あの夏の日、私は確かに恋をした

田尾風香

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2.二週間後

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 私は目をあけた。見えた天井に見覚えがある。王城の客間。私が王城に泊まるときに使っていた部屋だ。

 周囲を見回すと、確かに私の部屋だ。他には誰もいない。
 なぜ私は寝ていたんだろうと思って、あの時目の前が暗くなったことを思い出す。もしかしてなくても倒れたんだ、と思い当たる。

 ベッドから起き上がったら、頭がクラッとした。それを無視してベッドから立ち上がろうとすると、足が崩れ落ちた。これは思った以上に寝ていたんだろうか。

 呼び鈴のようなものも見当たらないので、四つん這いで動けば何とか動けた。状況も何も分からないから、とりあえず外に出てみるしかない。

 廊下に繋がるドアにたどり着いて、それに掴まって立ちつつ開ければ、そこには兵士が二名いた。私を見て驚いた顔をした後、一人が口を開いた。

「気が付いたのか。悪いが、あんたを部屋からは出せない。戻ってくれ」

 今までは「精霊の愛し子様」と丁寧に頭を下げて敬語を崩さなかった兵士が、上から命令するかのような物言いをしてきたことに、私は目を伏せる。そのまま言われたとおりに、部屋へ戻った。

 私が精霊の愛し子ではないというのが、この国の真実とされたんだろう。愛し子を騙った罪人として扱われているんだろうか。

「だったら、牢屋にでも入れればいいのに。この部屋での軟禁だけで済ませる気かしら」

 中途半端なエーリスの優しさが辛い。冷たい地下牢にでも入れられれば、いっそ諦められるのに。

 窓から外を見る。天気はいい。穏やかな天気だ。

 あの時、私の感情に反応した精霊が、その感情に応じるようにこの国に災害を起こそうとしたのを感じた。それを私は抑え込んだ。必死に、そうじゃないと、そんなことを望んでいるわけじゃないと、抑え込んだ。

 私が倒れてしまったのは、その反動だ。

 穏やかな天気だ。夏の強い日差しが、降り注いでいる。それを見ながら、私の心に浮かぶのは、ロフィスのことだ。

『ええっ!? カリサ、この建物から出たことないのっ!?』

 何度目か、会った時にそう驚かれたことがある。

 転移して帰る彼は、また何度も転移して私の所へ来た。その都度、頭をぶつけていたけれど。どうも、私の精霊の力が目印になるらしくて、転移しやすいらしい。他の場所へ行こうとしても成功しないのに、私のところへ来て帰るときだけは、転移が成功するらしい。

 精霊が何かしてるのかなぁ、とぼやいた彼に、転移という一体どんな自然の力が作用するのか謎な現象に、精霊が干渉できるとも思えないと答えた。彼はそれでもイマイチ納得いかない顔をしていた。

 その話は、彼に「暑くないの?」と聞かれた時だ。
 いつも私は長袖だった。それに疑問を持ったらしく、「夏なのに、暑くないのか」と言ったのだ。

『夏……って確か、一年で一番暑い季節のこと、だったよね?』
『そうだけど……なにその、全く知りません的な返事』
『だって、この建物の中は、ずっと同じだから』

 で、彼の驚きの叫びに繋がった。

 それから、彼は一生懸命に私に教えてくれた。
 春は色とりどりの花がたくさん咲いて、一番綺麗な時期。夏は暑いけど、濃い緑が青空に映える。秋になると、赤や黄色に地面が染まる。冬は葉っぱも何もかも落ちて少し寂しい、でも雪が降るとすごく幻想的な光景が広がる。

 それらのことは、私も書物を読んで知っていた。知っていたはずなのに、まるで初めて聞いたような、彼の言葉にまるでその情景が浮かぶような、不思議な感覚に襲われたのだ。


 ――コンコン

 ロフィスのことを思い出していた私は、そのノックの音に現実に戻る。はい、と返事をすると、入ってきたのはパテマだった。

「カリサ様、お加減はいかがでしょうか」

 先ほどの兵士とは違って、あくまでも丁寧な態度のままのパテマを、私は無言のまま見つめる。

「……何か?」
「いえ、あなたが私の名前を呼んだのは、初めてじゃないかと思っただけ」
「…………っ……」

 パテマは一瞬動揺を示した、ように見えたけど、すぐ見慣れた無表情に戻る。

「……今のあなたは、精霊の愛し子様ではありませんので」
「そうね。そういうことにしておく。それで、何の要件? 嘘をついた大罪人の、処刑日でも決まった?」
「処刑など、致しません!」

 私の投げやりな言葉に、パテマは強い口調で言い返してきた。こんな口調も初めてだと思いながら、続きを促すように彼女を見つめる。

「あなたが精霊の愛し子だというのは、ハギオン神聖国が言ったことであって、あなたが自分で名乗れることではありません。ですので、国王陛下が神聖国へ掛け合い、あなたをあちらへ返すことになりました。前例がないそうで、先方もかなり慌てていたようですが」

「まあそうでしょうね」

 送り出した精霊の愛し子が、「違うじゃないか、嘘つきやがって」と言われて送り返されるような事態など、そうそうないだろう。
 それにしても、すでに神聖国と話し合いをして、返すことが決まったということは、やはりそれなりに日数が経っているんだろう。そんな話を、一日やそこらでできるはずがない。

