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とある夜の街に住む少年の話
幕間 足跡を追う者達
しおりを挟む毎日のように誰かを待っていたとある少年が愛したこの夜の街。
だが、少年が去ったことを嘆き悲しむ人はこの街の何処にもいなかった。
むしろ、そんな少年がいたことさえ、街の人間は誰も知らなかった。街の隅にいた小汚い少年に彼らは皆、無関心だったのだ。
故に、この街で起きた不可解な事件の第一発見者である彼が何者かによって連れ去られたことに誰も気づくことはなく、とある人間の死の真実は今、闇に葬られようとしていた。
だが……それでも勘付く者はいる。
確かに、この世界にはコナン・ドイルはいるがシャーロック・ホームズはいない。だが、だからといってこの凄惨な事件を看過する者はいない。
この世界にも、真実に少しずつ近づき明らかにしようとする者はいるのだ。
「……さて、どうするか……」
子ども1人通るのがやっとな細い路地裏の外で、深いため息を吐いたのは、スーツに身を包んだ腰までたなびく白髪を持った老女だった。
若い頃の凛とした美しさを携えたまま、その顔に経験と実力という皺を刻む彼女は、ブルーシートで覆われた事件現場をその目にかけたサングラス越しに睨みつけていた。
そこへ若い男がドタバタと足音を立て駆けつけてきた。
「姐さん! すみません。遅れました!」
着いて早々頭を下げる男。そんな彼を彼女はキッと睨みつけた。
「遅すぎんだよ。バカタレ。もう仏さんは行っちまったし、大方の調査は終わったよ」
「……えっ、マジですか?」
「はぁ……お前さん、何年目だ? 休暇中とはいえ常に駆けつけられるようにしろ。現場はお前を待たねぇぞ」
「は、はい! すみませんでした!」
男はただただ猛省するしかない。そんな男の頭には三日月の形で跳ねている髪が何束もある。十中八九、寝ていたのだろう。
彼女は目の前にいる若い男にもため息を吐いた。しかし、それ以上咎めることなく、話を切り替えた。そんなことより最優先でやるべき事が目の前にあるのだ。
「遅れた貴様に親切な私が説明してやるよ。耳をかっぽじってよく聞けよ?
来い。まずは現場を見せてやる」
「は、はい!」
彼女はそう言うと路地裏の中へ入っていく。路地裏の奥はブルーシートで覆われており、隔離されている。彼女はさっさとブルーシートの中に入っていき、男はへっぴり腰になりながらもそれに着いていった。
ブルーシートの中は、大量の照明による眩しいほどの光に包まれ、生物が腐る匂いで噎せ返っていた。
ここにあった本体は既に運び出された後だというのに、その狭い路地の中は未だに湿度と陰湿さを持った赤に塗り潰されている。うっかりすると靴や衣服がその赤が付着しそうだった。
そんな現場を前に、彼女は話し始めた。
「被害者は三倉香織。62歳。つい最近まで、スナックの店長をしていた方だ」
「つい最近まで……?」
「何でも腰に持病があったそうでな。それがこの半年でかなり悪化して、腰を曲げた姿で店には立てないと店を畳んだそうだ。
で、お前の目の前にある15階建てのビル……そこは5階以上の階層は集合住宅になっている。
店を畳んだ彼女はここの6階に引越して暮らしていたらしい」
彼女の指が上方向を差す。
狭い隙間の向こうに見える15階建てのビル。その6階に煌々と明かりが灯る部屋がある。現在家宅捜索が行われているのだろう。そこから多数の人の声が僅かに聞こえる。
「部屋の窓が開いていてね。彼女はそこから飛び降りたようだ。
そして、その部屋からは遺書が見つかった。
ちゃんと被害者の筆跡さ。
遺書の中身を見るに、彼女は自身の持病にとても苦しめられていたようだ。
遺書には、持病が悪化してから毎日痛くて苦しい。鎮痛剤が効かない。生活も苦しい。生活費を稼ぎたいがこの苦しみの中では何も出来ない。いっそ死のうと思う……そう書いてあった」
彼女は淡々とそう説明すると、男は察した。これは名推理である。つい天狗の鼻にもなる。
飛び降り、遺書……これは正に。
「自殺ですね。疑いようもないですよ。状況も証拠も揃ってる。彼女は自殺だ」
「いいや……私は違うと思うね」
「うげっ……」
だが、天狗の鼻は一気に折れる。
男が彼女の方を見ると、彼女はただ只管に真っ暗な空が僅かに見えるだけのビルの隙間を見上げていた。
「詳しい調査は日が昇ってからになると思うがね。
私は自殺とはどうにも思えないんだよ」
「どうしてです?」
「場所、そして、この状態だ……」
「は?」
男は疑問に思い、首を傾げる。
だが、何かを確信している彼女は、サングラスの向こうでその瞳を剣呑に光らせた。
「ここは、飛び降りるには狭すぎると思わないか?」
この細い路地は幅1mもない。大人が頑張って腕を伸ばせば向かいのビルの壁に触れることだって出来る。
明らかに狭すぎる。狭すぎて、足からか、頭からか、とにかく路地の隙間と平行するように落ちなければ、確実に自殺出来ないだろう。被害者は正しくそのように自殺したに違いない。だが、男はそこで疑問に思った。
このビルはこの路地だけでなく大きな通りにも面している。
決して、飛び降りるとき、この狭い路地でなくてはいけない理由はない。自分の死が少しでも目立たないようにしようと考えていたなら分からなくもないが、それならこんな場所ではなく誰もいない山奥に行くだろう。
