お伽話 

六笠 嵩也

文字の大きさ
上 下
79 / 105
第三章

3-11

しおりを挟む
 慈照は表情を読み取らせまいと笠を深々と被り、がっくりと肩を落としたまま帰って行った。その後に風野と弦次郎が付き添う。馬の背にクラクラと揺られて行く後ろ姿には全く力が無い。いつ噛付くやも知れない厄介な相手ではあったが、せっかくの美丈夫が見事にフラれて落ち込むさまは同情を引くものもあった。
慈照が去り際に、今度来る時にはもっと良い物を考えてくると言い残していった。落ち込んではいるものの、それでも何故だか全く諦める気にはなかったらしい。まぁ、あの様子では明日、明後日にまたやってくるという事は無いだろう。

一方、鈴虫は更に機嫌が悪くなってしまっている。約束の品として納められた着物を並べて見せても興味を示さない。そろそろ本格的に冬着を考えなくては、寒さで体を壊しかねないと言うのに、粗末な生成の単衣を纏って背中を向けて寝転んだままだ。

「鈴虫や、よく我慢したね。これで長居しそうな偉い人は暫く来ないだろうから佐吉を呼んであげよう。身綺麗にして待っておいで。髪を結い直してやろうか?」

「うん。…その着物、いらね。」

「そうか、どれもみな上等な品だぞ。こんな柄はお八重さんが欲しがりそうだがなぁ。ほれ、これは藤か?蔦か…あぁ…よりによって蔦の花だな。何んでわざわざこの花を選んだんだか?まったく…趣味が良いとは言えないなぁ。」

鈴虫はコクリと一度頷くと、ゆっくりと起き上がった。細く裂いた布で項結いに結っていた髪を嘉平に背を向けたまま解くと、サラリと黒い髪が肩を滑り落ち、僅かに残った葛の花の甘い香りが嘉平の鼻を擽った。先程の異常なまでの嫌がり様は、やはり何か体に原因があったのだろうか。完全に治まったと思っていた盛りの時期が、ふとした拍子に戻ってしまったのかも知れない。そう思うとあの苦しみ様も腑に落ちた。
そういう事ならば今の鈴虫には、かなり慎重に接しなければならない。そっと髪を指で梳きながら興奮させないように言葉を選んで事情を聴き出そうとした。

「鈴虫や…お前、どうかしたのか?体の具合がまた変になったのか。」

「…しらね。あのおじさんの匂い嗅いだらトクトクッてして苦しかった。」

「ほう、そうだったのか…もう大丈夫になったのか。」

「うん。」

「そうか、そうか、それは良かった。ほぉら、出来た!綺麗になったよ。すぐに行ってくるから待っておいでね。」

鈴虫は嬉しそうに頷いた。

堂の外に出ると嘉平を疲労感がどっと襲う。そんなに長い時間ではなかったはずなのに必要以上の緊張感を味わって精神的に少々参った。鈴虫が嫌がっているのは嘉平にも痛いほど分かっている。ただ、かなり高価な品を受け取っている手前、客人を無下にも出来ないというのが実情なのだ。
気分を変えようと大きく深呼吸して佐吉を探しに出る。一歩門の外へと出ると、ほとんど刈入れの終わった田には稲わらの香る風が吹き抜け、道の端には芒の穂が柔らかな太陽の光にキラキラと風に靡いていた。この時間であればまだ田畑に出ているので直ぐに見つかるだろう。しかし、だんだんと日の入りは早くなって来ている。今から屋敷に呼んだとて、それ程長い時間を過ごす事は出来ないかも知れない。そうかと言って、佐吉を一晩泊まらせても良いものかどうか…嘉平はそんな事を考えながら畔道を鎮守の杜の方へと歩いて行った。

柿の木の向こうが佐吉の家だ。

干した稲穂にたかる雀を追い払いながら、お八重と喜一郎、そして佐吉とその父親の四人で楽し気に話をしている。刈り取った稲穂を竿に干す作業が一段落着いたのだろう。遠目に見るこの四人は随分と打ち解けて仲が良さそうだ。お八重と喜一郎も何の違和感も無く会話を楽しんでいるように見える。案外と嘉平の心配は取り越し苦労だったのかも知れない。そんな風にも思えてきた。

「お~い、こちらに皆様お揃いでしたか。」

「おぉ、嘉平様ではありませんか。すみません、長らく喜一郎殿をお借りしたままで。それにお八重さんにも手伝って貰っております。人手が足りなかったので助かりました。有難うございます。」

