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第十六章 三年目の始まり
朝の遭遇
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翌朝。リィカは、セシリーとミラベルと一緒に朝食を食べて、一緒に寮を出て学園に向かう。道中、妙に視線を感じた。
「……なんか、見られてる?」
「諦めなさい。私とセシリーって、はみ出しものの組み合わせなのよ。そこにあなたが入り込んでいるのだから、注目くらい集めるでしょう」
「はみ出しもの……?」
ミラベルの言葉に首を傾げると、セシリーが笑った。
「そ。地方の貧乏男爵家出身のあたしと、公爵家の婚外子。だぁれも話す相手がいなかった同士が、とりあえず一緒になっただけ。だから、はみ出しもの」
明るいその言い様に、リィカが少し笑みを浮かべる。
「でも、二人とも仲よさそうって思う」
「仲良いんじゃなくて、公爵家のご令嬢様に、このあたしが色々指導してやってるの」
「あら。いつ私がセシリーに教えてもらったかしら? 王子殿下方と一緒のクラスになった、礼儀なんか分からない、どうしよう、と言ってきたのを、教えてあげた記憶はあるけど」
「ベ~ル~!」
ミラベルがあっさり暴露した内容にセシリーが噛み付き、リィカは笑いたくなるのを堪えた。
セシリーの思考が、この学園に入学したての自分と似ている気がする。本当に、平民クラスの方が合っていたのかもしれない。
そんな感じで、寮から学園までの短い道のりを、なんだかんだと楽しそうに話をしながら歩いていた三人だが、ミラベルの足がピタッと止まり、おしゃべりも止まる。
「ミラベル様、どうし……ぁ……」
問いかけたリィカの声は、途中で切れた。自分たちに近づいてくる男性がいる。その顔に見覚えがあったからだ。
「ほぉ。おやおや。これはこれは、名誉貴族殿か。まさか、寮からの登校で?」
リィカは、スカートの裾をつまんで礼をとった。
何がまさかなのか分からない。そもそも、なぜ自分に先に声をかけるのか。公爵家の令嬢で婚約者がそこにいるのに、そちらは無視なのか。
などなど、色々思う所はあるが、それを口にはしない。
リィカは、風の手紙に魔力を流してから、口を開いた。
「おはようございます。昨日は、お怪我は大丈夫でしたしょうか」
その当人は、まさに昨日の模擬戦の時、試合場の外に飛んで行ってしまった自分の魔法が直撃しそうになった、ナイジェルだ。だから、まず先にそれを口にすれば、相手の顔が妙に歪んだ。
「何も怪我などしていない。言っておくが、わざわざ貴様が手を出さずとも、この俺様がどうにでも出来たのだ。いつまでも偉そうに言うな」
リィカはフーッと気付かれないように小さく息を吐く。セシリーやミラベルが心配そうに見ていることに気づき、さらに周囲からの視線も集まっている気がする。
正直、この場から逃げ出したいが、やっていくと決めた以上は、できるところは自分で頑張りたい。
「それは申し訳ありませんでした。……その前に、こちらも大変申し訳ないことではありますが、お名前を存じ上げませんので、教えて頂けないでしょうか」
「なん、だと……」
相手の顔が、ヒクッとなった。
セシリーやミラベルの顔もヒクついている。
が、何が問題なのか分からない。「初めまして」なのは確かなのだ。例え知っていたとしても、名前を名乗り合うのが"普通"だと、ルバドール帝国の皇女ルシアから教わった。
警戒しろと言われた相手でも、それが礼儀である以上は従うべきだ。
「知らないというのか、貴様」
「……? はい。お会いした……というほどでもありませんが、初めてお顔を拝見したのは、昨日の模擬戦の時かと思いますが」
あれ? と思いながらも、言葉を続ける。名乗るのは位が上の者から。彼は侯爵家で、リィカの名誉貴族というのは伯爵相当だと聞いた。
貴族の位は、第一位の公爵があり、侯爵、伯爵、子爵、男爵と続く。つまりは、相手の方が貴族としての位は上だから、リィカが先に言うわけにはいかない。
