あの夏の日、私は確かに恋をした

田尾風香

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4.エーリス、そして歩んだ先に

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【【エーリス】】


「作物の、育ちが悪い……」

 "精霊の愛し子"だと思って遇していたカリサがいなくなって十ヶ月ほど。俺は、収穫を待つこともなく、その事実を認めざるを得なかった。

 精霊に愛された子、精霊の愛し子。精霊に力を与えて、その地を豊かにして豊作が約束されると言われている、精霊の愛し子。

 でも、カリサがこの国に来て五年。その間、収穫量が上がることはなかった。五年待っても変わらなかった。だから、カリサが精霊の愛し子であるというのは嘘だと判断した。

 その事実をハギオン神聖国に突きつけて、何か説明でもあるかと思ったけれど、「そんなはずはない」という言葉だけで、それ以上は何もなかった。
 しかし、五年待っても何も変わらなかった事実は事実。神聖国は渋々謝罪して、カリサを引き取ることを了承した。

 その送り返す前日にカリサが目覚めたことは知ったが、会いに行く必要も見送る必要も感じなかった。そうしたら、まさかの「カリサが誘拐された」というパテマからの報告。

 誘拐した奴は、突然その場に現れたと思ったら、カリサを連れてそのまま忽然と姿を消したらしい。そんなことができるのは、転移の魔法の使い手しかいない。

 数が少ない魔法の使い手の中でも、さらに転移を使えるとなると数が限られる。調べるのは難しくないだろうと判断し、捜索に乗り出そうとすると、それにストップが掛かった。俺の父、国王からだ。

「なぜですか!?」
「……犯人は自分の弟子だと。弟子が暴走して攫っただけだから、いつでも捕まえられるから、放置していいと」

 すでに神聖国とも話はついているらしい、と苦虫をかみつぶしたような顔をした父を見て、俺も何も言えなくなる。

 それが、大魔法士と呼ばれている人物からの話だと、分かってしまったからだ。名前は知らない。ただ、彼の扱う魔法は強大で、その魔法に助けられたことがある一方で、機嫌を損ねればあっさりと街を一つ消し飛ばすような人物。

 その人物が、やったのは自分の弟子であり、何かあれば責任を取ると言っているのだ。それ以上の口出しができるはずがない。

「……そして、あの娘が本当に精霊の愛し子でなかったのかどうか、一年も経たずに分かるんじゃないか、とも言われた」
「……………!」

 その言い方は、まさか。

「カリサが、実は本当に精霊の愛し子である、ということですか?」
「聞いたが、答えてはくれなかった」

 そんなはずがない。五年待って、何も変わらなかったのだ。それが実は、などという事態があるはずがない。

 けれども、出た結果は無情だった。

 作物の育ちが悪い。
 作物だけではなくて、植物全般がしおれている。雨の量が少ない。大地が乾いている。何となく分かる。自然の力が弱い。

 ふと気付いて過去の資料を漁った。カリサが来る前の、資料。それらを漁りデータを集めて、出た結果に俺は目を覆った。

 カリサが来る前の作物の収穫量は、年々減っていた。大きな減少ではないけれど、少しずつ少しずつ、減っていた。カリサが来てからは、その減少が止まっている。増えてはいない。けれど、減ってもいないのだ。

「――本当に、精霊の愛し子だったのか」

 その事実を、認めないわけにはいかなかった。


*****


「エーリス、なぜここに来たのですが?」
「……分からない。ここに来ても何もならないことは分かっているし、君を連れてくることが正解なのかも分からない。それでも、ここに来たくなった」

 俺は完全に行き詰まっていた。この国は精霊の愛し子を失った。これから精霊の加護はなくなる一方だ。そんな国の国王になる俺は、一体どうしていいのか分からなかった。

 分からなくて、思い出したのはカリサとほとんど唯一といっていい交流をした、この避暑地。そして池の畔。この場所に来たくなって、なぜかパテマを誘って、俺は来ていた。

「パテマ。……俺はお前のことが好きだ」
「はい、エーリス。……私もです」

 その気持ちを口にしたのは初めてだというのに、驚いた様子もなくパテマは受け止めて、そして返してくれる。そう返されたことを、当たり前のように受け止める。

「でも、俺の婚約者はカリサだった。……好きになりたいと思った。好きになれると思ったんだ。カリサの精霊の愛し子の力があれば、この国が豊かになれば、この国にカリサが必要だと分かれば。カリサを愛せると思った」

 だから、データを集めた。データを集めていい結果が出れば、俺は自分が喜ぶと知っていた。それをもたらしてくれたカリサに好感情を抱くだろうと。

 早くそうなりたいと思った。パテマへの恋なんて叶わないことを知っていたから。俺がどれだけ努力しても、パテマがいくらこの国へ貢献しても。それでも、精霊の愛し子には敵わないのだから。

