お伽話 

六笠 嵩也

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第四章

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朝焼けを待ち侘びる小鳥の様に、嘉平の温もりの中でじっとしていた鈴虫は日の出とともに寝床から這い出した。嘉平は朝方になってようやく眠りに就いたばかりだと言うのに、鈴虫はその腕をお構いなしに払い除けて廊下を奥へと小走りに向かう。今日は念願叶って佐吉に会えるのだ。

「喜一郎兄様!起きてくだせ。おら、火を点けられないの。お湯沸かして湯浴みしなくっちゃ!さきっさん来るまでに髪の毛が乾かないかも知れない!」

「…うぅ…う~ん……うっせぇなぁ…そんなに早くっから佐吉兄ぃは来ないぞ。なんだ、待ち遠しくておとなしく寝ていられないのか。」

「うん。さきっさん、いつ来るの?まだなの?おら、もう一回寝て待った方が良い?」

「あー、はいはい、起きますよ、起きます。…ったく、あんまり頭を洗いすぎると禿げるぞ。」

「うそっ!ほんと!?おらも兄様と同じに…」

「ばぁぁぁぁかッ!何故そんな目で俺の頭を見てるんだ!俺の頭は禿げじゃない!…ったく、手入れしてるの見た事あるだろうが。」

 喜一郎はブツブツ文句を言いながらも湯浴みの支度を始めた。重たい水を運ぶことも、竈で湯を沸かすことも出来ない鈴虫は、そわそわと落ち着かない様子で喜一郎の後をただ付いて歩きまわる。

結局はそのせわしない物音で嘉平もお妙も目を覚ましてしまった。

嘉平は囲炉裏の傍の寝床の中から、寝不足でぼんやりとした頭のまま鈴虫と喜一郎の様子を眺めていた。今朝の喜一郎は、まだ乱暴なところはあるが、言葉の端々に鈴虫を労わる様子が些か感じられる。やはり昨日の事が余程効いたのだろうか。生々しい人の死、見たくないもの触れたくないもの、自分自身の心の中で散々苦悶しながらそれらを乗り越えて、喜一郎も少しずつ人の痛みが分かるようになっくれれば、ある意味で木ネズミの死も無駄ではないのかも知れない。嘉平はそんな風に考えて、沈み切った気持ちに折り合いを付けると寝床を出た。

嘉平は湯浴みの支度はこのまま喜一郎に任せ、自分は喜一郎では手の回らない香油や襤褸布などを用意して堂の中に運び込んでおくことにした。一通りの荷物を小振りな葛籠に収めて小脇に抱え、幾度も欠伸を噛み殺しながら巡り廊下から庭に下りて堂へと向かう。
嘉平は庭を半ば通り過ぎた辺りでふと背中に人の視線を感じた。なんだか一瞬、屋敷の入り口近くで動く人影が視界の端に入ったような気がする。嘉平がまさかと思って振り返ると、薄ら寒そうに肩を抱いてもじもじしている男がいるではないか。

「おぉっ?もしや、佐吉かい?驚いたよ。お前もだいぶ朝が早いねぇ。」

「あははは…おはようございます。あの…すみません。いつ頃お伺いして良いか聞きそびれてしまったので。早すぎましたよね?正直に言いますと、やっと会えるのが嬉し過ぎまして…あっ、早過ぎたんでしたらいったん帰ります!」

「いや、いや、帰らんでよろしい!お前も待ちきれなかったのかい?それじゃ鈴虫と一緒じゃないか。鈴虫も朝っぱらから喜一郎を叩き起こしてせっせと支度をしているよ。さぁ、そんな隅っこに立って居ないでこちらに来なさい。色々と支度もあることだし、歩きながら話をしようじゃないか。」

「あっ、はい。」

嘉平と佐吉は井戸の縁まで歩みを進めた。嘉平は水を汲み上げながら佐吉の身形を確かめてゆく。ざっと見るからに佐吉も念入りに身支度して来たらしい。しつこく言い聞かせたせいか爪も短く整えられている。どうやら鈴虫に触れる上での注意点は忘れてはいないようだ。嘉平は水桶一つ佐吉に持たせてると堂へと歩みを進めた。

「嘉平様、お鈴ちゃんがもう俺に会いたくないって言ってたって聞いたもんだから…俺、もうお鈴ちゃんに会えないのかと…俺、お鈴ちゃんに詫びがしたかったんです。」

「いやいや、儂の言付けはちゃんと守ったんだろう?だったら、お前には何の落ち度も無い。そもそも鈴虫がそういう立場に生まれついてしまったのだから仕方が無いんだよ。お前も辛いだろうによく耐えて待っていてくれた。でも、まぁ…事情が事情だからなぁ…とにかく今は鈴虫の気持ちを大事にしてやってくれ。」

「俺は何があってもお鈴ちゃんのこと全部受け止める覚悟は出来ているんで大丈夫です。どんなに時間が掛かってもお鈴ちゃんの気持ちが落ち着くのを待ちますよ。でも…お鈴ちゃんは?お鈴ちゃんは何て…?」

「佐吉や、そう言ってくれると有難い。儂はお前に鈴虫を任せて本当に良かったと思っているよ。事情は喜一郎からも聞いているとは思うが…まぁ、その…色々とあっただろう?だから…鈴虫のヤツ、少し怖がったり嫌がったりするかも知れないが、そこをどうにかお前が上手く可愛がってやってくれないか。」

