君の為の不幸だったと貴方は言う

春目

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‪✕‬‪✕‬‪✕‬‪✕‬の話 2

現実こそが幸福であるということは

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 浴室に少年を1人残して、男はリビングに広げたままにしていたそれを綺麗に片付けていた。

「………………」

 ソファの上に置きっぱなしにしていた、脱ぎ散らかされた少年の衣服、俄に湿ったバスタオル、顔半分隠れてしまいそうな程大きなアイマスク、異様な大きさをしたヘッドホン……点々と赤い何かが付着し丸められた10数枚のティッシュ。
 そして、机の上に置かれた飲みかけの小さなカップと……茶色の小さな薬瓶。
 男は淡々と片付け、あっという間に元通りに……研究室からスイートルームのリビングに戻した。
 そう、つい先程まで、ここは研究室だった。
 男による、男の為の、男の研究室。
 そこで男はたった1人の少年にある実験を施していた。
 しかし、その実験は、成功しなかったのだろう。
 片付ける男の表情は、酷く硬かった。

「…………やはり、そう単純にはいかないか」

 男は茶色の小瓶を手に取ると、天井に煌々と輝く光にかざす。
 小瓶の中で僅かに残った透明な液体が揺れている。
 それに男は目を細めた。

「中途覚醒してしまった上に、俺が想定した作用は出なかった……まぁ、良い……。
 良いものが見れた」

 表情の硬かった男は不意に口角を上げ、小瓶を躊躇いなくゴミ袋に入れると、それを自分の荷物の中に片付ける。そして、何事もなかったようにソファに座った。
 そこにはスマホが置いてある。
 スマホを開くと、今日1日で起こった全国各地の事件の数々が通知という形で溜まっていたが、男はそれらを無視し、スマホの写真フォルダを開けた。
 そこには、たった1人の少年だけを映した写真達が、何十枚と並んでいる。背景、シチュエーション、角度、ポーズ……そして、表情が一枚一枚違う様々な写真……その全てに映る彼は、艶やかで可憐な少女の姿をしていた。だが、それはただの女装ではなかった。
 そこに映るは、魔性の麗人。その艶めかしくも儚げな美しさは、見た者の目を忽ち奪いその魅力に引き込んで魅了していく凄まじい魔力を持っていた。
 美しい自分を、この世にただ1人の自分を、自分だけを、見て、と彼の目が画面の向こうにいる男に告げている。
 しかし。

「………………」

 男はそれを無言で見つめ……しばらくすると、空気に溶けてしまうほど小さなため息を吐いた。
 その目は、写真を見ているようで、違うものを見ている。
 その画面を見ながら男は先程の浴室の出来事を思い出していた。


『……聡真さんには、キレイなボクだけ見ていて欲しいの』


「……君の全て、綺麗だろうに」

 男は思った。
 目を見張るほど、穢れひとつない純真で無垢な彼ならば、きっとどんな表情もポーズも、そして、身体の中にあるその赤い鮮血も瑞々しい臓物も、全て色鮮やかで美しいはずだ。
 そう思った男は苦笑いを浮かべて写真フォルダを閉じ、スマホ内のメモアプリを出す。
 そこに淡々と数行の文章を打ち、何かのメモを書き記していると、スマホにニュースの通知が届いた。

『ゴミ収集庫でゴミが突如爆発する事故が発生。清掃員1名意識不明の重体』

 男がそれを数秒見つめると、通知は即座に消えていく。そして、男も何事も無かったかのようにスマホの画面に視線を戻し、また淡々と文章を打つ。
 その文章はよく見れば……文章ではなく大量の数式だった。
 画面を覆い尽くすXとYといった記号の羅列はまるで暗号のよう。画面下まで埋めつくしていく程に男は笑みを深めていく。
 だが、ふとその声は聞こえた。

「そう、ま、さん……」

 スマホから顔を上げ、男が振り返ると、そこには風呂からあがったらしい少年がいた。
 だが……その姿は、白い肌を無防備に晒した一糸まとわぬ姿だった。

「稔?」

 ソファから立ち、スマホをポケットに入れ、男は彼の元へ行く。
 傍に歩み寄ると、その身体は濡れたまま、髪からは水が滴り落ち、そして……その目に光がないことに男は気づき、目を細めた。

「…………どうした? 稔。風邪引くぞ?」
「そうま、さん……」

 心配の言葉を吐いてみるが、少年はぼうっと男を見上げ、そして、濡れたままの体と手で男の上半身に抱きついた。
 男の身体から離れまいとばかりに強く、強く、抱きしめる。
 一方、突然、少年に抱きつかれた男は……驚きも動揺もせず、少年の細腕の中で口元に弧を描いた。

「まさか……このタイミングか……」
「そうま、さん、そうまさん……」
「あぁ、稔。いるよ。ここに」

 抱きしめ返して、その頭を撫でる。
 すると、少年の光のないその瞳が嬉しそうに笑った。

「またせて、ごめんなさい」
「謝る必要はない。とりあえず、体を拭こうか」
「…………」

 男の手に引かれ、少年は脱衣所の方へ戻る。その足取りはまるで誘蛾灯に魅了され訳も分からず飛んでいく蛾のような足取りのよう。
 男はそんな少年の手を引きながらどこか満足そうに笑った。
 脱衣所に着くと男は自分の濡れたTシャツをさっさと着替え、それをぼんやりと立って待っていた少年をバスタオルで甲斐甲斐しく丁寧にその髪と身体を拭き上げる。
 彼の華奢な身体は水気を含んで艶めかしく輝き、柔らかで滑らかな白い肌を無防備に晒して、ぞくっとしてしまうような色気に満ちている。
 だが、男はそんな彼の体に眉ひとつ動かさず、バスローブを着せた。

