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ハッピーエンドはすぐ目の前
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「姫様、おはようございます」
「おはよう……」
王女のアリスは侍女に声をかけられて、大きく欠伸をしながら起き上がる。そして、一つ大きく深呼吸すれば、寝ぼけ眼はなくなった。
「ねぇ、ライアンはいるかしら?」
自らの護衛騎士の名前を出すと、侍女は微笑ましそうに笑った。
「ええ、扉の外におりますよ」
「呼んでちょうだい」
「着替えましたら、呼びましょう」
「…………あ」
アリスの顔が赤くなった。今の自分は夜着姿なのだ。この格好で、ライアンの前に出るわけにはいかない。
「それとも姫様、ライアン様に襲われたいのでしたら、もっと薄い夜着に着替えましょうか?」
「そんなこと、言ってないっ!」
侍女の、からかいの含んだ言葉に、アリスは絶叫したのだった。
※ ※ ※
「お呼びと伺い、ライアン参りました」
アリスの着替えが終わり、朝食を食べ始めた時点でライアンを呼ぶ。
いつでもどこでも堅苦しいこの男は、それを証明するかのような、片膝をついたキッチリした礼をする。
「ライアン、朝食は食べた?」
「は。無論でございます」
「……あ、そう」
アリスの渾身の誘いだったが、あっさり振られた。不満そうに唇を尖らせたが、膝をついてうつむいているライアンは気付かない。
「ライアン、まだ食べられるわよね?」
「は?」
驚いて顔を上げたライアンに、アリスは満足そうに笑った。
「食事、たくさんあって食べきれないから。あなたも一緒に食べてちょうだい」
向かい側の椅子を指し示すと、ライアンは笑えるくらいの動揺を示した。堅苦しい男のこういう姿は、なかなか貴重だ。
「い、いえ。臣下たる私めが、姫様と同じ席に着くわけには……」
「あら、王女の私の命令がきけないの?」
アリスが切り札を切れば、ライアンは困り果てたように周囲を見回す。しかし、近くにいる侍女たちはそっぽを向いて見て見ぬふりだ。
その様子を見て、ライアンは大きくため息をついて立ち上がった。
指し示された椅子に、大人しく座る。
「最初からそうしなさい」
「……姫様、こういうことに、命令を持ち出さないで頂きたい」
「いやよ。せっかくあなたを従わせることができる権力があるのに、使わないなんてもったいないじゃない。――ほら、食べなさい」
アリスが食事を示せば、ライアンは素直に手を伸ばす。伸ばしながら、愚痴のように言った。
「小鳥が怪我をしてると言っては木に登るし、犬が流されていると川に飛び込むし。そういうことを自分でやらずに命令して欲しいのですが」
「し、しょうがないでしょ! 体が勝手に動いちゃうんだから! 大体、どっちもやる前にあなたに止められたじゃない!」
「当たり前です。そんな危ないことを主君にやらせる部下は、どこにもおりません」
ライアンのなんとはなしの言葉に、アリスの食事の手が止まった。そのまま、手が膝に置かれる。
「姫様?」
「ライアンは……私が姫だから、守ってくれてるだけ?」
「……姫様?」
ライアンの窺うような呼びかけに、アリスは思わず本音を言ってしまったことに気付いた。
大慌てで手を振った。
「な、なんでもないわっ! ライアン、今日街の視察に行くから、付き合いなさい!」
「……承知致しました、姫様」
強引に話を切り替えてビシッと指を指せば、ライアンはどこか硬い表情ながらも、頭を下げたのだった。
※ ※ ※
街中の視察。
最初はお忍びだったのだが、母たる女王にバレてからは、"視察"という名目で街に出ることを許してくれている。
「ねぇライアン」
「は」
「後ろにいないで横に来て。ちゃんと私をエスコートしてちょうだい」
