魔法使いと皇の剣

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3章 神の肉

暴食の眷属 トロール

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 咆哮が響き渡る中、ガルシアと部下の騎士たちは即座に反応した。剣に手をかけながら、ガルシアが低く呟く。

「薄汚い……暴食の眷属、トロールか!」

 その言葉に、周囲の空気がさらに緊張感を増した。ガルシアの目には燃え上がるような鋭い光が宿り、すでに戦闘体勢を整えている。彼の部下たちも武器を構え、咆哮の主が現れる瞬間に備えた。

 ドシン……ドシン……

 重く鈍い足音が規則的に地面を揺らし、音の主がついにミエラたちの前に姿を現した。

 その巨体は、少なく見積もっても5メートルを超えている。全身は毛が一本も見当たらない灰色の肌に覆われ、光を反射しないその異様な質感が、不気味さをさらに引き立てていた。

 顔立ちは人間に近いが、どこか獣のような荒々しさが滲んでいる。ぎょろつく目、裂けるように広がった口、獰猛な表情――そのすべてが敵意をむき出しにしていた。

 胴体はでっぷりと太り、腹が異常に突き出ている。その姿は滑稽にも見えるが、同時にその肉厚の体が防御の役割を果たしていることを感じさせた。体にはどこで作ったのか申し訳程度の鎧が装着されているが、それは本来の用途を果たしていないようだった。

 右手にぶら下がる巨大なメイスは、まるで人間の体を簡単に砕くために作られたかのように見える。鉄の塊に棘が付いたその武器は、鈍い光を放ちながらトロールの手の中で揺れていた。

 ミエラはその巨体を目にした瞬間、思わず息を呑んだ。

「……これが暴食の眷属……!」

 思わず漏れたミエラの言葉に、アーベンが静かに答える。

「そうだ。暴食の神グルンの配下、その力の名残がこうした存在を生み出した。」

 トロールはじっとミエラたちを見つめていたが、ふとミエラに視線を止めると、驚いたような表情を浮かべ、低くどもった声で言葉を発した。

『オマエ。ブサイクなのにキレイだなぁ……オデ、ヘンになっちまったか?』

 その場にいた全員が耳を疑った。まさかトロールが話しかけてくるとは思わなかった。さらに、その言葉が古代語で発せられたことに、ミエラはなおさら驚いた。

「……ブサイクなのにキレイ?」

 ミエラはトロールに何か言い返したくなる気持ちを抑えながらも、冷静に対話の可能性を見出そうと心を決めた。この状況で村に何が起きたのか聞き出せるかもしれないと考えたからだ。

《暴食の神グルン様の眷属である貴方にお聞きしたい。この村で何が起こったのでしょうか? 村に人がいないのは、貴方が何かされたのでしょうか?》

 ミエラは古代語で丁寧に問いかけた。その言葉に、アーベンやガルシアは一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに冷静さを取り戻し、警戒の体制を崩さないまま二人のやり取りを見守った。

 トロールはミエラの言葉に目を丸くし、どこか興奮したように笑い声を上げた。

『オマエ、話せるのか……?ディシシ!小さい人の子なのに……!オデ、オマエ気に入ったぞー!』

 しかし、ミエラの問いかけには答えず、トロールは顔を歪めるようにして楽しそうに続けた。

『キメた……オデ、オマエをヨメにする。オデのヨメ。キメた!』

 その瞬間、トロールは突然手を伸ばし、ミエラに向けて掴みかかろうとした。

「っ!」

 ミエラは咄嗟に馬から飛び降り、その場から転がるようにして距離を取った。代わりにトロールが掴み取ったのは、ミエラが乗っていた馬だった。

「オマエ、いない……?」

 トロールは一瞬困惑したような表情を浮かべたが、すぐに手にした馬をそのまま口に運び、無造作に噛み砕いた。骨が砕ける鈍い音と、血の滴る音が響き渡る。

 その瞬間、空気が弾けるように緊張感が頂点に達した。

「化物が!」

 ガルシアが鋭い声を上げ、即座に部下の騎士に指示を飛ばす。

「攻撃を仕掛けろ!足を狙え!」

 ガルシアは自ら馬を駆け、一直線にトロールの足元へと向かった。そして、隙を見逃さず、全力で剣を突き立てる。

「おおおぉぉ!」

 剣が灰色の巨体を貫いた瞬間、トロールは足を大きく動かし、苦痛と怒りが混ざったような咆哮を上げた。だが、その巨体はビクともせず、逆に暴れ始める。

「アーベン王子とミエラ殿は距離を!この巨体を止めるには時間がかかります!」

 ガルシアは自らを奮い立たせるように咆哮を上げながら、トロールの巨体と向き合っていた。トロールの足が踏みつけるたびに地面が揺れ、土埃が舞い上がる。その暴れる足を巧みにかわしながら、ガルシアは鋭く剣を突き立てていく。

