お伽話 

六笠 嵩也

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第三章

3-29(★?)

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一日に二度は堂へと食事を運ぶつもりでいた鈴虫であったが、結局それは許されず、次の日からは昼頃に食事を届けて戻って来るだけという話でまとまった。

鈴虫によって木ネズミきねずみなどという珍妙な呼名を与えられてしまった男は、食べる量を減らされているのと体力の消耗とで少し弱っているが、態度だけは相変わらず強気なままだった。喜一郎はと言えば、やはり居心地が悪いと言って佐吉の家へと避難してしまった。これで屋敷に残るのは木ネズと鈴虫と嘉平、そして寝込みがちになったお妙だ。

「鈴虫や、昨日家を空けたのはね、二ノ上村の男衆を送ったついでに観音様の護符を取りに行っていたのだよ。湯浴みが終わったら囲炉裏の周りで暖まりながら仕上げると良いよ。さ、目ぇ瞑って。」

「はいっ」

土間に置かれた盥の中に鈴虫を座らせて、頭から湯を掛けて髪に付いた甘い香りを落としてゆく。

「ぷはぁっ…お湯、気持ちいい!お父様、もう一回!」

「その前に糠袋で体を擦ってからだよ、そう、上から順番に…そう、耳の裏も、脇も。お股はちゃんと剥いて洗うんだよ。」

「はぁ~い。…お父様?おらも盛りが付いたらあんな風に縛られるのか?」

「いいや、お前は引っ掻いたり噛付いたりしない良い子だろう?佐吉とお八重さんを呼んで面倒見てもらうから心配はいらないよ。」

「そか…さきっさん、会いたい…お姉さまにも…会いたいなぁ…」

「そうだねぇ、木ネズミが二ノ上村に帰ったら、すぐにでも佐吉を呼んであげようね。ほれ、目ぇ瞑って。」

「はいっ!」

上がり湯を浴びて盥から出た鈴虫は、温まった手足を冷やさないようにと蓑虫のように重ね着をさせてもらい、囲炉裏の傍に敷きっぱなしの布団の上に座って鍋の粟粥が煮えるのを待っていた。熱々のお粥で腹ごしらえをしたら今日こそ新しい護符を縫うのだと意気込んでいる。嘉平はそんな上機嫌な鈴虫の様子を、鍋の湯気越しに目を細めて眺めていた。

暫くすると嘉平は外の様子が少々騒がしい事に気が付いた。村の者には屋敷に近付かないように言って回ったはずなのに外で馬と人の気配がする。蹄の音の数からして来客は一人だろうか。嘉平はげんなりとしながら耳をそばだてる。蹄の音が庭へと回って行った。断りも無く庭に回って手慣れた様子で馬を繋いで正面へと回る慣れた足取りからして、考えられるのは慈照じしょうの御一行様の内の誰かだろう。

「嘉平殿!嘉平殿!お頼み申し上げます。お邪魔しても宜しいでしょうか。」

「その声は風野かざの様で御座いましょうか…!?」

「はい、嘉平殿、私一人で参りました。実はあのあと現身様に滋養の有る山の幸をお届けしようという話になりまして、本日は上ノ村まで出掛ける事となったのです。そうしましたら何なのでしょうか?甘い香りが屋敷の外まで流れ出ております。まさか現身様の御体に観世音菩薩様が御光臨なされたのでしょうか?…でも、少し違う香りのような気もするし…?何か様子がおかしいですよね?事情を伺いたく存じます。戸を開けていただいても宜しいでしょうか。」

「…あぁ…いえ…その…まぁ…本当に風野様お一人に間違いありませんよね?実は他の村の現身様を当家の堂でお預かりしております。間違いがあっては当家の信用にかかわります。この甘い香りで心が乱れてしまう御方はご遠慮願いたいので…」

「はい、嘉平殿、御館様と弦次郎げんじろうが興奮して間違いを起こしては困りますので途中の道の端に置いて参りました。誓って私一人で御座います。」

嘉平が拳の幅ほど戸を開けて外の様子を覗い見ると、そこには神妙な顔つきの風野が立っている。嘉平が念のために顔だけ外に出して周囲を見渡して確認してみると、確かに外には風野の他に誰も居ない。嘉平は胸を撫で下ろし、戸を開けて風野を招き入れた。