「……は」
命令という名の文句を言えば、渋々な返事ながらも言われたとおりに横に立つ。
これも最初はなかなか頷いてくれなかったのだ。「護衛が横に立つなどあり得ません」とか言い張って。
アリスは、ライアンを見上げる。
こうして並んで立っていると、ライアンは頭一つ分は大きい。
(いつからだろうな)
堅苦しいだけで面白みのなかったこの男に、惹かれてしまったのは。カタブツで生真面目すぎても、それでもこの男の側が一番居心地がいいのだと、知ってしまったのは。
(でも、私は王女だから)
この想いは、外に出してはいけない。母の命令で、いつかは顔も知らぬ男の元に嫁ぐことになる。
それでも、今はまだ許されるだろう。自分にはまだ相手となる男の姿など、影も形もないのだから。今くらい、この男の側にいられる幸せを感じたって。
(……それにしても、お母様は私の結婚を、どう考えているのかしら)
アリスはすでに十七。人によってはとっくに結婚している。だというのに、未だに婚約者すらいない。
いて欲しいわけではない。けれども、これ以上ライアンと一緒にいると、気持ちを抑えられなくなりそうで怖い。
結婚なんかしたくない。ずっとライアンの側にいたい。
でもさっさと結婚してしまいたい。取り返しがつかなくなる前に。
矛盾した想いをアリスは抱えつつ、ただライアンを見上げたのだった。
※ ※ ※ ※ ※
「ライアン様、女王陛下がお呼びでございます」
アリスとライアンが視察から戻ると、それを待ち構えていたかのように、ライアンに声がかかった。
「またぁっ!? なんでいつも、視察から帰るとライアンだけ呼び出すの!? 私は!?」
アリスが不満そうに言うが、それに答えられるのはアリスの母たる女王しかいない。よって、誰もが曖昧そうな笑みでごまかす中、ライアンは憂鬱そうに頷いた。
「すぐ伺いますと伝えてくれ」
「かしこまりました」
ライアンの言葉に、女王からの使者は安堵したように頷いてその場を去る。
ライアンは不満そうなアリスに、片膝をついた。
「姫様、お疲れ様です。お部屋でごゆるりとお休み下さい」
「……ええ、そうするわ。あなたも、お母様の話が終わったら、顔を出して」
「承知致しました」
笑みを含めてライアンが答えれば、アリスの機嫌が少し良くなったように見える。それを確認し、ライアンは踵を返したのだった。
※ ※ ※
「それでライアン、どうだったのだ?」
「は。街は特に変わりなく、人々も穏やかに生活しているようで……」
「そうではない。アリスと、どうだったのかと聞いておる」
女王の私室に呼ばれ、言われて椅子に座る。その開口一番言われた言葉に、素知らぬ顔で視察の結果を報告するが、途中で切られた。
わざわざ、アリスを強調して言われた言葉に、ライアンは口ごもり何も答えられずにいると、女王がわざとらしく指でコツコツ音を出した。
「どうだったのだ?」
「……そ、その」
「またも、何もなかったのか」
「……は、その、も、申し訳なく」
女王の指の出す音が、コツン、とひときわ大きく響いた。
「ライアン、わたくしは言ったはずだ。アリスはそなたにくれてやると」
「……は、は」
「そなたとて、我が国筆頭の公爵家の者。王女を降嫁させるに、何も問題はない」
「……は」
ライアンは頭を下げたまま、いつも言われるフレーズに、ただただ頷くしかない。
「だが、わたくしも女であるから、アリスの気持ちが分かる。わたくしの命でそなたと結婚させるより、そなた自身から結婚を申し込まれた方が嬉しいであろうと」
「……は」
同じ返事を返しながら、ライアンの脳裏によぎるのは、朝食を共にしたときの、アリスの言葉だった。
(違うんです。私はあなたがあなただから守りたいのです)
あの場でそう言えば良かった。それを言っていい権利は、この女王からもらっている。言えないのは、ひとえに自分が臆病なだけだ。
