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3.再会と旅立ち
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男性の顔をマジマジと見つめる。
そう言われてみれば、確かにロフィスだ。あの頃と違って声はずいぶん低くなったけど、顔には面影がある。ということは、いきなり現れたのもここに来たのも、彼の転移魔法だ。
「……頭をぶつけてくれれば、きっとすぐに分かったわ」
「それを言うな。いつまでも未熟なままじゃないんだ」
やや憮然とした返事が返ってきた。それに私はクスッと笑う。あの頃の背丈は私と変わらなかったのに、今の彼は見上げるくらいに大きくなっている。そんな彼が転移するなり頭をぶつけていたら……それはそれで可愛いかもしれない。
「それよりも、ロフィス、どういうつもり? あんな攫うように私を連れてきて、今頃大騒ぎになっているわ。私を元いた場所に戻して頂戴」
「お断りだ。絶対に戻さないし、自分で行くと言っても絶対に許さない」
強い彼の目だ。絶対会いに行くと言った、あの強い目。成長しても変わらない、まっすぐな目。私の心を捕らえて放さなかったその目を向けられて、怯んだ。でも、このままというわけにはいかない。
「あなたが許さなくても関係ない。私は戻らないと」
「……神聖国に帰れば、君は殺される」
「え?」
「そうだろう。精霊の愛し子というのは嘘だと、データまで渡されたんだ。いくら神聖国側がそんなはずないと言ったって、データという証拠がある以上、何も言えない」
私は無言でロフィスを見上げる。彼が私以上に状況を知っていたことに驚いた。
「ハギオン神聖国の面子は丸つぶれだ。それをどうにかするためには、神聖国が自らの手で、君を殺す。そうして落とし前を付ける以外に、道はないんだよ」
「なるほどね」
笑うしかない、とはこのことかもしれない。
どうしてか、精霊の愛し子はハギオン神聖国でしか産まれない。だからこそ、ハギオン神聖国は、神聖な国としてここまで崇められていたのだ。その愛し子が実は偽物でした、など面目丸つぶれだ。
「だったら、それでしょうがないわよ。黙って受け入れて……」
「ふざけるな。それに黙っていられないから、攫ってきたんだ」
「じゃあ、どうするの。あなたが私と一緒に、この先ずっと逃亡生活をするとでも言うの?」
その体裁を保つため、ハギオン神聖国は多分諦めない。何としても探し出して殺そうとするだろう。そんな私を攫ってきたところで、ロフィスにいいことなんかない。
「そのつもりだ」
「バカ言わないで。いいから戻しなさい」
躊躇いもせずに頷いたロフィスに、私は一喝する。そんなことに彼を巻き込むつもりなんかないし、巻き込みたくない。
「なぁカリサ、精霊の愛し子は、本当に必要なのか?」
「え?」
「本当に精霊の愛し子がいないと、この世界は成り立たないのか? 精霊の加護が失われていくしかないんだろうか」
「……何を言っているの?」
当たり前のことを疑問として口にするロフィスに、私は戸惑う。
「カリサに会ってから。カリサの置かれている環境を知ってから、ずっとそう思ってた。あんな風に子どもを閉じ込めて、それでいいのかって」
「それはだって……必要なことだったから」
行くべき国を愛せるように。行った先の人を愛せるように。神聖国に間違って愛着を持ってしまわないように、必要な措置だった。それに失敗してしまった、私という事例があるのだから、決して間違ってないと思う。
「だから、それを必要だって言うのが、おかしいんだよ! 精霊の愛し子だからってさ、俺たちと何が違うんだよ!」
あの時と同じように、本気で。私のために怒ってくれている。
「まるで生け贄だって思った。ネメシー王国が豊かになるための、人柱だって。それなのに、君はそれをなんてことないように受け入れてさ。――明日出発することになったから、ってあっさり言って」
「いつかは行くって分かっていたもの。それが私にとっての当たり前なの」
少なくとも生け贄とか人柱とか、そんな風に考えたことは、一度もなかった。
でも、ロフィスは寂しそうに笑った。
「それを俺は、当たり前だなんて受け入れられなかった。何とかしたくて、でもあの頃の俺は何もできなくて。ただ『会いに行くから』って言うことしかできなかった。そんな自分が、悔しかった」
強くまっすぐ、私を見る。
「俺さ、必死に調べた。精霊の愛し子って一体何なんだって。……師匠は何か知ってる風だったのに、自分で調べろって何も教えてくれなかったから」
「……師匠?」
ロフィスの口からそんな単語が出てきたのは初めてだ。けれど、聞き返した私に、なぜか嫌そうな顔をした。
