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帝国編
32 天然
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しばらくの間、午前に感情を隠す訓練や体術の訓練、午後は経済や帝国法の座学、時々魔法という授業構成となった。
帝国法については、私としては以前魔塔主が紹介してくれたハバルが講師でも構わなかったのだが、それは老執事に反対された。
老執事曰く、魔塔主の魔法使いたちは賢く帝国法を熟知しているが、法律を曲解して利用したり、法の隙間をついてきたりするため、帝国法の基礎を学ぶ相手としては向かないということだ。
帝国は魔塔が国内にあることによって利益も得てきたが、帝国法を曲解して利用する魔法使いたちには面倒もかけられてきたのだという。
「エトワール王国の法律も見直しておいた方がいいかもしれませんね」
そう老執事には微笑まれた。
帝国の傘下に入るため、基本は帝国法となるが、帝国内の王国はそれぞれに国内で施行する独自の法もある。
我が国でも帝国の傘下に入るにあたり、帝国法と共通の法律は統合させ、不足している法律は増やし、王国独自の法律となるものは廃止するのか続行するのかを議論し、法律の調整をしているところだろう。
王国独自の法律を残す場合にはオーロ皇帝の許可が必要となる。
とにかく、老執事の話を聞いた私は両親に法律の解釈違いが起きないように文章に気をつける点、法の隙がないか確認することを手紙で注意した。
手紙は魔導具で送信できるようになったので非常に便利だ。
まぁ、魔塔の魔法使いたちだったらどんな法も捻じ曲げて隙を無理やり作ってきそうではあるけれど……それでもできるだけのことはしておくべきだろう。
「ノアールの授業では今日はどのようなことをしたのですか?」
帝国法の授業を終えると一緒に学んでいたナタリアがそう聞いてきた。
ナタリアはノアールの感情を隠す授業には参加しない。
淑女には淑女の方法があるため、礼儀作法を指導する先生が教えてくれるのだという。
「今日は涙を流す方法を訓練しました」
「女性は時に涙を武器にしなさいと習いましたが、男性もそうなのですか?」
「いいえ。泣かないと意識しても無理な時もありますから、泣く方法を学んでおくことによって、涙が出そうな時に泣かなくてもいいように訓練するのです」
「カルロ様はうまく泣けたのですか?」
「僕はリヒト様が僕を捨てるところを考えて泣けました」
実際、カルロは泣きすぎではないかと思うほど涙を流していた。
それが、咽び泣くような泣き方ではなく、静かに、けれども瞳には次から次へと涙が溢れてきて……
こう言ってはなんだが、すごく可愛かった。
泣き顔を可愛いなんて、まさか自分にSの要素があったのかと驚いたが、カルロが可愛すぎるので仕方ないと思う。
しかも、その涙の理由が私などと言われては、父性が溢れてしまうというものだ。
この子をずっと守っていこうと改めて心に誓った。
「リヒト様はどのようなことを考えていたのですか?」
カルロに問われ、私は困った。
私は、カルロがナタリアと結婚するシーンを思い浮かべていたのだ。
大切に守ってきたカルロが最愛の人と結ばれるシーンだ。
中身52歳の私が悲しいことで泣くのは難しかったため、感動で泣くことにしたのだった。
しかし、そのことはまだ言うわけにはいかないだろう。
カルロもナタリアもまだ6歳だ。
お互いに惹かれ始めていたとしてもまだそれが恋心だとは理解していない可能性が高い。
そんな時に私が二人が結婚するシーンだなんて言ったら、お互いに過度に緊張してしまうかもしれないし、場合によっては警戒心を抱くことになるかもしれない。
特に、ナタリアは帝国のお姫様だ。
ナタリアが警戒しなくても乳母や侍女が警戒して二人が会えないようにしてしまうかもしれない。
だから、私は二人の未来について語るわけにはいかないのだ。
