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第一章

30話 存在理由(リオ視点)

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ある日が沈んだ頃、里に一人の男がやってきた。

外から来た人を初めて見た俺は、男を静かに眺めていたけど、サジスは驚きかなり焦った様子だった。
目を合わせた男は一瞬ニタァと笑い、俺は得体のしれない狂気じみた圧を感じ取った。

「みーーつけたぁ・・・はじめまして?こーんな可愛い子だとは、思わなかったな。はは!」

挨拶を告げる声は軽い調子だったけど、俺はそれが一層不気味に感じた。
男が外の人間だからなのか?と俺は判断しかねていたけど、傍にいてくれたサジスがそれに動いた。

「やめろ!近づく――」

サジスが叫んだのは一瞬だけだった。
弟みたいだと頭を撫でてくれたサジスの首から上がゴトリと俺の足元に転がってきて、目と目が合った。

「ぅ、うあああ!」

何が起こったのかと混乱していたけど、サジスの暗い目がたまらく怖ろしくて走った。

「おい!どうしたんだ?!」

「サジスが、ッ・・ゥ・・ぐ」

駆け寄ってくる大人に事情を話そうと近寄ろうとした時、後ろからあの男に首を掴まれ、持ち上げられた。
息苦しさに涙を滲ませる俺に男はナイフを突き付けつけた。

「リオ!クソッ!その手を放せ!」

「下手な事はしないほうがいいよ。相手してやってもいいけど・・・分かるよね?」

周りに見せつけるように、俺の首を薄く斬りつけられて、肌に血がつたうのを感じたけど、もがくのが精一杯で。
首から流れる血を絞り出すかのようにギリギリと締め付けられ、俺の意識はそこで途絶えた。


――次に目覚めた時に最初に見たのが、血まみれの床。
足元に転がる、メチャクチャにされた両親の体。

現実離れしすぎて、意味がわからなかった。


「ぅーん。あんまり聞き出せなかったな・・・ああ、ちょうど良かった。おはよう、リオくん?」


呆然とする俺に気付いた男は、こちらに狙いを変えて狂気を振りかざしてきた。

男が与えてくる苦しみの苛烈さ故か、そこから記憶がボンヤリとしているけど、それでも殺してと何度も叫んだ瞬間は覚えている。
与えられる痛みに何度となく意識を失い、せめてもの抵抗として、自分の舌を噛もうとした。
だけど、「死なせないよ」と嗤う男に、死ぬ自由も奪われて屈辱だった。