土間の向こうの板の間から鈴虫が睨んでいる。

「…また…えらい人か。」

「現身様、そんなあからさまに厭そうなお顔をなさらないで下さいませ。私の事も嫌いなんですよね?分ってますよ。ご安心下さい、すべて事情は呑み込めましたし、現身様のお元気そうなご様子も確かめられたので私は早々に退散いたします。現身様、彩のあるお召し物もとても華やかでお似合いですよ。」

鈴虫は口をツンと尖がらせて首を横に振った。

風野は不機嫌そうな鈴虫に気を遣って早々に屋敷を後にすることにした。風野にとって鈴虫が自分の事を一向に思い出してくれないことは嬉しくもあり哀しくもある。目も合わせずに不貞腐れている鈴虫を抱き締めたい気もするが、それはお互いの為にはならないのも分かっている。風野はいつの日にかこの慈しみにも似た感情が伝わって欲しいと願いながらも背を向けた。

帰ろうとして戸に手を掛けた風野の顔から血の気が引く。
外が騒がしい。今度は蹄の音が二つ。言い争うような男の声が二つ。声が近付くほどに風野は気が遠くなるような絶望感に襲われた。様子を見て戻るまで決して屋敷には近づかないように言って聞かせたはずなのに、弦次郎は慈照を止める事は出来なかったのだろうか。それとも二人一緒になって甘い香りの誘惑に負けてしまったのだろうか。鈴虫に観世音菩薩様が御光臨していないのは確認できたので、先日のような間違いが起きる事は無いだろうが、堂の中に居る新しい現身が襲われてしまうかも知れない。

「嘉平殿ッ!慈照だ、戸を開けられよ!こ、この香は…この香は如何されたのだ!現身様は御堂に居られるのか!?教えてくれ!開けるのだ、余が命じておるのだぞ!」
「お、おやめください、御館様!勝手に開けてはいけません。風野が戻るまで待つか、屋敷へ戻る約束だったでしょう。いけません!」
「うるさいッ!現身様に会わせろと言っておるのだ。何故だ、余が命じておるのに何故いう事をきかぬ!ここを開けぬのならば、堂の戸を抉じ開けるぞ。」
「はい、はい、御館様が我が主であることは十分に承知しております。でも駄目なものは駄目なんです。現身様は特別なんです。現身様はまだ御体の調子が良くないかもしれませんし…」

戸の外で慈照と弦次郎の言い争いが激しさを増してきた。地面を掻く音も更に激しさを増して本気で揉み合っているのが伝わってくる。弦次郎は主従関係を度返ししてでも必死で引き留めようとしてくれているようだ。
嘉平は弦次郎が時間稼ぎしている間に急いで布団を畳んで小脇に抱えると鈴虫を屋敷の一番奥の部屋に隠した。鈴虫はお粥を食べ損なって空腹のままである上に、今日こそは新しい護符を仕上げようと楽しみにしていたところに邪魔者が入り込んで不機嫌極まりない。

バンッ!っと大きな音を立てて戸が外れ、互いの襟首を掴んで絡み合ったままの大柄な二人の男が土間に雪崩れ込んで来た。二人とも目を血走らせ、額には汗が滲んでいる。それと同時にこの男達が発する針葉樹と青き柑橘の迸るような芳香が屋敷の中に充満し始めた。

「風野、頼む、加勢してくれ!」

「はぁ!?ちょっと!な、なんで!?弦次郎殿、御館様を連れて帰るようお願いしたはずなのに!」

「わ、分かっておる。御館様がどうしてもと仰るのだから仕方なかろう。」

「はぁ?そこを何とかするのが弦次郎殿のお役目であろぅ…ぅ…!…!?えっ!?あっ、あーっ!いけません、御館様!勝手に入られては!」

慈照は弦次郎と風野が止めるのを振り切って、履物も脱がずに屋敷に上がると何の迷いも無く鈴虫の居る奥の部屋めがけて一直線に走り寄った。

「現身様、此処に居られるのだろう?余には其方そなたの居所が分かる…我らは惹かれ合っておるのだ……」

「…えらい人、なにしに来た?」

「何をしにって…現身様に引き寄せられて参ったのだ!他の者は誰も寄るな!そこより一歩も前に出るでない!手出しすることは許さんぞ!余はこの土地の主だ。此処で何をしようが構わんだろう!?…そう…たった一人で良いのだ、この現身様だけが欲しい!他のものは何も望まぬ故に許せ!」

慈照は辺りに漂う甘い香りの出所が鈴虫のものかどうかを判断する冷静さを既に失っている。あの夜祭の時を彷彿とさせる形相で鈴虫を捕らえると、その怯える体をきつく抱き締めた。