「母上、妙案が浮かびました」
「ん? なんじゃ?」
同席していた王子、アリスの兄であるアルノートの言葉に女王が聞き返し、ライアンの頬が引き攣った。
この王子の"妙案"は碌でもないことが多い。
「たった今から、アリスの侍女をすべてその担当から外しましょう。そしてこのライアンに世話をさせるのです。着替えから入浴から何から何まで」
「殿下っ!!」
「おお、それは妙案じゃ!」
「陛下もっ!」
やはり碌でもなかった。何ということを言い出すのか。女王まで頷かないで欲しい。しかし、二人はそっくりなニヤニヤ笑いで、ライアンを追い詰める。
「なに、心配するでない。お主が何をしようと、わたくしが許可したと言えば、何も問題はない」
「大丈夫さ。アリスも、お前が手を出せば喜んで受け入れる」
「そういう問題ではありません!」
絶叫するライアンだが、女王も王子も気に掛けることなく、話を進める。
「期限は、ライアンがアリスに手を出すまで、で良いかな」
「母上、論点がずれておいでですよ。アリスとライアンが結婚することが大前提なのですから」
「ああ、そうであった。では、ライアンがアリスに結婚を申し込み、快諾を得るまでで良いな」
「よろしいかと存じます。――そういうことだ、ライアン。いつまでもお前が何も行動しないと、アリスが不自由することになるから、良く覚えておけ」
「で、ですから……」
抗議しようとしたライアンは、早く行けと手を振られて、それを飲み込む。
結局そのまま女王の私室を辞するしかなかったライアンは、そのままトボトボとアリスの部屋へ向かう。
(いつからだっただろうか。お仕えすべき姫様に、それ以上の感情を抱いたのは)
仕えるべき姫。
妹のように、手がかかって我が儘だけれど、可愛い姫。
そんな存在だったはずのアリスが、気が付けばライアンの中でそれだけの存在ではなくなっていた。他の騎士たちを寄せ付けず、公爵家の権力をかざして自分だけが護衛騎士を務めるようにまでした。
それらの言動は、当然ながら女王にまで知れ渡り、しかし罰を受けることもなく、笑いながら結婚の許可をくれたのだ。
ただし、ライアンから結婚を申し込むように、という条件づきで。
「……参った」
条件づきの結婚許可に、飛びついたまでは良かった。
アリスの自分を見る目は、"ただの護衛騎士"にむけるものではない。きっと、言えばアリスは受けてくれる。
そう思っているのに、アリスを前にすると何も言えなくなる。そんな臆病な自分がいたことに、ライアンは驚き情けなくなっていた。
「……だれも、いない。早すぎるだろう……」
アリスの部屋の前まで来たが、誰もいない。普通ならあり得ない。本当に、侍女も誰も側に置かせないつもりなのか。
「よし」
気合いを入れる。
アリスのためにも、早くしなければならない。簡単な事だ。一言「結婚して下さい」と言えばいいだけ。
扉をノックする。が、返事がない。どうしたのだろうと思いつつ、扉を開ける。見えたのは、ソファに横になって寝ているアリスだった。
「姫様っ!?」
驚いて近寄るが、顔色は問題ない。呼吸も問題なさそうだ。視察に出て、疲れてしまったのだろうか。
「こんなところで寝たら、風邪を引きますよ」
小さくつぶやく。
何か掛けるものを、と思うが、それらがどこにあるのか分からない。
しょうがない、と思い、自分が着用している騎士の上着を脱いで、アリスにかける。その目は、とても優しくて愛おしそうにアリスを見ているのだが、ライアンは気付かない。
「……ん、ライアン……」
アリスのつぶやきに、ライアンがギクッとして手を止める。が、目はあけない。寝言なのか。
ホッとしながら、寝言で自分の名前を呼んでくれていることに嬉しさを感じながら、ライアンは自然に微笑んだ。
「……ライ、アン……すきぃ……」
「っっっっっ!?」
