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半年前の5日には何があった? 前編

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どこかの遠い、時代のお話。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
暑い日差しが地面を照りつける8月の23日。

「はぁ、あっっっつ……」

久々の外出、暑すぎてどうにかなりそうだった俺はふと目に入った寂れた純喫茶に入った。
ヒヤリとした冷気が俺の体を包み込む。

「…はぁ、」

自然に上がった息も徐々に落ち着いてきそうだ。
ガラ空きの空間、俺は入り口から近いカウンター席に腰を下ろした。

「アイスコーヒーを、一杯。あとレモンティーも」

小柄な店主は何も言わずにただお辞儀をして、キッチンの方へ下がって行った。
肺の中を冷たい空気で満たし今一度、ガラ空きの空間を見回した。
やたら洒落たレトロな店内は決して広いという訳じゃない。
テーブル席がふたつに、カウンターには椅子が六脚。
レコードから流れる古い洋楽が雰囲気を形作っている。他の客は、一人。
少し離れてカウンター席に座っている、思春期真っ盛りそうな年頃の少年。
クリームソーダ片手に涼んでいる様だ。
そいつの事を気まぐれに観察していると、そいつがこっちを顔ごと見た。そして言った。

「ねぇ、そこの人。覚えてる?半年前の5日に何があった、とか。」

無垢で無邪気そうな少年は俺の目をまっすぐまっすぐ見て、そう言った。
俺は意味がわからなかった。

半年前の5日?今は8月だから……2月5日の事か?
そう難しい言い方をしなくてもただ普通に今年の2月5日と言えばいいじゃないか。

「嫌、聞いといて失礼な話なんだけどさ、実の所…僕も知らなくって。2月4日に寝て起きたらいつの間にか2月6日になってんの。おかしくない?」
「…はぁ?」

大真面目そうに言う少年に、そう口を突いていた。クリームソーダのバニラアイスが静かに氷と逆転する。俺は相手を傷つけないよう、考えに考えて言った。

「………なんでそんな急に、」
「んー?嫌、別にそんなに特別な理由とかないんだけどさ、」

知ってか知らずか人の話を躊躇なく遮ってくる。…なんなんだろうこいつ。

「俺、誕生日が2月5日なの。だから半年前の5日に丁度成人迎えたんだけどー」

え。
俺は少年の言った言葉に耳を疑った。

「待て。一旦待て。」
「ん?どした?」

目の前の少年だと思っていた輩が肘をついて俺の方に身を乗り出してくる。

「……お前、歳は」

驚きすぎて声が変にぐぐもる。
目の前の輩が疑問符を浮かべた顔をしながらはっきりと言う。

「だからさっき言ったじゃん、成人したって。16だよ、じゅ・う・ろ・く。」
「え゛……………」

喉の奥から聞いたこともない押し潰されたような声が響いた。

「何?そんなびっくりすること?僕そんな子供っぽい?失礼な!」

目の前の輩がいじらしい笑みを浮かべながら俺の事を煽ってくる。

「否、まさか同い歳とは思わなく、て、……」
思わず顔を逸らしてたどたどしい弁解で逃れようとした俺を、プギャーと言わんばかりに煽ってくる目の前の輩に何故か恐怖を抱いた。とその時。

「お待たせ致しました、アイスコーヒーとレモンティーです。」

店主がわざわざ盆の上にグラスを置いて飲み物を持ってきた。
それを視認して、目の前の輩は大人しく自分の席に戻った。

「た、助かった………」

俺は心底そう思った。

「お砂糖はこちらになります、ごゆっくりどうぞ。」

優しげで小柄な店主はそう言ってまたお辞儀をして、何かを悟ったのか奥に掃けて行った。
おいおいおいおい……と思ったが、流石にここに居てくれなんて言える勇気が俺には無かった。グラスから香るアイスコーヒーの香り高さが、この店の質を物語っているような気がする。

「…で。」

いつの間にか隣に移動してきた輩が声を出す。

「君、名前は?」

クリームソーダに溶けだしたバニラアイスを口に運びつつ、目の前の輩は俺の目をじっと見続けている。その間俺はその視線から逃げるように、レモンティーに砂糖を大量に入れ混ぜ続けていた。

「……ねぇ、」

クリームソーダの滴に視線を逸らしながら聞く。

「名前。何?」
「ってかさあ、」

俺は無理矢理に話題を逸らそうと彼に顔を向けた。

「お前の方こそ、名前は?」
「……」

彼は一瞬意表を突かれたような表情をしたが、またすぐに目も口も笑わせた特有の笑顔のベールを被った。

「んー、言いたくないかな。なんかもう好きに呼んでよ。」

何となく、意外さが脳の辺からこだました。

「……じゃあ、“少年”。」
「少年!?まぁなんて気障な!アッハハ!」

目の前の“少年”はそのままの状態でゲラゲラと上を向いて笑った。

「笑いのツボがよくわからんな……」
「えー何?わかるでしょ!だって俺今の今まで固有名詞で“少年”なんて呼ばれ方したの初めてなんだもん!ハハハ!」

“少年”は明るく、店の照明と同化するようにキラキラと笑った。

「少年…少年かぁ、ハハ、…………そっちは?」
「ん?」
「君の名前。聞いたってことは、言う気になったんでしょう?」

妙に子供っぽくそう上目遣いで聞いてくる。綺麗な造りの童顔じゃなかったら余裕でぶん殴っていたところだ。俺は三点リーダを二回くらい繰り返してから言った。

「……影島、」 
「ん?」
「影島、仁……」
「黒霧の影に、シマ?ヒトシってどういう字なんだろう……」

大きい目を爛々と輝かして俺の顔を覗き込んでくる。
俺はそいつの目を上から見返して言った。





「俺の名前をそんな風に言ったヤツは初めてだよ……」
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「……で、“少年”。」

