緑の袱紗が鳴るとき

ホルモンヤん

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「あにさま……むずかしくて、やになっちゃった。あにさまがやってよっ」
冬也とうや、自分でしないと身に着かないでしょ? それに、こうやって得た技術は絶対に将来の役に立つ。『あにさま』が約束するよ」

 そうして兄様に教わった織物を、ある一室でカタリカタリと一人静かに実践する。兄様とは最近会えていない。ここは格式高い華族の屋敷の一室。そう、賑やかな活気あるかつての作業場とはまるで違う。

 ——俺と兄様は、華族へと「売られた」のだ。



 藍川織あいかわおり————深い藍色と精密に織り上げられた文様が鮮やかな織物。その織物は藍川一族の職人たちが手掛けるもので、家名を支える誇りでもある。本家が職人たちを統率し、俺たち分家は技術を学び継承する立場にあった。
 藍川の名は京で広く知れ渡り、知らぬ者はいないほどの名家。当主はそれに誇りを持っていたのだろうが、実態はただただ偉そうに踏ん反り返り、怠惰に生活に浸るだけの男だった。

 兄様はもちろん当主とは違った。日々勤勉に学び、ひたすらに手を動かし技術を得、身に付けたそれを皆に教えた。とても優しく、穏やかで、俺はそんな兄様が大好きだった。兄様はいつも藍川織のことを考えていて、将来に不安を覚えたのか仕事の合間を縫って江戸へ足を運び、販路を広げようと動き回っていた。当時俺はまさか藍川織が廃れまいと考え、そこまでしなくてもと伝えたが、兄様は静かに首を横に振るだけだった。



 俺のその考えが変わったのはいつ頃からか。どこからともなくある織物が市場を席巻し始めた。それは西洋諸国から輸入された機械織りの織物。その出来栄えは驚くほど精巧で安価。町の人々はすぐに飛びついた。
 それに伴い、伝統ある藍川織の影響力も少しずつ削がれていく。もちろん、藍川織がすぐに消えることはない。しかし確かに売上が下がっているのは明らかで、それは京の町で噂になった。

「藍川さん、大変みたいやねぇ。西洋の船も最近よう見かけて、なんや時代が変わったみたいやわ」
「っ、いえ、今も皆様にご贔屓にしていただいてますから……西洋の織物など、藍川織に到底かないませんよ」
「そうなん? いやね、藍川さんのことみんな心配してたんよ。でも元気そうならよかったわぁ」

 当主の強がりはとうの昔に周囲にバレていたのだろう。

「いやに自信もってはったのに残念なこと」
「まぁ、あの人が当主やと職人さんたちもしんどいんとちゃう? 」
「職人離れが進んだんか、最近の出来はあんまりやしなぁ」
 などと町ではそんな話を耳にする機会が増えた。

 今日も兄様と京の町を歩き行けば、こそりこそりと噂をするのが聞こえる。まただ。また藍川家の伝統が馬鹿にされている。そう思ったのだろう屈辱にぎゅっと拳を握りしめた兄様に、俺はどうかお気になさらずとそっと声をかけた。そのときだった。

「いややわ、皆さんお揃いで。なに話してはるん? 折角やから自分も混ぜてほしいわ」

 コソコソと噂する人々にそう話しかけたのは、華族であり茶道の家元でもある葉鶴家の若き当主「葉鶴ようかく  たまき」だった。華族、その身分だけでも圧倒されるのにどこか氷のように冷たく美しいその容姿。艶やかな黒髪にすらりとした長身、整った面立ちは一際目を引くものだ。そしてその視線には、ただ立っているだけで人を射すくめる力があった。
 何とも言えぬ迫力に圧倒されたのか、噂をしていた連中は、いえいえわたしはこれでとそそくさと去って行った。
 その様子を珠さんはさらりと見届け、下駄の音を響かせながら、兄様の元へと歩み寄る。

「災難やねぇ、春樹はるき。しかしまぁ頑張って江戸まで足運んだ言うのに、成果も見えへんしなぁ?」
「そう……だね……」

 珠さんのすげない言葉に対して、兄様は軽く俯くもすぐに顔を上げて正面から見据える。

「まだ終わってないよ、珠。藍川織はまだまだこれからだ」

 兄様の言葉は揺るぎなかった。それは将来への希望を失っていない凛とした態度でもあった。
 だが、珠さんはスッ……と軽く細めた目でそれを見やるだけだった。

「まぁええわ。その調子でこれからも藍川家に尽くすとええんちゃう?」

 軽く嘲笑うかのような笑みでスルリと俺らの横を抜ける。その直前、兄様の肩に手を乗せ顔を近づけ、軽く耳打ちすると何事もなかったかのようにそのまま去っていった。その姿を視線で追いながら、兄様は小さく唇を噛んだ。

「兄様、珠さんは助けてくれたんでしょうか?」
「うん……珠は自分と古くからの付き合いだから。何か思うことがあったのかもね」

 尋ねる俺に顔を向けることなく、兄様は珠さんの後ろ姿をただじっと見つめていた。
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