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第十章 酒とナミダと男と女

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私を縦抱っこして楽しげに話していたアントン様が、
ドラグウェル様の咳払いにハッとしたように慌てて
私をそのまま手渡した。

なんでアントン様は私をドラグウェル様に
パスしたんだろうか。

まるでレジナスさんがリオン様に私を手渡して
縦抱きのリレーをするように、アントン様から
ドラグウェル様の腕の中にいつの間にか私は
縦抱きで抱かれている。

んんっ?どういう事だろうか。失礼じゃないのかな?

びっくりしたけど無理やりその腕から飛び降りる
わけにもいかないので初めましてと縦抱っこ
されたままぺこりと頭を下げた。

アントン様やシグウェルさんと同じように、
ドラグウェル様も割と細身でシュッとしているのに
私を抱く腕はしっかりしているし、座り心地が
悪くないように気を使ってくれているのかその厳しい
顔とは裏腹に手にこもる力は優しげだ。

「どうです兄上、ユーリ様は可愛らしいでしょう!」

なぜかアントン様が誇らしげにそう言った。
見ればその顔はとても嬉しそうで、自分の娘を
自慢する親バカのようでもある。

相変わらずアントン様は私を自分の子供のように
思ってくれているらしく、その気持ちは嬉しい。

そう思いながらアントン様を見ていたら、私の
頭上からぽつりと

「なるほどユーリちゃん、か。分かる気もする。」

呟きが降ってきた。ユーリちゃん?

声の主を確かめれば私をじっと見つめる紫色の
瞳がそこにはあった。シグウェルさんそっくりの
氷の美貌がそこにはあるけど、この顔から
ユーリちゃんなんて単語が出たとはとても思えない。
幻聴だろうか。首を傾げて不思議に思っていると、

「ユーリ様にはお近付きの印と親愛の情を込めて
頬に口付けの挨拶をさせていただいてもよろしいか?
一応、国王陛下にはその了承を得ているのだが。」

そう言われた。なぜそこで陛下が出てきて、しかも
私への挨拶の仕方がすでに決められているのかは
謎である。でもまあ、陛下がそうしてもいいと
ドラグウェル様に言ってるのならいいのかな?

「ドラグウェル様さえ良ければどうぞ!私は
全然構いませんよ。」

親愛の情を込めてと言うくらいだからどうやら私は
嫌われていないらしい。最初に鋭い目付きで
見られたから嫌われていたらどうしようかと思った。

ほっとして笑顔でどうぞどうぞ。と了承すれば、
ドラグウェル様は

「お会い出来て光栄ですユーリ様。」

フッと笑って私の頬に口付けた。その笑顔が
思ったより優しげで甘やかだったのが予想外で
どきりとする。しまった、シグウェルさん同様
この人もイケメン枠だ。顔がそっくりだから
当たり前だけど。

イケメンの不意打ちにまだ弱い私はぱっと顔が
赤くなり、それを見たアントン様がそこまでですよ
兄上!と声を上げた。

ドラグウェル様はといえば、陛下との約定は
早まった、もっと良い条件を引き出すべきだった。
なんて私にはよく分からないことを言っている。

約定?条件?陛下は私に黙ってドラグウェル様と
一体なんの約束をしたんだろうか・・・。

「陛下との約束は頬への挨拶の口付けと縦抱きだけ
でしたよね?一応言っておきますが、それ以上の
ことはしないようにお願いします!」

アントン様がドラグウェル様にそう注意している。

「お前は人をなんだと思っているのだ。
失礼な奴め。」

「兄上が余計な事をすると陛下が飛んできて更に
厄介なことになります。」

真剣な顔でそう言ったアントン様にチッ、と
舌打ちをしたドラグウェル様は私に向き直った。

「ユーリ様、私はこれからダーヴィゼルドに
向かわねばなりません。時間がなくゆっくりと
話が出来ないのが残念です。もしよろしければ、
今度ぜひ我がユールヴァルト領へお越し下さい。
その時にはもっとゆっくりお話をいたしましょう。
我が領、我が本家にお越しいただければ勇者様に
縁のある品々もお見せできますよ。」

「え?」

「我が領には門外不出のキリウ書簡があります。
100年前の勇者様の行いを記したそれは同じ
召喚者であるユーリ様にもきっとお役に立つこと
でしょう。」

「キリウ書簡?」

「勇者様の旅に同行した我らの祖先、キリウが
旅先からユールヴァルト家へと送った300通
余りの手紙です。共に各地を旅した勇者様の
魔物退治の様子や好んで食べた物、成し遂げた善行、
話した事など勇者様の行動の軌跡が分かる大変
貴重な書物です。世に出回っている勇者様の冒険譚や
功績はそれを元に作られ広まったものなのです。
読んでみるととても面白いですよ。それに我が領の
金毛大ヒツジの大移動も迫力があるのでぜひとも
見ていただきたいものです。その毛で作る衣類は
雲よりも軽く陽の光のように暖かい。きっと
お気に召すことでしょう。」