俺は珍しく人に向き合って物事を聞いた。

「お前なんでそんなに半年前のことが気になってんだよ 」

“少年”はまたあざとらしくクリームソーダを飲むと、俺に目だけ向けて言った。

「いやー…ね? 俺誕生日が2月5日って言ったじゃん? でさ? ふつーに、フツーに考えてよ?……嫌じゃない? 」
「嫌って、何が 」
「何もどうもないでしょうよ。誕生日なんて年に一回の一大イベント、逃すとか相当損じゃん。お祝いの言葉もプレゼントも貰えない訳だしさー!」

“少年”は真上を向いて子供のようなどこか憎めない表情を組んだ。

「…あとね、これは本当に気のせいかも知んないんだけどね、」

“少年”が下に向き直ってそのまま視線だけを俺に投げてくる。

「…“大切なモノ”をさ、なくしたような気がすんの。」
「“大切な モノ”?」
「うん。」

クリームソーダと同化した淡い浅葱の瞳が体温無しに俺を真っ直ぐ見る。
真剣だ。

「……“大切なモノ”…ねぇ、」

俺は砂糖を大量に含ませたレモンティーを口に流して考えた。
嗚呼、こんなもんか。案外……いややっぱ甘過ぎる。
でも………




………何故か、蜂蜜みたいな香りが鼻を掠めたような気がした。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「…で、思い当たる節とか無いわけ?」
「あったらここまで苦労してないってば~……」

“少年”は「何回聞くんだ!」という気持ちと諦めの混じった心底うざったるそうな表情でそう言った。 けど正直、俺らは初対面なのである。
伏せた“少年”をふと見ると、ある所に目が止まった。

「……あ、」

物体が軽く存在している。
指でつまもうとして、物体は風に乗ってどこかに行ってしまった。

「えなに、虫?」
「否、虫じゃなくて………」

アレは、多分あれは…

「……猫の毛…?」
「ネコ?ネコってあの、動物の?」

“少年”はいきなり目を丸くして俺の方を見てきた。

「手押し車の方な訳ないだろ。てか何?なんでそんな驚いてんだよ 」
「だって、だって俺……」



「ネコ見た事ないし……」
「…」


いや、よくあると言えばよくある事なのだ。
今の時代、つまり地球温暖化の進みすぎて街が壊れ街が沈み、暑さに耐えきれなくなった動物や植物が衰退してきている今この時代、近場に保護場とかがなければ猫を見ること自体あまりないのだ。
勿論飼ってる人も居るが、そんなの大抵管理する金のある大金持ちかよっぽど猫好きな変わり者みたいな人ぐらいしか居ない。そして目の前にいるこいつは、
…見たところ、「普通の家」の生まれのようだ。
一体、どんな理由でこんな砂漠のど真ん中みたいな所の喫茶店に入ったか知らないが。

「…家の近くに保護施設とか無いわけ?」
「んー……」

“少年”は身振りをつけて考え出した。

「…ないな、」
「えぇ……」

ってことはコイツだいぶ遠いところから来てるみたいだ。
この辺なんか猫なんて、探さなくてもその辺の日陰にいっぱい居るのに……

(おかしいな……)

不思議とそんな風に思った。いや、確かにおかしいのだ。
俺の通ってきた道中、暑くて暑くてたまらなかったが、日陰はどこも猫たちが占領していて通ることが出来なかったのだ。

(だったらなんで…………)

俺の中でふと怪しいと言う思考が出てきたが、それ以上のことは何も言えなかった。
というか、この会ったばかりの名前も教えて貰えなかったヤツにこれ以上介入するのは、それこそ許されたことじゃないような気がしていた。

「なぁ“少年”。」
「ん?何?」

俺はわざと息を吸って言った。

「猫ってすげー可愛いんだぞ。」
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
そう言うと“少年”は酷く困惑したような顔をした。

「えっ、えぇぇ……」

こう声に出るくらいだ。だが事実そうだ。 猫は一般論でも可愛いとされている。
逆にそうじゃないとわざわざ保護場まで大量に作って国が徹底管理するまでになるほど愛されることもないだろう。可愛いんだから仕方がない。

「…………」

“少年”はテーブルに肘をつきあごを乗せ少し熟考した。
そしてまたも言いづらそうに言った。

「……あの、ごめんね?俺こんな見た目しといて言うのアレだけどさ………」


「みんなの言う“一般論”とか“常識的に考えて”とかが、……理解できないんだよね、」

急に厨二臭くなったヤツだと思ったが、向こうの目を見るに何やら本当らしかった。

「だってさ、だってさ?普通って何よ。自由って何よ。常識とか、非常識とか、誰がどの目線から決めて言ってんのよ。 そら、さ?ルール破るのは良くないと思うよ僕も。けど別にルールなんてないじゃん。かといって誰に迷惑かかる訳でもないじゃん。なのにみんな、そういう社会のよく分からない理屈にしたがって生きてる。
だからって別にみんな正常な訳じゃない。どっかに悩みがあったり、人として持っちゃいけない思考を持ってたり、危険思想だったり、反社とかそれに準ずるものに加担してたりとか。みんな結局自分のことしか考えてないじゃん!」

“少年”の熱の篭った愚痴か何かが堂々と正を成してくる。

「なのに、なのになんでよ………」

“少年”は急に机に突っ伏した。

「なんで僕だけが疎外されて生きてかなきゃなんないのよ……」

俺はその、目の前で起きているよく分からない現状に俯瞰して見ていることくらいしか出来なかった。


半年前の5日には何があった?  前編Fin.

初稿:9月4日
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