嘉平が佐吉の親父に挨拶をすると、先回りをする様に御礼を言われた。かれこれ十日以上も居候させて貰っている気不味さに、親父の方から感謝の言葉で先手を打ったのだ。三日に及ぶ夜祭が終わってもなお喜一郎は帰って来なかった。以前、家出した時もなかなか帰って来なかったが、今回もすっかり居ついてしまったようだ。どちらが本当の親なんだなんて皮肉の一つも言ってやりたいところだが、まぁ、それは良しとしよう。いま話を付けなければならないのは佐吉を呼び寄せる事が可能かどうかだ。嘉平はまず、事の次第をざっくりと話て予め佐吉に来てもらう事の了承を得た。喜一郎がいつ帰って来るかは今はそれほど重要ではない。喜一郎には佐吉を借りるので代わりにしっかりと働くように言いつけ、嘉平はその旨を改めて佐吉の父親に願い出た。

「佐吉や、ちょっと子守りに来て欲しいんだが構わないか。親父様の了承は貰ってある。」

「子守り?…あっ! はいっ!もう良いんですか!」

「ばっ、ばか、声が大きすぎる。」

佐吉はペコペコと頭を下げて謝ってはいるが、全身から嬉しさが滲みだしているようだ。詳しい状況などは道すがら話して聞かせるとして、あまり時間も無いので急いで戻るとしよう。

「佐吉よ、久しぶりで忘れているかも知れないが、爪はちゃんと切ってあるかい?」

「あぁっ、すみませんっ、手なんて忘れてました。汚れたまんまです。」

「堂に入る前にきちんと洗い清めておくこと。いいね?…あぁ、それと…今夜はどんなにせがまれても添い寝だけにする事。お前はそういったところで自制が利くから信頼しているんだからね。えっと…それから、鈴虫の奴、また飯を食わなくなってしまったからお前が説得してくれないか。お前が手洗いしている間に飯を用意するからそれを、持っていってくれ。それと…もう寒くなって来たから上に掛ける物を用意して…えぇっと…それから…」

「はい、嘉平様。俺は会わせてもらえるだけでも十分幸せなんで、出来る事は何でもやらせてもらいます。」

佐吉はさっぱりとした笑顔を浮かべて嬉しそうに答えた。

足早に家路を急ぐ嘉平の後を、佐吉はあまり目立たないように歩いた。屋敷への道を通るのは久しぶりの様な気がする。遥かに遠いわけでも無いのに、気持ちの中で遠退いてしまっていた場所。だから佐吉は今、どんなにか望んでも叶わなかった願いが叶ったかのような晴れやかさを感じていた。

「廊下に飯を用意して持って行くから、お前は手足を洗っていなさい。」

「あ、はい。勝手に使わせていただきます。」

屋敷に付くと佐吉は行水まではしないものの、手足や顔やあちこちを念入りに洗いながら嘉平が夕餉の用意をするのを待った。釣瓶の落ちる音や、話し声に鈴虫は気が付いているだろうか。気が付いていないなら、突然現れた事に驚くに違いない。どんな顔を見せてくれるのだろうか。そんな事を考えていると、ついニヤニヤとしてしまう。そうこうするうちに嘉平が巡り廊下に盆を持って現れた。

「さぁ、こっちはお前の分で、こっちが鈴虫の分だ。出来れば全部食べ切るように上手く言い包めてくれ。」

「おっ、粟粥と漬物と蜂蜜ですね?お鈴ちゃんは甘い物が好きだから喜んで食べるでしょう!」

「それがなぁ、蜂蜜すら要らないって拒否するから苦戦していたところだ。もう本当にお前にしか頼れんのだよ。」

「…それって、そんなに臍曲げるような事を…」

「臍曲げる…では済まないようなことを儂がやらかした。」

佐吉の顔色が変わった。先程までの幸福に満ちた顔ではない。
嘉平にはもう一つ佐吉に伝えなければならない大切な事があった。そう、鈴虫の記憶が無くなっているという事。嘉平にもははっきりとは分からないが、おそらくはお仕置きの後の記憶が無いらしと言う事を佐吉にも伝えておかねばならない。それをどんな言葉を使って伝えれば良いのだろうか。嘉平は出来るだけ辛く無い言葉を探していた。

「佐吉や、まずお前に言っておかなければならない事がある。実は鈴虫の奴、甘い香りが漂い出してからの事は一切覚えていないようなんだ。だから…お前と最後に会った日の事はおそらく覚えていないだろう。」

