1 / 12
表
1
しおりを挟む
「あにさま……むずかしくて、やになっちゃった。あにさまがやってよっ」
「冬也、自分でしないと身に着かないでしょ? それに、こうやって得た技術は絶対に将来の役に立つ。『あにさま』が約束するよ」
そうして兄様に教わった織物を、ある一室でカタリカタリと一人静かに実践する。兄様とは最近会えていない。ここは格式高い華族の屋敷の一室。そう、賑やかな活気あるかつての作業場とはまるで違う。
——俺と兄様は、華族へと「売られた」のだ。
藍川織————深い藍色と精密に織り上げられた文様が鮮やかな織物。その織物は藍川一族の職人たちが手掛けるもので、家名を支える誇りでもある。本家が職人たちを統率し、俺たち分家は技術を学び継承する立場にあった。
藍川の名は京で広く知れ渡り、知らぬ者はいないほどの名家。当主はそれに誇りを持っていたのだろうが、実態はただただ偉そうに踏ん反り返り、怠惰に生活に浸るだけの男だった。
兄様はもちろん当主とは違った。日々勤勉に学び、ひたすらに手を動かし技術を得、身に付けたそれを皆に教えた。とても優しく、穏やかで、俺はそんな兄様が大好きだった。兄様はいつも藍川織のことを考えていて、将来に不安を覚えたのか仕事の合間を縫って江戸へ足を運び、販路を広げようと動き回っていた。当時俺はまさか藍川織が廃れまいと考え、そこまでしなくてもと伝えたが、兄様は静かに首を横に振るだけだった。
俺のその考えが変わったのはいつ頃からか。どこからともなくある織物が市場を席巻し始めた。それは西洋諸国から輸入された機械織りの織物。その出来栄えは驚くほど精巧で安価。町の人々はすぐに飛びついた。
それに伴い、伝統ある藍川織の影響力も少しずつ削がれていく。もちろん、藍川織がすぐに消えることはない。しかし確かに売上が下がっているのは明らかで、それは京の町で噂になった。
「藍川さん、大変みたいやねぇ。西洋の船も最近よう見かけて、なんや時代が変わったみたいやわ」
「っ、いえ、今も皆様にご贔屓にしていただいてますから……西洋の織物など、藍川織に到底かないませんよ」
「そうなん? いやね、藍川さんのことみんな心配してたんよ。でも元気そうならよかったわぁ」
当主の強がりはとうの昔に周囲にバレていたのだろう。
「いやに自信もってはったのに残念なこと」
「まぁ、あの人が当主やと職人さんたちもしんどいんとちゃう? 」
「職人離れが進んだんか、最近の出来はあんまりやしなぁ」
などと町ではそんな話を耳にする機会が増えた。
今日も兄様と京の町を歩き行けば、こそりこそりと噂をするのが聞こえる。まただ。また藍川家の伝統が馬鹿にされている。そう思ったのだろう屈辱にぎゅっと拳を握りしめた兄様に、俺はどうかお気になさらずとそっと声をかけた。そのときだった。
「いややわ、皆さんお揃いで。なに話してはるん? 折角やから自分も混ぜてほしいわ」
コソコソと噂する人々にそう話しかけたのは、華族であり茶道の家元でもある葉鶴家の若き当主「葉鶴 珠」だった。華族、その身分だけでも圧倒されるのにどこか氷のように冷たく美しいその容姿。艶やかな黒髪にすらりとした長身、整った面立ちは一際目を引くものだ。そしてその視線には、ただ立っているだけで人を射すくめる力があった。
何とも言えぬ迫力に圧倒されたのか、噂をしていた連中は、いえいえわたしはこれでとそそくさと去って行った。
その様子を珠さんはさらりと見届け、下駄の音を響かせながら、兄様の元へと歩み寄る。
「災難やねぇ、春樹。しかしまぁ頑張って江戸まで足運んだ言うのに、成果も見えへんしなぁ?」
「そう……だね……」
珠さんのすげない言葉に対して、兄様は軽く俯くもすぐに顔を上げて正面から見据える。
「まだ終わってないよ、珠。藍川織はまだまだこれからだ」
兄様の言葉は揺るぎなかった。それは将来への希望を失っていない凛とした態度でもあった。
だが、珠さんはスッ……と軽く細めた目でそれを見やるだけだった。
「まぁええわ。その調子でこれからも藍川家に尽くすとええんちゃう?」
軽く嘲笑うかのような笑みでスルリと俺らの横を抜ける。その直前、兄様の肩に手を乗せ顔を近づけ、軽く耳打ちすると何事もなかったかのようにそのまま去っていった。その姿を視線で追いながら、兄様は小さく唇を噛んだ。
「兄様、珠さんは助けてくれたんでしょうか?」
「うん……珠は自分と古くからの付き合いだから。何か思うことがあったのかもね」
尋ねる俺に顔を向けることなく、兄様は珠さんの後ろ姿をただじっと見つめていた。
「冬也、自分でしないと身に着かないでしょ? それに、こうやって得た技術は絶対に将来の役に立つ。『あにさま』が約束するよ」
そうして兄様に教わった織物を、ある一室でカタリカタリと一人静かに実践する。兄様とは最近会えていない。ここは格式高い華族の屋敷の一室。そう、賑やかな活気あるかつての作業場とはまるで違う。
——俺と兄様は、華族へと「売られた」のだ。
藍川織————深い藍色と精密に織り上げられた文様が鮮やかな織物。その織物は藍川一族の職人たちが手掛けるもので、家名を支える誇りでもある。本家が職人たちを統率し、俺たち分家は技術を学び継承する立場にあった。
藍川の名は京で広く知れ渡り、知らぬ者はいないほどの名家。当主はそれに誇りを持っていたのだろうが、実態はただただ偉そうに踏ん反り返り、怠惰に生活に浸るだけの男だった。
兄様はもちろん当主とは違った。日々勤勉に学び、ひたすらに手を動かし技術を得、身に付けたそれを皆に教えた。とても優しく、穏やかで、俺はそんな兄様が大好きだった。兄様はいつも藍川織のことを考えていて、将来に不安を覚えたのか仕事の合間を縫って江戸へ足を運び、販路を広げようと動き回っていた。当時俺はまさか藍川織が廃れまいと考え、そこまでしなくてもと伝えたが、兄様は静かに首を横に振るだけだった。
俺のその考えが変わったのはいつ頃からか。どこからともなくある織物が市場を席巻し始めた。それは西洋諸国から輸入された機械織りの織物。その出来栄えは驚くほど精巧で安価。町の人々はすぐに飛びついた。
それに伴い、伝統ある藍川織の影響力も少しずつ削がれていく。もちろん、藍川織がすぐに消えることはない。しかし確かに売上が下がっているのは明らかで、それは京の町で噂になった。
「藍川さん、大変みたいやねぇ。西洋の船も最近よう見かけて、なんや時代が変わったみたいやわ」
