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第十一章 働かざる者食うべからず

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その日、王宮の一角は朝から落ち着かない雰囲気に
見舞われていた。

癒し子ユーリ様がここにやって来るとリオン殿下が
その前日に突然言ったからだ。




・・・この時期の王宮には国中から嘆願書と陳情書が
集まってくる。

以前は年に一度だった陳情書を仕分けて精査する
この仕事は、国が栄えるのに合わせて民からの要望も
増え年に一度の精査では間に合わず半年に一度精査
することになった。

年に一度我慢して乗り越えればいい地獄の繁忙期が
年に二度に増えた。それだけで王宮勤めの文官達は
憂鬱な気分に襲われる。

しかも今年はリオン殿下がその仕分けの陣頭指揮に
3年ぶりに復帰するという。

この3年の間、殿下は魔物によって負った怪我により
書類仕事からは遠ざかっていた。

その間は文官達がそれなりにこの繁忙期を乗り切って
いたのだが。・・・そう、

「まだ殿下は病み上がりだろう?そこまで本格的に
仕事はされないのでは?」

「慣らし運転程度ならいいがな・・・」

何しろ殿下は仕事が出来る。同じ時間で自分達の
数倍の仕事量をあっという間にこなしてしまうのだ。

しかも書類だけに目を落としているかと思いきや、
疲れ始めた自分達の雰囲気を感じ取って適度に
休憩を入れることも忘れない。

その気配りはありがたいが、休憩するたびに自分達と
殿下の机の上に乗っている書類の山に差が出来ている
のが目について自分達が殿下の仕事の足を引っ張って
いるように思えてくる。

優秀な王宮勤めの文官の中でもこの時期、直接
殿下と一緒に書類精査に関われる者達は選りすぐりで
エリート中のエリート文官のはずなのに、殿下は
それ以上に仕事が出来るので精査の仕事のために
集められた優秀と自負する文官達の心はいつも
バッキバキに折られていた。

・・・王子様ってもっと無能でいいんだけどな。と
いうのは口には出せないがリオン殿下とこの時期
一緒に働いた事のある者なら誰もが一度は思う
ことだ。

ただ、それもこの3年間は殿下が不在だったために
足を引っ張らないようにと、仕事の中身以上の
緊張感に見舞われることはなく緩い
雰囲気でこの半年に一度の繁忙期をやり過ごして
いた。

それが、癒し子様に目を治していただいた殿下が
復帰するという。

繁忙期の準備のために部屋を整えていた数日前、
挨拶のために嬉しそうに顔を出したリオン殿下は

「今年からはまた一緒に頑張るからよろしくね。
・・・ああ、そこ。その机はもっと壁に寄せた方が
動線は良くなるね。南部からの書類でこの時期
上がってくる陳情は水不足に関連するものが多いけど
今年は長雨が多かったから、今回はそんなにその為の
書類を置く場所は必要ないはずだよ。むしろ長雨の
影響で不作になった農作物の補償や助成金手続きの
ための申請用紙を南部に送る準備をしておいた方が
いいかもね。」

ざっと室内に目を走らせただけでそんな事を言うと
じゃあまたね、と手を振っていなくなった。

一瞬だ。ちょっと見ただけでもうダメ出しをされた。

「え?長雨?そんな報告来てたっけ?いつ?」

「でもあれは長雨っていっても4日程度で」

「・・・いや、違うな。4日降ってその後も断続的に
何度もそんな雨に襲われていた。確かに降水量の
少ない南部にしてみれば長雨といってもいいかも
知れない。土が乾ききる前にまた降られたら、
作物も被害を受けているか。」

「市場の南部産の農作物で価格が上がっていた物を
調べろ、殿下の言う通りならこれから上がってくる
嘆願書にはその地域からの補償申請が多くなる。」

「仕事が増えたな」

「あー・・・この感じ懐かしいなあ。3年ぶりに
地獄のような緊張感が戻ってくるんだなあ・・・」

「殿下、すっかり元通りじゃないか。喜ばしいけど
複雑だな・・・」

そんな風に、これから始まる繁忙期をちょっとだけ
憂鬱に思っていた時だった。

休憩時間に自分達にお茶を出してくれた侍女が
こっそりとある事を教えてくれた。

「・・・これはまだ公にはなっておりませんけどね。
今年の繁忙期は、1週間だけユーリ様がこちらに
お見えになるようですよ。」

「「「ええっ⁉︎」」」

侍女が囁いた文官だけでなく、その周りの者達も
驚きにがちゃんと茶器を鳴らした。

「なんでまた⁉︎というか、それ、本当の事なのか?」

驚いた文官のこぼしたお茶を拭きながら侍女は
くすりと笑った。

「いわゆる侍女の情報網というやつです。つい先ほど
奥の院の侍女からこちらの部屋の机の高さや絨毯の
有無、その厚さなどを聞かれましてその際に
こっそりと。」

ユーリ様が書類を持って殿下の執務室とこの部屋を
往復するためにも室内の物の高さや形状を考えて
どんな履き物にするか決めるために色々なことを
知りたかったようですよ。