「えっと……小説の悲しいシーンかな」
「リヒト様は情緒豊かなのですね」
ナタリアがそう優しく微笑んだ。
中身は情緒も何もかも枯れた中年のおじさんでごめん……
ナタリアの侍女が淹れてくれたお茶を飲む。
ちなみに、最近、乳母はナタリアの乳母や侍女から帝国でのお茶の作法を学んでいるらしい。
ナタリアの乳母や侍女も私の乳母と同じように上級貴族である。
帝国の中央国家の上級貴族と小国の上級貴族という違いはあるけれど、ナタリアの乳母や侍女が品性に溢れて優しいということもあり、乳母は打ち解けることができているようだ。
グレデン卿に関しては訓練場をなかなか使わせてもらえないと嘆いていたので、こちらは人間関係の改善が必要なようだ。
魔法使いの護衛がついているとはいうものの、私の護衛が一人という点、そしてメイドが誰もいないというのは良くないということで、エトワール王国からひと月以上をかけて彼らは帝国に向かってきてくれているということなので、彼らが到着したら、訓練場を使わせてもらえるようにオーロ皇帝にお願いしようかと考えている。
ちなみに、魔塔主は私が1年間も帝国に滞在するとは考えていなかったため、私がエトワール王国に戻る際に魔塔を動かせるように自身の魔力を温存するため、私たち少数だけを帝国に転移させたそうだ。
1年間も帝国にいるのなら魔力を今温存する必要もないため、護衛やメイドを一気に転移させることは可能だと申し入れがあったが、それは私が断った。
一度ならずも二度までも無断入国するわけにはいかないからだ。
それも今回はそれなりの人数がいるわけだから、たとえオーロ皇帝が魔塔主のやることだから仕方ないと目を瞑っても、宰相や大臣たち、他の貴族たちは許せないだろう。
「お二人はすべての授業が一緒で、お部屋も一緒で羨ましいです」
ナタリアがそう言った。
カルロと離れたくないってことだろうか?
確かに、しばらくはカルロを独占してしまうことになる。
しかし、将来的にはナタリアがカルロを独占することになるし、帝国法の成人は16歳であとほんの10年しかない。
その後は二人は結婚してずっと一緒にいるのだろうから、少しの間だけ我慢してほしい。
「僕はリヒト様の従者ですから、ずっと一緒にいるのは当然です!」
なぜか自慢げなカルロの姿が可愛い。
「私もリヒト様の従者になればずっと一緒にいられるということでしょうか?」
ナタリアの言葉に私もナタリアの乳母や侍女も驚いた。
「帝国のお姫様が小国の王子の従者にはなれません!」と、私は慌てて言おうとしたのだが、その前にカルロが口を開いた。
「ナタリア様はリヒト様の従者には決してなれません」
カルロの微笑みは、ノアールの授業で習った微笑みのようだ。
もしや、カルロは嫉妬心を隠しているのではないだろうか?
ナタリアを独り占めしたいカルロの可愛い嫉妬心に私はほっこりした。
「なぜでしょう?」
ナタリアは愛らしく小首を傾げる。
鈍いナタリアも可愛いが、どうかカルロの気持ちをわかってあげてほしい。
「理由はナタリア様の乳母が教えてくださいます」
そうだよね。
ヤキモチを焼いたからなんて言えないよね?
うんうん。純情な少年心、わかるよ!
中身はおっさんだけど、子供をやるのは2回目だからね!
「カルロ様がどうしてそのようにお考えなのかをお聞きしたいのですが?」
「ナタリア様がリヒト様の従者になることができないのは事実ですので、わざわざ僕の考えをお伝えする必要はないかと存じます」
「カルロ様、そのように言葉を省略するのはよろしくないと存じます」
カルロはただヤキモチを焼いただけなのだが、それを隠そうとするカルロの態度にナタリアは何やら誤解してしまったようだ。
二人は笑顔は崩さないが、その場の空気が徐々に険悪なものになっている気がする。
「私が事実を伝えてしまうと不敬になってしまうかもしれません」
「構いません。仰ってください」
カルロは一瞬、ニヤリと不敵に笑った気がする。
「リヒト様が決して選ばないでしょうから」
ちょーーー!!