痙攣を起こして息が出来なくなり、その度に治療を施されて、死の手前から引き戻される繰り返しだったけど、それでも拷問紛いの痛みに段々と耐性がついて慣れていった。

時折何か言葉を突き付けてきたけど、俺は何も分からなくて、それに男は納得出来ないみたいだった。
やがて業を煮やして、俺の精神を削り取る方向へと嗜好を変えた。

「こうゆう手間がかかるのは面倒だけど、君の&%$#は必要だからね。従いたくないなら、心を壊して強制的に従わせるしかない」


この日、俺は人の恐ろしさの際限の無さを知った。
何故俺に執着するのかは分からなかったけど、狂った男が与えてくるものは死より恐ろしかった。

鮮明に思いだせるのは無理やり食させられた両親の味。
腹を切り裂いて俺の内臓を撫でまわす男の手の感触。

臓を鷲づかみにされ、美味しそうだよと見せられて・・・自分の内の色なんて知りたくなかった。

ひんやりとした母と父の白い手で身体を優しく撫でられ、嬉しいだろう?と愛される恐怖。

男の生暖かい息が吹きかけられ、堕ちて来いと優しく囁きかけられながら、肌で触れ、五感で感じ、心に刻まれたのは、吐き気がするような蹂躙だった。

「屈服してくれたら、【隷属化】スキルの発動条件が揃うのに」
「君は俺の玩具なんだ。受け入れてくれたら、ちゃんと大事にするよ。酷い事はしないし、痛くもない」

心を折ろうとしてくる男に、従うぐらいなら死んだほうマシだと心の内で自分が自分である事を諦めたくなくて、俺は必死に自分の心を守り続けた。

「まだ、レジストするのか?君の精神力は凄まじい・・いや、異常だ。普通ならとっくに発狂してるよ。まぁ、壊し甲斐がある!はは!」

嘔吐を繰り返しながらも、解放を望んで自死を試み続ける頑な態度を男は楽しんでいたけど、時間が経つにつれ、段々と苛つきを見せ始めた。

一晩だったのか、どれだけ経っていたのかは分からない。
反抗心から、或いは朦朧としていたからか、喜ばせるような反応を何もしなくなった頃、男は急に態度を変えてきた。

「君の根性には負けたよ。解放してあげる」

この時の俺は疲弊しきっていて、判断力というものに欠けていた。
力の抜けきった体で半ば這いつくばりながら、転がるように逃げた。
男が微笑みを浮かべ、背後から見つめている事に気づく事なく。

薄暗い管理棟だったそこから外に出ると、里の大人達が武装を纒いながら駆け回り、緊迫した様子だった。

「た、すッ・・・け・・」

朦朧としながら太陽の下に出た瞬間、首から下がおもりになったように鈍くなり、倒れて掠れた声を出した俺の姿を見た里の皆は、介抱しようと囲むように集まった。

けど、選択を間違えた事に気づいた時には手遅れだった。

最初の幕開けは、いつも自分で獲ってきた鹿肉を皆に分けてくれるルクルおじさんだった。

新鮮な臓は旨い、と生のそれを薦めて断られる度に、この美味しさを語り合える仲間が欲しいとこぼすおじさんは戦士の体に繊細な心を持っていた。

ルクルおじさんが姿を現した男を警戒して弓を向けると、男は突然煙のように姿を消した。
すると稲妻のように目映い光りが現れ、思わず閉じた目をあけると、視界に入ってきたのは、ルクルおじさんの腕が地面に転がる光景だった。

辺りを赤く染めるように血が吹き出す自分の腕を見つめ、叫び声をあげるおじさんを目にしても、何が起こったのか信じられないという雰囲気で、皆は動けずにいた。
そんな中、男は当たり前のように笑いながら、おじさんの体を好き放題に弄ぶるように刻んでいき・・・ルクルおじさんの体が動かなくなった時に、皆の恐怖が爆発したように場が急速に動き出した。

「・・・ル、クル?」

「な、なんなの!?」

「・・・た、戦える者以外は逃げろ!!」

混沌とした雰囲気の中で里の男性陣は武器をとり、背後に女性と子供を庇って守ろうとしたけど、男の暴力は圧倒的で、狂喜を孕んだその笑いが止む事はなく、大切な人達が次々と目の前でグチャグチャにされていった。

「恨むなら、分からず屋のリオ君を恨んでね?」

「・・・や、めて・・わ、かったから、も、う」

助けなんて呼ぶべきじゃなかった!
呼ぶ前に、自分を諦めるべきだった!

「はは!恩を仇で返すなんて酷い子だなぁ!」

男は俺の言葉を無視しながら、見せつける事を楽しみ、辺りをどす黒い血で染める事を辞めず、叫び声が一つ、また一つと消えていった。

最後に嬲られたのは隣の家のナリーお婆さんだった。
ミシャを含め子供達は本当の祖母と同じぐらいナリーお婆さんに懐いてて、優しい彼女は俺達を可愛がってくれた。
一緒に山菜や薬草を採りに行く事もあって、その時はナリーお婆さんが山菜で作ったスープを振る舞ってくれた。
一緒に作った傷薬を大人達に配ると、俺達は感謝の言葉をいくつも貰って、良かったね、嬉しいねとナリーお婆さんと皆で笑い合った。

俺の代わりだと男に苛烈に痛めつけられる内に、ナリーお婆さんはあんなに可愛がってあげたのにと俺を睨むようになり、だけど最後の瞬間に悲しい目でごめんね、と微かに唇を動かした。

「君が悪いんだよ、俺の言う事を聞かなかったから。ははは!ホラ!リオ君のせいで、みーんな死んじゃったね?」

嘲笑う男は皆の眼を抉り、俺に向けて首を並べた。
いつも笑ってくれた人達の窪んだ黒い目が、こちらを見るかのように。

皆の責める視線に晒され、嗚咽を漏らす度に喉から流れる自分の血。
赤黒く染まりきった服の袖が視界の端に入り、身に纏う冷たい感触に身体が凍えていく。
現実離れした光景に、ただの悪夢だ、と思う事は、五感が許してくれなかった。