つぶやかれたアリスの寝言に、ライアンの顔が一気に赤く染まった。
凄まじい瞬発力を発揮して、アリスの側から離れ、部屋を出る。起こさぬように静かに扉を閉めて、ハァと大きく息を吐き出した。
「……勘弁して下さい、姫様」
赤い顔のまま、その場にうずくまる。
あれはないだろう。不意打ちなんて卑怯だ。一体どんな夢を見ているのか。あんな幸せそうな顔で。
「……このあと姫様と顔を合わせるとき、どうしたらいいんだ?」
この一連の流れを女王が見ていたら、だからさっさと結婚を申し込めとツッコんだであろうことをつぶやき、しばらくその場から動けなかった。
※ ※ ※ ※ ※
ハッピーエンドはすぐ目の前。
ほんの少し、手を伸ばせば掴める距離にある。
ライアンは勇気を出して手を伸ばせるのか。はたまたアリスが行動を起こすのか。――それはまだ、誰にも分からない。
(2/14、ちょっと思いついたオマケというか、続きというかを追記)
「……あれ、ライアン?」
「ひ、姫様。お、お目覚めですか!」
「ええ。……ええと、ライアン、だけ? 侍女は?」
「そ……それが……!」
寝ていたアリスが目を覚まし、聞かれた問いにライアンは思い切り口ごもった。結婚を申し込むぞ、という覚悟は、起きたアリスを見たらどこかに行ってしまった。
「その、実は、姫様の侍女は一時的に担当をすべて外されてしまいまして、自分がお世話をすることになりまして……」
結局ライアンが言ったのは、ただの事実である。「着替えから入浴から」という王子の言葉が浮かんで、顔が赤くなりそうになるが……。
「え……?」
アリスの反応を怖々確認したライアンだが、その反応は予想とは違った。顔が強ばり、青ざめているように見える。
「……それ、お母様の指示よね?」
「は、はい……」
「そう。……ちょっと、行ってくるわ」
「ど、どこへ、でございますか!?」
「お母様のところに決まっているでしょう」
言うやいなや、アリスはソファに寝て少し乱れてしまった服をパンパンと手で叩いて直しながら、歩き出していた。
「多分、私が何かやらかしてしまったんでしょう? 侍女が外されたのは自業自得だとしても、あなたに私の世話をさせるのは間違っているわ」
慌てて後を追うライアンを振り返ることなく、アリスは無表情といっていい表情で、淡々と語った。
「ついてこなくていいわよ、ライアン。心配しないで。あなたは私の護衛であって、世話係じゃない。きちんと母に言うから」
無理に笑ったような顔で言うアリスに、ライアンは何も言えず、ただアリスを見送る。……というわけにはいかないライアンは、慌てて呼び止めた。
「お、あ、お、お待ち下さい! 姫様! そうではないのです!」
「そうじゃない?」
「は、はい。姫様が何かをしてしまったわけではないのです!」
このまま女王のところにアリスを行かせたら、後から女王に何を言われるか分かったものではない。何とか留めなければ……という思いで必死に言うが……そこまでだった。
アリスが何かしたのでなければ、なぜ侍女が外されてライアンが世話をすることになったのか。
おそらく、その理由を求めてライアンの言葉の続きを待っただろうアリスだが、それ以上ライアンが何も言わないので、小さく笑って、再び足は女王の下へと向かう。
「……ありがとう、ライアン。慰めてくれるのね。でも平気だから」
何一つ誤解が解けないまま……というかますます悪化させたアリスに、ライアンは再び叫んだ。
「そ、そうではないのです、姫様。そうではなくてですね……」
言え。たった一言、「結婚して下さい」と言えば、それで済む。たったそれだけ。何も難しいことはない。
「…………………」
が、結局言えないライアンに、アリスはもう泣くのを堪えるような顔で、何も言わずに立ち去った。
「お、お待ち下さい! 姫様!」
それを再びライアンが呼び止めて……。