「スパルタで何考えてんだか分かんねぇ癖に、何だかあっちこっちに顔が利いて口出しして、偉い奴がへへーって頭を下げる、ワケ分かんねえ奴」
「…………?」
それはまさしく訳の分からない説明だ。
「まあ師匠はどうでもいいんだよ。で、精霊の愛し子のことを調べて、その初代っぽい奴の記述を見つけた」
「えっ!?」
それには驚いた。いつから精霊の愛し子がいるのかなど、その始まりは誰も知らない。ただ昔から存在していると言われるだけだった。
「最初は、まさに神から人への"贈り物"だったんだ」
その時代、大地は荒廃していた。水は干上がり、作物も育たない。雨が降れば洪水を起こし、しかし溜まることなく流れていってしまう。山が噴火し、火山灰が降り注ぐ。人が生きていくには、あまりにも厳しすぎる大地だった。
そこに誕生したのが、精霊の愛し子だった。
本来、そこに"在る"だけで直接的に力を使うのはできない精霊という存在。その力を人の身に入れて、精霊の力の一部を扱えるようにした。
精霊の愛し子は、大地を耕し水を溜めて、植物を育てた。火山を鎮め、風を吹かせた。人々は精霊とその愛し子に感謝をして、そしていつしか大地は豊かに実るようになっていった。
本来なら、そこで精霊の愛し子は役目を終えるはずだったのだ。
「でも人は、愛し子の力にすがった。愛し子がいなければ、作物が育たないと。だから、神はまた誕生させたんだ」
そしていつしか、精霊の愛し子がいないと精霊の加護が失われる、と言われるようになっていった。
「人は、人の力で生きていけるんだ。精霊の愛し子なんかいなくても、精霊はそこに存在するんだから。今は荒廃した時代じゃない。その力を直接使わなくても、普通に自然の力だけで生きていけるんだよ」
強い目で、ロフィスは私を見た。そして、手を差し出してきた。
「気にすることなんかないんだ。……君がこの国で幸せになれるんなら、それでいい。でもそうじゃないなら、俺は君を攫っていくと、そう決めていた。君が犠牲になる必要なんてないんだから」
「でも、私は……」
そんなことを言われても、すぐにはいそうですかと言えるはずない。……だって、この国の精霊の加護は、実際に失われつつある。
「行こうカリサ。外を、世界を見に行こう。世界には色々な場所がある。人の強さを、精霊とともに生きる人の姿を、たくさん見られる。君に見てほしいんだ」
ロフィスは手を差し出したままだ。思えば、初めて彼に会ったとき、彼は私に握手を求めていたんだろう。あの頃の私は、それさえ分からなかった。
行ってみたいと思う。私の知らない世界が、きっとあるのだろうから。見てみたいと思う。人と精霊の結びつきを。でも……。
「それでも、あなたを巻き込めない。これから一生、逃げ続ける生活を送ってもらうことなんてできない」
今はそのつもりでいても、きっと後で後悔する。あんなことを言わなければ良かったと、絶対に後悔する日が来る。そんな風に思ってほしくないし、そう思われたら私も立ち直れなくなる。
この先、私自身が素直に神聖国に戻るのか、逃げ続けるのかは分からないけど、でもどの道をとるにしても、私一人でいい。
だから手は出さない。私自身の意思でその手を拒む。
そう思ってロフィスを見たら、彼は複雑そうに笑った。
「本当はこれ言わないで、頷いてほしかったんだけど。――大丈夫、師匠が口をきいてくれるらしいから」
「え?」
「俺も具体的に何をどうするつもりなのかは知らないけど。……でもあの師匠が大丈夫って言うんだから、大丈夫なんだよ。ムカつくけど」
「……?」
相変わらず、師匠の話はよく分からない。
「カリサ、疑問に思ったことはない? いつも俺が転移であの場所へ行くとき、他の誰もいない時だっただろ?」
「……え、ええ」
まだ神聖国にいた時の話だろう。私以外の誰かがいる時間なんて、限られた時間だったけど、でも毎日のようにその時間はあった。結局、そういう時に来ることは一度もなかったのだけど。
「師匠がさ、教えてくれてたんだよ。人がいる時間。だから、その時間を避けて行っていた」
「ええっ!?」
「初めての時はただの偶然だけど。っていうか、初めてカリサに会って、師匠のところに戻ったら、精霊の愛し子に会ったことがすぐにバレた。バレた上で面白がって、また会いに行けって言った。師匠はそんな人だ」
転移するとき、私のところへ来るときに成功していたのは、絶対師匠が何かしてたからだ、とか。精霊の愛し子に接触するのは最低限の人だけって決まりがあるとか、俺知らなかったし、とか。ロフィスは愚痴のようにブチブチ言ったけれど。
つまり、そのお師匠様はすべてを分かった上で、それでもロフィスが私のところにくるのを黙認……というか、むしろ推奨していた、ということ?
