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二章・もどかしい二人
38.はらぺこサキュバスの帰郷
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まだ眠っていたレイモンドさんの寝顔にキスして、自分の部屋で荷物をまとめると、わたしはしばらくこの街を出ることを早起きのおかみさんに告げた。
「洗濯物が減ると思うとせいせいするけどね。次に来るときもうちの宿に来なよ」
おかみさんは憎まれ口を叩くけど、レイモンドさんとわたしとでよく洗濯物を手伝っているうちにおすそ分けをしたりするくらいの仲になっていたから、肩をぽんぽん叩いて送り出してくれた。本当にこの街を離れるんだ、という気が急に起こってくる。
「ちゃんシル、ちゃんとレイとお別れハメしてきたかよ? ってか、レイの色の精気が光って顔見えないくらいだわ。めっちゃしたってワケね」
「わたしたちはしたわよぉ~? 角も尻尾もない褐色のロスりん、新鮮だったぁ~♡♡♡」
おかあさんたちが泊ってた宿のところまで行くと、二人も支度して待っていてくれた。
「いっぱい……いっぱいお別れしました。大丈夫です」
「よしよし、じゃあ出発すっか」
今朝のわたしのサキュバス袋にはレイモンドさんの精気がパンパンに詰まっている。だから寂しくなんかない。わたしはマントを留めている小鳥のマント留めを指で撫でる。わたしに似ていると言ってレイモンドさんがくれた、かわいい木彫りのマント留め。二人の淫紋は今は何も共有することなく、ただ下腹部で冷たく沈黙してるけど、目に見えないところできっと繋がれている。そう思う。
「シルキィちゃん、そろそろ『異境界領域』に入るわよ。はぐれないようにちゃんとママに掴まってね」
言われて、はっとしてわたしはおかあさんの手を掴んだ。こちらの世界とサキュバス界の境目を通って、サキュバス界の住人はこちらの世界に来ている。こちらの世界の人には見ることができない道をサキュバスは通ることができるからだ。それは異境界領域と言われていて、この二つの世界以外の世界にも繋がっている。人によっては別の世界に行けることもあるらしい。大人のサキュバスやインキュバスはうまくサキュバス界への道を選んで行き来できるけど、わたしはうまくできなくて迷子になりそうなので、最初にこっちに来るときはおねえちゃんにつれてきてもらった。人間には見えなくても、異境界領域の入り口はあちこちにあって、ダンジョンもかなり異境界領域に近い作りの場所だから、わたしなんかはほんとうはダンジョンから行き来したほうが通りやすいのかもしれないけど、今日は路地裏の死角にある境目からそっちに入った。
「シルキィちゃん、精気が見えるようになったのよね? サキュバス界へ行く道も見える?」
おかあさんに言われて、わたしはぐにゃぐにゃと歪む異境界をよく見る。いろんな色の光が線になってどこかへ通じているのが見えた。来る時には見えなかったものだ。その中に、淫紋や水鏡の魔方陣と同じ色の線が一本見える。
「ピンク色の線が一本見えるよ。もしかして、これがそうなの?」
「ちゃんシル、道が見えるようになったかよ。それをたどって行けば迷うことなくサキュバス界に行けるぜ。帰りはあっちの世界への線の色を教えてやっから、一人で行き来できるようになるんじゃね?」
「見えないものを説明するのは難しかったものね……。シルキィちゃんが大きくなってママ嬉しいわ……」