「覚えて無い…って…」

「ん、どうやら縛られてお仕置きされて、それが原因で熱が出て寝込んだと思ってるらしいんだ。あの調子では自分の体を観音様に貸した事も、夜祭が三日もあった事もまったく覚えて無いだろうな。」

「そんな事ってあるんですか!? じゃぁ、俺はどうすれば…」

「何にも思い出さないままでいられるのならば、思い出さない方が幸せだろう?だからお前は話を合わせてやればいいんだ。だが…もし、何かの拍子に思い出し始めたら…その時は儂にもどうして良いものか分からんのだよ。」

「…分かりました。その時はその時です。で、臍曲げるでは済まない事って…?」

「まぁ、客人の手前、嫌がる事を無理にやってしまった。儂も口に出したくは無い事をしてしまったんだ、お前ならおよその見当がつくだろう?お前に会わせると言ったら少しは機嫌を直してくれたがな。あぁ、あと、随分と子供っぽくなってしまった!もう、駄々っ子そのものだ!まぁ…寂しかったのかも知れんな…。おお、これは儂からの罪滅ぼしだ。ほら、もう眠るときに寒いから、この薄紅色のあわせを持って行きなさい。」

嘉平がフッと視線を堂の方へ移す。傾きかけた日差しがほんのりと堂の壁板を橙色に染め始めている。鈴虫には幼い頃から我慢ばかりさせて来たのだ。ここから先は決して誰も邪魔させるまいと嘉平は心の中で呟き、佐吉に早く行ってやるようにと促した。嘉平のその眼差しの中に何かを読み取って、佐吉もしっかりと頷いて返す。どんなことがあっても全て受け入れよう。そう、心に決めた者同士、言葉無くとも通ずるものを確かめたかのようであった。

「すず…お鈴ちゃん。俺だよ、開けてもいいかな?」

「…さき…さ…の声…かなぁ…ゆ、夢じゃねぇ…のか…。」

「ホント、夢みてぇだな。開けちゃダメって言っても開けちゃうからね。」

「あはっ!夢じゃねぇんだな。」

盆と袷を抱えた佐吉が扉の隙間から顔を覗かせる。
相変わらずガランとした堂の中には布団が一枚、そこから這い出して佐吉の声のする方へと向かう鈴虫。その大きな鼈甲色の瞳には、やっと会えた喜びの涙がいっぱいに溢れていた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

体育教師に目を付けられ、理不尽な体罰を受ける女の子

恩知らずなわんこ
現代文学
入学したばかりの女の子が体育の先生から理不尽な体罰をされてしまうお話です。

保健室の秘密...

とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。 吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。 吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。 僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。 そんな吉田さんには、ある噂があった。 「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」 それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。

寮生活のイジメ【社会人版】

ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説 【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】 全四話 毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

性転換マッサージ

廣瀬純一
SF
性転換マッサージに通う人々の話

【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集

あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。 こちらの短編集は 絶対支配な攻めが、 快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす 1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。 不定期更新ですが、 1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 書きかけの長編が止まってますが、 短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。 よろしくお願いします!

熱中症

こじらせた処女
BL
会社で熱中症になってしまった木野瀬 遼(きのせ りょう)(26)は、同居人で恋人でもある八瀬希一(やせ きいち)(29)に迎えに来てもらおうと電話するが…?

溺愛前提のちょっといじわるなタイプの短編集

あかさたな!
BL
全話独立したお話です。 溺愛前提のラブラブ感と ちょっぴりいじわるをしちゃうスパイスを加えた短編集になっております。 いきなりオトナな内容に入るので、ご注意を! 【片思いしていた相手の数年越しに知った裏の顔】【モテ男に徐々に心を開いていく恋愛初心者】【久しぶりの夜は燃える】【伝説の狼男と恋に落ちる】【ヤンキーを喰う生徒会長】【犬の躾に抜かりがないご主人様】【取引先の年下に屈服するリーマン】【優秀な弟子に可愛がられる師匠】【ケンカの後の夜は甘い】【好きな子を守りたい故に】【マンネリを打ち明けると進み出す】【キスだけじゃあ我慢できない】【マッサージという名目だけど】【尿道攻めというやつ】【ミニスカといえば】【ステージで新人に喰われる】 ------------------ 【2021/10/29を持って、こちらの短編集を完結致します。 同シリーズの[完結済み・年上が溺愛される短編集] 等もあるので、詳しくはプロフィールをご覧いただけると幸いです。 ありがとうございました。 引き続き応援いただけると幸いです。】

処理中です...