「ぁ、ああッ、ゴホッ」

目の前に地獄が広がる中、あの声を聞いた。


「―――リオッ!リオを返して!!」


ミシャが赤毛を揺らしながら、飛び込んできた。

「そこから離れてっ!リオを虐めないで・・・!!」

その目は怯えて涙を浮かべているのに、俺を助けようと必死に震える手を伸ばして駆け寄ってくる。
ミシャの姿を男が見た瞬間、心臓がドクンと揺れて全身の毛が逆立ったかのような悪寒がした。
残っていた自分の全てを込め、悲鳴のような声をあげた。

「やめてくれッ!!ミシャ、逃げろーー!!」

だけど、現実は残酷過ぎる。
血を吐きながら叫んだ願いは届かなかった。
一番守りたかった存在が、目の前で鮮血を吹き出しながら倒れていくのを、泣きながら眺めているしか出来なかった。

倒れたミシャは手を伸ばしたまま、俺の名前をは微かに呟き、涙を流しながら、ゆっくりと緩やかに動かなくなっていって・・・やがて全ての音が消えた。

「ミ、シャ・・・・な、んで・・・う、そだ・・・」

狩猟で得た肉の血も苦手なのに、勇気を振り絞って俺を助けようとしたミシャ。
その代償に、じわじわと自分の死を感じとりながら、冷たくなっていった・・・そんな不条理が、あってたまるか。
出来るならば、自分の心臓をもぎとってでも、代わってあげたかった。

独りの静けさが嫌いで、俺の背中に飛び込んでくるようなミシャは、死に際も手を握って欲しかったはずだ。
それなのに、亡骸を抱きしめてあげる力さえ入らない。

何で、ミシャが死んだのか?

そんなの嫌でも分かる。俺のせいだ。
弱くて何も出来ない癖に、あがいたのが間違っていた。
大切な人達を巻き込んで、俺が殺した。

非力だった。
何もかも失った。

「可哀想に・・・君が玩具の癖に逆らうから、この子も死んじゃったんだよ。残念だけど、オモチャに選択肢はないんだ。分かったかい?」

「・・・」

絶望という言葉では言い尽くせない虚無感に、ボーッとする思考。
俺は抵抗するための拠り所を失くし、言われるがまま「自分はこの男の玩具なんだ」と空っぽの心で受け入れた。
次の瞬間、自分の奥底に何かおぞましい力が入りこんできて、鎖に繋がれたように体が重くなって、動けなくなった。

「やっとスキル発動か。時間はかかったけど、最後は楽しめた。自分は耐えても、他人の苦しみには耐えられないなんて・・・健気で、哀れで、君の事本当に気に入ったよ!はは!」

そこから何をしたかとか、何をされたかとか、興味も持てず、どうでもよかった。
皆を弔えなかった、皆のように殺されたかったと、そうゆう事は考えていたけど、全てが朧気だ。
オモチャは意思を持たず、男の言葉を待って動くだけ。
空っぽな自分の救い主である男に跪く事が、ほの暗い喜びになっていった。

今思うと、違和感しかないあの感情は苦痛を快楽にすり替える麻薬のようなものによる感情だったのだろう。
腹の奥から沸き上がる波が胸を覆うように、強制的に感情を塗り替えられ、己の思考を取り上げられる、自分とは別の何か潜んでいるような感覚。
男に名前を呼ばれると惹き寄せられ、不気味な力が心を満たすような根深い呪縛を感じたのは確かだ。

だけど・・・どんな理由があっても、惨めに屈してしまった過去の自分を許す事は出来ない。


その後、気づいたら道端で倒れてた。
捨てられたんだと気づいた時に、真っ先に思ったのは「あの男は殺してくれないのか」
死ぬ覚悟、殺される覚悟、そうゆうものが残らなかった。
死が、安らぎだと知っている。

ふと気づくと、もういない男を思い浮かべて、殺してほしいと焦がれる自分に嘔吐した。
ミシャ達を想いながら、自分の全てを踏みにじった人間を求めてしまうなんて死より残酷な呪いだった。

自分の中に宿った何かが、ひたすら渇くと訴えてくる。

キモチワルイ、キモチワルイ!キモチワルイ!!