「……どういう方なのかしら」
「だから言っただろ。ワケ分からん人だ」
「……そんな気がするわね」
その説明が一番シックリくる気がしてきたんだから、不思議なものだ。
「それでカリサ、俺と一緒に来てくれるか?」
再び出された手を見る。顔を見て、私は決心した。
「行く。行ってみたい」
「よし、決まりだ」
手を繋いで、彼の笑顔に私も笑う。その瞬間。
――ザバッと池の水が大きく波打って、私たちに降りかかった。
「…………」
「もうっ、だからっ!」
またも精霊に出された"ちょっかい"に、私は文句を付けた。あの時よりもずぶ濡れだ。夏だからいいっていう話でもない。ロフィスは、驚いたようで何度も瞬きしている。
「すごいな精霊。ガキの時ならともかく、今の俺が何もできずに水を被るなんてさ」
それはどう判断したらいいんだろうか。ロフィスは魔法の使い手としてそんなに優秀なんだろうか。いや、それよりも精霊がやったことだと、すぐ気付いたことがすごい。
同じように水を被ったあの時のエーリスは、どう思ったんだろうか。「すごく綺麗だ」と、優しい目で言ってくれたエーリスは……。
池を見る。そこには精霊の強い力がある。いつか、この力も弱まってしまうんだろうか。
「お願いが、あるの」
「カリサ?」
池の畔ギリギリまで足を進める。そこに確かに存在する精霊に語りかける。
「私はこの国を去るわ。多分もう戻ってこない。でももし……エーリスが求めたのなら、力を貸してあげてほしい。あの人が愛するこの国が、実り豊かになるように」
あの夏の日、私は確かにあの人に恋をした。あの時のあの人の言葉は、決して嘘なんかじゃなかったと思うから。
そして本当に、人は人の力だけで生きていけるなら。愛し子の力がなくても、自然と共に生きていけるなら、それを見てみたい。潤ったこの国を、見てみたいと思う。
ピチャン、と水が跳ねた。私の言葉の返答のように。それが了承の意味だと、私が疑う理由はなかった。
「ありがとう」
そう答えて、そしてロフィスをふり返れば、何だかすごく複雑そうな顔をしていた。
「どうしたの?」
「君が未だにあの男に気持ちを残していることが腹立たしい」
「そんなことを言われても……私の初めての恋だもの」
そんな簡単に忘れることなんて、できるわけがない。でも私の言葉に、彼の表情ははっきりとムッとした。
「俺のことはどう思ってたんだよ?」
「え? えーと……友だち、というのかしら?」
エーリスとは違う。恋ではないけれど、それでも大切な人。きっと、そういう人を友だちと呼ぶのだろう、と思って言ってみたけれど、彼の顔はますます不機嫌になる。その不機嫌な顔のまま、私の左手を取った。
「俺の初めての恋は、カリサだからな。そして、それは今も進行中」
「――えっ!?」
「その驚きっぷり、腹立つなぁ」
そしてそのまま左手の甲に口づけられた。エーリスにもされたことがないそれに、私の心臓が跳ね上がった気がした。
「でもまぁ、俺と一緒に来てくれるなら、口説く時間はたくさんあるから」
"くどく"とは何かしら、と疑問を浮かべる私に、彼はニッと笑った。子どもの頃のように。そして、手を引かれた。
「行こう、カリサ。世界を見に」
「ええ」
躊躇うことなく返事をして、自分の足で外の世界へと、一歩踏み出したのだった。
そう言われてみれば、確かにロフィスだ。あの頃と違って声はずいぶん低くなったけど、顔には面影がある。ということは、いきなり現れたのもここに来たのも、彼の転移魔法だ。
「……頭をぶつけてくれれば、きっとすぐに分かったわ」
「それを言うな。いつまでも未熟なままじゃないんだ」
やや憮然とした返事が返ってきた。それに私はクスッと笑う。あの頃の背丈は私と変わらなかったのに、今の彼は見上げるくらいに大きくなっている。そんな彼が転移するなり頭をぶつけていたら……それはそれで可愛いかもしれない。
「それよりも、ロフィス、どういうつもり? あんな攫うように私を連れてきて、今頃大騒ぎになっているわ。私を元いた場所に戻して頂戴」
「お断りだ。絶対に戻さないし、自分で行くと言っても絶対に許さない」
