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第3話 宮本椿姫と藤崎・スカーレット・伊織

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「いただきます」

 宮本椿姫の朝は早い。
 明朝、四時に目を覚ます。時計の針の音、秒針がピタリと止まった瞬間に上半身を起こす。
 台所で顔を洗って歯を磨き、外行き用の服に着替えるため服を脱ぐ。

 下着姿のまま、己の肉体を鏡で確認した。
 豊満な胸部、くびれた腰。引き締まった身体、だが椿姫にとってはまだまだ足りぬ。
 それから、下方向に視線を向ける。

「……都会っ子は、やはりもっと可愛い色を履いているのだろうか」

 椿姫は純白を身に着けていた。たまに黒、ごくまれに紺色。当然だが、こだわりはない。リボンがあると、少しだけ恥ずかしい。
 幼い頃、憧れがあった。花をいつくしみながら憧れたピンク色。
 いつか、そういったもの身に着けてみたい。
 だがそれすなわち邪念、椿姫は顔を振った。
 都会に出てきてから、ふいに邪な気持ちが浮かんでしまう。椿姫は、少しため息をつく。

 今住んでいるのは、都内某所の長屋である。
 叔父の親戚が持っていた家屋、現代の女子が住むにはやや古いのだが、椿姫にとっては最高の住居環境だった。
 日課の朝走り。ただひとたび外に出れば、ビルやマンション、アパートといった家が立ち並ぶ。
 電信柱のせいで空が遮られ、煙や排気ガスで椿姫はたまに眉を顰める。

「緑が恋しいな……」

 ただただシンプルな望みを一人ごちる。
 自宅に戻ると米が炊き上がっていた。小型冷蔵庫から漬物を取り出し、海苔を用意する。
 畳で膝をつき、木テーブルの前で正座、食す。

 しかしその途中、手が止まる。視線の先には、リモコンがあった。

「……朝から良いのだろうか。いや、しかし……少しくらいは」

 椿姫は欲望と戦いながら、ちょっとだけ……と親戚から頂いた小さなテレビの電源をONした。
 食事をとりながら、椿姫はテレビを食い入るように見つめた。今まで機械にまともに触れ合ったことはなかったが、親戚の家に訪れた際、何度か見せてもらったことがある。
 派手色が煌めき、中で人が騒いでいた。叔父は興味がなかった。しかし、椿姫は存外楽しかったのだ。
 これが剣の修行と程遠いとわかっていた。罪悪感から電源をオフにしようと思ったまさにそのとき、とあるCMに目を奪われた。

「スイーツパラダイス、今ならチョコレート増量中だよ! もぉーとっーてもとろけちゃう! 美味しい美味しいよ! 速く食べに来てね!」
「……とろけちゃうのか」

 椿姫はチョコレートの存在を知っている。アメリカから輸入されたもので、とても甘美な味がするものだと認識していた。
 ごくりと生唾を飲み込みながら、白米をかきこむ。
 一度、食べてみたい、しかし……己にはまだ早い。

 食事を終えると、湯で身体を清めた。スマホの類はなく、ただ一点を見つめたり、目を瞑ったり、剣の事を考える。
 そして、叔父のことを想い返す。
 椿姫の親であり、師であり、憧れでもあった。
 
 湯を終えると、身体を綺麗に拭いてから、ふたたび着替える。
 赤リボン、白シャツ、紺色の、いつもより短いスカートに身を包む。
 恥ずかしくて、少しだけ頬赤らめたが、これもまた修行。

 学校の制服である。

 椿姫が都内に来るのは、叔父の死と共に決まった。
 理由は、学業の為である。
 ただし、手続きの関係で入学が遅れてしまった。

 叔父の位牌の前で正座し、手を合わせる。

「行って参ります」

 季節は春過ぎ、宮本椿姫――高校一年生――謎の大剣豪――少し遅れた、登校初日である。

   ◇

「起立、礼、着席」

 椿姫は教室の外で待機していた。
 一人だけ入学が遅れていたので、注目を浴びることがわかっている。
 いつもは冷静な彼女の表情に、陰りが見えた。

「宮本さん、入ってくれるかしら?」
「…………」

 担任の女性から声をかけられる。椿姫は足を動かそうとしたが、動かなかった。
 いや、動けないのだ。

 恥ずかしい。椿姫は、こんな短いスカートを生まれてからこの方履いたことがなかった。
 道中、椿姫は高速で駆けていた。
 スカートがひらりとする前に動き、誰の目にも留まらぬ速度で。

 だが学校に入るとそうもいかない。
 ちなみに校門は人が多かったので、誰もいない所から壁走りで乗り越えた。

 しかし今は、速く動くことも、別の角度から侵入することもできない。

「宮本さん?」
「は、はい!」

 だが椿姫は思い出す。

 ――獅子は諦めぬ。どんな苦難があっても、ただひたすらに手足を動かせ。

 叔父の言葉通り、椿姫は前に進んだ。
 ちょこちょこ、できるだけスカートが揺れないように、歩幅小さく。

「――うわあ、めちゃスタイルいい」
「モデルさん? 黒髪綺麗だなあ」
「めちゃくちゃ綺麗だな」
「おい、惚れたんじゃねえのか?」
「だ、だまれよ!」
「かわいーー」

 ちょこちょこ前に進みながら、椿姫は自分の容姿について触れられていることに気づくも、意味がよくわからなかった。
 綺麗とは、上段から下段に剣を振り下ろし、その軌跡が空気を切ったときに叔父が言ってくれるものだ。

 しかし、可愛いは聞いたことがある。
 叔父が一度だけ、山の巨大熊を前にし「可愛いものだな」と呟いたのだ。
 
 なるほど、自分はあの時の熊のようなのか、と少しだけ落ち込む。

「なんか急に肩下がってない?」
「どうだろう。なんか落ち込んだ?」
「気のせいでしょ」

 それでも椿姫は気持ちを切り替えた。何事も初撃が肝心だと、叔父がよく言っていた。
 挨拶は基本だ。

「宮本さんは転校生ではなく、家庭のご事情で入学が遅れました。仲良くしてあげてくださいね。それでは、自己紹介をお願いできますか?」
「――承知した」

 自己紹介、それすなわち、武を見せてくれ、と、椿姫は勝手に担任の言葉を解釈した。

 だがその直後、椿姫は己の未熟さに嘆く。
 校内では、刀の所持が許されていない。

 よって、今は無刀。

 いや、これこそが担任からの試練ではないか? と椿姫は理解する。
 ここまでおよそ0.0001秒。椿姫は、その場で構えた。

「宮本さん? どうしたのですか?」

 集中した椿姫の耳に担任の言葉は届かない。
 静かに深呼吸し、目を瞑る。

 椿姫は、愛刀を思い浮かべた。

 そして――。

「――ハァッ!」

 その場で剣を振る。無刀が故に繰り出される素早い一撃。
 風圧で生徒の髪が揺れ、カーテンが大きく靡いた。

 だがその場にいる生徒には視えない。

 椿姫が剣道の構えを取っただけにしか見えなかった。

 ――ただひとりを除いて。

「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あの時の大剣豪……」

 教室の端、艶やかな金髪を揺らせながら目を見開いていたのは、藤崎・スカーレット・伊織。
 日本とフランスのハーフ。ソロで人助け配信を始め、たった数年で登録者数100万人を突破したダンチューバー。
 類まれな美貌を持つ――目覚めし者アウェイカー

「……綺麗だな」

 そしてその頬は、ほのかに紅潮していた。
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