臓物ごと、すべて吐き出してしまいたい!!

こんなの自分じゃない・・・・・あれ?自分の姿が思い描けない、、蜃気楼のように歪んで、霞んで・・・だめだ、消えるな!

全てが頭を駆け巡り、思考が引き裂かれるような嫌悪から、自らを爪で引っ掻き、血を流す事でやっと息を吐けた。

けど、息をした所で何になるのかと、魂に刻みこまれたように支配された自分を憎んで、自分を殺そうとした時にツルギと出会った。

拾われた当時は、ツルギの傍では死ねなかった。
目の前で命が消える心の痛みを鮮明に知っているから、同じ思いをさせたくなくて、耐えてしまえた。
他人を大事にする感覚、大事にされる感覚は分かるから、他人を優先出来てしまえた。

全てを放り出せたら、どんなに楽だっただろう。
何故、狂いきれなかったんだろう。

けど、拒んでも追いかけてくるツルギを傷つける事がどうしても出来なかった。

少しぎこちなくも優しく話しかけて、下手くそな笑顔を浮かべる、お節介で変わった男。壊れ物を扱うようにそっと触れる手。
自分が命を絶てば、どことなく危うくも思える寂し気な彼は一人嘆くのだろう。
その姿を想像すると、胸が締め付けられるように悲しくて、俺を放そうとしないその強引さを責めたてる事は出来なかった。
俺を捕まえようと腕を伸ばすツルギの手が、何故かすがるように思えて。
俺に同情しているだけじゃない。一人にしないでくれと訴える目を見ると、手を振り払う事が出来なかった。

それから、血を流し続けるように静かに苦しみ続けた。
ミシャや里の皆を想いながら、心の内で自分を殺し続けた。
自分を切り刻んでやりたかった。

ツルギがいたから、今があるのは間違いない。

また、笑う事が出来るなんて奇跡だった。

俺とツルギの間には確かな絆がある、と思う。
家族、師匠、名前は何だっていい。

失くしたくないものが出来て、オモチャのままでいたくないと段々思えるようになった。

あいつに、いや、全てに負けたまま、終わりたくない。

思い通りになどなってやるものか。
生き恥だろうと、足掻いてやる。

弱気になる事は数えきれないほどあった、けど、意地を絞り出して踏ん張ってきた。
自我を強く保ち、冷静さと闘志を欠かない事で、自分の中の気色悪い飢餓を封じる事も出来るようになった。
寝る時も刀を手放さない俺の姿を見て、ツルギは呆れていたけど、これがどれだけ俺を助けてくれているか、ツルギはきっと知らないだろう。


ただ、一度消えた死への怯えだけが取り戻せなかった。

戦う時は、普通であれば「殺される覚悟」をするのだろう。
だけど、俺には見当たらないんだ。
悔しい事に、欠けている。
 
だから、俺は戦う時に「死なない覚悟」をしないといけない。
でないと、死に向かって無茶な戦いしか出来ない。
死ぬだけなら、躊躇なく出来てしまう。

死にたい訳ではない。少なくとも、死ぬ意味がない限りは。
意味のない死はオモチャだから。

無意味に死にたくないから、「なりたい自分」になるために剣を握っている。
失わないために戦う事が、俺の生きる理由。


俺が死んであっちに行った時は、皆に会って謝りたい、今度は皆のようにちゃんと戦ってきたと伝えたい。皆に顔向け出来るように、いや、俺が満足して死にたいんだ。

なのに、手の届かない場所でツルギが死んで、二度と失わないという誓いを守れなかったと何度も死を描いた。
それでも、意味なく死ぬ自分にだけはなりたくなくて、吹けば消えそうな誇りのために剣を手放さなかった。

ツルギが生きているなら、また俺に出来る事がある!
今度こそ力になる!
すべき事が必ずあるはずだ!

失わないために戦えるなら、どんな事でもする。

何処までも戦い抜く!
戦わせてくれ!!

そこに俺の生きる意味がある! 

死ぬ意味もそこにある・・・!!
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