冷たい左手

池子

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第一章

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コンコンッというノックの音で眠りから目を覚ました僕は、壁掛け時計へと目を向ける。
現在一九時十二分。しまった夜の食事の時間が始まっている。
時間になっても食堂へ来ないので、誰かが様子を見にきてくれたのだろう。
慌てて起き上がり鍵を開け扉を開く。
「海斗君やっと起きたね、夜の食事が始まってるよ」
そこに立っていたのは困り顔をした真琴先生であった。
「すみません、眠ってしまっていました。すぐ向かいます」
僕は慌てて鍵を閉め、彼の後を追った。
「海斗、隣空いてるよ座って」
食堂に着くと美波が僕の席を取っておいてくれたようだ。
僕が席に着くのを確認したのり子は、ワインボトルのコルクを抜く。
「では皆様揃いましたのでお食事を運ばせて頂きます」
慎二の家が食材を用意してくれた様で、一般の大学生では食べる機会が少ない高級食材も振る舞われた。
今飲んでいるワインも、お酒が苦手な僕でも飲めるすっきりとした味わいである。
「凄く美味しいです、この量をのり子さん一人で用意したんですか」
「お口にあった様で安心致しました。料理は杏奈様と美波様にも手伝って頂きました。お二人とも手際が良くとても助かりました」
美波は一人暮らしをしている為、普段から料理をしているのだろう。
反対に実家暮らしの杏奈が、料理が得意というのは失礼だが意外であった。
僕の前に座っていた荒井が、ワイングラス片手に隣の杏奈へとちょっかいをかける。
「本当美味しいですよ、でも杏奈って料理出来たんだな。不器用だから包丁なんて持ったら、全身血だらけになると思ってた」
「馬鹿にしないでくれる、私だって料理くらいできるわよ。そんなくだらない事言ってないでさっさと食べなさいよ」
杏奈が荒木を鋭く睨みつける。
「冗談だよ、そんなに怒るなって」
荒井と杏奈は仲が悪い訳ではないが、こうやって小さな口喧嘩をよくやっていた。
そんな二人を横目に僕は食事を再開した。

現在の時刻は二十三時。
食事を終えて入浴を済ませ僕達は各自好きなように過ごしていた。
真琴先生と慎二、荒井は客間のソファに座り雑談をしていた。
客間は真琴先生が吸っている煙草の影響で煙たい。一日に何本吸っているのだろうか。
美波とのり子は厨房で何やら作業をしている様だった。
倫太郎と黒澤、杏奈の姿は見られない。
僕が倫太郎を探しに行こうと客間を出ようとしたその時、反対側から扉を開けた美波が声をかけてきた。
「海斗、みんなに客間に集まるよう呼んできて。荒井さんが眠る前に何か飲みたいって言ったから、他の皆の分も用意したの」
「本日は長時間のご移動でお疲れかと思いますので、皆様がよくお休みになれる様にハーブティーに致しました」
美波とのり子は、全員分のハーブティーを用意してくれていたらしい。
二人に「分かった」と返事をし、客間からホールへ向かおうとすると、食堂のテーブルに置かれているある物に気がついた。
それは美波が趣味でやっている刺繍道具であった。
彼女の母親が刺繍が好きな様で、その影響を受けてすっかり美波も夢中になってしまっているらしい。
学校の空き時間にも出来る様にと、刺繍セットは普段から持ち歩いてると以前話していたが、この別荘にも持って来た様だ。
母親が使わなくなった刺繍道具を譲ってもらった様で、その中身を以前僕は見せてもらった。
少し年季は入っているが、刺繍針や裁ち鋏などは立派な物であった。
美波の扱いを見ていても、譲って貰った刺繍道具を大切にしているのが、こういう物には無縁の僕にさえ分かった程だ。
去年の僕の誕生日には、無地のトートバッグに刺繍でアレンジした物を贈ってくれて、僕はそれが大変気に入り、大学への通学に使用している。
手先が器用な美波には刺繍作りが向いている様だ。
そんな事を考えつつ食堂を抜け、客間にいない三人を呼ぶ為ホールに出たところ、聖母マリアの石像の前に人影が見えた。
あの後ろ姿は黒澤だ、聖母マリアの石像を見ているのだろうか。
僕は黒澤へと近づき、背後から声をかける。
「凄く立派ですよね、黒澤さんは銅像が好きなんですか」
黒澤は後ろを振り返ると、僕の顔をねめつける。
「お前小川さんとどういう関係なんだよ。いつも二人の仲良さげな姿を見せられて、僕は腑が煮えくり返る思いをしているんだよ」
急な美波の話に僕は面を食らう。
「突然どうしたんですか。どういう関係も何も仲の良い友人ですよ。確かに同じ学年だから話す頻度は他の人と比べて多いかもしれませんが」
「二度と僕の前で小川さんと話をするな。僕の堪忍袋の緒が切れたら何をしでかすか分からないぞ」
そう早口で言った黒澤はこちらを振り返る事もなく、食堂の方に歩いて行ってしまった。
あの態度を見るなり、黒澤は美波に好意を寄せている様だ。
だからと言って関係のない僕に当たるのはお門違いだ。
黒澤の態度には少々腹が立ったが、気にしないと自分に言い聞かせ倫太郎と杏奈を呼ぶ為その場を後にした。

自室にいた二人を連れて食堂へ戻ると、机に人数分のティーカップが並べられていた。
それぞれ好きな席につきティーカップに口をつける。
「俺ハーブティーって苦手だけどこれは美味しいな」
お金持ちの慎二がいうのであれば間違いない味なのだろうが、僕は正直言うと少し苦手な味であった。
でも用意してくれた二人に申し訳ないので、少量ずつ口に運ぶ。
そんな僕の姿を見ていたのか、隣に座っていた倫太郎がこちらを見て小声で囁いた。
「海斗苦手な味だろ。俺が貰うから無理に飲まなくていいよ」
その言葉に感謝をし他の人には見つからないように、こっそりとティーカップを倫太郎へ渡す。
その後少しの間雑談をしていたが、全員疲れが溜まっていた事もあり、今日はもう休む事となった。
「後片付けや施錠の確認は私が致します。それでは明日朝の八時に朝食の準備を致しますのでそれまでに食堂へお集まり頂くようお願い致します。本日はゆっくりとお休み下さい」
自室に戻る為、ホールを歩いている最中強い睡魔に襲われた。
これはベッドに寝転んだらすぐにでも寝てしまいそうだ。
「それじゃあ海斗おやすみ。また明日ね」
「おやすみ」
美波が部屋に入ったのを確認し、僕も部屋に入ろうと扉を開けたところで、右隣の部屋の倫太郎が声をかけてきた。
「海斗随分と眠そうだね、今日は直ぐに休んだ方がいい。ここは山奥ってのもあって六月でも夜は随分と冷え込むらしい。だからしっかりと布団をかけて眠ること、わかったかい」
「倫太郎さんなんだかお母さんみたい」
「眠くて呂律が回らなくなってるね。海斗見てたら何だか俺も眠くなってきた。引き止めて悪かったね、じゃあおやすみ」
呂律が回らない口でどうにか「おやすみ」と返し、部屋に入った僕は鍵を閉めるとすぐにベッドへと寝転がった。
もう限界だ、すぐにでも意識が飛びそうだ。
倫太郎に言われた通りしっかりと身体に布団をかけ、電気を消し目を閉じると僕はそのまま深い眠りについた。


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