「えぇっ!?なに言ってるの?…お父様、これ、イヤって言ったらいけないのか。」

「嘉平殿、止めるな!余は現身様だけが欲しいのだ…駄目だ…止められん…皆の面前でまぐわって見せてやろうぞ。余のものであると言う証を植え付けるのだ。もう現身様は余だけのものとなろう…なぁ、現身様…其方は余のものだ…一生不自由はさせぬゆえ余の子を産め。皆の前でまぐわって授かった子ならば跡取りとして疑いようも無い。よかろう?…さぁ、脚を開くのだ!」

「お父様、お断りしてくだせ。お胸が…苦しい…お父様、お胸が苦しい!息が苦…しい……」

興奮状態に入った慈照にはもう周囲の事などどうでも良くなっている。ただ目の前にいる鈴虫を我がものにすべく行動するだけしか頭に無い。慈照は鈴虫を押し倒しその帯を解くと、乱れた裾を割り開いて無防備な柔肌に自分の固く勃ち上がった男根を強く押し当てた。歯止めの利かなくなった雄の熱と、湿り気と、淫猥な吐息が、逃れようと身を捩る鈴虫を執拗に追い詰める。大柄な男に組み敷かれてしまった鈴虫は、やはり自力で逃げ出す事は出来ず、ただ床をバンバン、バンバン…と二つ刻みに叩いて拒絶の意志を嘉平に訴えた。

嘉平は幼い頃に交わした約束を守ってすぐにでも助けに入るべきなのだろう。しかし、相手が領主となると安易に割って入る事も出来ず、ギリギリと奥歯を噛みしめるだけでその場から動く事は出来なかった。そもそも鈴虫のような忌子は必要に応じて相手を問わず誰にでも体を開くことが本来の役目。今までは嘉平が体の弱い鈴虫に情けを掛けて少々甘やかしてきただけなのだから、忌子としての宿命を受け入れなければならない時が来てしまったと思って諦めるしかないのかも知れない。

「ちょ、ちょ、ちょっとッ!御館様!恥ずかしくないのですか!お止め下さい!何してるんですか!もう、恥ずかしいってば!」

「…か、風野…め、目が…あの時の目になっておられる!また噛付いたりしたら一大事。何とかせねば!」

「はぁ!?何とかせねばッて、弦次郎、アンタが悪い!ちゃんと連れ帰ってくれていればこんな事にはならなかったのに!」

「…俺だって…この甘い香りに抗っておるのだ…本来の力は出せん…実は…俺もギリギリだ…」

風野は弦次郎をお前のせいだと言わんがばかりに憎々し気に睨みつけた。弦次郎は困惑した顔をしている。弦次郎だって甘い香りに当てられて訳の分からない色欲に侵されているのに、それを押し堪えて主を必死に引き留めたことは認めて欲しい。それなのに風野は蔑みの眼差しで睨んで簡単には赦してくれそうにない。

突然、鈴虫が床を叩く音が止まった。揉み合うような衣擦れの音も無い。鈴虫が諦めて抵抗を止めたのか、それとも慈照があの夜のように無理に噛付こうとして首でも絞めたのか。慈照の体の下に隠れて鈴虫の様子は全く分からない。風野の脳裏には死にかけたあの夜の鈴虫の姿が浮かび、それと同時に煮え立つような怒りの感情が頂点に達した。

風野は衝動的に駆けだし慈照の背後に回った。「御免」と言うが早いか、揃えた指を高く振り上げ、鋭く振り下ろす。

「ッ!!!」

風野の手刀が慈照の首の裏に入った。

ガックリと脱力した大きな図体が鈴虫の華奢な体の上に圧し掛かる。

「もう!ちょっと!嘉平殿、弦次郎殿!現身様が潰れちゃうから早く手伝って!」

「…あぁ、は、はい、すみません。さぁ、弦次郎様もどうぞお上がり下さい。…風野様、御領主が気を失ってしまわれましたが大丈夫でしょうか。」

「大丈夫じゃないけど仕方無いでしょう。さぁ、早くそちら側を持ち上げて!現身様、ごめんなさい、もうちょっと我慢してね。あぁ…泣いていたの?ごめんね、泣かないで、本当にごめんね。」

鈴虫は乱れた衣の花びらの中で涙を零しながら震えている。風野は急いで抱き起そうと手を伸ばしたが、鈴虫はその手を振り払った。鈴虫の潤んだ鼈甲色の瞳に風野が映る。その風野の表情もまた今にも泣き出しそうな程に悲し気だった。

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