「不自由はないか?」
「…………」
「……。無いようだな」

 バスローブを着たその少年に男は微笑むと、少年を椅子に座らせ、ドライヤーを出し、その髪を乾かし始める。
 その間、少年は微動だにせず静かに座っていた。背筋を伸ばし、足を閉じ、膝に手を置いて、そこに佇んでいた。
 少年の髪を乾かすと男は少年を横抱きにして抱えあげた。膝に手を差し入れ背中を支え、その手つきは躊躇いなく……とても慣れていた。
 男は少年を抱え、リビング……ではなく、ベッドルームに向かう。
 ベッドルームは僅かな光を放つ間接照明によって、薄明るく照らされていた。
 少年をベッドに下ろし、男がその隣に寝転ぶ。
 すると、ずっと微動だにしなかった少年が、突然、隣にいる男の胸の中に転がり込み、その身体を男の身体にぴったりと添わせ男に頬擦りした。何度も、何度も、甘えるように。
 そんな彼を静かに見守りながら男は呟いた。

「……今の君は意識が沈みすぎている……声は聞こえているようだが、これではな……」
「………………」
「今日はこのまま眠ろうか。今の君では、流石にな」

 その声音は酷く残念そうに聞こえたが、男の手は、甘える彼の、その小さな背中を穏やかに撫でていた。

「…………」

 されるがまま、胸に顔を埋め甘える彼を受け止める男。
 だが、ふとその違和感に気づいた。

「………………稔?」

 男の胸に顔を埋めたまま、少年は肩を震わせていた。男を抱きしめたまま声を押し殺し、息すら出さないよう何かに堪えている少年に、男も流石に目を瞬かせた。
 そっと少年の前髪をかき揚げ、その顔を覗き込む……そこには額から汗を流しながら、頬を上気させ、小さく鼻を鳴らし、男の胸の中で、彼はその体に、その匂いに、温もりに、夢中になっていた。
 それでいて、彼は泣いていた。

「……っ、ひっ……うぅ……」

 男は目を丸くするしかない。だが、先程の浴室での出来事とは違い、嫌がって泣いている訳では無いのは直ぐに察した。
 ポロポロと瞼から玉のような涙を流しながら彼は男の衣服を両手で掴み縋りついていた。
 男の衣服に涙の雨が染みていくとともに皺も出来ていく。
 その時、それはぽつりと吐かれた。

「……ぼ、くの……」

 涙を溢れさせながら、彼は顔を擦り付けながら首を振っていた……そして、その目は……恐怖と怯えに満ちて揺れていた。

「やだ……やだ……」 

 男は察した。今、少年はを見ているのだと。それも。

「……そうまさんは、ボクの……」

 男が誰かのものになるそんな悪夢を見ていた。

「だれに、も……わたした、くない……やだ……だめ……とらないで……」

 泣き、しがみつき、いやいやと声を上げて、少年は必死に男を取られないよう抵抗する。そんな彼を見て、男は……。

「そうか……」

 男はその頭を撫でた。その手つきはいつものように穏やかに。

「愛着と共に執着も得たのか……」

 1人納得し、少年を温かな目で見つめ、少年の身体に両腕を這わせた。

「………………」
「ひくっ……や…………だめ……ぼく、の……ぼくの、だからっ……!」
「………………」
「とら、ないで……やっ、ひとりに……」
「稔」

 そっと男は這わせた両腕で少年を抱きしめその少年の名を呼ぶ。
 夢を見ている彼にもその声も、温もりも伝わったのか。ほんの少し、少年の表情が和らぐ。

「……そう、まさん……あぁ……ぁ……」

 男は穏やかな優しい人間の顔をして、その温かな手で少年を抱きしめる。
 腕の中で少年の呼吸が段々と落ち着いてゆく。ずっと男を掴んでいた指先が解けてゆく。
 温かな、気持ちの良い、安心できる、自分の居場所であるそこで、少年は安堵しようやく張り詰めていた胸を下ろし息を吐いた。
 そんな少年に男はひそかに顔を近づけ、温もり溢れる声音で、そっとその耳元に声を発した。



「サヨナラ」




 たった4音。されど、その衝撃に、その残酷さに、少年は目を見開いた。

「あ、あ、あっ……!」

 瞳孔が開き焦点が揺れ瞼が震え涙が流れる。その瞳には人の心が潰れ歪み壊れていく様が如実に鮮明に映る。
 ようやく救われた瞬間、谷底に蹴落とされた人間の目がそこにあった。

「あ、あっ……あぁぁぁ……ああああああ!!」

 男の腕の中から、悲鳴が上がる。
 絶望。その悲鳴には悲しみだけでなく、それが滲んで染み付いて混ざっていた。
 優しく包むように発せられたその悪い冗談一言で、少年は壊れていく。
 身体から血の気という血の気が引いていき、滂沱の涙を流し、失いたくない一心で男の身体に縋り付き、苦しみ悶える。
 ……一方、男は徒にその頭を撫で、悲痛に咽び泣くその声をただただ聞いていた。だが、その顔には……。

「……………………ふっ」

 笑みがあった。
 そう、男はずっと笑っていた。口角を上げ、これ以上ないほど恍惚と、狂おしい程愛おしいモノに向ける仄暗い笑みを浮かべて、目の前で苦しみ泣く彼をその目に焼き付け笑っていた。

「やはり……」

 男はポケットに手を伸ばし、自身のスマホを取り出す。
 そして、そっと少年から両手を離し、ベッドから起き上がった。
 離れてゆく男に少年からより一層激しい悲鳴が上がる。それに男は目を細めた。

「君は、綺麗だ」

 その瞬間、たった2人しか居ない真っ白な部屋に、悲鳴に混じって、無慈悲で無機質な、機械音が鳴り響いた。











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