短編集:あくまで私は生きている【2023年度文芸部部誌より】

氷上ましゅ。

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ハグレモノ

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俺は人生に疲れてしまったハグレモノ。
特に生きる理由も無く、生きている意味も無く、
そして、死ぬ意味さえ、無い。



短くとも長くとも思えたこの25年、ただ人の為になることだけをして来たつもりだ。

小中高と物心のついた頃から、親に恥をかかせないよう、塾にも行かず通信教育も受けず家庭教師もつけずに良い方の成績を取って、皆にそれを恨まれないように、自らご丁寧に勉強会を開き、分からないところがあれば1から10まで全て教えてやった。
尚それでもわからんと言い切った奴には、テスト直前の合宿と称して家に招き、2日ほど泊まり込みで勉強を教えてやった事もあった。

芸術も保体も技家も情報も、それなりに良い方の成績を取った。

大学では、こんな俺がしたいことなんてさらさら無かった為、無理のないぐらいの大学を片っ端から漁り、結局、部活動の先輩の行ったと聞いた興味のない大学に部屋を借りて入った。

そこでも、平均より上の成績を取って、大体の単位も取って、とりあえず卒業した。

選挙権が与えられると、迷わず会場に足を運び、親が家に帰るといつもぶつぶつと言っていた人の名前を無情で書いた。

献血ができるようになると、そこにも迷わず足を運び、検査をし、血を分けた。

髪の毛も、男だったが腰あたりまで長く伸ばして、売ったり分けたりした。

服も要らなくなったらリサイクルに回し、会計の残った小銭は、端数から募金箱に入れた。




どれも、苦では無かった。

俺はそれなりに、人から感謝される事をして来たつもりだった。

薄っぺらい思い出の欠けらも無い大学を卒業し、無事社会人デビューなるものを果たした。

成績も学校での生活態度も良かったためかすぐにそこそこの就職先も決まり、また別の場所で一人暮らしが始まった。

毎日毎日、働いた。

ブラックだとかグリーンだとか、はたまた超がつくほどのホワイトか分からずとも、何の疑念も持たずしっかりと働いた。

上司から浴びせられる皮肉なのか冗談なのか、はたまたアドバイスのつもりなのか判別のつかない尖った言葉を投げられても、仲のいい同僚や人の良い先輩の激昂や慰めを食らっても、タイムカードが上手く切れてなかったとしても、何も気に留めていなかった。

自分が最低限の質を保った生活が出来ればいいのだ、そう思い何も愚痴を叩かずただ、黙々とデスクにつく毎日だった。

同僚との絡みも良く、上司からの信頼も厚い。
成績優秀、かと言って人間性に大きく欠けていたりとか、突出して病弱だとか脆弱だとか、そんなことも無い。




平凡な、人。


会社ではよく頑張った、社会でもよく頑張った。
「おてほん」の様に、清く真っ直ぐに生きていたつもりだった。

ある日、会社からの帰路を歩く最中、不意にこんな考えが脳を過ぎった。

“生きている、意味って?”
俺はそれがわからなくなった。
思い出してみれば、学生時代の友人との思い出という名のついた記憶なんて、もう三年以上も経って、全てがかすれて上手く思い出せない。
あるのはただ、善人ぶった行動と人格、そして心のどこかで人を蔑むようにしていた視線と傲慢。わからない、わからない、何がわからないのかさえ、わからない。
焦燥感が身体を突き抜け、2月手前の極寒の中にも関わらず、顔から大量の汗が吹き出て除雪された跡の残る冷たいコンクリートの上に落ちた。

こんな事は読んで字のごとく生まれて初めてで、無性に吐き気と胸のむかつきが止まらなかったのを覚えている。

息を荒くしながら家に着いて、ふと自室の狭いワンルームを見た時に初めて思った、


本当に、ここに人が暮らしているのか?

自室には、布団と、枕と、仕事着の詰まったクローゼットと食卓代わりの盆テーブル、若干の私服に充電器。どれも、殆ど学生時代からの使い回しだった。
殺風景過ぎる部屋で、その夜は独りで膝を抱えて、風呂に行く気力も飯を食う気力も無くし、ずっとまとわりついていた孤独と初めて対面した様な気がした。
頭の中でまとまらない思考が渦巻いて、気付けば二時間も玄関で茫然としていた。

動き出した俺に誰かが囁く、

「辛いんでしょ。辛すぎて、気付けなかったんでしょ。
ねぇ、そんな不都合にしかならない人生。終わらせちゃえば、良いんじゃない?」

殺傷力の高い拳銃のトリガーが目の前1センチで引かれたような気がした。
俺の中で何かが破れるような捻じ切れるような、そんな不快と爽快の入り交じった知りえない感覚が後頭部から突き抜けた。


俺はその半月後、勤めていた会社を辞めた。
それも、有給消化と言って、俺は最後の二週間、会社には一度も顔を出さずに。
そんな風にしたにも関わらず、社員時代特に仲良さげに付き合っていた同僚が、一度家に来た事があった。この時期に珍しい、大雨の日だった。

「...久しぶりだな、橋田。」

家に上げる前から、同僚はにっと笑って口を開いた。

「そっちこそ。いきなりどうしたんだよなあ?」

友人間だけで使う、その独特の“誰かに染まったような”口調に何故か安心感を覚えた。
「...」

同僚の肩は濡れていて、足は革靴のままだった。
どう考えても、営業前に寄ったとしか思えなかった。

「......本当に、どうしちまったんだろうなぁ.........」

同僚を家にあげて、少しだけ話をした。会話が続いて、橋田がこんなことを言った。

「なぁ影島、今度また、飲み行こうぜ。急にお前が居なくなっちまって、皆心配してんだ。
お前、単純に良い奴だからさ、」

絶望と孤独で吐いたあの日の事を思い出して、胸が辛くなった。それから沈黙が続いて、同僚には帰ってもらった。見送って冷えた玄関に腰を落とし、俺はそのまま静かに泣いた。
スウェットから伝わる冷たさに、何もかもが吸われてしまいそうだった。


泣いて虚無って踏ん切りがついたある頃、俺はこのワンルームを引き払って、誰一人として寄り付かなくなった実家に帰った。そのまま自室の整理をし、売れるものは売ってその金で近所にある昔ながらのラーメン屋に立ち寄った。

懐かしい醤油ラーメンの濃い味が喉に引っかかって、思わず涙が出た。
高校時代に見慣れたラーメン屋の店主の無愛想な顔が、やけに羨ましく感じられた。

懐かしい実家に帰って自室に残った学習椅子にだらしなく座ると、よく分からない笑みが零れてきた。

「ははは………あはははは、」

学生時代からあまり出してこなかった不器用な笑みが声を連れて喉から掻き出される。
そのまま狂った笑顔で笑い続けた。そして晴れた空の下、俺は実家の屋上に立った。
高校の時から着ていたジャージ上下を着て、高校の時ただの興味で買い、ぼろぼろになった白のコンバースを履いて。


そして、今に至る。

身を投げる前に、少し引っかかった。スマホを取り出す。
がらんとした画面の内、心情的に消せなかったアプリのひとつを開く。
俺はそのまま、ただ1人家に訪ねてきた元同僚にメッセージを打ち込んだ。

送信の表示の後、俺は一度息を吐いて、アプリを削除した。頬に何故か涙が伝う。
俺はそれを無理に笑ってかき消しながら、スマホの音声アシストを立ち上げた。

声をあげる。

「Hey,Siri. 俺が生きている事の利益を教えて?」

清々しかった。

「…少しお時間をください」

無機質な音声は時間をかけてそう言った。

「あなたが生きている事の意味は私には分かりません。ですが」
「私が活動をし続けている限り、私を求めてくれる人は居ます。だから」
「あなたが生きている事で誰かがあなたを求めることが出来るのでは無いのでしょうか?」

機械的で淡々とした声が返ってきた。スマホを持った手の力が抜ける。
らしくもない言葉が口を突いた。

「......そんなの、橋田以外に居ねーよ」

呟いた瞬間、涙が溢れ出した。

「はぁ、っはは、何、なんでだよ、  なんで俺は泣いてんだよ、はは、」

涙を拭って、ただただスマホに向かって声を飛ばした。

「Hey,Siri!今までありがとな」

陽気な声に二拍置いて、返答があった。

「…少しお時間をく」

言いかけて、手に持ったスマホが震えた。手首を返して画面を見る。
橋田だった。
俺はそのまま緑に光る応答のボタンを押した。耳には当てず、スピーカーをオンにする。

『影島!!お前正気か!?』

切羽詰まった橋田の声が響く。

『ざっけんじゃねぇよ!!家引き払ったと思ったら、「じゃあな」なんて一言、メッセージ寄越しやがって!!残される側のこともちったあ考えろ!!』

涙混じりの怒号が、スマホから流れてくる。

「ごめんな、橋田。」

懺悔のように呟いて、スマホを足元に置いた。
『おい聞いてんのか影島!!』

聞いてるよ、橋田。お前、やっぱ良い奴だよな。

『電話出たなら一言くらい喋れよ!!』

はは、そうだよなぁ、電話出たのに喋らねぇのなんか、おかしいよなぁ、

『なあ影島?影島!』

もう、良いんだよ。これで。これで良いんだ。

俺はそのまま、もう誰一人として寄り付かなくなった実家から身を投げた。

『やめろ、やめろ影島!!』

もう良いよ、橋田。お前、喉弱いんだからそんなに叫んだら喉、潰れるって。
お前、カラオケで三曲歌っただけで、喉、死んでたよなぁ、

『影島ぁぁあああああああ!!!』

そんなことを思ってる間にも、身体はどんどん落ちて行く。
落下していく途中で、様々な記憶がまざまざと、まるで絵本を読んでいるかの様に断片的に、そしてとてつもなくリアルに蘇ってきた。

『もうこれ以上俺の前から消えるのはやめてくれ!!!!!!』

   声の遠さに、耳鳴りがする。

俺はゆっくりと、かつ確実に目を閉じた。
この、短くも長くも思えた25年間は、俺の意思によって、あっけなく閉ざされることとなった。

   胸のざわつきが止まることを知らない。

ハグレモノの俺に、一番相応しく、そして
一番悲しく、一番残酷に。

ハグレモノ  Fin.

初稿:5月30日
原版(LINEVOOM限定版):2021年7月3日
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