「私、どのくらい寝ていたの?」
「二週間ほどです」
「……そう」

 まあそんなものかと思う。そしてきっと目が覚めなかったら、覚めないままに返されていたはずだ。

「カリサ様、何か言い訳もないのですか?」
「言い訳?」
「カリサ様ご自身は、自分が精霊の愛し子であることを疑っていなかったのでしょう? ですから、嘘と断じられて何か言うことはないのですか?」
「…………」

 私は苦笑した。それ以外にどうしていいか分からない。疑っていないも何も、私は自分が精霊の愛し子だと知っている。それ以上、何を言えというのか。

「……そうね、あえて言うなら、エーリスが私を嘘と言った。それが全て」

 あの夏の日、私はエーリスに恋をした。でも、それ以上恋は育っていかなかった。

 エーリスは、自分が国王になるため、いい国王になるために勉強に忙しかったから。そして、精霊の愛し子の私が来たことで、国がどう変わっていくのかを見たいと、そのデータの収集にも奔走していた。

 あれ以降、私と二人で話をしてくれることはなかった。話をするときは、いつも違う誰かがいた。私自身を見て、私と話をしてくれることはなくて。私の話をするときの話はいつも、精霊の愛し子についての話だった。

 エーリスに恋をした。ただ、恋をしたという、事実だけが残った。
 そして、いつまでたっても、私の心からロフィスの存在が消えてくれることもなかった。

 幼い頃、私が最低限の人と最低限の時間しか接触がなかった、その理由が分かる。
 心が向かない。他に温かい思い出があると、どうしてもこの国に、エーリスに、心を寄せられない。

 精霊の愛し子は、精霊に愛されている子どもだ。愛している子どものため、精霊はその力を使う。この国を愛すことができれば、精霊はこの国のために力を使ってくれただろうに、私の心は別のところへ向かってしまっている。
 私が来ても、作物の収穫量が増えないのは、そのせいだ。

 ああでも、それをロフィスは怒ってくれたのだ。

『何だよそれ、おかしいだろ! カリサだって、同じじゃないか! 俺と何にも変わらない人間なのに! なんで外を知っちゃいけないんだよ! 誰にも大切にしてもらえないって、さみしいじゃんか!』

 これを言われたときは、そんなことないって思ったけど。私が精霊の愛し子という役目をしっかり果たせるように、周囲の人たちが気遣ってくれているんだと、そう思ったけど。
 今思うと、彼の言葉こそが本当に私を想って言ってくれた言葉なんだと、そう思う。

 パテマの、何かを聞きたそうな顔を無視してベッドに横になれば、彼女は何も言ってこなかった。


*****


 私が、ハギオン神聖国へ帰る日は、その翌日だった。

 用意された馬車を見ても、特に文句はなかった。精霊の愛し子と呼ばれていた頃には考えられない古い馬車だけど、別に構わない。

 そこにいたのはパテマだ。エーリスが顔を出すことはなかった。そのことに、ホッとしつつも少し寂しさを感じてしまう私は、バカだなぁと思う。

「お気を付けて、お帰り下さいませ」
「ええ。……あなたもエーリスも、これから大変だろうけど頑張ってね」

 いくら私の心がロフィスに向いていたからといっても、エーリスに向ける気持ちもあったし、私がこの国にいた効果がゼロだったはずがない。この国からいなくなれば……いや、もしかしたらすでにもう、精霊の加護はなくなっているかもしれない。

 これから二人は、この国の人たちは、その事実に直面することになるのだから。

「どういうことでしょうか」
「さよなら」

 パテマの疑問に何も答えず、私は馬車に足をかける。幸い、一日で歩けるようになったから、強引に運ばれる事態にはならなかった。自分の足で乗り込もうとしたとき、だった。

「見つけた、カリサ」

 聞き覚えのない、低い男の人の声。見覚えのないようで、どこかで見たことがあるような男の人が、私の隣にいた。

「え?」
「行くよ、掴まって」

 そう言われたと思ったら、その人の腕が私の腰に回る。抵抗する間もなかった。そして気づけば目に映る光景が、全く違うものになっていた。

「ここは……」

 避暑地だ。王家の方々の避暑地。あの日一度だけ、エーリスに連れられて来た、あの避暑地。あの時の池の畔に、私はいた。
 一体なぜ。なぜ、私はいきなりこんなところに来ているのか。あの男性は、一体……?

「カリサ、ごめん。俺もこの国、そんなによく分からなくてさ。いきなり二人で遠くに飛ぶのは不安だったから。とりあえず、精霊の力が濃く残ってるここに飛んだんだけど」
「………!」

 あの男性だ。いきなり現れた、あの男性。この人が王宮の前から、ここまで連れてきたということなんだろうか。

「あなたは誰? 私を知っているの? どうやって、なぜ私をここまで連れてきたの?」
「…………」

 厳しく、矢継ぎ早に質問を投げかければ、その男性は大きくため息をついた。

「そんなに俺変わったかなぁ。俺はすぐカリサだって分かったのに、ひどくない? 絶対会いに行くって、言ったのに」
「――ロフィス!?」

 考えるよりも早く、口から名前が出た。
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