……というのも、ルシアから教わったことを元に判断したのだが、何か間違っただろうか。もしかして、ルバドールとアルカトルでは、その辺りの常識が違ったりするのだろうか。
ギリィ、という音が妙に響いて聞こえて、ギョッとする。その音が聞こえたのは、目の前の男性からだ。そして、その形相がとんでもなく怖いことになっている。
「リィカ」
呼ばれた名前に振り向けば、そこにいたのはアレクだ。ホッとして、緊張が抜ける。
風の手紙を繋げれば、こちらの声が聞こえるから、来てくれると思ったのだ。あまり頼りたくはないけれど、今のリィカは分からない事も多いから、やはりどうしても頼りにしてしまう。
アレクはリィカに頷くと、怖い形相がさらに怖くなっている男に向き直った。
「ナイジェル、名前を問われたのだから、答えるくらいしたらどうだ? 貴族としての、当たり前の礼儀だろう?」
「まさか、第二王子殿下に礼儀を諭されるとは、いやいや面白い事もあるものですな」
明らかにアレクを蔑むような言葉。けれど、怒りを抑えて頬をピクピクさせながら、無理矢理その怒りを抑え込むような話し方は、何というか、負け惜しみのようにしか聞こえない。
そのせいかリィカも腹が立たず、どちらかというと変なものを見たような気分だ。
「ちぃっ」
ナイジェルは舌打ちを隠そうともしない。
「アレクシス殿下、一つご忠告しておきましょう。例え貴族になったとは言っても、その娘に流れる血は平民のもの。情婦にするならともかく、王家に平民の血を入れるのは王家の品格を下げるものと、ご承知した方がよろしいと存じます」
言って踵を返して去っていくセリフは、はっきり言って捨て台詞でしかなかった。
が、リィカの心に、一つの単語がのしかかる。
(情婦……)
唇を引き締める。昨日の模擬戦で、アレクに腰に手を回されたことから、そういう単語が出てきたのだろう。
別に、その言葉に傷つくことなどない。分かっている。アレクと共にいる未来を、リィカは望んでいるわけじゃない。だから、聞き流せばいいだけなのに、それでもどうしようもなく重く感じる。
「あの表情とか舌打ちとかがなかったら、俺ももう少しショックを受けたんだろうけどな」
アレクのため息交じりの声が聞こえて、リィカはハッとした。
「大丈夫か、リィカ」
「……う、うん。大丈夫だけど。えと、わたし何かダメだったかな」
とっさに表情を取り繕って、口を開く。動揺した様子もない自分の声に、ホッとする。
結局、ナイジェルは名前を名乗ることなく去っていった。知っているからいいといえばいいが、今後どうしていいか分からない。
「貴族のやり取りとしては間違っていないが、学園の中の学生同士だから、その辺りはあやふやになる。全生徒といちいち自己紹介しあっていられないから、知っていれば普通に名前で呼んでいる」
「……あ、そうなんだ」
でもそんなことは知らなかった。どうやり取りするべきか分からなかったし、とりあえず名前を聞くことで、アレクたちが来てくれるまで時間稼ぎをしようという考えもあった。
だが結果的に、相手を怒らせるだけ怒らせた結果となったらしい。
「……どうしよう」
「気にするな。しかし、あいつ単体だと小物感満載だな。レイズクルスの息子は、同じ台詞でも心を抉る感じが半端じゃなかったが。所詮はただの取り巻きか」
レイズクルスの息子。つまり去年卒業した人。そして……。
そこまで考えて、リィカはハッとした。
レイズクルスの息子は、ミラベルの兄だ。そのミラベルはといえば、まったくの無表情だった。
「ミラベル様、あの……」
昨晩、ミラベルとナイジェルの婚約を知らないと、アレクたちは言っていた。お互いに会話どころか挨拶すらないのであれば、それも当然かもしれない。
自分の婚約者が目もくれないというのはどういう気持ちなのだろうか。
けれど、ミラベルは無表情のまま、ほんの一瞬だけ目を閉じただけだ。