そこで私を巻き込むのか!!?
いや、これは巻き込んだのではなく、カルロからのヘルプサインだろうか?
自分の気持ちを隠すのが手一杯でおかしな誤解を与えてしまったことを助けてくれということだろうか?
「ナタリア様、ナタリア様は帝国のお姫様です。お立場上、私のような小国の王子の従者にはなれないのです」
「まぁ、それならばわたくしは帝国の姫などにはなりたくなかったです」
そうナタリアがしょんぼりしてしまった。
私はその場を明るくするために少し冗談を言った。
「ナタリア様が私の従者になるよりも、私がナタリア様の従者になることの方が現実的ですね」
その瞬間、カルロの顔が真っ青になり、ナタリアの瞳が希望で輝いた。
「それならば一緒にいられますね!」
「リヒト様! なんてことをおっしゃるのですか!! リヒト様と一緒にいるのは僕の役目です!」
あ、やばい。カルロの目に涙が溜まってきた。
もしや、午前中の授業を思い出してしまったのだろうか?
カルロは私に捨てられるところを想像して泣いたと言っていた。
そんなことは絶対に起こらないが、捨てられるということは離れるということだ。
私がナタリアの従者になり、カルロと一緒にいられなくなるところを考えてしまったのかもしれない。
「ナタリア様もカルロも今のは冗談なので、真に受けないでください」
「冗談ですか? では、リヒト様がわたくしの従者になってくださることはないのですか?」
「私も一応王族ですから、いつまでもこちらにとどまることはできません」
「冗談でもあんなこと言わないでください」
「すまなかった」
今後はカルロの前ではこうしたことは冗談でも決して言わないと誓った。
演技で泣いている姿は可愛いが、やはり本気で泣かれると心が痛む。
私たちから少し離れたところでナタリアの乳母と私の乳母が、「天然ですか?」「はい。天然です」と小声で話していた。
魚介類のように茶葉にも天然という言葉が使われるのだろうか?
いや、そもそも養殖があるのだろうか?
茶葉なら茶畑はありそうだから、畑のものと天然というものがありそうだ。
むしろ、この世界では魚介類には使わない言葉なのかもしれないな。
「リヒト様、今日は悲しい思いをしたので僕のこと抱きしめて寝てくださいね?」
魔塔主が早朝に私の部屋を訪れてからカルロが私の部屋で寝るという行為は続いている。
さらに、その翌日に私が乳母にもカルロにも告げずにグレデン卿とともに転移魔法でエトワールの城に戻ったことから、見張りとしてカルロが私と一緒に寝ることを乳母が許可したので、カルロは堂々と私と一緒に寝ているのだ。
「わかったよ」
先ほどおかしな冗談を言ったことによってカルロを不安にさせてしまったので、私はカルロの願いを叶えることにした。
すると、一瞬だけ、ナタリアの左眉がぴくりと動いた気がする。
確か執事は左の方が感情が表情に表れやすいため、感情によって左右非対称にならないように注意するようにと言っていた。
そんなの訓練でどうにかなるのだろうかと疑問に思ったが、それを常日頃意識して表情を取り繕っている執事が言うのだから、いつかはどうにかなるのだろう。
「リヒト様はカルロ様と一緒に寝ているのですか!?」
ナタリアの驚いたような声に私はしまったと緩んでいた頬を引き締めた。
「一緒に寝ているというか、私が夜更かしをしないようにとカルロは見張りをしているのです」
「夜通し、リヒト様と一緒にいる見張り……」
カルロと仲良くなるためにこれまで色々努力してきたから私とカルロが仲がいいのは仕方ないことだ。
だから、ナタリアには不安になってもらいたくはないのだが……
「わたくしも一緒に寝たいです!」
「ダメです!」
私があまりの驚きに言葉を忘れているとカルロがすぐさま答えた。
恋心は反応速度まで育てるのだろうか?
「どうしてですか? わたくし、子守唄も得意ですから、寝かしつけは上手だと思います」
カルロを寝かしつけてあげたいということだな。
まさか、ナタリアはカルロに母性が芽生えているのではないだろうか?
女の子の方が成長が早いとは前世で何度も聞いた話だ。
しかし、ナタリアに抱いてほしいのは母性ではなく、恋心だ。
「我々はまだ6歳の子供ではありますが、ナタリア様のお立場上、異性の者と同じベッドで寝ることは好ましくありません」
「確かにそうですが……カルロ様ばかりリヒト様とずっと一緒にいてずるいです」
「カルロは同性ですから」
「帝国法では同性であっても異性と同様に婚姻が可能です。リヒト様はカルロ様を婚約者にするご予定なのですか?」
おや、これは今度はナタリアがヤキモチを焼いているのだろうか?
これはなかなかいい兆しなのではないだろうか?
「エトワール王国ではこれまで異性との婚姻しか認められてきませんでしたから、同性婚が定着するにはしばらくかかるでしょう」
私の言葉になぜかカルロの表情が暗くなったような気がする。
逆に、ナタリアの瞳は煌めいた。
「では、リヒト様は異性のご婚約者をお考えなのですね?」
いや、私は結婚するつもりがないのだが、しかし王子という立場上、そのようなことは言えないだろう。
「ええ、まぁ……」
今はそう曖昧に微笑むことしかできない。
「天然すぎませんか?」
「そこが難点ですね」
ナタリアの乳母と私の乳母がまた小声で話しているのが聞こえた。
天然物の茶葉は味が劣るのだろうか?
もしくは、収穫が難しくて貴重だという話だろうか?
帝国に来てひと月以上が経ち、私が帝国の生活に慣れてきた頃、エトワール王国からシュライグと数名のメイド、そして護衛として騎士たちが到着した。
私が人質として扱われていることを心配していたらしい彼らだが、私が賓客として扱われていることに驚き、同時に安堵したようだ。
↓↓↓ いいね♡は1~10まで押すことができます。面白さをお気軽に10段階評価でどうぞ!! ↓↓↓
帝国法については、私としては以前魔塔主が紹介してくれたハバルが講師でも構わなかったのだが、それは老執事に反対された。
老執事曰く、魔塔主の魔法使いたちは賢く帝国法を熟知しているが、法律を曲解して利用したり、法の隙間をついてきたりするため、帝国法の基礎を学ぶ相手としては向かないということだ。
帝国は魔塔が国内にあることによって利益も得てきたが、帝国法を曲解して利用する魔法使いたちには面倒もかけられてきたのだという。
「エトワール王国の法律も見直しておいた方がいいかもしれませんね」
そう老執事には微笑まれた。
帝国の傘下に入るため、基本は帝国法となるが、帝国内の王国はそれぞれに国内で施行する独自の法もある。
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王国独自の法律を残す場合にはオーロ皇帝の許可が必要となる。
とにかく、老執事の話を聞いた私は両親に法律の解釈違いが起きないように文章に気をつける点、法の隙がないか確認することを手紙で注意した。
手紙は魔導具で送信できるようになったので非常に便利だ。
まぁ、魔塔の魔法使いたちだったらどんな法も捻じ曲げて隙を無理やり作ってきそうではあるけれど……それでもできるだけのことはしておくべきだろう。
「ノアールの授業では今日はどのようなことをしたのですか?」
帝国法の授業を終えると一緒に学んでいたナタリアがそう聞いてきた。
ナタリアはノアールの感情を隠す授業には参加しない。
淑女には淑女の方法があるため、礼儀作法を指導する先生が教えてくれるのだという。
「今日は涙を流す方法を訓練しました」
