お伽話 

六笠 嵩也

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第一章

1ー7

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「…あれは呪いの言葉だ。」

「呪い?」

「雪虫が最期に親父の手に残したのは、恨みの情念の証だ。俺には聞こえなかったけれど、泣きながら残した言葉、あれは呪いの言葉だ。あんなに苦しそうな顔して…。
 男のくせに孕むなんて、人ではなくて化け物だったのかも知れない。親父は化け物を退治したのかも知れない。だがよ、散々、輪姦まわされたうえに孕まされて、いざ産まれるとなると助けてもらえない。」

「あぁ…」

「だからよっ!! あいつは俺たちを呪い、その呪いのせいで俺はひでぇ目にあってるんだ!」

「おいおい、でかい声だすなよ。落ち着け、落ち着け。
 …で、その後は見たのかい?どうなったんだい?」

嘉平は暫し呆然とした。
しかし、はっと我に返ると、色々と用意していた物の中から臍の緒を切るための物であろう握り鋏を取り出した。

次の瞬間、喜一郎は我が目を疑った。

嘉平は雪虫の亡骸から着物を剥ぎ取り、腹を切り裂き始めたのだ。それほど大きくない鋏では良く切れるはずもなく、半ば力ずくで皮膚を裂き、亡骸の腹を抉じ開ける。嘉平の手はべったりと血に塗られ、荒い息遣いと険しい顔付きからは焦る気持ちが見て取れた。血液と羊水があっという間に辺りに広がってゆく。嘉平が鋏から手を離し、腹の中をぐちゃぐちゃとまさぐり、赤い塊を引き摺り出した。

喜一郎は思わず悲鳴を上げそうになったが、拳に力を込めて必死に声を殺す。

白い胎脂と血にまみれた逆さ吊りの赤ん坊を、愛しげにうっとりと見つめる自分の父親。その足元に横たわる無惨な亡骸。嘉平が背中を数回叩くと赤ん坊は弱々しく泣き、すぐに泣き止んだ。嘉平は血の海に横たわる雪虫の胸に赤ん坊を抱かせてやった。まだ温もりの残る雪虫の手を引いて赤ん坊の背中を撫でさせながら、嘉平はもう何も映さない瞳に語りかける。「産女うぶめにならないでおくれ。ちゃんと成仏しておくれよ…。」その後は、亡骸もそのままに、赤ん坊を腕の中に抱いて急ぎ堂を後にした。

「俺は小便なんて漏らしたりしてないからなっ!」

「ははぁ?なんでわざわざそんなこと言うんだよ?あやしいもんだなぁ。」

「佐吉兄ぃ!笑うなっ!!!産女は化け物なんだぞ!」」

喜一郎は濡れた足元もそのままに、走って母親のもとへ戻った。
母親は死産以来ずっと高熱にうなされて、起き上がることもままならない状態であった。体温が外気温よりだいぶ高くなり、寒い寒いと譫言のように繰り返す。飲んでくれる子が居なくても乳は張る。張り過ぎた乳房が固くなって、熱と痛みを持つようになっていたのが一因でもあるだろう。喜一郎はそんな母親の熱い手を握りしめた。力無くも優しいい母の手、それでも先程見た光景を圧し殺すことは出来ない。喜一郎は母親の布団に頭まで潜り込み、グッと額を押し付け目を閉じた。そうでもしなければ涙が溢れ、声を上げて泣き出しそうなのをこらえる事は出来なかった。

母親の傍らにいる安心感からか、そのまま一眠りしてしまったかも知れない。気が付くと辺りはすっかり暗くなっていた。
喜一郎に食欲は全く無かったが、そう言えば夕餉に呼ばれていないと言う事に気が付く。自分は食べなくてもいい。しかし、母親にはしっかり食事をしてもらって、一日も早く元気になってもらいたい。お妙婆様はどうしたのだろうか。父親とあの赤ん坊も…なんだか不安になってきた。「おっかぁ、飯がまだか訊いてくる。」そう言って喜一郎は布団を抜け出し襖を開けた。

暗い廊下を小さな灯りがゆっくりとこちらに向かって来るのが目に入った。お妙婆様の後を何かを抱えた嘉平が付いて歩いてくる。ひょっこり顔を出した喜一郎に気が付いたお妙婆様がにっこりと微笑み、いそいそと足を早める。部屋の行灯に火を入れ、嘉平が喜一郎と母親を前に座した。

「お前達の事を心配して、お喜美きみが戻ってきてくれたよ。」

嘉平が満面の笑みを湛えて、白地に朱色の麻の葉柄の産着を着た産まれたばかりの赤ん坊を差し出した。『喜美』それは数日前にこの世を去った亡き妹の名。母と二人で考えていた名前だ。

その言葉を聞いた途端、熱にうなされていた母親の顔が一気に明るくなった。

「それから先の一年ばかり、死ぬまでおっかさんは騙されることになる。騙される、というか…今になって思えば、信じたかっただけかもしれねぇがな。」

「あぁ、そんなのすぐにバレるだろ?」

「だから、肥立ちが悪いとか理由を付けて、あんまり抱かせずに乳だけ吸わせてたんだ。
 他の事は赤ん坊の世話から俺の世話、家事の一切を姑のお妙婆様がこなしていた。
 …たぶん、それが悪かったんだろうな。おっかさんは、ごめんなさい、ごめんなさいって…
 最期は訳のわからない事を叫んでいたよ。まさか首を吊るとは思わなかったが。」

「まさか…呪いが狂わせたって言うのか?」

「お妙婆様が言うには、お産の後は気持ちが酷く不安になっちまう事があるらしいぜ。」

「じゃ、呪いじゃないじゃねぇか?」

「いや、あれが呪いの種だ!!雪虫は俺達を恨んで災いの種を蒔いていったんだ不安になる元凶は何だ?!雪虫の腹から出てきた赤ん坊だろう!あいつさえ居なければ妹を弔って済む話だ!死んだ子が戻って来ただの言うからおっかさんは狂ったようになって自害したんだ!一番良いのは、あいつが死んで本物のお喜美が生きていりゃぁ…おっかさんは!どっちにしろ、あんな化け物をわざわざ育てる必要ねぇ!!!!」

「おぃおぃ、興奮するなって。親父に聞こえちまうよ。」

母親の死後、喜美と言う名は役目を終え、その代わりに『鈴虫』という風変わりな名前が使われるようになった。喜一郎は事の次第のほとんどを知っていたので、雪虫の子だから鈴虫なのだろうと見当はついた。しかし、そこは敢えて何も知らない振りをしなければならない。わざと喜美と呼んでみたり、変な名前だと突っかかったりして、嘉平に圧力をかけてみたりもした。
鈴虫は十歳に成るまで女児として母屋の奥で密やかに育てられた。鈴虫が自らの生い立ちを明かされて、雪虫と同じ様に堂に住まわされるようになったのはその後だ。

当然、喜一郎にも子供ながらに口を閉ざす事が求められていた。

「喜一郎、すまなかったなぁ…。」

「何だよ、急に?なんで佐吉兄ぃが謝るんだよ?」

「いやぁ、喜一郎のおっかさんがそんな死にかたしたなんて知らなかったし…秘密を抱えて辛かった時に、一緒に遊んでいた俺は何も気がつかなかったんだな。…ごめんよ。」

「佐吉兄ぃ、謝んないでくれ。口止めされていたんだ、知るはずもねぇ。そう、くれぐれもおっかさんの死に様は口外しないでくれよ!これは内緒だからな。いいか、産後の肥立が悪かっただけだぞ!…それに…それだけじゃぁ…ないんだよなぁ…。」

「それに?どうした?話してみろよ。」

「いや、すまねぇ。ここから先は俺もまだ…何で鈴虫の存在が隠されているかってことに関わってくるんだが…どこから、どう、話したら誤解されずに信じて貰えるか分からねぇんだ。」

「分かったよ。喜一郎が話せる時に話してくれ。今日はもう、眠ろうか?」

夏の夜は長くない。
二人は体を休めることにした。

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