「おはよう……」
王女のアリスは侍女に声をかけられて、大きく欠伸をしながら起き上がる。そして、一つ大きく深呼吸すれば、寝ぼけ眼はなくなった。
「ねぇ、ライアンはいるかしら?」
自らの護衛騎士の名前を出すと、侍女は微笑ましそうに笑った。
「ええ、扉の外におりますよ」
「呼んでちょうだい」
「着替えましたら、呼びましょう」
「…………あ」
アリスの顔が赤くなった。今の自分は夜着姿なのだ。この格好で、ライアンの前に出るわけにはいかない。
「それとも姫様、ライアン様に襲われたいのでしたら、もっと薄い夜着に着替えましょうか?」
「そんなこと、言ってないっ!」
侍女の、からかいの含んだ言葉に、アリスは絶叫したのだった。
※ ※ ※
「お呼びと伺い、ライアン参りました」
アリスの着替えが終わり、朝食を食べ始めた時点でライアンを呼ぶ。
いつでもどこでも堅苦しいこの男は、それを証明するかのような、片膝をついたキッチリした礼をする。
「ライアン、朝食は食べた?」
「は。無論でございます」
「……あ、そう」
アリスの渾身の誘いだったが、あっさり振られた。不満そうに唇を尖らせたが、膝をついてうつむいているライアンは気付かない。
「ライアン、まだ食べられるわよね?」
「は?」
驚いて顔を上げたライアンに、アリスは満足そうに笑った。
「食事、たくさんあって食べきれないから。あなたも一緒に食べてちょうだい」
向かい側の椅子を指し示すと、ライアンは笑えるくらいの動揺を示した。堅苦しい男のこういう姿は、なかなか貴重だ。
「い、いえ。臣下たる私めが、姫様と同じ席に着くわけには……」
「あら、王女の私の命令がきけないの?」
アリスが切り札を切れば、ライアンは困り果てたように周囲を見回す。しかし、近くにいる侍女たちはそっぽを向いて見て見ぬふりだ。
その様子を見て、ライアンは大きくため息をついて立ち上がった。
指し示された椅子に、大人しく座る。
「最初からそうしなさい」
「……姫様、こういうことに、命令を持ち出さないで頂きたい」
「いやよ。せっかくあなたを従わせることができる権力があるのに、使わないなんてもったいないじゃない。――ほら、食べなさい」
アリスが食事を示せば、ライアンは素直に手を伸ばす。伸ばしながら、愚痴のように言った。
「小鳥が怪我をしてると言っては木に登るし、犬が流されていると川に飛び込むし。そういうことを自分でやらずに命令して欲しいのですが」
「し、しょうがないでしょ! 体が勝手に動いちゃうんだから! 大体、どっちもやる前にあなたに止められたじゃない!」
「当たり前です。そんな危ないことを主君にやらせる部下は、どこにもおりません」
ライアンのなんとはなしの言葉に、アリスの食事の手が止まった。そのまま、手が膝に置かれる。
「姫様?」
「ライアンは……私が姫だから、守ってくれてるだけ?」
「……姫様?」
ライアンの窺うような呼びかけに、アリスは思わず本音を言ってしまったことに気付いた。
大慌てで手を振った。
「な、なんでもないわっ! ライアン、今日街の視察に行くから、付き合いなさい!」
「……承知致しました、姫様」
強引に話を切り替えてビシッと指を指せば、ライアンはどこか硬い表情ながらも、頭を下げたのだった。
※ ※ ※
街中の視察。
最初はお忍びだったのだが、母たる女王にバレてからは、"視察"という名目で街に出ることを許してくれている。
「ねぇライアン」
「は」
「後ろにいないで横に来て。ちゃんと私をエスコートしてちょうだい」
「……は」
命令という名の文句を言えば、渋々な返事ながらも言われたとおりに横に立つ。
これも最初はなかなか頷いてくれなかったのだ。「護衛が横に立つなどあり得ません」とか言い張って。
アリスは、ライアンを見上げる。
こうして並んで立っていると、ライアンは頭一つ分は大きい。