「……どうして、気付かなかったかな」

 決して綺麗な顔立ちではなかったカリサが、あの瞬間とても綺麗に見えた。風が吹いて水がかかったときのカリサが、まるで別人のように見えた。

 綺麗だ、と気付けば口にしていた。

 あの時のカリサは、きっと精霊の祝福を受けたのだ。それが、カリサ本来の美しさを、垣間見せた。

「エーリス」
「すまないな、パテマ。これで君と一緒になれると思った。とても嬉しかったのに。こんな結果になってしまって」

 今のこの国は、沈みゆく泥船だ。どうしたって沈むしかない泥船の舵を、俺と一緒にとることになってしまった。

「いえ、私も同罪です。私も、嬉しかった。あなたと結婚できると思うと、今でも嬉しいんです。ですからどうか、謝らないで」

 伸ばされた手を握る。パテマだってどうしようもない未来が見えているはずなのに、それでも共にいようとしてくれる。本当に思うなら手放すべきなのに、それができない。

「――ありがとう」

 小さく小さくつぶやいた。パテマに聞こえるか聞こえないかの小さな声。でも、握り返された手の力から、確かに聞こえていたんだと思う。

「……あ」

 パテマが、何かに驚いたように声をあげた。その視線を辿ると、それは池だった。池の中央に、ちょうど日の光が差し込んで、水面が輝いていた。

 ――水というのは、こんなに美しいものだっただろうか。

 目を奪われた、その時だった。

『お願いがあるの』
『エーリスが求めたのなら、力を貸してあげてほしい』
『私の初めての恋だもの』

 断片的だけど、ふと耳に届いたカリサの声。
 慌てて周囲を見回す。でも、いるのはパテマだけだ。

「エーリス?」
「いや……」

 カリサは、ここに来ていたんだろうか。一人だったんだろうか、誰かと一緒にいたんだろうか。だがきっと、聞こえたのはカリサが精霊にしてくれた願いだ。

「すいぶんと、お人好しだったんだな。ひどいことをしたんだから、切り捨ててしまえばいいものを」

 不思議そうな顔をしたパテマに苦笑する。パンと頬を叩いた。カリサが残してくれたものを、無駄にはできなかった。

「パテマ、この池から水路を引こう。この水が国中の畑に届くように。大工事になるぞ」

 ここは王家直轄の避暑地だが、そんなのは関係ない。ここが沈みゆく船に乗る俺たちの、唯一の希望だ。

 俺の突然の言葉にパテマはどう思ったのか、考える様子を見せて、やがて口を開いた。

「きちんと調べる必要はありますが、この池の水だけで国中を潤すのは無理です。それよりも、近くの川と繋いではいかがでしょうか?」
「川と?」
「はい。国中に水路を広げるのは、時間もお金も膨大にかかりますが、ここと川を繋げるだけなら、たいしたことはありません。そして、その川の下流から多くの水路が引かれています」

 なるほど、と俺は笑った。
 やっぱりパテマがいてくれると、頼りになる。

「せっかくの精霊の加護を得ている水が、海にも流れてしまうのは残念だが」
「いいではありませんか。水は巡り巡るのです。海も、他の国も豊かにしながら、またこの国へ戻ってきてくれますよ」
「……そうだな」

 俺は池を見る。光が当たって、輝いている。
 そうだったな、と思う。カリサとともに訪れたときも、この池はこんな風に輝いていた。

「ありがとう、カリサ。おかげで光明が見えた」
「それだけではないですよ。精霊様が、愛し子様がいなくなっても、この地に残って下さったおかげです。ありがとうございます」

 池に向かって丁寧に頭を下げたパテマの言葉に、俺は目を見開いた。チラリと俺を見て、フフッと笑うパテマに頷いた。その通りだ。カリサがいないのにも関わらず、精霊はこの地にいて下さったのだ。

「――よしっ! やるかっ!」
「まずは、この池と川を水路で繋ぐことの、陛下の説得ですか?」
「文句を言わせるものか。代案を出せと言えば、黙るに決まってる」

 別に悪人ではないが、凡庸な父だ。俺が感じている危機感を口にしたところで、「そうだな、どうしたものか」で終わる父。口出しなどさせない。

「パテマ、力を貸してくれ」
「はい」

 一縷の望みを、このまま未来へ繋げてみせる。
 その決意を、俺は固めたのだった。


*****


 それから数十年後、ネメシー王国はエーリス国王の下で、豊かな国となっていた。

 ――精霊信仰の国。

 そう呼ばれるようになったのは、国王と王妃が必ず、月に一度の精霊への祈りを欠かさないからだ。その姿を見た国の民たちも、それを真似して祈るようになっていったからだ。

 そしてその信仰が広まれば広まるほどに、ネメシー王国は豊かになっていき、その信仰は他国へも広まっていく。


 その祈りを捧げる人々の間には、焦げ茶色の髪をした女性と、魔法の使い手である男性の二人組の姿があちこちで確認されていた。
 しかし、気付けばいなくなるその二人組は、ほんの一時人々の話題に上る程度で、噂が広まることはなかったのであった。

「世界って、こんなに綺麗だったのね」
「それは何? 俺に、君の方が綺麗だって言って欲しいってこと?」
「違うわよっ!」
「あはは。――でもさ、本当に綺麗だよ。どんどん綺麗になってる気がする。他の男に盗られないか、これでも心配してるんだ」
「何を言っているのよ」

 笑って、一度言葉を切って。

「あなたのおかげで、私は世界を知ったのよ。ありがとう。――愛してるわ」

 その女性は、男性との幸せな未来をともに歩むのだった。

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