そんな話をする侍女に文官達は呆然とした。

癒し子であるユーリ様とは接点がなく、皆その姿は
たまたま王宮ですれ違う時かリオン殿下と一緒の時
くらいしか見たことがない。それも近くで見たり
話したりなど一度もした事のない者達ばかりだった。

「ユーリ様を間近で見られるのか・・・?」

「てっきりユーリ様は騎士達がお気に入りでオレ達
文官みたいな筋肉のない奴は眼中にないのかと。」

「それ、本当の話だろうな⁉︎噂だけで喜び損って
ことはないか?」

そこでもう一人、菓子を配っていた侍女があら、と
声を上げた。

「でもわたくしもちょうど今朝ユーリ様付きの
マリーと行きあいまして話しましたが、ユーリ様の
可愛らしさを文官の皆様に絶対見てもらうのだと
張り切っておりましたよ。」

まじか・・・。皆が顔を見合わせた。

癒し子様付きの侍女が直接話していたのなら
本当かも知れない。でも、どうして。

それが判明したのはそのすぐ後の事だった。

いよいよ繁忙期が始まろうという前日になって、
突然リオン殿下が言った。

「明日から1週間、ユーリがここに手伝いに
来ることになった。僕とのちょっとした約束事でね。
皆にはもしかしたら少し迷惑をかけるかもしれない。
でもその分僕が頑張るからよろしく頼むよ。」

なんと、どんな約束事かは分からないがユーリ様が
ここに来るのは本当のことだった。

その時リオン殿下はちょっと考えてこう付け足した。

「おそらくユーリはとても可愛らしい格好でここで
君達の手伝いをすると思うんだ。それはそれは
とても愛らしいはずだ。でも優秀な君達なら、
そんな可愛らしいユーリの姿にも惑わされる事なく
仕事に精を出してくれると信じているよ。
あんまりにも可愛いからといって、見惚れたり
ぼんやりしたりして手元の仕事をおろそかに
しないようにね。」

殿下、今何回ユーリ様が可愛いって言った?
ノロケにしてもちょっと言い過ぎじゃないか?と
皆が思った。

しかしリオン殿下の忠告は正しかった。

「ユーリです、今日から1週間だけですけど
よろしくお願いします。なるべく足を引っ張らない
ように頑張りますのでご指導もよろしくお願い
します‼︎」

やって来てそうぺこりと頭を下げた女の子の
愛らしさは、なるほど殿下が何度も可愛いと
言ったのも頷ける。

挨拶の時に真っ直ぐこちらを見据えた瞳は黒い中に
金色がちらちらと輝く不思議な色味で、よく見ようと
見つめれば恥ずかしいのか視線を外して少しだけ
俯いた。

その頬はうっすらと紅潮して肌の白さをより一層
際立たせる。年の頃は12、3歳ほどだろうか。

それなりに背の高さはあるはずだが、大人の自分達の
中に混ざると小さく見えて庇護欲を誘う。

そしてもじもじと体の前で遊ばせている指先。
その手があるスカート丈が・・・すごく短い。

しかもなぜか長靴下とスカートの間には生足が
ちらりと見えている。

動くたびにそれがちらついて、長靴下の白さとは
また違うユーリ様の肌の白さを絶妙な隙間から
主張してくるので、見るとはなしについそこに
目が行ってしまう。

服の形や色は侍女服にも似ているのに、どうして
こんなにもスカートが短いのか。

書類を抱えて走り回るからか?いや、でもこの姿で
脚立に昇られたりしたら絶対見てしまう・・・。

見たら見たで、リオン殿下がどう思うか。
今もユーリ様の隣で笑顔を浮かべている殿下のその
微笑みにいつになく薄ら寒さを感じる。

それにしても、着ているものもそうだがその髪型
・・・これが噂の、癒し子様がお気に入りで
国中で流行っているという猫耳か。

ピンと立ったそれはどう見ても猫の耳。

同じような髪型にしている貴族の子女や猫耳の
カチューシャを付けている街の少女達は文官達も
見たことがある。

それでもやはり本家本元は違う。

皆がそう思った。髪型を作った侍女の腕の良さも
あるのだろうが、本当に猫の耳が違和感なく頭と
一体化しているように見えるし、元より猫っぽい
雰囲気や顔立ちのユーリ様にとてもよく似合う。

まるで仔猫が魔法で人間に化けているような
愛らしさだ。かわいい、撫でてみたい。
そう思わされる。

ただ、その首元にある青いリボン付きの鈴がまるで
リオン殿下の飼い猫だと主張してるみたいで唯一
そこだけが気になるけど。

「それじゃあ皆、頑張ろうか。ユーリはとりあえず
僕の執務室へ。」

リオン殿下の声に皆がハッとする。

いつの間にかぼうっと見惚れていたらしい。
まだ仕事も始まっていない、挨拶をすませただけ
なのにこれとは。

気を引き締め直して、文官達はバタバタとそれぞれの
持ち場へと戻って行った。











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