緑の袱紗が鳴るとき

ホルモンヤん

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 春樹と会ったのはちょうどその頃。俺が8歳のときだった。
 ある日親は言った。藍川織という伝統織物で俺の着物だのなんだのを仕立てると。そのために藍川家に顔を出すと。

 また伝統や

 伝統を装い、見てくれだけを繕おうとする親に呆れた。

 藍川家へ行き、会話をする両親たち。互いの自慢と体裁ばかり。退屈で仕方ないそれを早々に抜け出して、その敷地をプラプラと歩いた。
 ふと鼻を刺すツンとした匂いに気づき、思わず足を止める。それは薬品の独特の匂いに何か草みたいな青臭さが混ざった、不思議なものだった。
 匂いの元を探るべく、歩き、ある小屋の前に立ち止まる。

「なんや、ここ……」

 それは大きく、どこか存在感のあるものだった。
 誰も華族の俺に注意なんてせんやろ、そう思って誰の了承も得ずにそこへ立ち入った。
 なかは薄暗く、どこか湿ったような重みのある空間。じっとりと漂う匂いがさらに濃くなり、思わず鼻をつまみかける。
 しかしその瞬間、目に飛び込んできた光景に釘付けになった。

 そこには俺と同じくらいの奴がいた。

 何か草の様なものから色を抜き、薬品と混ぜ合わせて、くるくるくるくる。
 ただ一心不乱に集中してるのか俺がいることに全く気付いていない。何かを追い求めるような、貪欲に学ぶような、そんな必死さがそこにはあった。

 染色するための液か? それにしては藍色やのうて、緑やし。なんでや?
 その疑問を俺は口に出した。

「なんやそれ、藍川織は藍色ちゃうん?」

 俺の声に、そいつはびくっと肩を揺らして顔を上げた。目を大きく開いて、まんまるとしている。

「えっ、あ、うん。これは練習? かな。」

 練習? 藍川織は藍色しか使わないはずなのに、手元のそれは妙にくすんだ緑色。

「練習言うても、藍川織の伝統は藍色のはずやろ。なんでこんなん作っとるん?」
「僕は藍川織が好きだから、もっと広く知られるために幅を広げたいと思ってるんだ」

 その言葉に、俺は意外な気持ちで目を見張った。

 ……こんな奴もいるんやな

 伝統の色に固執せず、幅を広げるために懸命に努力する。
 そう言ったあいつの目はキラキラしてて、明るく照らすお日様みたいで妙に心を動かされるものがあった。

「織物はできるん?」

 俺はそいつに少し興味をもって会話を続けた。

「えっ、まだ練習中だから小さいものしか……」
「それでええから、作ってや。その色で」

 口からぽろりと、言葉が出た。藍川家のあいつが作った緑色。理由は分からないけれど、その色を自分が身につけたいと思った。
 それ以上の言葉は言わず、じっとその目を見つめる。
 少し戸惑っていたが、俺の圧に押されたのか小さく頷いた。

「うん……いいけど、君は、誰?」
「あぁ、今日着物の布頼む言うた親について来てん。だからそのついでに持ってきてや。じゃ、よろしゅう」

 そう言いたいことだけ伝え、すぐに背を向けた。

「え、あっ、ちょっとっ」

 背後から聞こえるあいつの声を振り切るように走り出す。込み上げる興奮に、口元が緩む。心臓が少しだけ早くなっているのを感じながら、無性に笑いたくなった。

 俺と同じ考えの奴がいるんや。伝統にしがみつくだけやない、次を見ようとする奴が——

 いつも仏頂面の自分が楽し気に帰ってきたのを「どうしたん?」と不思議そうに親に問われたが、「なんでもない」とあいつのことを口には出さなかった。

 あの緑色を、俺だけの特別なものにしたい。なぜかそう思ったのだ。
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