11 / 12
裏
5
しおりを挟む
その数年後、親の病状は悪化して亡くなり、俺は葉鶴家の当主になった。
当主の俺は、他の華族との交流もさらに増え、相手を笑顔で受け流す術を自然と身につけた。自分では気づいていなかったがこの外見も使えたもので、地位が低いと見下すババア共に謙遜して見せるだけでなんとかやっていけたものだ。
空虚な日々だった。何一つ心を満たすものがなかった。茶席を開き、中身のない会話をする。全部全部無くなればいいと思った。
そうして小さな子供の自分がまた顔を出した。
「こんな空っぽな伝統、潰してしまえ」
俺はそれに従うように、新しい道を探し始めた。
茶道以外の道を探し、日々商いに向きそうな何かを求める。
20を過ぎた頃、偶然貿易商と話す機会を得た。話を聞くと西洋からの品が増えてきているらしい。そう言って見せてもらった品々に目を奪われた。
香辛料、綿や麻の原材料、そして機械織りの織物——どれもこれもが美しく精巧で、見たことないものばかり。
「これが、機械で織られとるん?」
「そうです。ですが、西洋のものというだけで客が寄り付かなくって……。商品として卸す場所もなくて困っているところなんですよ」
それを聞いて、俺の胸はざわめいた。これや——直感的にそう思った。
こんなに精巧な織物なら町の人間はもちろん、気位の高い華族でさえ手に取る。自分の華族としての地位を、これを売り出す足掛かりとしよう。そうして貿易商とのやり取りが始まった。
町に西洋の織物が流れ始める。それはまだ民衆の間に広まったわけではない。だが春樹は変化に気づいたのか江戸へと販路を拡大するべく動いているという噂を耳にした。
けどもう遅い。
京の噂は広がるのがそれはそれは早いものだ。葉鶴家の茶会で軽く話題に出すだけで、瞬く間にその評判は華族の耳に入り、人から人へと拡散されていく。
最初は面白がって手に取った華族の連中も、次第にそれに魅了されたのか流行として取り入れ始め、そしてその噂は瞬く間に庶民の耳へと届くようになった。
ある日、春樹が藍川家の品を届けに来たタイミングで、俺は何も知らぬ顔をして声をかけた。
「なんや最近噂になっとるみたいやね」
唐突な言葉に、春樹は少し目を見開き、苦笑を浮かべた。
「うん、だから僕も江戸に行ってなんとかしようとしてるんだけど——」
「上手くいかへん?」
遮るように口にした言葉に、表情がわずかに曇るのを俺は見逃さなかった。
「もしかしてやけど、支援が必要なん?」
「えっ……」
春樹は戸惑いながらも、しばらく沈黙してから小さく頷いた。
「うん、まぁね。でも誰を頼ればいいか分からなくって……。藍川織のためならできることは何でもしたいと思ってる……」
伝統を大切にしたい、純粋そのもので、かつてと同じ真っ白な思い。けれど過去とは確かに異なる真っ黒な墨で汚されたそれに、反吐が出そうになった。
「ごめん、頼みにくいことなんだけど……」
「いやいや、ええよ。」
俺は軽い調子で言葉を返した。
「藍川織の伝統、守りたいんやろ? ほんなら言うてみ、何が必要なん」
意図的に「伝統」を口に出すと、春樹は迷うように視線を揺らしながら、やがて小さく口を開いた。
「販路の拡大を、支援してほしい……。江戸でつながりを作るには、華族の信用がどうしても必要で……葉鶴家の名前を貸してもらえたら、もっと藍川織を広めることができると、そう思って、」
「華族の信用、なぁ」
顔に手を当てながらざと考え込むように間を置く。そして静かに口角を上げ、無造作に言葉を放った。
「そんなら代わりに、身体、借りてもええ?」
「えっ」
春樹の目が大きく見開かれる。あまりにも唐突で、まるで物を借りるかのように放たれた俺の言葉に、唖然とした表情を浮かべた。
「いやな、鶏姦罪なんていう男同士の行為を禁止する法のせいで、自分も困っとるんよ。こちらも華族やし、ヘタな女相手にして子供出来ても困るしなぁ。そういう発散の場が必要やねん」
俺の口調はどこまでも軽かった。それが春樹にどれだけ重く響くかを知りながら。
「何でもできるんやろ?」
春樹は、固まり、俯き、黙り込んだ。
それにあえて追い打ちをかけるように言葉を発する。
