魔界沼の怪魚

瀬能アキラ

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解体工事着工

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 「馬鹿でかい魚に、巨大な背びれ? 谷本君、それはどういうことだ?」
 巻田が谷本に問う。私も当然、気になる。
 「ちょうど三階の室内を見回りしていた時に、窓辺から外の草周湖が見えるのです。何か変な物が湖面に浮いているなと思って、よく見ると、大きな黒い物体で巨大な背びれみたいな物がありました。鮫のような・・・」
 「鮫・・・」
 私は思わず呟いたが、苦笑を洩らしてしまった。こんな山中の沼沢地などに、鮫などいるはずがない。
 「矢浦、ひょっとしたら、大型の草魚かもしれないぞ」
 巻田は言った。
 「メートル級の草魚はいるという話だが、谷本、それは実際、どのぐらいの大きさだった?」
 まだ興奮気味の谷本に、私は冷静に尋ねる。
 「遠い距離から見たのですが、絶対に一メートル以上はありましたよ。倍以上、いや、もっと!」
 谷本の言葉に、私と巻田は再び顔を見合わせた。
 「草魚は中国の外来種で、二メートルにも達する大型魚なんだが、日本に生息しているものは、大きくてもほとんどの物が一メートル程度らしいぞ。しかし、鮫のような巨大な背びれというのは、何だろうな・・・」
 巻田は首をかしげた。
 「体形的にいえば、草魚でもないかもな・・・」
 私は考えながら言った。谷本の見間違いということも十分に考えられる。
 「それは本当に魚体だったのか?」
 巻田は谷本に問う。
 「水中に消えて行きましたから、魚だったはずですよ」
 「淡水魚で大型の物といえば、草魚以外で何がいるかな?」
 私は巻田に言った。
 「草魚以外だと雷魚か。雷魚も大型になると、一メートル近くになる。しかし、巨大な背びれではないぞ。他に大型魚といえば、野鯉がいる。野鯉も全国の湖で、一メートル超えの巨大な物が釣り上げられているぞ。だが、巨大な背びれというのが分からない」
 「まあ、この目の前の沼や湖には、得体の知れない大物が潜んでいるということだ」
 「確かに。楽しみになってきたな」
 「巨大な背びれだったのは、僕の見間違いだったのでしょうか・・・」
 谷本は草周湖の方に目を向け、呟くように言った。

 週明けの9月30日、月曜日。この日から本格的に大型重機での解体作業がはじまった。ブレーカーとクラッシャーのアタッチメントを装備した解体用重機で、幽霊ホテルは形を崩していく。
 オペレーターの巻田の操作により、作業は順調に進んだ。この一日で、建物は原形をなくして、コンクリート塊となっていく。
 10月1日、2日の二日間で、大型ダンプカーによってコンクリート塊の運搬撤去となった。
 10月2日の昼前、現場の様子を見に、笠原部長がやってきた。
 敷地内にライトバンを止め、重機とダンプカーの作業を見ていた私と谷本の元へ、笠原部長が近づいてきた。
 「ご苦労さん、作業は順調のようだな」
 笠原部長は私達に声をかける。
 「今日の夕方には、全てのコンクリート塊は搬出となります・・・」
 私は、現在までの状況を部長に報告し、今後の作業予定も説明した。
 「いわく付きの建物が姿を消し、ひとまずよかった。最後まで気を抜かず、工事を終えてくれよ」
 「分かりました」
 私は、谷本とともに大きく頷いた。最初に目にした不気味な幽霊ホテルの姿が消えると、胸をほっとなでおろすようでもあった。
 目の前で、コンクリート塊となった残骸を巻田が油圧ショベルでダンプカーの荷台に積み込んでいく。過積載にならないように積むのである。
 一台目のダンプカーに積み終えると、次のダンプカーらが順番にやってくる。数台の車両で現場と産廃処理施設を往復させていた。
 「矢浦よ、ここの解体現場が終了したら、次の現場が入った。お前と谷本とのコンビで、引き続いてやってもらおうと思っている」
 巻田らの作業を目にしながら、笠原部長は私と谷本に言うのである。
 「次の現場は、何処ですか?」
 私は尋ねる。気になるところである。
 「また西洋村だがな」
 部長の言葉に、私と谷本は顔を見合わせた。谷本の表情は堅くなっている。地元の高知市から遠く離れた、こんな辺鄙な場所は嫌なのだろう。
 「また解体工事ですか?」
 「いや、解体の方は、しばらくないだろう。やってもらうのは護岸工事だ。以前、別の業者が製作した20tブロックが二、三百個あるらしい。それをうちの200tクレーンで海岸に据え付ける。ブロックは西洋村の製作ヤードにあって、トレーラで陸送しないといけない。海岸の現場には、国道から降りて行く大がかりな仮設道が必要だ。機械や車両が行ききしないといけないからな。下請けは坂本工業だけでは人手不足らしいから、長倉建設にもきてもらうぞ・・・」
 笠原部長の説明が長々と続く。自分らの知らない間に、次の現場が着々と計画されていたようだった。次の現場の工期は、来年の二月まであると言った。当分の間、この西洋村からは抜け出せそうにない。

 10月3日木曜日。前日に幽霊ホテルのパシフィックホテルは、完全になくなった。この日からは、敷地内のアスファルト舗装の剥ぎ取り作業と、敷地の周囲を囲んでいるフェンス類を全て撤去する作業に入った。
 オペレーターの巻田は油圧ショベルでアスファルトを剥ぎ取りながら、大型ダンプカーにアスファルト塊を積み込む。
 巻田の部下の伊藤と中村の二人は、フェンス類の撤去作業に取りかかっている。精悍な二人であるが、顔からは玉のような汗を流しながら作業に取り組んでいた。もう十月だというのに、この昼間の猛暑は異常気象である。これ以上温暖化が進めば、我々の住む地球は一体どうなるのだろうか。ふと心配になる。
 午後の三時を過ぎると、幾分、暑さも和らいだ気がする。そんな時だった。敷地の外側に青のミニバンが止まった。
 車内から女性が降りてきた。黒井今日子であった。彼女は今日もブルージーンズを穿いていた。
 彼女と視線が合い、私は近づいて行った。
 「あの不気味だったホテルが、跡形もなく消えましたね」
 私が近づくと、彼女は一瞬さわやかな笑みを浮かべ、言った。
 「あと数日で、この辺一帯は自然な状態になります。ご主人が亡くなられた真貝沼へ近づくこともできます」
 私がそう言うと、彼女の表情からは笑みが消え、視線は真貝沼へと向けられた。
 「それと、この敷地から真貝沼へ降りた辺りに、大きなスズメ蜂の巣がありました。仮設道を作る時に、我々がそれもついでに処理します」
 あのスズメ蜂の巣を思い出し、私は彼女に知らせるつもりで言った。知らずに近づけば大変なことになってしまう。
 「分かりました」
 彼女は、しばらくの間、真貝沼の方を眺め続け、私達の前から去って行った。一日も早く、主人が亡くなった場所に近づいてみたいのだろう。言葉では言い表せない何か強い思い入れがあるはずだった。
 工事は、この日で敷地内のアスファルト舗装は全て剥ぎ取ってしまい、土の地面が現れた。
 翌日の4日金曜日、この日は巻田、伊藤、中村の三人で、残りのフェンスの撤去作業を行なう。工事も終わりに近づき、作業人員は三人となっていた。
 午前中でフェンスの撤去作業は終えた。中村が4tトラックで最後の解体されたフェンスの残骸を運び出す。室戸のスクラップ工場までの運搬だ。
 巻田は重機で地面を更地に戻すため、整地しはじめた。伊藤は、地面に残った細かな解体作業で発生したゴミなどを拾う。
 「工事も、これで終わったようなものですね」
 巻田と伊藤の作業を目にしながら、谷本が私に言った。
 「そうだな」
 この日の昼間も、まだ連日の猛暑であった。私はヘルメットをはずし、額から流れ出る汗を拭う。
 「明日からは、いよいよ最後の作業と・・・」
 谷本が、そう言おうとした時であった。水辺の方から、何やらバサバサという音が聞こえてきた。
 敷地の北側の端にいた私と谷本は、音のする方に視線を向けた。すると真貝沼の岸辺近くの水面で水鳥が一羽、羽をばたつかせていた。そして次の瞬間、水鳥は水中へと引きづり込まれ、姿を消したのである。
 「谷本、今の見たか・・・」
 「は、はい・・・」
 二人は、呆然としていた。一羽の水鳥が、目の前で水中に引きずり込まれたのである。
 結局、水鳥は、そのまま水面には上がってこなかった。小魚を捕食するために、水中へ潜ったものでもない。何かによって、水中に引き摺り込まれた。