強い彼の目だ。絶対会いに行くと言った、あの強い目。成長しても変わらない、まっすぐな目。私の心を捕らえて放さなかったその目を向けられて、怯んだ。でも、このままというわけにはいかない。
「あなたが許さなくても関係ない。私は戻らないと」
「……神聖国に帰れば、君は殺される」
「え?」
「そうだろう。精霊の愛し子というのは嘘だと、データまで渡されたんだ。いくら神聖国側がそんなはずないと言ったって、データという証拠がある以上、何も言えない」
私は無言でロフィスを見上げる。彼が私以上に状況を知っていたことに驚いた。
「ハギオン神聖国の面子は丸つぶれだ。それをどうにかするためには、神聖国が自らの手で、君を殺す。そうして落とし前を付ける以外に、道はないんだよ」
「なるほどね」
笑うしかない、とはこのことかもしれない。
どうしてか、精霊の愛し子はハギオン神聖国でしか産まれない。だからこそ、ハギオン神聖国は、神聖な国としてここまで崇められていたのだ。その愛し子が実は偽物でした、など面目丸つぶれだ。
「だったら、それでしょうがないわよ。黙って受け入れて……」
「ふざけるな。それに黙っていられないから、攫ってきたんだ」
「じゃあ、どうするの。あなたが私と一緒に、この先ずっと逃亡生活をするとでも言うの?」
その体裁を保つため、ハギオン神聖国は多分諦めない。何としても探し出して殺そうとするだろう。そんな私を攫ってきたところで、ロフィスにいいことなんかない。
「そのつもりだ」
「バカ言わないで。いいから戻しなさい」
躊躇いもせずに頷いたロフィスに、私は一喝する。そんなことに彼を巻き込むつもりなんかないし、巻き込みたくない。
「なぁカリサ、精霊の愛し子は、本当に必要なのか?」
「え?」
「本当に精霊の愛し子がいないと、この世界は成り立たないのか? 精霊の加護が失われていくしかないんだろうか」
「……何を言っているの?」
当たり前のことを疑問として口にするロフィスに、私は戸惑う。
「カリサに会ってから。カリサの置かれている環境を知ってから、ずっとそう思ってた。あんな風に子どもを閉じ込めて、それでいいのかって」
「それはだって……必要なことだったから」
行くべき国を愛せるように。行った先の人を愛せるように。神聖国に間違って愛着を持ってしまわないように、必要な措置だった。それに失敗してしまった、私という事例があるのだから、決して間違ってないと思う。
「だから、それを必要だって言うのが、おかしいんだよ! 精霊の愛し子だからってさ、俺たちと何が違うんだよ!」
あの時と同じように、本気で。私のために怒ってくれている。
「まるで生け贄だって思った。ネメシー王国が豊かになるための、人柱だって。それなのに、君はそれをなんてことないように受け入れてさ。――明日出発することになったから、ってあっさり言って」
「いつかは行くって分かっていたもの。それが私にとっての当たり前なの」
少なくとも生け贄とか人柱とか、そんな風に考えたことは、一度もなかった。
でも、ロフィスは寂しそうに笑った。
「それを俺は、当たり前だなんて受け入れられなかった。何とかしたくて、でもあの頃の俺は何もできなくて。ただ『会いに行くから』って言うことしかできなかった。そんな自分が、悔しかった」
強くまっすぐ、私を見る。
「俺さ、必死に調べた。精霊の愛し子って一体何なんだって。……師匠は何か知ってる風だったのに、自分で調べろって何も教えてくれなかったから」
「……師匠?」
ロフィスの口からそんな単語が出てきたのは初めてだ。けれど、聞き返した私に、なぜか嫌そうな顔をした。
「スパルタで何考えてんだか分かんねぇ癖に、何だかあっちこっちに顔が利いて口出しして、偉い奴がへへーって頭を下げる、ワケ分かんねえ奴」
「…………?」
それはまさしく訳の分からない説明だ。
「まあ師匠はどうでもいいんだよ。で、精霊の愛し子のことを調べて、その初代っぽい奴の記述を見つけた」
「えっ!?」
それには驚いた。いつから精霊の愛し子がいるのかなど、その始まりは誰も知らない。ただ昔から存在していると言われるだけだった。
「最初は、まさに神から人への"贈り物"だったんだ」