「女性は時に涙を武器にしなさいと習いましたが、男性もそうなのですか?」
「いいえ。泣かないと意識しても無理な時もありますから、泣く方法を学んでおくことによって、涙が出そうな時に泣かなくてもいいように訓練するのです」
「カルロ様はうまく泣けたのですか?」
「僕はリヒト様が僕を捨てるところを考えて泣けました」
実際、カルロは泣きすぎではないかと思うほど涙を流していた。
それが、咽び泣くような泣き方ではなく、静かに、けれども瞳には次から次へと涙が溢れてきて……
こう言ってはなんだが、すごく可愛かった。
泣き顔を可愛いなんて、まさか自分にSの要素があったのかと驚いたが、カルロが可愛すぎるので仕方ないと思う。
しかも、その涙の理由が私などと言われては、父性が溢れてしまうというものだ。
この子をずっと守っていこうと改めて心に誓った。
「リヒト様はどのようなことを考えていたのですか?」
カルロに問われ、私は困った。
私は、カルロがナタリアと結婚するシーンを思い浮かべていたのだ。
大切に守ってきたカルロが最愛の人と結ばれるシーンだ。
中身52歳の私が悲しいことで泣くのは難しかったため、感動で泣くことにしたのだった。
しかし、そのことはまだ言うわけにはいかないだろう。
カルロもナタリアもまだ6歳だ。
お互いに惹かれ始めていたとしてもまだそれが恋心だとは理解していない可能性が高い。
そんな時に私が二人が結婚するシーンだなんて言ったら、お互いに過度に緊張してしまうかもしれないし、場合によっては警戒心を抱くことになるかもしれない。
特に、ナタリアは帝国のお姫様だ。
ナタリアが警戒しなくても乳母や侍女が警戒して二人が会えないようにしてしまうかもしれない。
だから、私は二人の未来について語るわけにはいかないのだ。
「えっと……小説の悲しいシーンかな」
「リヒト様は情緒豊かなのですね」
ナタリアがそう優しく微笑んだ。
中身は情緒も何もかも枯れた中年のおじさんでごめん……
ナタリアの侍女が淹れてくれたお茶を飲む。
ちなみに、最近、乳母はナタリアの乳母や侍女から帝国でのお茶の作法を学んでいるらしい。
ナタリアの乳母や侍女も私の乳母と同じように上級貴族である。
帝国の中央国家の上級貴族と小国の上級貴族という違いはあるけれど、ナタリアの乳母や侍女が品性に溢れて優しいということもあり、乳母は打ち解けることができているようだ。
グレデン卿に関しては訓練場をなかなか使わせてもらえないと嘆いていたので、こちらは人間関係の改善が必要なようだ。
魔法使いの護衛がついているとはいうものの、私の護衛が一人という点、そしてメイドが誰もいないというのは良くないということで、エトワール王国からひと月以上をかけて彼らは帝国に向かってきてくれているということなので、彼らが到着したら、訓練場を使わせてもらえるようにオーロ皇帝にお願いしようかと考えている。
ちなみに、魔塔主は私が1年間も帝国に滞在するとは考えていなかったため、私がエトワール王国に戻る際に魔塔を動かせるように自身の魔力を温存するため、私たち少数だけを帝国に転移させたそうだ。
1年間も帝国にいるのなら魔力を今温存する必要もないため、護衛やメイドを一気に転移させることは可能だと申し入れがあったが、それは私が断った。
一度ならずも二度までも無断入国するわけにはいかないからだ。
それも今回はそれなりの人数がいるわけだから、たとえオーロ皇帝が魔塔主のやることだから仕方ないと目を瞑っても、宰相や大臣たち、他の貴族たちは許せないだろう。
「お二人はすべての授業が一緒で、お部屋も一緒で羨ましいです」
ナタリアがそう言った。
カルロと離れたくないってことだろうか?