「レイの精気ドカ食いしてるせいでめちゃくちゃ成長してんじゃん。眠てえガキんちょだったちゃんシルが、こりゃ一人前も遠くはねぇぜ。ガキ扱いしてたやつらも目ェ覚めるようなレディによ」
「二人とも、褒めすぎ……。試験受かってからでも遅くないよ……」
わたしの家族はいつでもわたしのことを褒めてくれる。それは嬉しいけど、ほかのサキュバスと違うことに気付くのが遅れて今まで来てしまったから、一長一短だ。
「そろそろ着くぜ、空中に出るから羽出しな!」
ロスアスタさんに言われて、わたしは羽を開く。ちなみにいつでも羽が出せるように、洋服の背中は自分で切れ目を入れてかがっているので着たままでも大丈夫なのだ。
「わぁ……久しぶりで変な感じ」
飛び出した夜空はあっちとは違う生々しいピンク色。眼下には紫色と真珠色の石畳が互い違いに敷き詰められた街が見える。わたしが生まれた場所。わたしの故郷だ。
「到着~♡ 無事に帰ってこれたわね。ミルキィちゃんが首を長くして待ってるわよきっと。まずは帰ってご飯にしましょうねえ」
羽を畳んで私たちは街道を行く。オレンジ色の大きな木の実をくり抜いたランプがあちこちに下げられて、道行くサキュバスやインキュバスを照らしていた。みんなものすごく布面積の小さい下着のような服を身に纏っていて、おかあさんとロスアスタさんも指を鳴らすと、街の人と同じような装いになった。幻惑魔術で服を着ているように見せていたのだ。わたしの服は本物なので、指を鳴らしても別に消えない。
「あれ~、チェルキィさん! シルキィちゃん帰ってきたのかい? ま~相変わらずモコモコしちゃって!! 揚げシバリックビ、今揚がったとこだよ~」
「そーなの!! 帰って来たのよ~♡ っていうか揚げたてめちゃくちゃおいしそう~♡ よっつ頂戴~♡」
馴染の総菜屋のおばちゃんがおかあさんに声を掛ける。おばちゃんも煽情的な半裸だ。それがサキュバスの普通。普通じゃないのはわたしのほう。
ちなみにシバリックビっていうのはこっちにしかないお芋のような植物で、ずんぐりした人型の実が木の枝からぶら下がっているのを採る。火を通すとお肉のような味になる不思議な食べ物で、揚げシバリックビはサキュバスの庶民的なおかず。おねえちゃんの好物なのだ。
「あれ? シルキィじゃん。『着たきりシルキィ』。久しぶりすぎね? なんか変な色のオーラ出てっし、ウケる」
「……アルベリオ」
おかあさんとロスアスタさんが買いものをしているのを待っていると、知った顔に話しかけられた。かっこよく刈り上げた黒髪に赤い肌が特徴の彼はアルベリオ。幼馴染のサキュバスのお兄さんのインキュバスで、人をからかうのが好きだからわたしはちょっと苦手だ。
「シルキィ、おまえ相変わらず分厚く服着てんのなぁ。なんで?」
「なんでって……薄着になるのが恥ずかしいからだって昔から言ってるじゃない」
「恥ずかしい? みんな薄着なのに一人だけ厚着のほうがよっぽどハズいべ……、変な奴。うぇ~い」
アルベリオはニヤニヤと笑いながらわたしのマントの端をつまんでぴらっとめくってくる。
「やだっ!! 離してよ!!」
「中にも着てんのかよ。ほんと変な奴な。もうガキじゃないんだからちょっとは慣れろよな。じゃあな、おつ~」
つままれたマントをはたき落として奪い返すと、彼はつまらなそうにヒラヒラと手を振って立ち去った。なんなの。なんで話しかけてきたの。あいつ嫌い!
「ふ~、ほかにも美味しそうなのいっぱい買っちゃった~♡ どしたの~? シルキィちゃん、ほっぺぶんむくれ!」
「なんでもないよ。ちょっとアルベリオと会っただけ……」
「アルくんね~!! あの子もいい男になったわよねえ~、ま、レイモンドくんほどじゃないけどね!! あの子去年都会からこっちに帰ってきて~」
「聞きたくないよ。早く家に帰りたい」
「おい~、チェルキィのいい男ランキング一位の男は俺ちゃんじゃないのかよ~。妬くぜ……こんがりと」
いちゃついてる二人を放っておいてわたしは実家への道を歩く。あっちの世界が居心地よすぎて忘れてたけど、わたしはわたしでこの街にあまり居場所がない。だから、エルフの里になじめなくて人間の街で暮らしてるレイモンドさんの気持ちがすごくよくわかったのだ。
「今朝別れたばかりなのに、もうレイモンドさんに会いたいよ……」
胸元に小さくとまっていてくれる木彫りの小鳥を指先で撫でて、わたしはため息をついた。
「洗濯物が減ると思うとせいせいするけどね。次に来るときもうちの宿に来なよ」
おかみさんは憎まれ口を叩くけど、レイモンドさんとわたしとでよく洗濯物を手伝っているうちにおすそ分けをしたりするくらいの仲になっていたから、肩をぽんぽん叩いて送り出してくれた。本当にこの街を離れるんだ、という気が急に起こってくる。
「ちゃんシル、ちゃんとレイとお別れハメしてきたかよ? ってか、レイの色の精気が光って顔見えないくらいだわ。めっちゃしたってワケね」
「わたしたちはしたわよぉ~? 角も尻尾もない褐色のロスりん、新鮮だったぁ~♡♡♡」
おかあさんたちが泊ってた宿のところまで行くと、二人も支度して待っていてくれた。
「いっぱい……いっぱいお別れしました。大丈夫です」
「よしよし、じゃあ出発すっか」
今朝のわたしのサキュバス袋にはレイモンドさんの精気がパンパンに詰まっている。だから寂しくなんかない。わたしはマントを留めている小鳥のマント留めを指で撫でる。わたしに似ていると言ってレイモンドさんがくれた、かわいい木彫りのマント留め。二人の淫紋は今は何も共有することなく、ただ下腹部で冷たく沈黙してるけど、目に見えないところできっと繋がれている。そう思う。
「シルキィちゃん、そろそろ『異境界領域』に入るわよ。はぐれないようにちゃんとママに掴まってね」
言われて、はっとしてわたしはおかあさんの手を掴んだ。こちらの世界とサキュバス界の境目を通って、サキュバス界の住人はこちらの世界に来ている。こちらの世界の人には見ることができない道をサキュバスは通ることができるからだ。それは異境界領域と言われていて、この二つの世界以外の世界にも繋がっている。人によっては別の世界に行けることもあるらしい。大人のサキュバスやインキュバスはうまくサキュバス界への道を選んで行き来できるけど、わたしはうまくできなくて迷子になりそうなので、最初にこっちに来るときはおねえちゃんにつれてきてもらった。人間には見えなくても、異境界領域の入り口はあちこちにあって、ダンジョンもかなり異境界領域に近い作りの場所だから、わたしなんかはほんとうはダンジョンから行き来したほうが通りやすいのかもしれないけど、今日は路地裏の死角にある境目からそっちに入った。
「シルキィちゃん、精気が見えるようになったのよね? サキュバス界へ行く道も見える?」
おかあさんに言われて、わたしはぐにゃぐにゃと歪む異境界をよく見る。いろんな色の光が線になってどこかへ通じているのが見えた。来る時には見えなかったものだ。その中に、淫紋や水鏡の魔方陣と同じ色の線が一本見える。
「ピンク色の線が一本見えるよ。もしかして、これがそうなの?」
「ちゃんシル、道が見えるようになったかよ。それをたどって行けば迷うことなくサキュバス界に行けるぜ。帰りはあっちの世界への線の色を教えてやっから、一人で行き来できるようになるんじゃね?」
「見えないものを説明するのは難しかったものね……。シルキィちゃんが大きくなってママ嬉しいわ……」
「レイの精気ドカ食いしてるせいでめちゃくちゃ成長してんじゃん。眠てえガキんちょだったちゃんシルが、こりゃ一人前も遠くはねぇぜ。ガキ扱いしてたやつらも目ェ覚めるようなレディによ」
「二人とも、褒めすぎ……。試験受かってからでも遅くないよ……」
わたしの家族はいつでもわたしのことを褒めてくれる。それは嬉しいけど、ほかのサキュバスと違うことに気付くのが遅れて今まで来てしまったから、一長一短だ。
「そろそろ着くぜ、空中に出るから羽出しな!」
ロスアスタさんに言われて、わたしは羽を開く。ちなみにいつでも羽が出せるように、洋服の背中は自分で切れ目を入れてかがっているので着たままでも大丈夫なのだ。
「わぁ……久しぶりで変な感じ」
飛び出した夜空はあっちとは違う生々しいピンク色。眼下には紫色と真珠色の石畳が互い違いに敷き詰められた街が見える。わたしが生まれた場所。わたしの故郷だ。
「到着~♡ 無事に帰ってこれたわね。ミルキィちゃんが首を長くして待ってるわよきっと。まずは帰ってご飯にしましょうねえ」
羽を畳んで私たちは街道を行く。オレンジ色の大きな木の実をくり抜いたランプがあちこちに下げられて、道行くサキュバスやインキュバスを照らしていた。みんなものすごく布面積の小さい下着のような服を身に纏っていて、おかあさんとロスアスタさんも指を鳴らすと、街の人と同じような装いになった。幻惑魔術で服を着ているように見せていたのだ。わたしの服は本物なので、指を鳴らしても別に消えない。
「あれ~、チェルキィさん! シルキィちゃん帰ってきたのかい? ま~相変わらずモコモコしちゃって!! 揚げシバリックビ、今揚がったとこだよ~」
「そーなの!! 帰って来たのよ~♡ っていうか揚げたてめちゃくちゃおいしそう~♡ よっつ頂戴~♡」
馴染の総菜屋のおばちゃんがおかあさんに声を掛ける。おばちゃんも煽情的な半裸だ。それがサキュバスの普通。普通じゃないのはわたしのほう。
ちなみにシバリックビっていうのはこっちにしかないお芋のような植物で、ずんぐりした人型の実が木の枝からぶら下がっているのを採る。火を通すとお肉のような味になる不思議な食べ物で、揚げシバリックビはサキュバスの庶民的なおかず。おねえちゃんの好物なのだ。
「あれ? シルキィじゃん。『着たきりシルキィ』。久しぶりすぎね? なんか変な色のオーラ出てっし、ウケる」
「……アルベリオ」
おかあさんとロスアスタさんが買いものをしているのを待っていると、知った顔に話しかけられた。かっこよく刈り上げた黒髪に赤い肌が特徴の彼はアルベリオ。幼馴染のサキュバスのお兄さんのインキュバスで、人をからかうのが好きだからわたしはちょっと苦手だ。
「シルキィ、おまえ相変わらず分厚く服着てんのなぁ。なんで?」
「なんでって……薄着になるのが恥ずかしいからだって昔から言ってるじゃない」
「恥ずかしい? みんな薄着なのに一人だけ厚着のほうがよっぽどハズいべ……、変な奴。うぇ~い」
アルベリオはニヤニヤと笑いながらわたしのマントの端をつまんでぴらっとめくってくる。
「やだっ!! 離してよ!!」
「中にも着てんのかよ。ほんと変な奴な。もうガキじゃないんだからちょっとは慣れろよな。じゃあな、おつ~」
つままれたマントをはたき落として奪い返すと、彼はつまらなそうにヒラヒラと手を振って立ち去った。なんなの。なんで話しかけてきたの。あいつ嫌い!
「ふ~、ほかにも美味しそうなのいっぱい買っちゃった~♡ どしたの~? シルキィちゃん、ほっぺぶんむくれ!」
「なんでもないよ。ちょっとアルベリオと会っただけ……」
「アルくんね~!! あの子もいい男になったわよねえ~、ま、レイモンドくんほどじゃないけどね!! あの子去年都会からこっちに帰ってきて~」
「聞きたくないよ。早く家に帰りたい」
「おい~、チェルキィのいい男ランキング一位の男は俺ちゃんじゃないのかよ~。妬くぜ……こんがりと」
いちゃついてる二人を放っておいてわたしは実家への道を歩く。あっちの世界が居心地よすぎて忘れてたけど、わたしはわたしでこの街にあまり居場所がない。だから、エルフの里になじめなくて人間の街で暮らしてるレイモンドさんの気持ちがすごくよくわかったのだ。
「今朝別れたばかりなのに、もうレイモンドさんに会いたいよ……」
胸元に小さくとまっていてくれる木彫りの小鳥を指先で撫でて、わたしはため息をついた。
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