「アーベン王子!」

 ミエラが後方から声をかけると、アーベンはどこか余裕のある微笑を浮かべ、馬の手綱を軽く引いた。

「トロールは何と言っていた?」

 その冷静すぎる問いかけに、ミエラは一瞬言葉を失った。戦闘の最中にも関わらず、彼があまりにも落ち着き払っていることに唖然とする。

「……その話は後で! いまは危険です!」

 ミエラがそう叫ぶと、アーベンは一瞥だけトロールに向け、低く呟いた。

「生け捕りにしたいところだが……仕方ないか。」

 そのままアーベンは馬の距離を保ちながら剣を抜き、慎重に戦況を見守る。ミエラは自身も前線に加わろうと視線をトロールに戻した。

 その瞬間――トロールが手に持った巨大なメイスを、騎士に向かって振り下ろしたのが見えた。

「危ない!」

 振り下ろされたメイスを見た騎士は、咄嗟に馬の手綱を引き、辛うじて回避することに成功した。しかし、地面に叩きつけられたメイスは凄まじい轟音を響かせ、周囲の草木を粉砕し、地面を大きく抉った。その衝撃は凄まじく、馬は驚いて騎士を振り落とした。

「うっ!」

 地面に転がり込んだ騎士は、反射的に身を起こそうとしたが、その隙を見逃すトロールではなかった。トロールは即座に巨大な手を振り抜き、騎士を勢いよく弾き飛ばした。

「うああっ!」

 騎士の体は宙を舞い、重い音を立てて地面に叩きつけられる。彼の動きが止まり、場の空気が一瞬凍りついた。

「まずい……!」

 ガルシアは歯を食いしばりながら剣を振り下ろし続けたが、トロールの厚い脂肪は刃を弾き返すように阻み、大きなダメージを与えることができない。それどころか、切りつけた傷は瞬く間に塞がり、まるで何事もなかったかのように消えていった。

「再生能力まで……!」


 その様子を見ていたミエラは、すぐに前方へと手を伸ばし、魔法を唱え始めた。周囲の地面が振動し始め、土が轟音を立ててトロールの足元にまとわりつく。

「これで……!」

 足を捉えられたトロールはバランスを崩し、大きな体をぐらつかせた。そのまま膝をつき、頭を地面に近づける形で動きを鈍らせる。

「よし!」

 ガルシアはその隙を逃さず、馬を一気に駆けさせた。目標は、無防備に頭を下げたトロールの頭部。剣を握る手に力を込め、突進の勢いをもって致命傷を狙う。

 だが――その瞬間、トロールが凄まじい咆哮を上げた。


 ミエラの魔法による拘束を、トロールは常軌を逸した力で振りほどいた。土を砕き、拘束の魔法を引き裂くように足を解放すると、凄まじいスピードで体勢を立て直し、手に持った巨大なメイスを横に振り払った。

「ガルシアさん、危ない!」

 ミエラの叫び声が響くが、トロールのメイスはすでにガルシアに向かって振り抜かれていた。その動きは、巨体からは想像もつかないほど速い。

「くっ……!」

 ガルシアはとっさに馬の手綱を引き、体を捻って避けようとした。しかし、完全に回避することは叶わず、トロールのメイスが馬の側面を捉える。衝撃の勢いで馬が悲鳴を上げ、そのまま地面に崩れ落ちた。

 ガルシアも馬と共に地面に投げ出される。衝撃で剣が手から離れ、泥に転がったガルシアは、一瞬体を動かすことができなかった。

「ガルシアさん!」

 ミエラが駆け寄ろうとするが、トロールは次の攻撃を仕掛けるべく、再びメイスを振り上げていた。その巨大な影が、ガルシアの上に覆いかぶさるように迫る。


「……っ!」


 ミエラは咄嗟に手をかざし、魔法を発動させた。周囲の風を刃として放ち、トロールの体に何本もの風の刃を叩き込む。だが、その強靭な灰色の肌は、刃の攻撃をほとんど寄せ付けなかった。かすり傷程度の浅い切り傷がつくだけで、トロールは微動だにしない。

「どうすれば……!」

 焦る気持ちがミエラの集中を乱していた。攻撃など意に介さないトロールは、ガルシアに向けて容赦なくメイスを振り下ろした。

「くっ……!」

 ガルシアは全身の力を振り絞り、転がるようにしてなんとか直撃を避ける。だが、すべてを回避することはできなかった。メイスが地面に叩きつけられた瞬間、その衝撃がガルシアを直撃し、ガルシアの呻き声が響き渡る。

「ガルシアさん!」

 ミエラが悲鳴のような声を上げたその時、視界に入ったのは――。

 ガルシアの左腕が、潰れた肉塊となっていた。トロールのメイスに叩きつけられた腕は、形を留めることなく押し潰され、関節ごと引きちぎられるように身体から離れていた。地面に転がるその断片は、血と肉片が混じり合い、見る者の恐怖を煽る。

「っ……!」

 ガルシアは激痛に顔を歪めながら、それでも立ち上がろうともがいた。だが、失血と衝撃で身体は思うように動かない。

 トロールは動けないガルシアを掴み上げ、大きく口を開けた。その様子を見たミエラは、次に起きるであろう惨劇を察し、即座に精神を集中させて魔法を放つ。

 ミエラは土の塊を作り上げ、土で作られた腕で一気にトロールの口の中へと放り込んだ。
 突然口内に押し込まれた異物と、その衝撃にトロールの巨体がよろめく。

 ミエラはその隙で再び集中し、土や砂利を寄せ集めて魔法の斧を形作ると、それを力強く振り下ろした。狙いはトロールの足へと――。


 土の腕から振り下ろされた斧はトロールの足を切断するには至らなかったが、その巨体のバランスを崩すには十分だった。トロールは重心を失い、地響きを立てて倒れ込む。その隙にガルシアは懸命にもがき、トロールの手から抜け出すと、這うようにしてその巨体から距離を取った。

「火の手は必要かな?」

 不意に軽い口調が響く。ミエラが声の方に目を向けると、そこにはいつの間にか現れたアーベンがいた。彼はどこから持ってきたのか分からない松明を片手に掲げ、いたずらっぽく微笑んでいる。

「アーベン王子!」

 ミエラはアーベンの助けに感謝の意を込めて名を呼ぶが、同時に疑問が頭をよぎる。アーベンが自分の魔法の性質を理解している様子――それは、自身が魔法を発動させる際、周囲の物を媒介としていることを知っている証だ。しかし、深く考える暇はなかった。目の前のトロールが再び動き出す前に仕留めなければならない。

「ありがとうございます。使わせてもらいます!」

 ミエラは精神を集中させ、アーベンが掲げる松明の火に意識を向けた。小さな火はミエラの魔力に呼応し、空中でくるくると舞いながら徐々にその姿を変える。炎は勢いを増し、まるで生き物のように唸りを上げながら膨れ上がっていく。やがてそれは巨大な炎の渦となり、トロールを包み込んだ。

 トロールは炎に苦しむようにのたうち回るが、火の勢いは衰えない。周囲に炎の熱気が広がり、空気が歪む。

「素晴らしい⋯!」

 アーベンが感心したように声を上げるが、ミエラは振り返らず、集中を切らさない。その視線の先には、燃え盛る炎の中で立ち上がろうとするトロールの姿があった。

「まだ…!」

 ミエラの呟きには決意が宿っていた。燃え盛る渦の中心、トロールが完全に動きを止めるまでミエラは精神を集中させた。

 やがてトロールの巨体が黒く焼け焦げ、辺り一帯に異臭が漂い始めた。ミエラはその光景を見届けると、魔法への集中を解き、力が抜けたようにその場に膝をついた。全身から汗が噴き出し、疲労が押し寄せる。

 一方で、ガルシアの周りにトロールに吹き飛ばされた部下がようやく目覚め、必死に応急処置を施している。ガルシアはそんな部下を心配そうに見つめながらも、自身の傷にも痛みにも耐え抜いている。

 ミエラはガルシアの側に行こうと、ふらつきながら立ち上がろうとするが、疲れ切った体が言うことを聞かない。そんなミエラのもとにアーベンが近づいてきた。

「良いものを見させてもらったよ。」

 アーベンはミエラを手早く支えながら、軽い口調で続けた。

「素晴らしい魔法だね。さすが賢者のご子息というのは、只者じゃない。」

 その言葉にミエラは一瞬戸惑ったが、アーベンの手を借りて何とか立ち上がる。だが、アーベンの様子にはどこか違和感があった。目の前で繰り広げられた激闘や、ガルシアの無事、部下たちの安否に気を留める素振りはなく、ただ興味深そうにミエラを眺めているだけだった。

 ミエラは少し息を整えると、アーベンに視線を向けた。

「今の戦いを、“良いもの”だと⋯?」

 疲れた声ながらも、どこか刺すような言葉が口をつく。

 しかし、アーベンは気にした様子もなく、微笑を浮かべて肩をすくめるだけだった。その態度に何か得体の知れないものを感じながらも、ミエラは再び戦場の空気へと意識を戻した。

 ミエラにはまだ、守らなければならないものが残っていると。
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