あの夏の日、私は確かに恋をした

田尾風香

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1.始まりと出会い

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 それは、夏の祭礼の終盤。一通りの儀式を終えて、王城のパーティー会場でごちそうが振る舞われているときだった。

「カリサ・ハギオン! お前との婚約を破棄する!」
「え」

 そう言ったのは、ネメシー王国の王子である、エーリス。私の婚約者だ。
 突然のその宣言に、私は驚くことさえできない。それぞれが穏やかに歓談していたパーティー会場がざわついて、視線が集まるのを感じた。

 それでようやく、私は言われた内容を理解する。

「なぜ、ですか……?」

 理解しても全く意味は分からなくて、呆然と聞き返した。それに対して、エーリスはフンッと鼻で笑った。

「お前が、精霊の加護を得ていることが嘘だからだ。そうである以上、お前と結婚する意味が、どこにある?」
「う、うそなんかじゃ……」
「違うというのか?」

 言い返そうとした私の言葉は、エーリスの冷たい言葉に遮られて、私はそれ以上何も言えなくなった。

「お前がこの国に来てから、五年が過ぎた。だというのに、我が国の作物の収穫量に変わりは見られない。"精霊の愛し子"のお前がいれば、その加護で国は豊かになるのではなかったのか?」

「それ、は……」

 言い返そうとして、言葉が出ない。


 この世界の中心にある「ハギオン神聖国」では、"精霊の愛し子"と呼ばれる人間が、時々生まれ落ちる。

 精霊とは、自然に宿る大いなる意思、神にも近しいとされている存在だ。そして"精霊の愛し子"は、その名の通りに神である精霊に愛された子どもだ。愛し子がいる国は、その大いなる意思の力によって、豊かに栄えると言われている。

 私は、十歳の時にハギオン神聖国からこのネメシー王国に来た。先代の精霊の愛し子が亡くなって百年あまり経ち、この国の精霊の加護が薄くなっていたからだ。

 そして、王子であるエーリスと婚約が結ばれた。愛し子の加護の力が国全体に行き渡ることを願って、それが慣習だそうだ。
 だから、私とエーリスの婚約は、政略的なもの。分かっている。そんなこと、分かっているけど、それでも。

「それでも、私は精霊の愛し子です。エーリス、どうか信じてほしいの」
「信じろというなら、今すぐそれだけの力を見せろ。できないだろう」
「…………」

 私はうつむいた。手を握るだけで、何もできない。そんな私を、またエーリスが鼻で笑った。

「フン、やはりな。お前との婚約は破棄だ。代わりに、皆の者も聞け! 私はパテマと新たに婚約を結ぶものとする!」
「…………!」

 エーリスの隣に、気付けばパテマがいた。そして、会場から歓声があがる。

 パテマは、私がこの国に来てからずっと、お世話になっていた公爵家のご令嬢だ。才色兼備、という言葉がよく似合うご令嬢。私がいなければ、彼女がエーリスと婚約していたはずだ、と何度も聞いた。

 お似合いだと思う。エーリスとパテマが並ぶと、まるで素晴しい絵画のようにも見える。それに対して、私は決して綺麗でも可愛いわけでもない。髪の色だって、焦げ茶のような映えない色。金髪の二人といると、ひどくくすんで見える。そんなことは分かってるけど。

「なんで……」

 そうつぶやく言葉は、他の誰の耳にも届かない。
 一緒の家にいたって、パテマと仲が良かったわけじゃない。誰も私と仲良くしようとしなかった。誰もが一線を引いて私と接していた。"精霊の愛し子"は特別な存在なのだから、と。

「だから、嬉しかったのに……」

 十歳の時に、この国に来た。馴染めなくて、辛かった。
 そんなある夏の日、エーリスが連れ出してくれた。王家の方々が行かれるという、避暑地へ。

 その中でも、エーリスが一番のお気に入りだという池の畔で、彼が言ってくれたのだ。

『俺はいつかこの国の王になる。だから"精霊の愛し子"のお前と一緒に、この国を豊かにしていきたいと、ずっとそう思っていた。お前がこの国に来るのを、楽しみにしていたんだ』

 楽しみにしていた、という言葉に、私は驚いてエーリスを見た。誰も、私を歓迎する言葉を言ってくれなかったから。

『まだお前と将来結婚するという実感はないが、どうせ結婚するなら仲良くなりたい。お前のことを、好きになりたいと、そう思うんだ。だからさ、いつかお前も、俺のことを好きになってくれると、嬉しい』

 笑って私を見るエーリスを、私も見返した。その時。

 ――風が、ざぁっと吹いた。私の髪を、そして池の水を巻き上げて、私たちに降りかかった。

 初めてだったけど、分かった。イタズラなのかお祝いなのか分からないけど、時に精霊はこうして愛し子に"ちょっかい"をかけるらしい。

 ビショビショになるほどではなかったけれど、それでも頭から水を被ってしまった。夏だからたいしたことはないかもしれないけど、それでも何するのと思った。でもまずは、エーリスに謝らなければ、と思って見たら、なぜか呆然と私を見ていた。