(いつからだろうな)
堅苦しいだけで面白みのなかったこの男に、惹かれてしまったのは。カタブツで生真面目すぎても、それでもこの男の側が一番居心地がいいのだと、知ってしまったのは。
(でも、私は王女だから)
この想いは、外に出してはいけない。母の命令で、いつかは顔も知らぬ男の元に嫁ぐことになる。
それでも、今はまだ許されるだろう。自分にはまだ相手となる男の姿など、影も形もないのだから。今くらい、この男の側にいられる幸せを感じたって。
(……それにしても、お母様は私の結婚を、どう考えているのかしら)
アリスはすでに十七。人によってはとっくに結婚している。だというのに、未だに婚約者すらいない。
いて欲しいわけではない。けれども、これ以上ライアンと一緒にいると、気持ちを抑えられなくなりそうで怖い。
結婚なんかしたくない。ずっとライアンの側にいたい。
でもさっさと結婚してしまいたい。取り返しがつかなくなる前に。
矛盾した想いをアリスは抱えつつ、ただライアンを見上げたのだった。
※ ※ ※ ※ ※
「ライアン様、女王陛下がお呼びでございます」
アリスとライアンが視察から戻ると、それを待ち構えていたかのように、ライアンに声がかかった。
「またぁっ!? なんでいつも、視察から帰るとライアンだけ呼び出すの!? 私は!?」
アリスが不満そうに言うが、それに答えられるのはアリスの母たる女王しかいない。よって、誰もが曖昧そうな笑みでごまかす中、ライアンは憂鬱そうに頷いた。
「すぐ伺いますと伝えてくれ」
「かしこまりました」
ライアンの言葉に、女王からの使者は安堵したように頷いてその場を去る。
ライアンは不満そうなアリスに、片膝をついた。
「姫様、お疲れ様です。お部屋でごゆるりとお休み下さい」
「……ええ、そうするわ。あなたも、お母様の話が終わったら、顔を出して」
「承知致しました」
笑みを含めてライアンが答えれば、アリスの機嫌が少し良くなったように見える。それを確認し、ライアンは踵を返したのだった。
※ ※ ※
「それでライアン、どうだったのだ?」
「は。街は特に変わりなく、人々も穏やかに生活しているようで……」
「そうではない。アリスと、どうだったのかと聞いておる」
女王の私室に呼ばれ、言われて椅子に座る。その開口一番言われた言葉に、素知らぬ顔で視察の結果を報告するが、途中で切られた。
わざわざ、アリスを強調して言われた言葉に、ライアンは口ごもり何も答えられずにいると、女王がわざとらしく指でコツコツ音を出した。
「どうだったのだ?」
「……そ、その」
「またも、何もなかったのか」
「……は、その、も、申し訳なく」
女王の指の出す音が、コツン、とひときわ大きく響いた。
「ライアン、わたくしは言ったはずだ。アリスはそなたにくれてやると」
「……は、は」
「そなたとて、我が国筆頭の公爵家の者。王女を降嫁させるに、何も問題はない」
「……は」
ライアンは頭を下げたまま、いつも言われるフレーズに、ただただ頷くしかない。
「だが、わたくしも女であるから、アリスの気持ちが分かる。わたくしの命でそなたと結婚させるより、そなた自身から結婚を申し込まれた方が嬉しいであろうと」
「……は」
同じ返事を返しながら、ライアンの脳裏によぎるのは、朝食を共にしたときの、アリスの言葉だった。
(違うんです。私はあなたがあなただから守りたいのです)
あの場でそう言えば良かった。それを言っていい権利は、この女王からもらっている。言えないのは、ひとえに自分が臆病なだけだ。
「母上、妙案が浮かびました」
「ん? なんじゃ?」
同席していた王子、アリスの兄であるアルノートの言葉に女王が聞き返し、ライアンの頬が引き攣った。
この王子の"妙案"は碌でもないことが多い。