「アレクシス殿下、おはようございます。リィカさんも行きましょう。遅刻するわよ」
礼儀上なのかアレクに挨拶はしてから、ミラベルは校舎へと向かったのだった。
「……なんか、見られてる?」
「諦めなさい。私とセシリーって、はみ出しものの組み合わせなのよ。そこにあなたが入り込んでいるのだから、注目くらい集めるでしょう」
「はみ出しもの……?」
ミラベルの言葉に首を傾げると、セシリーが笑った。
「そ。地方の貧乏男爵家出身のあたしと、公爵家の婚外子。だぁれも話す相手がいなかった同士が、とりあえず一緒になっただけ。だから、はみ出しもの」
明るいその言い様に、リィカが少し笑みを浮かべる。
「でも、二人とも仲よさそうって思う」
「仲良いんじゃなくて、公爵家のご令嬢様に、このあたしが色々指導してやってるの」
「あら。いつ私がセシリーに教えてもらったかしら? 王子殿下方と一緒のクラスになった、礼儀なんか分からない、どうしよう、と言ってきたのを、教えてあげた記憶はあるけど」
「ベ~ル~!」
ミラベルがあっさり暴露した内容にセシリーが噛み付き、リィカは笑いたくなるのを堪えた。
セシリーの思考が、この学園に入学したての自分と似ている気がする。本当に、平民クラスの方が合っていたのかもしれない。
そんな感じで、寮から学園までの短い道のりを、なんだかんだと楽しそうに話をしながら歩いていた三人だが、ミラベルの足がピタッと止まり、おしゃべりも止まる。
「ミラベル様、どうし……ぁ……」
問いかけたリィカの声は、途中で切れた。自分たちに近づいてくる男性がいる。その顔に見覚えがあったからだ。
「ほぉ。おやおや。これはこれは、名誉貴族殿か。まさか、寮からの登校で?」
リィカは、スカートの裾をつまんで礼をとった。
何がまさかなのか分からない。そもそも、なぜ自分に先に声をかけるのか。公爵家の令嬢で婚約者がそこにいるのに、そちらは無視なのか。
などなど、色々思う所はあるが、それを口にはしない。
リィカは、風の手紙に魔力を流してから、口を開いた。
「おはようございます。昨日は、お怪我は大丈夫でしたしょうか」
その当人は、まさに昨日の模擬戦の時、試合場の外に飛んで行ってしまった自分の魔法が直撃しそうになった、ナイジェルだ。だから、まず先にそれを口にすれば、相手の顔が妙に歪んだ。
「何も怪我などしていない。言っておくが、わざわざ貴様が手を出さずとも、この俺様がどうにでも出来たのだ。いつまでも偉そうに言うな」
リィカはフーッと気付かれないように小さく息を吐く。セシリーやミラベルが心配そうに見ていることに気づき、さらに周囲からの視線も集まっている気がする。
正直、この場から逃げ出したいが、やっていくと決めた以上は、できるところは自分で頑張りたい。
「それは申し訳ありませんでした。……その前に、こちらも大変申し訳ないことではありますが、お名前を存じ上げませんので、教えて頂けないでしょうか」
「なん、だと……」
相手の顔が、ヒクッとなった。
セシリーやミラベルの顔もヒクついている。
が、何が問題なのか分からない。「初めまして」なのは確かなのだ。例え知っていたとしても、名前を名乗り合うのが"普通"だと、ルバドール帝国の皇女ルシアから教わった。
警戒しろと言われた相手でも、それが礼儀である以上は従うべきだ。
「知らないというのか、貴様」
「……? はい。お会いした……というほどでもありませんが、初めてお顔を拝見したのは、昨日の模擬戦の時かと思いますが」
あれ? と思いながらも、言葉を続ける。名乗るのは位が上の者から。彼は侯爵家で、リィカの名誉貴族というのは伯爵相当だと聞いた。
貴族の位は、第一位の公爵があり、侯爵、伯爵、子爵、男爵と続く。つまりは、相手の方が貴族としての位は上だから、リィカが先に言うわけにはいかない。
……というのも、ルシアから教わったことを元に判断したのだが、何か間違っただろうか。もしかして、ルバドールとアルカトルでは、その辺りの常識が違ったりするのだろうか。