息子の友人を実家に遊びに来させようと必死だ。
どうやらドラグウェル様は冷たそうな見た目に反して
子供思いらしい。そう思っていたら、後ろの
リオン様がレジナスさんに

「・・・ねぇ、気のせいかユーリはまた何か
見当違いな事を考えていると思わない?」

そう言っているのが聞こえた。え?そうかな、
そんな事考えていないと思うんだけど・・・。

「ええと、いきなりシグウェルさんのご実家に
遊びに行くのはまだ敷居が高いっていうか、
もっとシグウェルさんと仲良くなってからの
方がいいのかなって」

前にリオン様に、ユールヴァルト家から珍しい物や
おいしそうなお菓子をもらってもついて行っては
いけないとまるで誘拐防止まがいの忠告をされたのを
忘れてはいない。念のためお断りしてみた。
キリウ書簡という勇者様の行動録みたいなのは
かなり気になるけども。

そんな私をじいっと見たドラグウェル様は、

「・・・金毛大ヒツジはその羊毛だけでなく、
肉も大変滋養があって美味しいのですが。
特に生後半年ほどの仔羊の肉は柔らかで、
厳重に管理された上で捌きたての新鮮なものは
寄生虫もいないのでサシミで食べると大変甘く
美味しいので、ぜひとも食べていただきたい。」

「刺身⁉︎」

え、刺身なんてこの世界にあるの⁉︎驚いて
聞き返せば、ドラグウェル様はふっと微笑んだ。

「それこそキリウ書簡で伝えられた勇者様の
好物の一つです。ユーリ様達の世界では、生魚を
食べる習慣がありその調理法をサシミというそう
ですな。我々にとっては信じられない料理ですが
勇者様より伝わったその調理法は、今でも海に
近い地域で新鮮な魚が獲れた時だけに食される
贅沢な料理として伝わっております。
やはり寄生虫の問題があるので海から離れた地域で
食べるのは難しく、その代わりユールヴァルト領では
勇者様になんとか故郷の味を楽しんでもらおうと
考えられたのが金毛大ヒツジのサシミです。」

何ということだ。この世界、カツ丼はないけどまさか
刺身があるなんて。しかもヒツジ肉で⁉︎

新鮮な鶏肉でのトリ刺しは食べたことがある。
まるでホタテみたいに白くて柔らかくて甘味があって
ものすごくおいしかった。それがヒツジだと
どうなんだろう?

「お、お魚のお刺身は一度凍らせると寄生虫が
死ぬので虫が心配な時は凍らせるといいですよ。
そうしたら多少内陸部でも保存状態が良ければ
運送して食べられるし、もしかしたらこの
王都でも・・・」

刺身にラム肉ジンギスカン。ダメだ、考えたら
お腹が減ってきた。

そんな私にドラグウェル様は目を細めた。

「さすがユーリ様、サシミについてもよくご存じの
ようだ。ヒツジ肉が気になったなら、いつでも
うちの息子に言うとよろしい。すぐにでも我が
ユールヴァルト領へご案内する手筈を整えますから。
我が領はユーリ様が来られるのをいつでも
歓迎致しますし、心待ちにしております。」

「あっ・・・は、はい。その時はよろしく
お願いします・・・。」

しまった、ちゃんと断ったはずなのに食べ物に
釣られてつい気持ちがなびいてしまった。
大丈夫かなこれ。そう思ってそっとリオン様を見れば

『隙を見せたらダメだよ!』

そう目が言っている。これはドラグウェル様が
帰ったら説教される流れだ。怖い。

狼狽える私を、

「さてそれでは」

そう言ってドラグウェル様は床に降ろしてくれた。
このタイミングで帰られると、残された私はこの後
完全に説教タイムだ。もう少しいて欲しい。
悪あがきをするように、思わず失礼にも反射的に
ドラグウェル様の服の裾を掴んでしまった。

「もっ、もうお帰りですか⁉︎」

行かないで!と引き止めにかかった私をアントン様が
名残惜しそうに撫でてくれる。ドラグウェル様の
手もちょっとだけ動いて撫でてくれようとしたけど
やめたみたいだ。

「残念ながらこの後シグウェルに結界石を引き渡しに
魔導士院へも寄らなければいけないのです。それに
これ以上王都を出るのが遅くなりますと、兄上が
ダーヴィゼルドに着くのも遅れますので。
シグウェルも今日は朝から結界石の加工の準備に
かかりきりのようですから、早く渡してあげたい
ですしね。」

あ、シグウェルさんがこの場に同席していないのは
それだったんだ。外せない用事って言ってたけど
結界石が来るのを相当楽しみにしているんだな。

それにドラグウェル様がダーヴィゼルドへ行く
邪魔も出来ない。残念ながらこれ以上はこの二人を
引き止められそうにない。私の背中にはリオン様の
視線が痛いほど突き刺さっている。うう、お説教を
受ける覚悟を決めておかなければ・・・。



















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