『びっくりした。……今のお前、すごく綺麗だ』
『え?』

 すごく優しい目で、そんなことを言うものだから。
 ――きっとこの時、私はエーリスに恋をした。

 このままこの国を愛していける。エーリスを愛して愛されて、この国で生きていけると、確かにそう思った。

『会いに行くから! 絶対、会いに行くから!』

 ハギオン神聖国を出発する前の日の、強いの目を思い出すこともきっと無くなると、そう思っていたのに。

「あなたは、他の人を選ぶというの……?」

 その小さなつぶやきは、エーリスには届かない。パテマと寄り添って、多くの人から歓声を受けている、あなたには。

 心がざわつく。愛しさが、寂しさが、悲しさが、ざわめく。――その瞬間、精霊がどよめいたのを、感じた。

「――だめっ!」

 叫んだ。絶叫した。お願いだから、何もしないでくれと。恋したあの人を、あの人の愛する国を害さないでほしいと。

 悪いのは、私だから。
 私が、を忘れられないせいだから。だから……。


 ――プツン、と何かが切れた気がした。目の前が暗くなった。目をあけていられなくて、意識が遠ざかるのを感じた。


*****


 私が彼に会えたのは、きっと奇跡だろう。精霊の愛し子は、最低限の人としか接しないし、接する時間も最低限だ。外の国へ行くことが決まっている愛し子が、下手にこの国や人を愛してしまわないための、決まり事だそうだ。

 父親も母親もいるのだろうけど、どんな人なのか知らない。当然、会ったことなんかない。"愛情"と呼ばれるものが、どんなものなのかも分からない。聞いたら、「外の国へ行ったら愛してもらえます」とだけ教えられた。

 そんな私の前に、突然は現れた。

「い、てて……」

 何もない所から突然姿を現したと思ったら、そのまま床に頭をぶつけて、手でさすっている男の子。初めて会う人だ。今まで私が会ったことがある人はみんな大きいけど、この人は私の同じくらいの大きさしかない。

 一体何が起こったのか分からなくて、ただ凝視していたら、当然だけど彼は私の存在に気付いた。

「うおっ!? 人がいたのかっ!」

 大げさなくらいに、驚いた彼は、周囲を見回す。

「君一人?」
「……うん」
「そっかそっか。じゃあ頼みがあるんだけどさ、見たこと誰にも言わないで」
「……見たこと」

 オウム返しに繰り返す。私が、見たこと。

「何もないところから、突然出てきたこと?」
「それは転移の魔法の練習してただけだからいいんだ! むしろ、魔法に成功したって宣伝して! そっちじゃなくて」
「頭をぶってたこと?」
「……そ、そうだ」

 その彼は顔を逸らせた。それが"気まずそうだった"とは後になってから思ったことで、この時はよく分からなかったけど、私は頷いた。

「分かった」
「おうっ! ありがとな!」

 そう言って彼は笑った。人の笑顔なんてほとんど見たことがなかった私は、すごく驚いた。

「俺はロフィスって言うんだ。君は?」

 ロフィスが名前だと気付くまで、少し時間がかかった。考えてみれば、私は自分をお世話してくれる人の名前も知らないのだ。

「名前、なんて言うんだ?」

 私が答えないからか、ロフィスはもう一度聞いてきた。言っていいのかなと思いながらも、答えないという選択肢は、頭に浮かびもしなかった。

「……カリサ」
「そっか、カリサか! よろしくな!」

 ロフィスは右手を差し出した。けれど、その手の意味するところが分からなくて、首を傾げる。すると、彼は無言で右手を洋服でゴシゴシして、もう一度差し出した。でもやっぱり分からない。

「……ゴメン」

 なぜか彼は謝って、手を引っ込めた。この謝罪の意味も、全く分からなかった。彼の表情に、私の方が悪いことをしてしまった気になった。でも、次の瞬間、彼は「そうだ!」と大声で叫んでいた。

「なぁカリサ、ここ、どこだ? 建物の中だよな? 俺、外に転移するはずだったんだ。っていうかさ、中に転移するってメッチャ難しいはずなのにさ。ここどこだ? っていうか、カリサも魔力がおおい……って……あれ、ちがう……?」

 言いながら、ロフィスの顔はだんだん青ざめていった。何なのか分からないけど、分かるところがあったから頷いた。

「うん、私は魔力ってないと思う」

 魔法と呼ばれるものがあるのは知っているけど、私は使えない。どうしてか知らないけど、魔法を使うための魔力と、精霊の加護というのは、反発してしまうらしいから。

「……これ、もしかして、精霊の力? もしかして、カリサって」
「うん、精霊の愛し子って呼ばれてる」
「マジかよーっ!」

 そう叫んだけど、幸いにも私以外誰もいなかったから、他の誰にも聞かれずに済んだ。
 これが、私とロフィスの最初の出会いだった。
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