「っ、いえ、今も皆様にご贔屓にしていただいてますから……西洋の織物など、藍川織に到底かないませんよ」
「そうなん? いやね、藍川さんのことみんな心配してたんよ。でも元気そうならよかったわぁ」
当主の強がりはとうの昔に周囲にバレていたのだろう。
「いやに自信もってはったのに残念なこと」
「まぁ、あの人が当主やと職人さんたちもしんどいんとちゃう? 」
「職人離れが進んだんか、最近の出来はあんまりやしなぁ」
などと町ではそんな話を耳にする機会が増えた。
今日も兄様と京の町を歩き行けば、こそりこそりと噂をするのが聞こえる。まただ。また藍川家の伝統が馬鹿にされている。そう思ったのだろう屈辱にぎゅっと拳を握りしめた兄様に、俺はどうかお気になさらずとそっと声をかけた。そのときだった。
「いややわ、皆さんお揃いで。なに話してはるん? 折角やから自分も混ぜてほしいわ」
コソコソと噂する人々にそう話しかけたのは、華族であり茶道の家元でもある葉鶴家の若き当主「葉鶴 珠」だった。華族、その身分だけでも圧倒されるのにどこか氷のように冷たく美しいその容姿。艶やかな黒髪にすらりとした長身、整った面立ちは一際目を引くものだ。そしてその視線には、ただ立っているだけで人を射すくめる力があった。
何とも言えぬ迫力に圧倒されたのか、噂をしていた連中は、いえいえわたしはこれでとそそくさと去って行った。
その様子を珠さんはさらりと見届け、下駄の音を響かせながら、兄様の元へと歩み寄る。
「災難やねぇ、春樹。しかしまぁ頑張って江戸まで足運んだ言うのに、成果も見えへんしなぁ?」
「そう……だね……」
珠さんのすげない言葉に対して、兄様は軽く俯くもすぐに顔を上げて正面から見据える。
「まだ終わってないよ、珠。藍川織はまだまだこれからだ」
兄様の言葉は揺るぎなかった。それは将来への希望を失っていない凛とした態度でもあった。
だが、珠さんはスッ……と軽く細めた目でそれを見やるだけだった。
「まぁええわ。その調子でこれからも藍川家に尽くすとええんちゃう?」
軽く嘲笑うかのような笑みでスルリと俺らの横を抜ける。その直前、兄様の肩に手を乗せ顔を近づけ、軽く耳打ちすると何事もなかったかのようにそのまま去っていった。その姿を視線で追いながら、兄様は小さく唇を噛んだ。
「兄様、珠さんは助けてくれたんでしょうか?」
「うん……珠は自分と古くからの付き合いだから。何か思うことがあったのかもね」
尋ねる俺に顔を向けることなく、兄様は珠さんの後ろ姿をただじっと見つめていた。
5
あなたにおすすめの小説
かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい
日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。
たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡
そんなお話。
【攻め】
雨宮千冬(あめみや・ちふゆ)
大学1年。法学部。
淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【BL】捨てられたSubが甘やかされる話
橘スミレ
BL
渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。
もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。
オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。
ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。
特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。
でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。
理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。
そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!
アルファポリス限定で連載中
二日に一度を目安に更新しております
カメラ越しのシリウス イケメン俳優と俺が運命なんてありえない!
野原 耳子
BL
★執着溺愛系イケメン俳優α×平凡なカメラマンΩ
平凡なオメガである保(たもつ)は、ある日テレビで見たイケメン俳優が自分の『運命』だと気付くが、
どうせ結ばれない恋だと思って、速攻で諦めることにする。
数年後、テレビカメラマンとなった保は、生放送番組で運命である藍人(あいと)と初めて出会う。
きっと自分の存在に気付くことはないだろうと思っていたのに、
生放送中、藍人はカメラ越しに保を見据えて、こう言い放つ。
「やっと見つけた。もう絶対に逃がさない」
それから藍人は、混乱する保を囲い込もうと色々と動き始めて――
ヤンデレだらけの短編集
八
BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。
【花言葉】
□ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡
□ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生
□アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫
□ラベンダー:希死念慮不良とおバカ
□デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち
ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。
かなり昔に書いたもので芸風(?)が違うのですが、楽しんでいただければ嬉しいです!
【異世界短編】単発ネタ殴り書き随時掲載。
◻︎お付きくんは反社ボスから逃げ出したい!:お馬鹿主人公くんと傲慢ボス
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる