼女の名前を知ることが出来た。
「トーカ」 不思議な響きの名前だ。
「ノシュカト」とトーカが僕の名前を呼ぶ。
女性に名前を呼ばれてこれ程心地よかった事はなかった。
僕の名前の形に動く彼女の桜色の小さな唇に視線を奪われてしまう。
そんなことには気付かないトーカがご飯は1人で食べられるかと聞いてきた。
手と腕は先ほど確認したら問題なく動いたが……食べられないと答えたら食べさせてくれるのだろうか……
「……少し身体が怠くて腕を上げにくいので……申し訳ないけれどトーカ、食べさせてもらえないだろうか?」
思わずそう答えてしまった。
「もちろんいいですよ。身体はすぐに元通りになるので心配しないでご飯をしっかり食べましょう」
何の疑いも持たずにそう言う彼女に少し罪悪感を感じながらも期待してしまう。
トーカがお粥をスプーンですくい……冷ますようにフーフーと息を吹きかける。
小さくすぼむ可愛らしい唇にまた目がいってしまう。
「はい、あ――ん」
こんなに可愛らしく食べさせてくれると思っていなかった。急に恥ずかしくなり、顔があつくなってくる。
……口を開けて食べさせてもらう。
美味しいと言うとトーカも微笑む。
あぁ、目覚めて本当に良かった。
自分にがんじがらめで素直になれなくなっていた僕がトーカに甘えてしまっている。
持ってきてくれた食事を全て食べ終えると、トーカは食器を片付けるため部屋を出て行く。
外はまだ雨が降っているが弱まっているので明日には上がりそうだ。
兄上達にどう知らせよう。ここがどこかはわからないが、キツネ達がトーカに僕の事を知らせたということはあの落とし穴からそう離れてはいないのかもしれない。
身動きが取れないようならトーカに連絡できる手段があるか聞かなければならないが……
覚悟を決めて毛布をめくってみる。
…………足が……ある。
元通り……動く。
お腹が満たされ、足があることに安心した僕の目からは涙が溢れた。
僕はこんなに泣き虫だっただろうか。
生きていて良かった。
ひとしきり涙を流すと今度は眠気が襲ってきた。
フフフ……これではまるで子供のようだ……
甘い花の香りと森の爽やかな空気……艶やかな黒髪に黒く大きな瞳。
彼女は……
彼女が僕の……
僕達兄弟の「秘密の花嫁」なのだろうか……
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