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1.浮気をするまで
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パウラ・ヤンセン。子爵家の令嬢だ。
知り合ったのは、俺とマルティエナの婚姻式の、その後のパーティーでのことだった。
この時の俺は疲れていた。自分たちの婚姻の準備もあって、疲労を積み重ねたまま迎えた婚姻式。
それでも、婚姻式を無事終えて、パーティー参加者のめぼしい人々への挨拶までは終えた。そこで疲れに限界が来た。
マルティエナはそんな俺の状態に気付いていたから、俺が休みたいと言ったときに反対もせずに、自分が引き受けると言ってくれた。
自分の部屋までは遠いし、完全にパーティーからいなくなるわけにはいかない。少し休んだらまた戻らなければ。
そう思っていたから、俺は近くの控え室までの案内を、近くにいた侍女に頼んだ。……それが、パウラだった。
「大丈夫ですか!?」
「駄目ですよ、まだ休んでないと!」
などなど、何くれと世話をやいてくれた。
後から知った事だが、この時パウラは王宮に上がったばかりの侍女で、婚姻式の準備で忙しくしていた俺の顔も知らなかったらしい。
当然ながら、パーティー担当もしていなかったが、使用済みの食器類を下げるためにたまたま近くに来ていたところを、俺に声を掛けられたらしかった。
マルティエナが駄目だったわけじゃない。彼女だって、俺の代わりに、俺のために動いてくれたのに。
疲れ切っていたとき、あの裏表のない心から心配してくれたのが嬉しかった。「ありがとう」と言ったときの笑顔が嬉しかった。
駄目だと分かっているのに、俺はパウラを側に置くようになっていた。
*****
「今日の書類、これだけか」
「ええ。妃殿下が大半を対応して下さっていますからね」
「そうか」
メンノの皮肉を聞き流し、俺はそこにある書類に目を通す。
とはいっても、もうほぼ処理済みだ。マルティエナが確認済みなのだろう。単に俺の判子が必要だから、ここに回ってきただけだ。
すごいな、と思う。俺がパウラとお茶して楽しんでいる間に、あいつは一人仕事をしてたのだ。……俺の代わりに。
「いつまで浮気を続ける気ですか。そのうち、妃殿下に見放されますよ」
「……浮気か。そうだな」
あまりその単語を意識したことはなかったが、確かに俺のしていることは浮気だ。妻となった女性を放っておいて、別の女性とお茶しているのだから。
俺の反応が、あまりにも淡泊だったからだろか。メンノの目がつり上がった。
「殿下、いい加減になさって下さい! 結婚するなり浮気とか! 何を考えているのですか!」
「……何だろうな」
正直に言えば、俺にもよく分からない。分かっていれば、こんな状況にはなっていないと思う。
「レインデルト殿下。……殿下が今の状態を続けるのであれば、私は職を辞することも考えます」
「そうか」
小さい頃から俺の護衛兼お目付役兼側仕えをしていたメンノの言葉に、俺が素っ気なく返すと、メンノのつり上がった目がさらに上がった。
何か言うかと、怒るかと思ったが、メンノはすぐ目を伏せた。
「左様でございますか。では、失礼致します」
それは諦めたような、俺を見捨てたような声音に、俺には聞こえた。
*****
「どうすればいいんだろうな……」
混乱する頭が少しでもすっきりすればと思って、窓を開ける。ほんの少し風は入ってくるけれど、頭が冴えることはない。
視線を巡らせれば、目に入るのはティアラだ。マルティエナが王太子妃となったときに、その頭を飾ったはずのもの。けれど今それは、俺の執務室にある。
分かっている。分かっていても、どうすることもできない。自分の中の何かがずれた。それをどう戻していいかが分からない。
今のままでは、マルティエナだけではなく、パウラにも良くない。それは分かっている。
「助けてくれ、エナ。前のように、二人でどこかに抜けだそう」
せっかくだから、二人だけの呼び名で呼びたい。
マルティエナとそう話をしたのはいつだっただろうか。
だから、親しい者たちに呼ばれる"マルティ"ではなく、俺は彼女を"エナ"と呼ぶことにした。そして、マルティエナは俺を"ルト"と呼んでくれる。
俺たちだけの、特別な呼び名。
「……滑稽だな」
助けてと言う資格も、特別な呼び名を呼ぶ資格も、今の俺にありはしないのだ。
知り合ったのは、俺とマルティエナの婚姻式の、その後のパーティーでのことだった。
この時の俺は疲れていた。自分たちの婚姻の準備もあって、疲労を積み重ねたまま迎えた婚姻式。
それでも、婚姻式を無事終えて、パーティー参加者のめぼしい人々への挨拶までは終えた。そこで疲れに限界が来た。
マルティエナはそんな俺の状態に気付いていたから、俺が休みたいと言ったときに反対もせずに、自分が引き受けると言ってくれた。
自分の部屋までは遠いし、完全にパーティーからいなくなるわけにはいかない。少し休んだらまた戻らなければ。
そう思っていたから、俺は近くの控え室までの案内を、近くにいた侍女に頼んだ。……それが、パウラだった。
「大丈夫ですか!?」
「駄目ですよ、まだ休んでないと!」
などなど、何くれと世話をやいてくれた。
後から知った事だが、この時パウラは王宮に上がったばかりの侍女で、婚姻式の準備で忙しくしていた俺の顔も知らなかったらしい。
当然ながら、パーティー担当もしていなかったが、使用済みの食器類を下げるためにたまたま近くに来ていたところを、俺に声を掛けられたらしかった。
マルティエナが駄目だったわけじゃない。彼女だって、俺の代わりに、俺のために動いてくれたのに。
疲れ切っていたとき、あの裏表のない心から心配してくれたのが嬉しかった。「ありがとう」と言ったときの笑顔が嬉しかった。
駄目だと分かっているのに、俺はパウラを側に置くようになっていた。
*****
「今日の書類、これだけか」
「ええ。妃殿下が大半を対応して下さっていますからね」
「そうか」
メンノの皮肉を聞き流し、俺はそこにある書類に目を通す。
とはいっても、もうほぼ処理済みだ。マルティエナが確認済みなのだろう。単に俺の判子が必要だから、ここに回ってきただけだ。
すごいな、と思う。俺がパウラとお茶して楽しんでいる間に、あいつは一人仕事をしてたのだ。……俺の代わりに。
「いつまで浮気を続ける気ですか。そのうち、妃殿下に見放されますよ」
「……浮気か。そうだな」
あまりその単語を意識したことはなかったが、確かに俺のしていることは浮気だ。妻となった女性を放っておいて、別の女性とお茶しているのだから。
俺の反応が、あまりにも淡泊だったからだろか。メンノの目がつり上がった。
「殿下、いい加減になさって下さい! 結婚するなり浮気とか! 何を考えているのですか!」
「……何だろうな」
正直に言えば、俺にもよく分からない。分かっていれば、こんな状況にはなっていないと思う。
「レインデルト殿下。……殿下が今の状態を続けるのであれば、私は職を辞することも考えます」
「そうか」
小さい頃から俺の護衛兼お目付役兼側仕えをしていたメンノの言葉に、俺が素っ気なく返すと、メンノのつり上がった目がさらに上がった。
何か言うかと、怒るかと思ったが、メンノはすぐ目を伏せた。
「左様でございますか。では、失礼致します」
それは諦めたような、俺を見捨てたような声音に、俺には聞こえた。
*****
「どうすればいいんだろうな……」
混乱する頭が少しでもすっきりすればと思って、窓を開ける。ほんの少し風は入ってくるけれど、頭が冴えることはない。
視線を巡らせれば、目に入るのはティアラだ。マルティエナが王太子妃となったときに、その頭を飾ったはずのもの。けれど今それは、俺の執務室にある。
分かっている。分かっていても、どうすることもできない。自分の中の何かがずれた。それをどう戻していいかが分からない。
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マルティエナとそう話をしたのはいつだっただろうか。
だから、親しい者たちに呼ばれる"マルティ"ではなく、俺は彼女を"エナ"と呼ぶことにした。そして、マルティエナは俺を"ルト"と呼んでくれる。
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「……滑稽だな」
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