「たった今から、アリスの侍女をすべてその担当から外しましょう。そしてこのライアンに世話をさせるのです。着替えから入浴から何から何まで」
「殿下っ!!」
「おお、それは妙案じゃ!」
「陛下もっ!」
やはり碌でもなかった。何ということを言い出すのか。女王まで頷かないで欲しい。しかし、二人はそっくりなニヤニヤ笑いで、ライアンを追い詰める。
「なに、心配するでない。お主が何をしようと、わたくしが許可したと言えば、何も問題はない」
「大丈夫さ。アリスも、お前が手を出せば喜んで受け入れる」
「そういう問題ではありません!」
絶叫するライアンだが、女王も王子も気に掛けることなく、話を進める。
「期限は、ライアンがアリスに手を出すまで、で良いかな」
「母上、論点がずれておいでですよ。アリスとライアンが結婚することが大前提なのですから」
「ああ、そうであった。では、ライアンがアリスに結婚を申し込み、快諾を得るまでで良いな」
「よろしいかと存じます。――そういうことだ、ライアン。いつまでもお前が何も行動しないと、アリスが不自由することになるから、良く覚えておけ」
「で、ですから……」
抗議しようとしたライアンは、早く行けと手を振られて、それを飲み込む。
結局そのまま女王の私室を辞するしかなかったライアンは、そのままトボトボとアリスの部屋へ向かう。
(いつからだっただろうか。お仕えすべき姫様に、それ以上の感情を抱いたのは)
仕えるべき姫。
妹のように、手がかかって我が儘だけれど、可愛い姫。
そんな存在だったはずのアリスが、気が付けばライアンの中でそれだけの存在ではなくなっていた。他の騎士たちを寄せ付けず、公爵家の権力をかざして自分だけが護衛騎士を務めるようにまでした。
それらの言動は、当然ながら女王にまで知れ渡り、しかし罰を受けることもなく、笑いながら結婚の許可をくれたのだ。
ただし、ライアンから結婚を申し込むように、という条件づきで。
「……参った」
条件づきの結婚許可に、飛びついたまでは良かった。
アリスの自分を見る目は、"ただの護衛騎士"にむけるものではない。きっと、言えばアリスは受けてくれる。
そう思っているのに、アリスを前にすると何も言えなくなる。そんな臆病な自分がいたことに、ライアンは驚き情けなくなっていた。
「……だれも、いない。早すぎるだろう……」
アリスの部屋の前まで来たが、誰もいない。普通ならあり得ない。本当に、侍女も誰も側に置かせないつもりなのか。
「よし」
気合いを入れる。
アリスのためにも、早くしなければならない。簡単な事だ。一言「結婚して下さい」と言えばいいだけ。
扉をノックする。が、返事がない。どうしたのだろうと思いつつ、扉を開ける。見えたのは、ソファに横になって寝ているアリスだった。
「姫様っ!?」
驚いて近寄るが、顔色は問題ない。呼吸も問題なさそうだ。視察に出て、疲れてしまったのだろうか。
「こんなところで寝たら、風邪を引きますよ」
小さくつぶやく。
何か掛けるものを、と思うが、それらがどこにあるのか分からない。
しょうがない、と思い、自分が着用している騎士の上着を脱いで、アリスにかける。その目は、とても優しくて愛おしそうにアリスを見ているのだが、ライアンは気付かない。
「……ん、ライアン……」
アリスのつぶやきに、ライアンがギクッとして手を止める。が、目はあけない。寝言なのか。
ホッとしながら、寝言で自分の名前を呼んでくれていることに嬉しさを感じながら、ライアンは自然に微笑んだ。
「……ライ、アン……すきぃ……」
「っっっっっ!?」
つぶやかれたアリスの寝言に、ライアンの顔が一気に赤く染まった。
凄まじい瞬発力を発揮して、アリスの側から離れ、部屋を出る。起こさぬように静かに扉を閉めて、ハァと大きく息を吐き出した。
「……勘弁して下さい、姫様」
赤い顔のまま、その場にうずくまる。