大通りでも山奥でもなく、わざわざこんな狭い路地裏で自殺した被害者……そう考えると何だか妙だ、と男は思った。
そんな男に彼女はもう一つ付け加えた。
「その上、おそらく彼女はここで自殺するのは難しいはずなんだ」
「え? 何でですか?」
「彼女には日常的に腰を曲げざる得ないほどの持病があったんだぞ?」
「あっ」
被害者は腰の持病で真っ直ぐ立てないほどだったというから、狭い路地の隙間を縫うように飛び込めたかは微妙だ。ボディコントロールを誤ると壁にぶつかりながら落下することになる。途中で他のビルの室外機や窓の柵などに引っかかって上手く落下出来ないという可能性もあっただろう。何れにせよ。かなり難しい。
だが、それ以上に、彼女には疑問に思う不審な点がある。
「そして……もっとも不可解なことに。
普通の飛び降りじゃ、こんな凄惨な現場にはならないはずなんだよ」
「というと?」
「まるで潰れたようじゃないか」
真っ赤に染まった路地裏……その染まり方は例えるなら完熟したトマトを上からハンマーで叩き潰したかのような異常な染まり方だった。
「生きた人間は嘘を吐くが、死んだ人間は嘘を吐かない。
私らは決して嘘を吐かない者に耳を傾ける。そうすれば真実に近づけるからねぇ。
今回の仏さん、あれは酷かったよ。目ん玉が飛び出して頭、潰れてた。骨も肉もあっちこっちばらけちまって……。
……だが、ただの飛び降りじゃそこまでならねぇ。普通ならあの仏さんはもっと人間らしい形のままはずなんだよ。
あそこまでなるには、それこそ……人間が凄まじい勢いで地面に叩きつけられたとしか思えない」
男はごくりと息を飲む。
確かに状況と証拠は正に自殺だ。だが、場所とその状態は、これが自殺などではないと告げている。
「……こりゃあ、嫌な予感がする」
サングラスの向こうにある彼女の目が細められ、その目は真っ赤な地面に落ちる。
照明に照らされた赤はその毒々しいその色以外は何処にでもある水溜まりの顔をして、周辺の景色を映している。
まるで、鏡のように、全てを映している。
「確かめるには詳細な調査が必要だが、おそらく人間で……パチンコでもしたんだろうな」
「は……? ぱ、ぱちんこ……?」
「あぁ、爆発音の証言も爆破された痕跡もないからな……被害者にでっかいゴムでも固定して周囲のビルに固定して人間を弾丸のように飛ばしたんじゃなかろうか……。そして、飛ばされた人間は一瞬にして砕け散った……それなら、この状況も納得出来る」
「あ、あの……そんな漫画やアニメじゃあるまいし、荒唐無稽すぎません?」
彼女の推理に男は戸惑い思わず引き止める。しかし、彼女の顔はこれ以上ないほど硬い。
男は息を飲む。一見、荒唐無稽な推理だが、そうでもなければこの状況を説明出来ないのだ。
……それほどまでに、この自殺は違和感しかないのだ。
「私らの仕事はこれを誰が殺ったかを明らかにすることだが……。
コイツはちょいと面倒だ。
何せ状況は自殺以外の何物でもない。部屋の窓の指紋は本人のもの以外なし。遺書も本人の筆跡だった。遺体の検屍は今からだがあの破損状態じゃあ死因が分かっても有力な手がかりが残っているか……。
……せめて、目撃者か、周辺の監視カメラか、誰か見ていると良いんだがねぇ」
彼女は一歩踏み出し、地面を探る。
飛散した赤は点々と周辺に散っている。
照明に照らされ、どのようにそれが散ったのかよく分かる。飛散したその瞬間、そこに何があったさえも……。
彼女は徐に掛けていたサングラスを頭上に上げる。老いても尚、輝き曇らないその瞳が、地面に僅かに残っていたそれを見つけた。
三日月形の血痕。
飛散した赤は皆、円形か楕円を描いているというのに、一定範囲内だけそれは三日月形になっていた。まるで何かに切り取られたかのよう。もしくは、事件発生時、そこに何かが立っていて、事件後、どこかへ行ってしまったかのように。
「多木。お前に仕事が出来たよ」
「え? 仕事……?」
多木と突然名前を呼ばれた男は驚いて彼女を見る。彼女は地面から顔を上げ、ぽかんと口を開けアホ面になっている後輩の方へ視線を向けた。
「一人。この場に被害者が死んだ直後に出くわした人間がいるようだ。
血痕がそう告げている。
身長は割と低いね。んで、かなり細身、かといって大人の女性では無いねぇ……。少年か少女か……まぁ、そのくらいだろう」
「ね、姐さん、そんなことまで分かるんすか!?」
「お前の経験が足りんだけさね。
コイツの足跡はまだ残っているはず。鑑識を呼べ。お前は調べ尽くして、とにかく追いかけろ。どこまででもな」
彼女の言葉に、彼は息を飲みハッとし今こそ自分の出番だと気づき、彼女に慌てて敬礼した。
「は、はい! 姐さん!いや、天見警部!
この俺、多木昂輝にお任せください!
地の果て、天の果て、どこへまででも目撃者を探しますとも!」
「……天の果ては行き過ぎだがな」
彼の明るい決意の声は、夜の街にどこまでも響く。そんな彼を彼女は呆れた目で見ていたが……しかし、その口元には笑みがあった。
「まぁ、その威勢なら、十分だろう。
任せたぞ、多木。
……さて」
その目が不意に空へ……15階建てのビルの屋上に向けられる。
もう何も無い真っ暗なそこを彼女は睨みつけた。
「このホシは私が見つけ出す……必ず」
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