その時代、大地は荒廃していた。水は干上がり、作物も育たない。雨が降れば洪水を起こし、しかし溜まることなく流れていってしまう。山が噴火し、火山灰が降り注ぐ。人が生きていくには、あまりにも厳しすぎる大地だった。
そこに誕生したのが、精霊の愛し子だった。
本来、そこに"在る"だけで直接的に力を使うのはできない精霊という存在。その力を人の身に入れて、精霊の力の一部を扱えるようにした。
精霊の愛し子は、大地を耕し水を溜めて、植物を育てた。火山を鎮め、風を吹かせた。人々は精霊とその愛し子に感謝をして、そしていつしか大地は豊かに実るようになっていった。
本来なら、そこで精霊の愛し子は役目を終えるはずだったのだ。
「でも人は、愛し子の力にすがった。愛し子がいなければ、作物が育たないと。だから、神はまた誕生させたんだ」
そしていつしか、精霊の愛し子がいないと精霊の加護が失われる、と言われるようになっていった。
「人は、人の力で生きていけるんだ。精霊の愛し子なんかいなくても、精霊はそこに存在するんだから。今は荒廃した時代じゃない。その力を直接使わなくても、普通に自然の力だけで生きていけるんだよ」
強い目で、ロフィスは私を見た。そして、手を差し出してきた。
「気にすることなんかないんだ。……君がこの国で幸せになれるんなら、それでいい。でもそうじゃないなら、俺は君を攫っていくと、そう決めていた。君が犠牲になる必要なんてないんだから」
「でも、私は……」
そんなことを言われても、すぐにはいそうですかと言えるはずない。……だって、この国の精霊の加護は、実際に失われつつある。
「行こうカリサ。外を、世界を見に行こう。世界には色々な場所がある。人の強さを、精霊とともに生きる人の姿を、たくさん見られる。君に見てほしいんだ」
ロフィスは手を差し出したままだ。思えば、初めて彼に会ったとき、彼は私に握手を求めていたんだろう。あの頃の私は、それさえ分からなかった。
行ってみたいと思う。私の知らない世界が、きっとあるのだろうから。見てみたいと思う。人と精霊の結びつきを。でも……。
「それでも、あなたを巻き込めない。これから一生、逃げ続ける生活を送ってもらうことなんてできない」
今はそのつもりでいても、きっと後で後悔する。あんなことを言わなければ良かったと、絶対に後悔する日が来る。そんな風に思ってほしくないし、そう思われたら私も立ち直れなくなる。
この先、私自身が素直に神聖国に戻るのか、逃げ続けるのかは分からないけど、でもどの道をとるにしても、私一人でいい。
だから手は出さない。私自身の意思でその手を拒む。
そう思ってロフィスを見たら、彼は複雑そうに笑った。
「本当はこれ言わないで、頷いてほしかったんだけど。――大丈夫、師匠が口をきいてくれるらしいから」
「え?」
「俺も具体的に何をどうするつもりなのかは知らないけど。……でもあの師匠が大丈夫って言うんだから、大丈夫なんだよ。ムカつくけど」
「……?」
相変わらず、師匠の話はよく分からない。
「カリサ、疑問に思ったことはない? いつも俺が転移であの場所へ行くとき、他の誰もいない時だっただろ?」
「……え、ええ」
まだ神聖国にいた時の話だろう。私以外の誰かがいる時間なんて、限られた時間だったけど、でも毎日のようにその時間はあった。結局、そういう時に来ることは一度もなかったのだけど。
「師匠がさ、教えてくれてたんだよ。人がいる時間。だから、その時間を避けて行っていた」
「ええっ!?」
「初めての時はただの偶然だけど。っていうか、初めてカリサに会って、師匠のところに戻ったら、精霊の愛し子に会ったことがすぐにバレた。バレた上で面白がって、また会いに行けって言った。師匠はそんな人だ」
転移するとき、私のところへ来るときに成功していたのは、絶対師匠が何かしてたからだ、とか。精霊の愛し子に接触するのは最低限の人だけって決まりがあるとか、俺知らなかったし、とか。ロフィスは愚痴のようにブチブチ言ったけれど。
つまり、そのお師匠様はすべてを分かった上で、それでもロフィスが私のところにくるのを黙認……というか、むしろ推奨していた、ということ?
「……どういう方なのかしら」
「だから言っただろ。ワケ分からん人だ」
「……そんな気がするわね」
その説明が一番シックリくる気がしてきたんだから、不思議なものだ。
「それでカリサ、俺と一緒に来てくれるか?」
再び出された手を見る。顔を見て、私は決心した。
「行く。行ってみたい」
「よし、決まりだ」
手を繋いで、彼の笑顔に私も笑う。その瞬間。
――ザバッと池の水が大きく波打って、私たちに降りかかった。
「…………」
「もうっ、だからっ!」
またも精霊に出された"ちょっかい"に、私は文句を付けた。あの時よりもずぶ濡れだ。夏だからいいっていう話でもない。ロフィスは、驚いたようで何度も瞬きしている。
「すごいな精霊。ガキの時ならともかく、今の俺が何もできずに水を被るなんてさ」
それはどう判断したらいいんだろうか。ロフィスは魔法の使い手としてそんなに優秀なんだろうか。いや、それよりも精霊がやったことだと、すぐ気付いたことがすごい。
同じように水を被ったあの時のエーリスは、どう思ったんだろうか。「すごく綺麗だ」と、優しい目で言ってくれたエーリスは……。
池を見る。そこには精霊の強い力がある。いつか、この力も弱まってしまうんだろうか。
「お願いが、あるの」
「カリサ?」
池の畔ギリギリまで足を進める。そこに確かに存在する精霊に語りかける。
「私はこの国を去るわ。多分もう戻ってこない。でももし……エーリスが求めたのなら、力を貸してあげてほしい。あの人が愛するこの国が、実り豊かになるように」
あの夏の日、私は確かにあの人に恋をした。あの時のあの人の言葉は、決して嘘なんかじゃなかったと思うから。
そして本当に、人は人の力だけで生きていけるなら。愛し子の力がなくても、自然と共に生きていけるなら、それを見てみたい。潤ったこの国を、見てみたいと思う。
ピチャン、と水が跳ねた。私の言葉の返答のように。それが了承の意味だと、私が疑う理由はなかった。
「ありがとう」
そう答えて、そしてロフィスをふり返れば、何だかすごく複雑そうな顔をしていた。
「どうしたの?」
「君が未だにあの男に気持ちを残していることが腹立たしい」
「そんなことを言われても……私の初めての恋だもの」
そんな簡単に忘れることなんて、できるわけがない。でも私の言葉に、彼の表情ははっきりとムッとした。
「俺のことはどう思ってたんだよ?」
「え? えーと……友だち、というのかしら?」
エーリスとは違う。恋ではないけれど、それでも大切な人。きっと、そういう人を友だちと呼ぶのだろう、と思って言ってみたけれど、彼の顔はますます不機嫌になる。その不機嫌な顔のまま、私の左手を取った。
「俺の初めての恋は、カリサだからな。そして、それは今も進行中」
「――えっ!?」
「その驚きっぷり、腹立つなぁ」
そしてそのまま左手の甲に口づけられた。エーリスにもされたことがないそれに、私の心臓が跳ね上がった気がした。
「でもまぁ、俺と一緒に来てくれるなら、口説く時間はたくさんあるから」
"くどく"とは何かしら、と疑問を浮かべる私に、彼はニッと笑った。子どもの頃のように。そして、手を引かれた。
「行こう、カリサ。世界を見に」
「ええ」
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