確かに、しばらくはカルロを独占してしまうことになる。
しかし、将来的にはナタリアがカルロを独占することになるし、帝国法の成人は16歳であとほんの10年しかない。
その後は二人は結婚してずっと一緒にいるのだろうから、少しの間だけ我慢してほしい。
「僕はリヒト様の従者ですから、ずっと一緒にいるのは当然です!」
なぜか自慢げなカルロの姿が可愛い。
「私もリヒト様の従者になればずっと一緒にいられるということでしょうか?」
ナタリアの言葉に私もナタリアの乳母や侍女も驚いた。
「帝国のお姫様が小国の王子の従者にはなれません!」と、私は慌てて言おうとしたのだが、その前にカルロが口を開いた。
「ナタリア様はリヒト様の従者には決してなれません」
カルロの微笑みは、ノアールの授業で習った微笑みのようだ。
もしや、カルロは嫉妬心を隠しているのではないだろうか?
ナタリアを独り占めしたいカルロの可愛い嫉妬心に私はほっこりした。
「なぜでしょう?」
ナタリアは愛らしく小首を傾げる。
鈍いナタリアも可愛いが、どうかカルロの気持ちをわかってあげてほしい。
「理由はナタリア様の乳母が教えてくださいます」
そうだよね。
ヤキモチを焼いたからなんて言えないよね?
うんうん。純情な少年心、わかるよ!
中身はおっさんだけど、子供をやるのは2回目だからね!
「カルロ様がどうしてそのようにお考えなのかをお聞きしたいのですが?」
「ナタリア様がリヒト様の従者になることができないのは事実ですので、わざわざ僕の考えをお伝えする必要はないかと存じます」
「カルロ様、そのように言葉を省略するのはよろしくないと存じます」
カルロはただヤキモチを焼いただけなのだが、それを隠そうとするカルロの態度にナタリアは何やら誤解してしまったようだ。
二人は笑顔は崩さないが、その場の空気が徐々に険悪なものになっている気がする。
「私が事実を伝えてしまうと不敬になってしまうかもしれません」
「構いません。仰ってください」
カルロは一瞬、ニヤリと不敵に笑った気がする。
「リヒト様が決して選ばないでしょうから」
ちょーーー!!
そこで私を巻き込むのか!!?
いや、これは巻き込んだのではなく、カルロからのヘルプサインだろうか?
自分の気持ちを隠すのが手一杯でおかしな誤解を与えてしまったことを助けてくれということだろうか?
「ナタリア様、ナタリア様は帝国のお姫様です。お立場上、私のような小国の王子の従者にはなれないのです」
「まぁ、それならばわたくしは帝国の姫などにはなりたくなかったです」
そうナタリアがしょんぼりしてしまった。
私はその場を明るくするために少し冗談を言った。
「ナタリア様が私の従者になるよりも、私がナタリア様の従者になることの方が現実的ですね」
その瞬間、カルロの顔が真っ青になり、ナタリアの瞳が希望で輝いた。
「それならば一緒にいられますね!」
「リヒト様! なんてことをおっしゃるのですか!! リヒト様と一緒にいるのは僕の役目です!」
あ、やばい。カルロの目に涙が溜まってきた。
もしや、午前中の授業を思い出してしまったのだろうか?
カルロは私に捨てられるところを想像して泣いたと言っていた。
そんなことは絶対に起こらないが、捨てられるということは離れるということだ。
私がナタリアの従者になり、カルロと一緒にいられなくなるところを考えてしまったのかもしれない。
「ナタリア様もカルロも今のは冗談なので、真に受けないでください」
「冗談ですか? では、リヒト様がわたくしの従者になってくださることはないのですか?」
「私も一応王族ですから、いつまでもこちらにとどまることはできません」
「冗談でもあんなこと言わないでください」
「すまなかった」
今後はカルロの前ではこうしたことは冗談でも決して言わないと誓った。
演技で泣いている姿は可愛いが、やはり本気で泣かれると心が痛む。
私たちから少し離れたところでナタリアの乳母と私の乳母が、「天然ですか?」「はい。天然です」と小声で話していた。
魚介類のように茶葉にも天然という言葉が使われるのだろうか?
いや、そもそも養殖があるのだろうか?
茶葉なら茶畑はありそうだから、畑のものと天然というものがありそうだ。
むしろ、この世界では魚介類には使わない言葉なのかもしれないな。
「リヒト様、今日は悲しい思いをしたので僕のこと抱きしめて寝てくださいね?」
魔塔主が早朝に私の部屋を訪れてからカルロが私の部屋で寝るという行為は続いている。
さらに、その翌日に私が乳母にもカルロにも告げずにグレデン卿とともに転移魔法でエトワールの城に戻ったことから、見張りとしてカルロが私と一緒に寝ることを乳母が許可したので、カルロは堂々と私と一緒に寝ているのだ。
「わかったよ」
先ほどおかしな冗談を言ったことによってカルロを不安にさせてしまったので、私はカルロの願いを叶えることにした。
すると、一瞬だけ、ナタリアの左眉がぴくりと動いた気がする。
確か執事は左の方が感情が表情に表れやすいため、感情によって左右非対称にならないように注意するようにと言っていた。
そんなの訓練でどうにかなるのだろうかと疑問に思ったが、それを常日頃意識して表情を取り繕っている執事が言うのだから、いつかはどうにかなるのだろう。
「リヒト様はカルロ様と一緒に寝ているのですか!?」
ナタリアの驚いたような声に私はしまったと緩んでいた頬を引き締めた。
「一緒に寝ているというか、私が夜更かしをしないようにとカルロは見張りをしているのです」
「夜通し、リヒト様と一緒にいる見張り……」
カルロと仲良くなるためにこれまで色々努力してきたから私とカルロが仲がいいのは仕方ないことだ。
だから、ナタリアには不安になってもらいたくはないのだが……
「わたくしも一緒に寝たいです!」
「ダメです!」
私があまりの驚きに言葉を忘れているとカルロがすぐさま答えた。
恋心は反応速度まで育てるのだろうか?
「どうしてですか? わたくし、子守唄も得意ですから、寝かしつけは上手だと思います」
カルロを寝かしつけてあげたいということだな。
まさか、ナタリアはカルロに母性が芽生えているのではないだろうか?
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しかし、ナタリアに抱いてほしいのは母性ではなく、恋心だ。
「我々はまだ6歳の子供ではありますが、ナタリア様のお立場上、異性の者と同じベッドで寝ることは好ましくありません」
「確かにそうですが……カルロ様ばかりリヒト様とずっと一緒にいてずるいです」
「カルロは同性ですから」
「帝国法では同性であっても異性と同様に婚姻が可能です。リヒト様はカルロ様を婚約者にするご予定なのですか?」
おや、これは今度はナタリアがヤキモチを焼いているのだろうか?
これはなかなかいい兆しなのではないだろうか?
「エトワール王国ではこれまで異性との婚姻しか認められてきませんでしたから、同性婚が定着するにはしばらくかかるでしょう」
私の言葉になぜかカルロの表情が暗くなったような気がする。
逆に、ナタリアの瞳は煌めいた。
「では、リヒト様は異性のご婚約者をお考えなのですね?」
いや、私は結婚するつもりがないのだが、しかし王子という立場上、そのようなことは言えないだろう。
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「天然すぎませんか?」
「そこが難点ですね」
ナタリアの乳母と私の乳母がまた小声で話しているのが聞こえた。
天然物の茶葉は味が劣るのだろうか?
もしくは、収穫が難しくて貴重だという話だろうか?
帝国に来てひと月以上が経ち、私が帝国の生活に慣れてきた頃、エトワール王国からシュライグと数名のメイド、そして護衛として騎士たちが到着した。
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