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第7章

41.煌めくシナモンの罠

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 私が今使わせてもらっている部屋には簡易的なキッチンがあり、お菓子作りをするのに問題ないくらいに器材も揃っていた。

 「……部屋に籠ってなきゃダメなら、折角だし契約料のアップルパイでも焼いとこうかな」

 よし、そうと決まれば。
 午前の内にイヴにお願いして、厨房に材料の依頼をしておいてもらえば、準備は万端だ。

 そうして届いた材料を使って、午後イチからのお菓子作りスタートである。

 パイ生地やカスタードクリーム作りは、考え事をするのに丁度いい。
 うん。作業工程も多いし時間もかかるから、我ながら有意義な時間の使い方だな。

 手際よくパイ生地を作った後は、小鍋を火にかけて、カスタードクリーム作りを開始する。

 クリームを練りながらも考えるのは、勿論これまでの経緯だ。

 ……新たに分かった事実といえば、バイパーの雇い主はランベール侯爵だという事。
 侯爵の罪を問うのに、雇われていた人間の証言って証拠になるのかな……と漠然と考える。

 というか、そもそも娘のナタリーを利用して王宮で自由に動ける駒のように扱うのは、いかがなものか。

「……サシャ様、クリームが飛び散りそうですが」

「……あっ!? 危なかった……ありがとうイヴ」

 ちょっとイラッとして、罪のないカスタードクリームを練る木べらが荒ぶっていたようだ。ごめんよ。

あの人ランベール侯爵が王位を狙っているって事? でも幾ら何でも飛躍しすぎ、かなぁ……」

「あの手のタイプの人間は、あまりそのような欲を持っている風には感じられませんね」

 だよね、とイヴに同意する。

 王家の血筋もない侯爵家の三男が、突然王位を奪おうとするなんて、頭の切れるあの侯爵が考える可能性は低い。
 今の自分の地位に不満があるようには思えないし、王位よりもお金に執着があると思う。

 だからこそ人の良い笑みを浮かべながら、裏でグレーな商売取引を行なっているのだ。

 ……とすればまだ、侯爵の上に本当の黒幕がいるのでは? ふと、そんな仮説に行き着いてしまった私は小さく身震いをした。

「でも……あり得る話なんだよね」

 犯人探しというものは、まず人を疑わないと始まらない。
 今のままだと何処かしっくりこないのは、まだ敵は確かに存在していると、心の中で本能が警告しているみたいだ。

 悶々としつつも、ひとまず出来上がったカスタードクリームはバットに移して冷ましておく。

「りんごはどんな感じかな……」

 隣のコンロでコトコトとよく煮えていたりんごは、バターの濃厚な香りとと砂糖の甘さを纏い、このまま食べても美味しそうだ。
 だけど、これからが大事なポイントである。

 私はシナモンパウダーの入ったガラス瓶を手に取った。
 多めに使うという事で、厨房でわざわざ取り分けて管理をしてくれていたらしい。本来なら香り付け程度に使用するものなのに、何だか申し訳ないな。

「我ながら、高額な契約をしちゃったよね……後悔はしていないけど」

 請求額の事を考えると頭が痛くなるので程々にしておこう。
 そんな現実逃避をしつつ、ガラス瓶のコルク蓋をパカッと開けてりんごの煮汁に加えようとした時。

「主、それ食べたら俺怪我しちゃう」

「え?」

 噂をすれば何とやら。瓶を持った私の手首を掴んだのは、バイパーだった。

「昨日ぶりー」

「あ、昨日ぶり。……じゃなくて、怪我ってなんの事?」

「よーく光に照らして見てごらん。このシナモンさぁ、やけにキラキラしてない?」

 瓶を傾けて軽く中身を振ると、確かにキラリと光の粒のような物が反射した。

「それ細かく砕かれたガラスの破片だよ」

「は!?」

 お皿に空けてみるとバイパーの言った通りだった。
 気づかずに使ってパイを食べたら、口腔内を怪我していたかもしれない。もし食べる前に気づいたとしても、その時点で既にパイは無駄になっていただろう。

「どのみち食べ物を無駄にしてる事は間違いないわ……」

「午前中ちょこっと厨房の裏にお邪魔した時にさ、とあるメイドの子が変な動きしてたんだよね」

 あ、この人じゃないよ? とイヴに視線を向ける。

「そんなの言われなくても分かってます」

 イヴがそんな事する訳ないでしょ、とちょっとピリリと返事をすれば「だよね~」と呑気な声が返ってきた。

「ね。メイドってもしかしてだけど……」

「そのもしかして、で合ってると思うよ? 新人メイドのナタリーちゃんって、可愛い顔して中々陰湿な事するよね」

 はぁ~、と溜息がもれる。なんでそんなに私への恨みが募ってるんだヒロインは。悪役令嬢の相手なんていちいちして来ないでほしい。

 ……ん?

 そういえば結局ナタリーは今誰ルートにいるんだろうか?
 逆ハーを目指してたみたいだけど、ノエル様を見てる限りそれは叶いそうにないしなぁ……?

「シャンデリアの時といい、何かキラキラした物に縁があるよねぇ主は」

 ケタケタと他人事のように笑うバイパーに、思わず顔が引き攣る私である。

「わぁ、嬉しくない……」

「もうシナモン要らないんじゃないですか」

 イヴも冷え冷えとした目線を送りながら、ピシャリと一言放ったのだった。


 ────────────────


 結局シナモンがダメになってしまったので、イヴに再び厨房へと向かってもらう事に。
 バイパーはそのまま私のパイ作りを眺める事にしたらしい。

「ランベール侯爵の方は大丈夫だったの?」

「あぁ、全然だいじょーぶ。依頼破棄しまーすって言って、めんどくなる前にとっととバックれてきた」

 ……それは大丈夫とは言わないのでは。

「……そう。ちなみに前雇い主の話って、聞いてもいいのかよく分からないんだけど……」

「別にいーけど、大した事は知らないよ? 昨日も話したけど、依頼主の事情については深く関わらないっていう約束だったし。それよりさ、本当に殺しはしなくていいの?」

「うん。私が人を殺める依頼をする事は、今後もないから」

 暗殺者さんの本来の仕事は、少しの間お休みしていただくしかない。真っ直ぐキッパリと告げればバイパーは案外素直に頷いた。

「それ、暗殺者に断言するような事じゃねぇけど、主がそう望むならしゃーないよねぇ。ほんと変なご令嬢なんだから」

「よく言われる。……私が雇い主なの、もう嫌になってたりする?」

「いや? このパイが食べられんなら、とりあえず何でもいーかな。それに、主を狙いに来た奴を死なない程度にいたぶるのも案外面白いし?」

 やっぱりちょっと距離を置いておきたい暗殺者だなぁ……とこっそりドン引きした私なのだった。

 シナモンは後で、これでもかとパイの上に振りかける事にしよう。 

 
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