 この真貝沼には何かいる。得体の知れない何かが・・・ 水鳥が捕食されたのか。
 「この間、自分が目撃した巨大な背びれの魚の仕業でしょうか?」
 谷本は、思い出したように言った。私は考え込んでしまった。
 「自分が目にしたのは、草周湖の方でしたけど」
 「草周湖と真貝沼はつながっているぞ。よく見てみろ」
 私は指を差した。草周湖の中央部の西側から自然の水路のようになり、真貝沼につながっている。雑草が岸にはびこって見えにくいが、よく見るとつながっているのが分かるのである。
 「そうですね」
 谷本は、確認するように視線を向けていた。
 「お前が見たという背びれの怪魚が、水鳥を襲ったのかな」
 私は言った。
 「どうしたのだ? 二人とも、真剣な顔をして」
 私と谷本が振り向くと、巻田が立っていた。その後ろには伊藤もいる。重機での整地作業を終え、作業ゴミの回収も二人は終えていた。重機のエンジン音は止まり、その横には伊藤が回収した土のう袋が置かれている。
 「また例の背びれの魚か? この間 谷本君が目撃したという」
 巻田は言う。
 「矢浦さんらは、ずっと沼の方を見ているもので」
 伊藤も言った。
 「真貝沼の方で、水鳥が水中に引き摺り込まれたのです・・・」
 谷本が、先程の様子を二人に語った。
 「肉食魚の仕業だな」
 谷本の様子をきき終えると、即座に巻田は言う。確かに彼の言う通りかもしれない。
 「水鳥を捕食する程だから、大型の肉食魚だな。大型魚なら草魚がいるらしいが、草食魚だからな」
 私は考えながら言ってみた。
 「草魚や大型の野鯉ではない。雷魚だな。かなり大型化した雷魚だ。谷本君が目撃した背びれの怪魚と同じやつかもしれない。雷魚にも、確かに背びれはある。しかし、鮫のような大きな背びれではないが、谷本君が何かと見誤った可能性もある」
 巻田の考察でもあった。谷本が興奮して見誤った可能性も十分に考えられる。大型の魚影を目にし、背びれというのは日差しにでも反射して大きく見えてしまったのか。
 「自分は、全く魚には詳しくありません。雷魚という魚が、どんなものであるか知らないのです」
 釣りなどに全く興味のない谷本にとっては、雷魚など知らない世界の生き物なのかもしれない。
 「では谷本君、教えてあげよう。体は細長くて蛇のような頭をしている。草魚と同じで雷魚も外来種で、元々は日本にはいない魚なんだ。草魚と違って、肉食で獰猛な奴。水辺にいるネズミや蛇も捕食する。だから、大型化した雷魚なら水鳥を捕食したとしても、おかしくはないのだよ」
 巻田は谷本に言った。
 「獰猛な水中のハンターだ。見た目は、かなりグロテスクだがな。大型化し、怪魚となった雷魚に、メートル級の草魚か。ここにあったホテルが幽霊ホテルとなってからは、ほとんど人が立ち入っていない未開の沼沢地。その間に、大型化した淡水魚の宝庫となっているかもな・・・」
 私は言った。真貝沼や草周湖、ここの沼沢地は音木川ともつながっている。今まで目にしたことのない大型の淡水魚が、ここには潜んでいると思われた。私と巻田の釣り心は、既にくすぐられていた。
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