短編集:あくまで私は生きている【2023年度文芸部部誌より】

氷上ましゅ。

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春に捧ぐ 1

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肌寒さの際立つ夏の終わりの夜の下。
俺は中身の詰まったコンビニ袋片手に買いたてのメビウスに一本火をつけた。追い風が早く帰れと俺を押す。

「寒っ!」

秋の初めと言えど夏とは大違い。二週間前まで暑さで悶えていたのが嘘のように、冷たい風が服と体との間を通り抜けていく。
鼻先に薫るタバコのぬくもりを一心に受けながら、トレードマークと化したジャージのチャックを閉めた。
そこまですると一安心して、俺は吸った煙を思う存分寒空に流し、なんとなしに虚空を見上げてみる。
白く濁ったそれは、藍色を模した空に弧を描いて消えて行った。

「……もうすぐ冬か…」

俺はジャージのポケットに片手を突っ込んで家路に足を進めた。
住宅街の突き当たりに差し掛かった時、電灯の下になんやら白いモヤのような物が地面にうずくまっているのが見えた。
俺は何故か不思議にも思わず、一度止まってタバコをふかした。
無言で体育座りになりずっと冷えた地面を見ているソレは、何となく柔く光を発しているように見え、タバコの煙の色彩と同化する。
ただ、何となく気になったので、ソレに近付いてみる。

………青年か?この季節にえらい不相応な格好してやがる…

その服装は、端的に言って真夏のコンビニにそれで出るか若干迷うくらいのとてつもなく部屋着とかに近いモノだった。
白の大きめの綿Tシャツと、ベージュの生地のしっかりとした短パン。
しかも足は裸足だ。靴下さえ履いていない。
俺はタバコを地面に押し付けながらその青年の前に屈んだ。

「こんな所で何してんの?」
「……」

青年は俯いたまま黙っている。

「家は?」

そう聞くと、青年はノーと言う風に頭を振った。
また不思議と何も感じない。

「親は、」
「わからない、」

若干声が被せ気味になる。
けど俺はそんな事よりも、青年の発した声の方に驚いた。
まだ声変わりもしてないような澄み切った声だったからだ。
俺は俯いたままの青年(仮)の顔を前髪の隙間から覗いた。
妙に人懐っこそうで、でもそれでいて冷めていて端正な造りをした顔には、何となく「哀」の表情が浮かんでいる気がした。
そんな表情を見てしまったからか、青年が誰なのかと言う単純な疑問も、さっき言った「わからない」の意味をとやかく聞く気も、もうどこかへ行ってしまった。
口から不意に出た言葉はこうだった。

「…君、今いくつよ。」

青年の顔がばっと上がったと思えば、すぐに斜め右下を見て数秒ほど考えるようにしてから青年は言った。

「十………四?」

いやいやいや…自分の年齢聞かれて考えてそれでも尚ハテナ付けて答えるとかどうなってんだよと思わず頭の中で突っ込んでしまったが、それよりも俺は耳を疑った。

「…は?」

十、四。まだ中学も卒業していない年齢。
俺は思わずため息をついてしまった。
そうして一回冷静になり、俺はもう一度青年、いや少年の顔を見た。
少年はやや不安そうに眉尻を下げてこちらを鈍く睨んでいる。
          
          澱んだ、目。

俺はそれを確認するとその場に立ち上がった。

「家、来るか?」

少年は何も言わずに俺の方に左手を差し出してきた。
そうして家まで引っ張って行った少年の腕は酷く細く、冗談抜きで力をかけたらすぐに折れてしまいそうなそのほっそりとした白い腕は、困っている者を気にかけすぎだと自分でも自覚するくらいの俺の心を、強く強く揺さぶった。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

「ただいま~⋯⋯⋯」

家に着いてからふと冷静になって思った。
⋯⋯⋯勢いで連れて来てしまったけど⋯

「まさか本当に来ちまうなんてな、」

そう笑って声に出しても、少年はただ虚ろっぽい目を俺に向けているだけだった。生気のないその目が、「聞くな」という風に強く訴えてきたような気がして、俺はそれ以上聞く気になれなかった。

「風呂沸かすから、手洗って待ってろ。」

そう言って俺はまた少年の腕を引いた。今度も何も抵抗が無かった。

「⋯⋯⋯」

何をするにも、「何も考えない様にしている」風に見える少年の体裁に、俺はまた胸を痛めた。

尾野田律人、大学三回生。軽音サークルに居る事には居るが、最近このままで良いのか、とよく熟考することが増えた。
ちなみに部員五人の内のベースだ。
顔は⋯良いのか悪いのかよくわからない。正直どうでもいい。
とにかく春先に金に染めてそれきりの伸びた髪と元来の生活能力の低さが相まって、友人とサークル仲間からの仇名は不健康プリンくんだ。
もう、それが定着して余計に染め直す気なんて起きないが。

「あの⋯」

家に来て初めて少年が声を出した。
風呂場と直結した脱衣所の方に顔を向ける。

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯居て、いいんですか?」

不安そうな眼と、無自覚に手を包み隠す癖。
昔に何回も子猫や捨て犬を拾って家に連れて来たことがあったが、何故かその光景を思い出した。俺は一回息を吸って言った。

「居たくないか?」

少年は首を横に振った。
「なら、居ろ。お前の出て行きたくなる時まで。」

自分の口角が上がっているのがわかる。なかなか笑わないで有名な、俺が。その言葉を聞いて少年は目を見開いた。
驚きと嬉しさの混じったその表情に、俺は急に嬉しくなった。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

「風呂沸いたぞー、えっと⋯名前は、」
「春人です。篠田春人。」

そう口の端に笑みを浮かべて、少年は律儀に言った。

「正座なんてして⋯⋯⋯そんなかしこまらなくて良いのに。」
「いえ。なんと言うか⋯ この方が慣れてるんです。」

瞳の奥にまた「聞くな」が透けて見えた。俺はまたそれ以上言えなかった。

「とにかく、入れ。着待えはこっちで用意しとくから」
「ありがとうございます。」

春人は一度そのまま礼をすると、風呂場に向かって歩いて行った。

(不思議な奴だな⋯⋯⋯)

雰囲気というかなんと言うかが、白く光っているような気がする。
人間じゃないみたいな、何かが……………

「律人さん」

後ろから不意に春人の声がかかった。

「タオル、どこですか」
「あっ、嗚呼、棚の中段にある奴使ってくれ。」

不意すぎて一瞬戸惑ってしまった。

「ありがとうございます」

春人は俺に笑いかけると、またひとつ礼をした。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯考えるのは、もうやめようと思った。



春に捧ぐ 1     Fin.

初稿:5月1日
編集:4月27日
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