「古くから付き合いのある藍川家が困っとるの、ほっとくのも心苦しいけど、こっちに利益も何もないと動きにくいからなぁ」
「……それは、できないよ」
ようやく絞り出すように言ったその言葉を聞いて、俺は肩をすくめながら仕方がないと笑ってみせた。
「じゃあ、こうしましょ。藍川家の当主から支援を頼まれたら、ということで。それならこっちも断りにくいしなぁ」
わざとらしいその口調に春樹は目を伏せ、傷ついた表情を浮かべた。その表情を見た瞬間、じりじりと苛立ちが腹の底から込み上げてきた。
そっちがそないな顔するなよ。そちら側にいったのはお前やろ。「伝統」に忠実な、それに縋るしかないお前は、もう俺の知ってる春樹じゃない。
藍川織なんていらん。伝統。そんなもの全部潰れてしまえ
それから春樹はさらに躍起になって京へ江戸へと駆け巡っていたが振るわなかったようで、藍川織の影響力は萎み、当主の態度が横柄だったこともあってか、藍川織そのものを民衆は蔑むようになった。
こつり、そう下駄を鳴らして町を歩くと春樹とその弟が視界に入る。どうやら噂をする連中を気にして春樹は俯いている様子だった。民衆の噂の声に耐え忍ぶその姿が、なぜか過去の、醜悪な華族たちに囲まれていた自分と重なる。
気付けばそれに割って入っていた。華族の俺が話しかけるだけで蜘蛛の子を散らすように連中は走り去る。そうして残った二人に、春樹に声をかけた。
「災難やねぇ、春樹。しかしまぁ頑張って江戸まで足運んだ言うのに、成果も見えへんしなぁ?」
「そう……だね……」
軽く落ち込む姿に少し溜飲が下がる想いだったが、すぐに春樹は顔を上げて俺を見据えた。
「まだ終わってないよ、珠。藍川織はまだまだこれからだ」
まるで過去を彷彿させるような瞳。真っ黒に塗りつぶされたはずのそれが、どこか輝きを放っているように見える。
いや、違う。前のお前とはもう違うんや
「まぁええわ。その調子でこれからも藍川家に尽くすとええんちゃう?」
そうや、こんなつまらん奴。どうせその伝統に尽くしても何も生まれないというのに
横を通り抜ける途中、春樹にそっと耳打ちをした。
「前の話。まだ覚えとるよな?」
春樹が悔しそうに唇を噛むのを横目に、屋敷へと帰る。
自身の矜持のために、伝統を諦めるその時はいつ来るのか。それが楽しみで、想像するだけで笑いが込み上げてきた。
当主の俺は、他の華族との交流もさらに増え、相手を笑顔で受け流す術を自然と身につけた。自分では気づいていなかったがこの外見も使えたもので、地位が低いと見下すババア共に謙遜して見せるだけでなんとかやっていけたものだ。
空虚な日々だった。何一つ心を満たすものがなかった。茶席を開き、中身のない会話をする。全部全部無くなればいいと思った。
そうして小さな子供の自分がまた顔を出した。
「こんな空っぽな伝統、潰してしまえ」
俺はそれに従うように、新しい道を探し始めた。
茶道以外の道を探し、日々商いに向きそうな何かを求める。
20を過ぎた頃、偶然貿易商と話す機会を得た。話を聞くと西洋からの品が増えてきているらしい。そう言って見せてもらった品々に目を奪われた。
香辛料、綿や麻の原材料、そして機械織りの織物——どれもこれもが美しく精巧で、見たことないものばかり。
「これが、機械で織られとるん?」
「そうです。ですが、西洋のものというだけで客が寄り付かなくって……。商品として卸す場所もなくて困っているところなんですよ」
それを聞いて、俺の胸はざわめいた。これや——直感的にそう思った。
こんなに精巧な織物なら町の人間はもちろん、気位の高い華族でさえ手に取る。自分の華族としての地位を、これを売り出す足掛かりとしよう。そうして貿易商とのやり取りが始まった。
町に西洋の織物が流れ始める。それはまだ民衆の間に広まったわけではない。だが春樹は変化に気づいたのか江戸へと販路を拡大するべく動いているという噂を耳にした。
けどもう遅い。
京の噂は広がるのがそれはそれは早いものだ。葉鶴家の茶会で軽く話題に出すだけで、瞬く間にその評判は華族の耳に入り、人から人へと拡散されていく。
最初は面白がって手に取った華族の連中も、次第にそれに魅了されたのか流行として取り入れ始め、そしてその噂は瞬く間に庶民の耳へと届くようになった。
ある日、春樹が藍川家の品を届けに来たタイミングで、俺は何も知らぬ顔をして声をかけた。
「なんや最近噂になっとるみたいやね」
唐突な言葉に、春樹は少し目を見開き、苦笑を浮かべた。
「うん、だから僕も江戸に行ってなんとかしようとしてるんだけど——」
「上手くいかへん?」
遮るように口にした言葉に、表情がわずかに曇るのを俺は見逃さなかった。
「もしかしてやけど、支援が必要なん?」
「えっ……」
春樹は戸惑いながらも、しばらく沈黙してから小さく頷いた。
「うん、まぁね。でも誰を頼ればいいか分からなくって……。藍川織のためならできることは何でもしたいと思ってる……」
伝統を大切にしたい、純粋そのもので、かつてと同じ真っ白な思い。けれど過去とは確かに異なる真っ黒な墨で汚されたそれに、反吐が出そうになった。
「ごめん、頼みにくいことなんだけど……」
「いやいや、ええよ。」
俺は軽い調子で言葉を返した。
「藍川織の伝統、守りたいんやろ? ほんなら言うてみ、何が必要なん」
意図的に「伝統」を口に出すと、春樹は迷うように視線を揺らしながら、やがて小さく口を開いた。
「販路の拡大を、支援してほしい……。江戸でつながりを作るには、華族の信用がどうしても必要で……葉鶴家の名前を貸してもらえたら、もっと藍川織を広めることができると、そう思って、」
「華族の信用、なぁ」
顔に手を当てながらざと考え込むように間を置く。そして静かに口角を上げ、無造作に言葉を放った。
「そんなら代わりに、身体、借りてもええ?」
「えっ」
春樹の目が大きく見開かれる。あまりにも唐突で、まるで物を借りるかのように放たれた俺の言葉に、唖然とした表情を浮かべた。
「いやな、鶏姦罪なんていう男同士の行為を禁止する法のせいで、自分も困っとるんよ。こちらも華族やし、ヘタな女相手にして子供出来ても困るしなぁ。そういう発散の場が必要やねん」
俺の口調はどこまでも軽かった。それが春樹にどれだけ重く響くかを知りながら。
「何でもできるんやろ?」
春樹は、固まり、俯き、黙り込んだ。
それにあえて追い打ちをかけるように言葉を発する。
「古くから付き合いのある藍川家が困っとるの、ほっとくのも心苦しいけど、こっちに利益も何もないと動きにくいからなぁ」
「……それは、できないよ」
ようやく絞り出すように言ったその言葉を聞いて、俺は肩をすくめながら仕方がないと笑ってみせた。
「じゃあ、こうしましょ。藍川家の当主から支援を頼まれたら、ということで。それならこっちも断りにくいしなぁ」
わざとらしいその口調に春樹は目を伏せ、傷ついた表情を浮かべた。その表情を見た瞬間、じりじりと苛立ちが腹の底から込み上げてきた。
そっちがそないな顔するなよ。そちら側にいったのはお前やろ。「伝統」に忠実な、それに縋るしかないお前は、もう俺の知ってる春樹じゃない。
藍川織なんていらん。伝統。そんなもの全部潰れてしまえ
それから春樹はさらに躍起になって京へ江戸へと駆け巡っていたが振るわなかったようで、藍川織の影響力は萎み、当主の態度が横柄だったこともあってか、藍川織そのものを民衆は蔑むようになった。
こつり、そう下駄を鳴らして町を歩くと春樹とその弟が視界に入る。どうやら噂をする連中を気にして春樹は俯いている様子だった。民衆の噂の声に耐え忍ぶその姿が、なぜか過去の、醜悪な華族たちに囲まれていた自分と重なる。
気付けばそれに割って入っていた。華族の俺が話しかけるだけで蜘蛛の子を散らすように連中は走り去る。そうして残った二人に、春樹に声をかけた。
「災難やねぇ、春樹。しかしまぁ頑張って江戸まで足運んだ言うのに、成果も見えへんしなぁ?」
「そう……だね……」
軽く落ち込む姿に少し溜飲が下がる想いだったが、すぐに春樹は顔を上げて俺を見据えた。
「まだ終わってないよ、珠。藍川織はまだまだこれからだ」
まるで過去を彷彿させるような瞳。真っ黒に塗りつぶされたはずのそれが、どこか輝きを放っているように見える。
いや、違う。前のお前とはもう違うんや
「まぁええわ。その調子でこれからも藍川家に尽くすとええんちゃう?」