ギリィ、という音が妙に響いて聞こえて、ギョッとする。その音が聞こえたのは、目の前の男性からだ。そして、その形相がとんでもなく怖いことになっている。
「リィカ」
呼ばれた名前に振り向けば、そこにいたのはアレクだ。ホッとして、緊張が抜ける。
風の手紙を繋げれば、こちらの声が聞こえるから、来てくれると思ったのだ。あまり頼りたくはないけれど、今のリィカは分からない事も多いから、やはりどうしても頼りにしてしまう。
アレクはリィカに頷くと、怖い形相がさらに怖くなっている男に向き直った。
「ナイジェル、名前を問われたのだから、答えるくらいしたらどうだ? 貴族としての、当たり前の礼儀だろう?」
「まさか、第二王子殿下に礼儀を諭されるとは、いやいや面白い事もあるものですな」
明らかにアレクを蔑むような言葉。けれど、怒りを抑えて頬をピクピクさせながら、無理矢理その怒りを抑え込むような話し方は、何というか、負け惜しみのようにしか聞こえない。
そのせいかリィカも腹が立たず、どちらかというと変なものを見たような気分だ。
「ちぃっ」
ナイジェルは舌打ちを隠そうともしない。
「アレクシス殿下、一つご忠告しておきましょう。例え貴族になったとは言っても、その娘に流れる血は平民のもの。情婦にするならともかく、王家に平民の血を入れるのは王家の品格を下げるものと、ご承知した方がよろしいと存じます」
言って踵を返して去っていくセリフは、はっきり言って捨て台詞でしかなかった。
が、リィカの心に、一つの単語がのしかかる。
(情婦……)
唇を引き締める。昨日の模擬戦で、アレクに腰に手を回されたことから、そういう単語が出てきたのだろう。
別に、その言葉に傷つくことなどない。分かっている。アレクと共にいる未来を、リィカは望んでいるわけじゃない。だから、聞き流せばいいだけなのに、それでもどうしようもなく重く感じる。
「あの表情とか舌打ちとかがなかったら、俺ももう少しショックを受けたんだろうけどな」
アレクのため息交じりの声が聞こえて、リィカはハッとした。
「大丈夫か、リィカ」
「……う、うん。大丈夫だけど。えと、わたし何かダメだったかな」
とっさに表情を取り繕って、口を開く。動揺した様子もない自分の声に、ホッとする。
結局、ナイジェルは名前を名乗ることなく去っていった。知っているからいいといえばいいが、今後どうしていいか分からない。
「貴族のやり取りとしては間違っていないが、学園の中の学生同士だから、その辺りはあやふやになる。全生徒といちいち自己紹介しあっていられないから、知っていれば普通に名前で呼んでいる」
「……あ、そうなんだ」
でもそんなことは知らなかった。どうやり取りするべきか分からなかったし、とりあえず名前を聞くことで、アレクたちが来てくれるまで時間稼ぎをしようという考えもあった。
だが結果的に、相手を怒らせるだけ怒らせた結果となったらしい。
「……どうしよう」
「気にするな。しかし、あいつ単体だと小物感満載だな。レイズクルスの息子は、同じ台詞でも心を抉る感じが半端じゃなかったが。所詮はただの取り巻きか」
レイズクルスの息子。つまり去年卒業した人。そして……。
そこまで考えて、リィカはハッとした。
レイズクルスの息子は、ミラベルの兄だ。そのミラベルはといえば、まったくの無表情だった。
「ミラベル様、あの……」
昨晩、ミラベルとナイジェルの婚約を知らないと、アレクたちは言っていた。お互いに会話どころか挨拶すらないのであれば、それも当然かもしれない。
自分の婚約者が目もくれないというのはどういう気持ちなのだろうか。
けれど、ミラベルは無表情のまま、ほんの一瞬だけ目を閉じただけだ。
「アレクシス殿下、おはようございます。リィカさんも行きましょう。遅刻するわよ」
礼儀上なのかアレクに挨拶はしてから、ミラベルは校舎へと向かったのだった。
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