君の為の不幸だったと貴方は言う

春目

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保険会社勤務、田中暁美の話

Q1. その日、社長がぽつりと

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 都内某所。○○センタービル。巨大モニター。

『アナタの未来をアイ シィ。
 アナタの不安にシィ ユゥ。
 そう、私達はアナタの人生に寄り添うアイ シィ ユゥ!
 アナタの為の人生のサポートをします! 
 保険はアイシーユー保険へ!』

 そんなCMが先程から全世界に向けて大音量で流されている。
 だが、ビルの前を歩く人達は皆、慣れた様子でモニターの前から去っていく。誰1人として見上げることもしない。
 しかし、そのセンタービルを望む向かい側にある高層ビル。このビルに本店をおき、日夜様々な人々の為に働いているこの会社こそ、正にたった今流れたCMに登場した保険会社、アイシーユー保険である。
 アナタの為の保険会社と銘打ち、医療保険を初め損害保険から自転車保険まで扱うこの会社は、設立から50年が経つ大企業である。
 そんな会社ビルの15階、そこからセンタービルに流れるCMを見ていた男はため息を吐いた。

「何か……あれを承認した身だから言いにくいがね。今回の新CM、どこの層向け? キャッチフレーズにリズム感もないし、センスも寒いし、良く思えば日本語も英語も変だし……」

 男はセンタービルから視線を逸らし、目の前の光景に視線を戻す。
 そこには円形に並んでいる長机がずらり。机の上には取締役や執行役員という札が等間隔で置かれ、その後ろには小難しい顔をした男性や女性が座っている。
 そして、男の前には代表取締役社長という札が置かれている。だが、社長というには男は……この場に不釣り合いな、あまりにも緩い雰囲気を醸していた。

「我が社のCM、SNSとか話題になってる?
 なってないよね? カップラーメンとファストフードに完全に負けてるし……。
 はぁ、広告費に億単位で金をかけたのに……これじゃあ新規顧客獲得とか難しそうじゃない?」

 その言葉に隣に座る赤い眼鏡をした女性がキッと社長を睨みつけた。机上の札には副社長と書かれている。

「社長。放映開始から一週間も経っていないものにケチを付けるんじゃありません!」

 そんな彼女の発言に、社長は唇を尖らせた。

「でも~ミツシマちゃん、このCM面白くないよ~。
 うちはお客様の信頼で成り立っている真面目な会社だけどさ。保険会社だからってこんなCMしか出さないんじゃ誰も見向きもしないんじゃない?
 家族とかタレントとか出して……あっ、それじゃ他社と被るか。あれだ、アヒルだ。アヒルだそ?」

 そんな社長の言葉に、副社長はこめかみを震わせ、眉を釣り上げた。

「社長、冗談ですか? アヒルこそダメではないですか! 他社のトレードマークで我が社の宣伝をする気ですか?」
「えぇ……ダメか~」
「ダメに決まってます!」

 副社長に窘められ、社長は残念そうに肩を竦める。
 彼は田島克俊。この保険会社アイシーユーの2代目社長である。彼はのんびりした雰囲気を漂わせながら、脳内ではそれはそれはこの会社の深刻な問題に頭を悩ませていた。

「でも、ねぇ、何とかしないといけないと思うんだよ。ミツシマちゃん。
 ここんとこ、新規顧客獲得率がグラフ上で綺麗な放物線を描いて右肩下がりになってるからさぁ……」

 机の上にある統計資料をパラパラと捲り、田島社長は頬を膨らませた。
 大企業アイシーユー保険は今、大きな壁にぶち当たっていた。
 成長の頭打ち。新規顧客の減少である。
 今は昔から付き合いのある客や企業のおかげで安定した運営が出来ているが、何せ客にも寿命がある。新規顧客を獲得し続けなければ今後の運営が危ぶまれるのは必定である。
 しかし、日本全体で起こっている人口減少、ライバル会社との熾烈な争い、海外の保険会社の日本進出などなど様々な要因によって、アイシーユー保険はここ数年、新規顧客獲得が上手くいっていなかった。

「やはり、お客様の中で、私達の影が薄いのが原因だろうね。
 私達がどれだけサービスを良くしても価格設定を良くしても、私達という存在を数ある選択肢から選んでもらえない。それはつまり、私達はお客様の中に強烈なインパクトを残せていないということなのさ。
 だろう? ミツシマちゃん」

 田島社長の目が隣に座る副社長を見る。その瞳の中で、満島幸恵は赤い眼鏡を指で押しあげ……不服そうな顔を浮かべていた。

「だからといって、ふざけたCMは許しません。
 だいたい新規の方々ばかり社長は考えていますが、我が社を信頼して下さっているお客様のことを考えて下さいませ。
 信頼と信用は積み重ね繰り返せばより強固になるものですが、一度落ちたら戻らないのですよ?
 ガラスと一緒です。丈夫でありながら脆い。新規顧客獲得の為だけにふざけたことをしたら、今まで我が社を信頼して下さっていたお客様方がどう思うか……!」
「むぅ……」