そうや、こんなつまらん奴。どうせその伝統に尽くしても何も生まれないというのに
横を通り抜ける途中、春樹にそっと耳打ちをした。
「前の話。まだ覚えとるよな?」
春樹が悔しそうに唇を噛むのを横目に、屋敷へと帰る。
自身の矜持のために、伝統を諦めるその時はいつ来るのか。それが楽しみで、想像するだけで笑いが込み上げてきた。
3
あなたにおすすめの小説
かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい
日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。
たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡
そんなお話。
【攻め】
雨宮千冬(あめみや・ちふゆ)
大学1年。法学部。
淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【BL】捨てられたSubが甘やかされる話
橘スミレ
BL
渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。
もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。
オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。
ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。
特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。
でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。
理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。
そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!
アルファポリス限定で連載中
二日に一度を目安に更新しております
カメラ越しのシリウス イケメン俳優と俺が運命なんてありえない!
野原 耳子
BL
★執着溺愛系イケメン俳優α×平凡なカメラマンΩ
平凡なオメガである保(たもつ)は、ある日テレビで見たイケメン俳優が自分の『運命』だと気付くが、
どうせ結ばれない恋だと思って、速攻で諦めることにする。
数年後、テレビカメラマンとなった保は、生放送番組で運命である藍人(あいと)と初めて出会う。
きっと自分の存在に気付くことはないだろうと思っていたのに、
生放送中、藍人はカメラ越しに保を見据えて、こう言い放つ。
「やっと見つけた。もう絶対に逃がさない」
それから藍人は、混乱する保を囲い込もうと色々と動き始めて――
ヤンデレだらけの短編集
八
BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。
【花言葉】
□ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡
□ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生
□アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫
□ラベンダー:希死念慮不良とおバカ
□デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち
ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。
かなり昔に書いたもので芸風(?)が違うのですが、楽しんでいただければ嬉しいです!
【異世界短編】単発ネタ殴り書き随時掲載。
◻︎お付きくんは反社ボスから逃げ出したい!:お馬鹿主人公くんと傲慢ボス
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる