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帝国編

20 出発前夜

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 そうした帝国に我が国のような小国が入っていないのがむしろ不思議だった。
 エトワール王国が帝国が治めるには無理のある距離にあるということではない。
 むしろ、周辺国はすでに取り込まれているし、帝国傘下にある国々と比較してエトワール王国はルシエンテ帝国に近い位置にあった。
 そのため、我が国は飛地のように帝国の支配から免れて独立した王国として成り立っていた。

 なぜそのような状況ができているのかと歴史の授業の講師に聞くと、すごく微妙な表情をされた。
 答えは知っているものの、話し難いという顔だ。
 しつこく聞いてやっと教えくれた答えに私は愕然とした。
 エトワール王国に帝国の手が伸びなかったのは、私が憎んでやまない我が国の悍ましい慣習にあった。

 ルシエンテ帝国のオーロ皇帝は非常に潔癖なことで有名らしく、子供を物のようにやり取りし、さらに子供を性的な相手とするような国は汚らわしく、ルシエンテ帝国に加えることを望まなかったそうだ。

 確かに、オーロ皇帝の気持ちもわからなくはない。
 我が国の慣習は本当に反吐が出るほど穢らわしい。
 だがしかし、私としてはそれだからこそ、大国が介入してこのような汚れた慣習を取り払って欲しかった。
 他人任せのようだが、その方が私がこれから急いで法を制定するよりもずっと早く汚れた大人たちを断罪し、ずっと多くの子供達を救えただろう。
 オーロ皇帝がしたことは、悍ましい慣習のことを知りながらも、苦しんでいる子供達から目を逸らして見て見ぬふりをしただけだ。

 なんだか、そのように考えたら、オーロ皇帝も大した人物ではないような気がしてきた。



「リヒト王子、お誕生日おめでとうございます」

 6歳の誕生日の夜、いつものように両親との晩餐会のために食堂に向かった。
 もちろん、今年もカルロの誕生日も一緒に祝うためにカルロと乳母も晩餐会の席に同席する。
 しかし、王子である私の誕生日を王と王妃が祝う席となると、どうしても主役が王子という立場の私になってしまうため、乳母とカルロには今年は親子水入らずで祝ってはどうかと言ってみたのだが、カルロは私と同席することを望んだので今年も合同で行うことになった。

 ということで、私たちはいつも通り、一緒に食堂へと向かったわけなのだが、どういうわけか食堂には魔塔主もいた。
 そして、両親二人の祝いの言葉の前に魔塔主がまるで主人のような顔をして祝ってくれた。

「……魔塔主はこちらで何をしているのですか?」
「もちろん、リヒト王子の誕生日を祝いに来たのです」
「見たところ、前もって知らせがあったのではなく、急に来られたようですが」

 でなければ、いつも落ちついている使用人たちが冷や汗を流しながらワタワタと慌ただしく動くことはないだろう。
 おそらく、魔塔主のために最上級の食器を急いで用意したり、それに合わせて我々の食器も変えなければいけなくて忙しいのだろう。
 一度揃えていた食器をさりげなく変えるなど無理なことをそれとなくしなければいけなくて緊張がマックス状態かもしれないが、魔塔主はそうしたことに頓着するタイプの人間ではない。
 おそらく、この食堂の中のほとんどの人間のことなど認識していない。
 だから、もっと気楽にして大丈夫だと伝えてあげたいが、そんなことを言えば、途端に彼らが魔塔主のおもちゃになるかもしれないからそれも言えない。

 私の言葉に魔塔主は微笑んだ。

「はい。しばらく引越し準備で忙しくしていましたからね。こちらに来れるかどうかも分かりませんでしたから、連絡はしていません」
「それでしたら、引越しを取りやめるなり、引越しを取りやめるなり、引っ越しを取りやめるなり、してもよかったのですよ?」

 魔塔主に誕生日をお祝いして欲しいわけではないが、引越しは大変だから取りやめて、その代わりにお祝いに来たとかならばまだ喜べた気がする。

「せっかくリヒト王子に望まれて引っ越してくるのですから、記念すべき6歳のお誕生日もしっかりお祝いしたかったのです」
「私は魔塔主が引っ越してくることなど望んでおりませんが?」

 誤解されるようなことを言わないで欲しい。

「有事の際には助けて欲しいと言ったではないですか?」
「それは引っ越してこなくてもできますよね?」

 たった一人で国一つ滅ぼすことができるという噂のある魔塔主だ。
 一度だけ小国を守ることなど大したことではないはずだ。

「リヒト、とりあえず席につきなさい。晩餐会を始めよう」

 父上にそう声をかけられて私は仕方なく母上の隣の席に座った。
 本来は魔塔主が座っている席が私の席なのだが、今日は魔塔主の取られてしまっているので仕方がない。
 魔塔主が正面の席で機嫌よくしている姿がよく目に入ってため息が漏れる。

「リヒト様、大丈夫ですか?」

 昨年と同様に私の隣に座ったカルロが心配そうに顔を覗き込んでくる。
 その仕草が非常に可愛くて、私はそれだけで癒された。

「カルロが可愛いので私は大丈夫です」

 この癒しがあれば私は何だって頑張れるだろう。
 私がカルロの頭を撫でていると、魔塔主が笑顔を貼り付けたまま席を立とうとした。
 私はすぐにそれを止める。

「魔塔主、撫でにこなくてもいいので」
「どうしてですか? リヒト王子もすごく可愛いのに」

 魔塔主が不満そうだ。
 しかし、私が可愛いとか気持ちの悪いことを言わないでほしい。
 私と魔塔主の会話を聞いていた両親が驚きの視線を私と魔塔主に交互に向ける。

「リヒトは魔塔主に頭を撫でさせたのか?」

 父上の言葉に私は首を横に振る。

「勝手に撫でてきただけで撫でてもいいと許可を出したわけではありません」
「わたくしも撫でたいです!!」

 母上の言葉に私は首を傾げる。
 そんなの、母親なのだから勝手にすればいいと思う。
 私はまだ6歳になったばかりで思春期というわけでもないのだから、母親が息子の頭を撫でたところでおかしくはないだろう。
 しかし、王妃という立場上、母親とはいえど息子の頭をむやみに触ることができなかったのかもしれない。

「リヒト、撫でてもいいですか?」
「母上、構いませんが、大勢の人間が見ている前では控えていただきたいです」

 ここは食堂で給餌のために多くの使用人たちが動いている。
 流石にここで撫でられるのは恥ずかしい。
 特に、今は想定外の客人のせいでいつもよりも多くの人間が忙しくなく出入りしていた。



「私の従者として頑張ってくれているカルロに、今年は衣装を準備したよ」

 他の国では知らないが、エトワール王国においては幼い王子付きの従者というのは別に使用人ではない。
 王子と一緒に学び、一緒に遊び、体験を共有し、心身の成長を促すものである。

 特に、私とカルロの場合には、私は中身は50代のおじさんなので、私という存在がカルロの刺激になって成長を促すことが大切なのだ。
 カルロは将来は格好いい青年になって、ヒロインのハートを射止めるのだ。
 そのためには、ゲームのような辛い経験は避けて、たくさん幸せを感じてもらって、すくすく真っ直ぐに成長してもらわなければならない。

 それなのにも関わらず、カルロはなぜか執事のような服装を好んでしている。
 あからさまに執事服を着ているわけではないが、ちょっとそう感じさせるようなデザインのものを選ぶのだ。
 なぜそのような服ばかり好むのかをそれとなく乳母に聞いてみたところ、「リヒト様への忠誠心が高すぎるせいでしょうか?」なんて最初は言っていたが、「もう一つの可能性は……」と話してくれた。

「背伸びをしているのかもしれません」
「……背伸び、ですか?」

 私の言葉に乳母は頷いた。

「カルロはよく『早く大人になりたい』と言っています。ですから、大人の真似をしているのかもしれません。そして、カルロがよく知っている大人はシュライグたちでしょう」

 それほどまでにルーヴ伯爵夫妻はカルロの側にいてくれなかったのかと思うと、やはり私自ら怒りの鉄槌を下してやればよかったと思った。

 と、いうわけで、私からカルロへの今年の誕生日は衣装だ。
 箱を開けて中を見たカルロはその目を見開き、少し瞬いた。

「こんな立派な服を僕が着てもいいのでしょうか?」

 街中や野原を駆けることはなく、砂遊び、泥遊び、川遊びなんかもすることがない貴族だからあつらえることのできる純白な衣装だ。
 まぁ、汚す遊びをしないからというよりは、汚してダメになっても特に問題のない財産を持っているという意味合いの方が強いかもしれないが、あまりそれはこの衣装をあつらえた理由にはしたくない。

 ただ、いつも執事みたいな黒い服や濃いグレーの衣装を選びがちなカルロに真逆の衣装を着せて、私が可愛いカルロの記憶を増やしたかっただけだ。
 成長してから思い出す姿が黒い衣装のカルロばかりというのは味気ない。
 可愛い衣装をたくさん着せて、心のメモリーを増やすのだ!

 いつも着ている衣装とは違う真っ白な衣装に戸惑っている様子のカルロに私は微笑んだ。

「私もお揃いであつらえたんだ。今度、これを着て、一緒に庭の散策をしよう」

 本当は『街に出かけよう』とか気軽に言えたらよかったんだけど、まだ世の中に公表されていない存在だし、そもそも、王子という立場上、街になんてお忍びでなければいけないのだ。
 そして、お忍びに着ていける衣装ではない。
 これを着て街に出たら、忍ぶことなど決してできないだろう。
 そう考えると、衣装選びを間違えた気がした。

 しかし、カルロは嬉しそうにはにかんだ微笑みを見せた。

「リヒト様と同じ服を着れるなんて、すごく嬉しいです!」

 はい。すごく可愛い。
 お揃いの衣装なんて少しうざいかな? と心配したが、お揃いにしてよかった!
 カルロに好かれているという自分の自惚れた決断を褒めたいと思う。

「リヒト様、僕からはね……」

 そう言ってカルロが待機していたメイドから包みを受け取って私に渡そうとしてくれた時、「では」とやけによく通る声が割って入った。
 魔塔主だ。

「私からリヒト様へのプレゼントはこちらです」

 そう言って魔塔主は宙から小さな杖を取り出した。

「リヒト様は杖がなくても見事に魔法を発動していますが、杖があった方が魔法陣が扱いやすくて便利な時がありますから、私からは杖のプレゼントです」

 私としてはカルロからのプレゼントを先に受け取りたかったが、勝手に来たとはいえ、魔塔主を無視することはできない。

「私はもう魔塔主から、有事の際に一度だけ助けてもらうという約束をプレゼントとして受け取っていますが?」

 私はそこでハッと希望を持った。

「もしかして、プレゼントが約束から杖に変更になったのですか!? では、引っ越しも取りやめということで……」
「安心してください。それも、これも、プレゼントですよ」

 私は魔塔主のプレゼントにがっかりした。



 その後も魔塔主のペースで時間が進み、まるで魔塔主が主役のような晩餐会になってしまった。
 中身52歳の私は別に構わないが、カルロの6歳の誕生日が魔塔主主役では可哀想だったので、私は後でカルロを甘やかすことにした。

 晩餐会後に母上に執務室に呼ばれた。
 母上が久しぶりに手を繋ぎたいというので、食堂から執務室までの道中、手を繋いで歩いた。
 なぜか父上も一緒についてきた。

「父上と母上はまだお仕事のお話があるのですか?」

 私が帝国に行くことになったからといって、彼らの仕事が減るわけではない。
 魔塔主のせいでまだ忙しくしているのだろう。

「いや、そうではなく、私も、その……」

 珍しく父上の言葉の端切れが悪い。

「どうしたのですか?」
「お父様もあなたのことを撫でたいのですよ」
「え? 父上もですか?」
「うむ……リヒトは成長が早くて、抱っこも撫でるのもあまりできなかったからな……」

 そうか。
 私が中身52歳のおじさんで心身の成長が早くて親離れが早かったせいでこの二人は子供と十分に触れ合えなかったのか……
 そう思うととても申し訳ないことをしたように思う。
 私は大人しく二人が満足するまで撫でられることにした。

 両親が満足するまで撫でさせてあげようと思ったが、私が止めるまで二人はいつまでも飽きることなく私のことを撫でていた。
 そのうち抱っこまでしたいと言い出して、私はしばらく人形のように大人しくしていた。
 そろそろ湯浴みをしないとカルロの就寝時間が遅くなるし、私の頭皮にも良くないというタイミングで私は二人から離れた。

 母上の執務室の外で私を待っていたグレデン卿が私を寝室まで送ってくれた。
 寝室ではすでにカルロが湯浴みの準備をして待っていた。
 私の湯浴みを手伝うカルロの手つきももう随分と手慣れたもので、頭を洗ってくれる時の手つきはまるでプロのマッサージ師のようだった。
 両親に撫でられすぎた頭皮もしっかりほぐされ、きっと血流が良くなったはずだ。
 抜けることなく髪が守られたことにホッとした。

 湯浴みの後にはカルロの希望を叶えて一緒に眠る。
 カルロのことを甘やかしてあげようと思っていた私はカルロが眠って私を抱き枕にする前にカルロを抱きしめてあげた。

「リヒト様!」

 カルロは少し驚いたような声を出した。

「カルロ、お誕生日おめでとう。私はカルロが生まれてきてくれてとても嬉しいし、私と過ごしてくれる毎日にとても感謝しているよ。これからも一緒に勉強して、一緒に遊んで、一緒に成長していこうね」
「っ!」

 抱きしめているからカルロの表情は見えないが、少し息を呑んだのがわかった。
 そして、カルロも私の背中に小さな手を回して、ぎゅうっと抱きついてきた。

「僕も、リヒト様と出会えて、一緒にいれて、すごくすごく嬉しいです!」

 カルロが小さな声でそう返してくれた。

「あのね、リヒト様……僕、リヒト様のことが、大好きです」

 思わぬ嬉しい言葉に私も同じ言葉を返した。

「私も、カルロのことが大好きだよ」

 こんなに小さくて可愛らしい子供に好感を持たない大人などいないだろう。






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