 満島副社長の意見も実に最もである。田島はまた唇を尖らせた。印象を残すにはふざけたことをするのもまた手段だと思ったが、旧来の顧客を思えば、そんなこと容易には出来ない。
 悩んだ彼は、目の前に座る自分の優秀な同僚達を見た。

「折角だから、皆から意見もらっていい? 
 今回の議題からはちょっと離れるけど、あんまり時間は取らないからさ。君らみたいな立場から見えるものもあるだろうし……。
 あ、広報ちゃんは録音しといてね」

 田島社長がそう告げたのを合図に、会議室は俄に騒がしくなった。
 色んな意見が飛び交った。
 あぁするべき、こうするべきと、正解のない正解を探して、その場にいる全員が議論した。
 田島社長はその意見を聞きながら、ふとある事に気づいた。

「柞木原くん」

 先程からこの議論をわざと静観している男がいることを。
 田島社長は彼の名前を呼ぶと彼は社長に微笑みを浮かべた。

「はい、どうされましたか?」

 その机の札には執行役員(主計部部長)と書かれていた。
 ここにいる社員の中でも若い部類に入る彼は、歳下ゆえに発言を控えるところがある。
 田島社長は気遣いのつもりで、彼に話を振った。

「遠慮なく発言してくれ。君ならどんな広告を作る?」
「……。そうですね……。
 在り来りですが、実例をドラマ化したような広告にするでしょうね」
「おや、何故だい?」
「新規のお客様でも既存のお客様でも保険に入って正解だったと印象づけるのが大事ですから。
 実際の例を見せた方がずっと説得力があるでしょう?  その方が共感も得やすく人の印象に残りやすいと思います」
「確かに、一理あるな……」

 田島社長が柞木原の意見に頷くと、周りの人間達も確かにそれも良い意見だなとばかりに深く頷いた。
 田島社長は机に肘をつき、柞木原ににっこりと笑った。

「柞木原くんの意見は、奇抜ではないけど真面目で良い回答だね。
 やっぱり印象大切だよねー」
「えぇ、人の印象は3秒程度で決まると言いますから、広告もそれを意識すればインパクトのあるCMを作れるかと」
「ふーん、3秒か……。見た目が9割とか言うし、その通りかも」

 田島社長はそこでこの議論を初めて15分が経ったことに気づき、一人に絞っていた視線をこの部屋全体に変えた。

「結論は出てないけど、大体皆の意見は分かったし、この辺りにしよっか。
 長くやっても本題が出来なくなるだけだし」

 田島社長はそこで話を終わらせ、話を戻した。しかし、彼は無責任である。
 何せこれだけ議論させて置いて、結論を出さず放りっぱなしにしたのだから。それに、田島社長と同じ会議室にいる彼女はこめかみをひくつきさせた。
 それが彼女、田中暁美である。彼女は今日、病欠した広報部部長の代わりにこの席に座っているのだが、最早会議どころではなかった。


 (くそぅ~! 社長め、何で私達のCM酷評しまくるだけして、後は放置すんのよ!
 こんなのただの公開処刑! 晒しあげよ!
 私達、このCMを制作会社の人達と半年かけて制作したのよ。私達の努力は!? これじゃまるで私達が馬鹿だったみたいじゃない!
 大体、半年前にこのCMで良いって承認したの田島社長じゃん!
 出来てから文句言うの、本当クソ! マジでクソ!
 だから、ウチの社長、たまに人の心がないとか言われんのよ。ばーか! ばーか! クソ社長!)

 田島社長の言葉は田中の怒髪天を突いた。田中の内心は乱心の一言である。その荒れようは凄まじく、周りが流石に気づき引くほどに、その全身から怒りのオーラを放っていた。
 結局、彼女は会議中、一度もメモも発言もしないまま、その会議を終えた。




 会議が終わってからも田中の怒りは治まらなかった。
 会議室から田中のデスクはとても離れている。その為、道中、様々な人々と道をすれ違うのだが、誰も彼もが顔を般若の顔にして歩く田中に驚いた。
 それだけ田中は田島社長に怒り心頭だったのである。

 (本当ムカつく~! あんなんが社長とか終わってるわよ、マジで!
 帰ったら広報の皆に愚痴ってやるんだから!)

 自分のデスクのある広報部の前に行くエレベーターを待ちながら田中は奥歯を噛み締める。
 苛立ちに任せてエレベーターの昇降ボタンを連打しているが、全く気分は晴れない。

 そんな時だった。

「田中」
「!」

 名前を呼ばれ田中が弾かれたように顔を上げると、すぐ隣に人が立っていた。
 全く気づかなかった。しかも、よりによって……。

 (柞木原さんじゃん!)

 隣にいる。今少し困ったような顔を浮かべている長身の男性。それは正しく彼女の元上司、柞木原 聡真だった。
 
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