あれはないだろう。不意打ちなんて卑怯だ。一体どんな夢を見ているのか。あんな幸せそうな顔で。
「……このあと姫様と顔を合わせるとき、どうしたらいいんだ?」
この一連の流れを女王が見ていたら、だからさっさと結婚を申し込めとツッコんだであろうことをつぶやき、しばらくその場から動けなかった。
※ ※ ※ ※ ※
ハッピーエンドはすぐ目の前。
ほんの少し、手を伸ばせば掴める距離にある。
ライアンは勇気を出して手を伸ばせるのか。はたまたアリスが行動を起こすのか。――それはまだ、誰にも分からない。
(2/14、ちょっと思いついたオマケというか、続きというかを追記)
「……あれ、ライアン?」
「ひ、姫様。お、お目覚めですか!」
「ええ。……ええと、ライアン、だけ? 侍女は?」
「そ……それが……!」
寝ていたアリスが目を覚まし、聞かれた問いにライアンは思い切り口ごもった。結婚を申し込むぞ、という覚悟は、起きたアリスを見たらどこかに行ってしまった。
「その、実は、姫様の侍女は一時的に担当をすべて外されてしまいまして、自分がお世話をすることになりまして……」
結局ライアンが言ったのは、ただの事実である。「着替えから入浴から」という王子の言葉が浮かんで、顔が赤くなりそうになるが……。
「え……?」
アリスの反応を怖々確認したライアンだが、その反応は予想とは違った。顔が強ばり、青ざめているように見える。
「……それ、お母様の指示よね?」
「は、はい……」
「そう。……ちょっと、行ってくるわ」
「ど、どこへ、でございますか!?」
「お母様のところに決まっているでしょう」
言うやいなや、アリスはソファに寝て少し乱れてしまった服をパンパンと手で叩いて直しながら、歩き出していた。
「多分、私が何かやらかしてしまったんでしょう? 侍女が外されたのは自業自得だとしても、あなたに私の世話をさせるのは間違っているわ」
慌てて後を追うライアンを振り返ることなく、アリスは無表情といっていい表情で、淡々と語った。
「ついてこなくていいわよ、ライアン。心配しないで。あなたは私の護衛であって、世話係じゃない。きちんと母に言うから」
無理に笑ったような顔で言うアリスに、ライアンは何も言えず、ただアリスを見送る。……というわけにはいかないライアンは、慌てて呼び止めた。
「お、あ、お、お待ち下さい! 姫様! そうではないのです!」
「そうじゃない?」
「は、はい。姫様が何かをしてしまったわけではないのです!」
このまま女王のところにアリスを行かせたら、後から女王に何を言われるか分かったものではない。何とか留めなければ……という思いで必死に言うが……そこまでだった。
アリスが何かしたのでなければ、なぜ侍女が外されてライアンが世話をすることになったのか。
おそらく、その理由を求めてライアンの言葉の続きを待っただろうアリスだが、それ以上ライアンが何も言わないので、小さく笑って、再び足は女王の下へと向かう。
「……ありがとう、ライアン。慰めてくれるのね。でも平気だから」
何一つ誤解が解けないまま……というかますます悪化させたアリスに、ライアンは再び叫んだ。
「そ、そうではないのです、姫様。そうではなくてですね……」
言え。たった一言、「結婚して下さい」と言えば、それで済む。たったそれだけ。何も難しいことはない。
「…………………」
が、結局言えないライアンに、アリスはもう泣くのを堪えるような顔で、何も言わずに立ち去った。
「お、お待ち下さい! 姫様!」
それを再びライアンが呼び止めて……。
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※他サイトでも掲載します。

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