「拒まれたら…無理させない方が良いような気がしませんか?俺は会わせて貰えるだけで嬉しいですし、今日は二人でよく話をして、次の機会にでも…」

「いや、この機を逸したらいつまで経っても元に戻れなくなってしまうから、多少強引でも良いから抱いてやってくれ。お前ならきっと上手く出来る。さぁ、堂の中でもう少し待っていてくれ。鈴虫のヤツときたら余程嬉しいのか知らんが、あれこれと注文が多くて困ったもんだ。」

「はい…」

佐吉は返事をしてみたものの、強引なやり方にはあまり乗り気ではなかった。鈴虫の気持ちを大事にしてくれと言うわりには二人には交わるかどうかの選択権すら無い。決められた方針の中で、多少順序を変えられる程度の自由しかありはしない。どんなに愛情があっても現身の身体の躾をする役回りという立場は変えることは出来ないのだろうか。これでは心を持たない道具のようだと佐吉は心の中で何度目かの溜息を吐いた。

「おい、鈴虫、外で親父がなんか話してるな。佐吉兄ぃ、来たみたいだぞ。…ったく、お前といい、佐吉兄ぃといい、なんでそんなに早起きするんだよ。」

「わっ、わっ、どうしよう!おら、まだお支度できてないよ。兄様、あっち向いてて。おら…」

「あぁ、わかってる。お前の尻なんか見ねぇ…アッ、コラッ、ばぁ~か!全部脱ぐな!盥の中に入って、着物の裾が濡れないようにを盥の外まで上手く広げて尻を隠しておけ。腰湯に浸かってる間に俺が髪を結い直してやるから。最初に佐吉兄ぃと堂に入った時と同じにしたいんだって?俺と同じくらいの高さに結い留めれば良いんだよな?」

鈴虫は嬉しそうにこくこくと頷いた。

しばらくすると嘉平が鈴虫の元へと戻って来た。その顔には安堵感のようなものが漂っている。佐吉と色々と話をして、佐吉に全く心変わりが無く、嘉平の言った事を忠実にこなす役目をいつも通りしてくれそうだと確認できたからだ。

「ねぇ、お父様?さきっさん、もう来てるの?」

「あぁ、鈴虫や、佐吉はお前と同じで待ちきれないようだよ。嬉しいかい?」

「ん…でも…さきっさん、来てるのに会えないの?お願い!連れて来てよ。」

「鈴虫や、焦ることは全く無い。佐吉のことは待たせておけば良い。お前の体が一番大切なのだからゆっくりと腰湯こしゆをして体を温めなさい。無理をして怪我をするようなことがあったらどうするんだね?それとも、盥の中で尻丸出しにした姿で再会したいのかい?まぁ、堂の中で食べるものやら用意する時間もかかる。良いように支度をしてやるからちょっと待ってなさい。」

「…はぁい。」

「あぁ、そうだ!佐吉は手順を忘れていないだろうか?間違いが無いように、ここはひとつ、儂が一緒に行って手伝ってやらなければならないか。」

「ぃやッ!…んもうッ!おら、ちゃんと出来るもん!忘れるわけないでしょ!」

鈴虫がポッと頬を赤らめながら怒る。

喜一郎は会話の内容を妄想しては眉を顰めているが、これが嘉平が望む日常。嘉平としては、度々訪れる噛付き男の事など忘れて、出来る限り鈴虫の好きなようのさせてやるのが一番良い。いつでも鈴虫が望む時に佐吉を呼んであげる事が出来る安定した日常が嘉平の望みだ。

そうこうするうちに支度は整った。佐吉が庭先まで鈴虫を迎えに出て、二人は寄り添いながら堂の階段を上ってゆく。その背中を嘉平と喜一郎は並んで見送った。

「鈴虫のヤツ、あんなことがあったのに笑ってら。佐吉兄ぃに会いたくないって言ってたくせに、いざ 会ってみると幸せそうだな。」

「あぁ、良いんだよ、これで。…これで良いんだ。」

「…けど…どんなに頑張って生きても、あいつはせいぜいあと十年。あと何年かで佐吉兄ぃは独りになっちまうのかよ…」

「こら!喜一郎、縁起でもない!滅多な事を言うんじゃないぞ!」

「あぁ、わかってるって!ただ…」

言いかけて、喜一郎は口を噤んだ。嘉平に咎められるまでも無く、安易に口に出すべきではないのは分かっている。ただ、喜一郎には今朝の嬉しそうな鈴虫の笑顔が、明けの流れ星の一瞬の煌めきのように見えて苦しかった。幼い日に見た雪虫の最期、昨日の木ネズミ、そして自らの命をザクザクと音を立てて削りながら生きる鈴虫。かつて破談の折に嘉平から現身の命は長くはないと言われた言葉が今更ながらに胸の中で渦を巻く。

喜一郎は戸を閉めようとする鈴虫に向かって呼びかけた。

「お~い、鈴虫、飯は堂の中に用意してある。他に何か欲しい物が有ったら俺に言えよ。あと、困ったことがあったら俺が…」

「は~い、喜一郎兄様、色々とありがとね。何かあったらお願いします!」

鈴虫は笑いながら手を振って戸を閉めた。
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