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11.ぴあの、思い出す

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 その日もぴあのは酒場で給仕と歌手の仕事をした。ヴォルナールの方針は進退が決まるまでのぴあのの面倒は自分たちが見るというものだったが、養ってもらっている立場の低さを嫌というほど知っているぴあのはパルマがちょっと心配するほど張り切っていた。
 歌手が立つ小上がりにぴあのが登ると、昨日も来ていた酔客たちが口笛を吹く。吟遊魔法の勉強で見ているフィオナの歌集に載っている歌のメロディは童謡的なものが多いので、元の世界での流行りの歌などは避けてしっとりとした民謡などを選んで歌う。今ぴあのが歌っているのは童謡の「故郷」だ。

(……ああ……)

 アスティオに告げた通り、今日はヴォルナールも一緒に食事をとるために酒場に同行していた。かつて愛した人とそっくりな声で紡がれる「志を果たして、いつの日にか帰らむ」という言葉を耳にして、ヴォルナールは胸が勝手にじんとしてしまうのを止められず、酔いも手伝って瞳が涙で潤んでしまっていた。

「なー、歌うまいだろ、あの子。どうよ、エルフの耳には」
「……ああ、うまいものだな」
「それに可愛いでしょ、絶対可愛い服着たら化けると思ったんだよあたし」

 パルマが顎をしゃくるように指し示す先で手を広げて歌い続けているぴあのは、昼間購入した深い青色のワンピースを纏っている。こちらに来てからずっと来ていたゆったりとしたパーカーとワイドパンツが隠していた体の線が今はわかるようになっていて、彼女が案外肉感的な体型をしているのが見て取れ、昨日よりも酔客たちの口笛が激しかった。

「何が言いたい。あんな襤褸を着させていたら大変だと思っただけだ……俺は……」

 パルマとアスティオがぴあのと自分の間に特別な関係が発生すればいいと思っているのはヴォルナールにも薄々わかっている。それは別に面白がっていたり下世話な好奇心による面白がりではなく、二人の仲間は仲のいい恋人同士だから、ふさぎがちなリーダーに新しい出会いを、と心から思っているのだろうということも察せられていた。ヴォルナールは何か期待のようなものを乗せた仲間たちの視線を目を細めて追いやり、歌う稀人を改めて見やる。
 自分の知らない世界の歌を歌うぴあのは、声はフィオナそっくりでもフィオナではない。声が死んだ妻に似ていた、という理由で見いだされて近づいてこられるのを喜ぶ女がいるとは思えないから、心が癒されるその声をもっとそばで聞いていたいという欲求が胸を突き上げてくるのには気付いているが、それをぴあのに気取られたくはないと思うヴォルナールだった。
 そうこうしているうちに歌い終わったぴあのがテーブルに戻ってくる。本当に歌うのが好きなのだろう。汗をキラキラと輝かせて心なしか普段よりも背筋を伸ばしたぴあのは生き生きとした笑顔になっている。

「ねー、聞いてよピアノちゃん。ヴォルナールの奴、ちょっとウルッと来てんの」
「エルフは感受性が強いからなあ」
「本当ですか……? 楽しんでもらえたなら嬉しいです……」

 少し頬を上気させたぴあのの視線を、ヴォルナールはフンとあしらう。

「喉に鈴があるだけあるなと思っただけだ……。だからと言って戦えなかったら連れてはいかない」
「素直じゃねえのな」
「何か言ったか?」
「いーや? 何も?」

 ヴォルナールが素直に褒めることをしなかったのでやさぐれエルフの相手はアスティオに任せて、パルマが席に座るようにぴあのに向かって手招きをした。

「ピアノちゃん、今日も良かったよ~」
「ありがとうございます! ふー、お腹すいちゃいまいた。これ、私が食べてもいいやつですか?」
「食べな食べな~、果実酒も飲みな~」
「いただきます、はち、はちち、おいひ~」

 焼きハムの蜂蜜ソースがけを頬張るぴあのを見ているヴォルナールの目はますます優しくなっている。隣にいたアスティオはそれに気が付いていたがあえてそれを弄るようなことはしなかった。

「……おい、歌はどこまで覚えたんだ」
「あ、はい。えっと、だいたい半分くらい覚えました」

 宿屋に変える道すがら、酔ったパルマがアスティオにべたべたとしなだれかかっていちゃついているので、残りの二人でなんとなく並んで言葉を交わしていた。

「そんなに覚えたのか」
「はい、昔から暗記は得意なんです」
「そうなのか……」

 背の低い女と並んで、目線を下げながら歩くのが久しぶりなヴォルナールは言葉少なながらもなんだか懐かしいような気持ちだった。ぴあのはそんなことは知る由もないが、返事をする彼の声色が少しずつ柔らかくなっているのが嬉しいと思っていた。

「お前は前の世界で戦ったことはあるのか?」
「戦う……、えっと、殴ったり、とかそいうことですよね。ありません……、えっと、前の世界ではちゃんとルールを決めてる専門家とかじゃないと人を傷つけたらいけないことになっているので……」
「そうか。そういう世界からお前は来たのか。俺達が倒そうとしている残党の頭は人間によく似た姿をした女だぞ。そいつに向けて魔法を放つ覚悟をちゃんとしておけよ。お前が娼婦は嫌だと言ったのだから、俺たちと一緒に行くということになったら乱暴したくない、殺したくないでは通用しないぞ。やらなきゃやられる。そういう生き方をすることを選んだということをちゃんと理解しろ。いいな?」
「……はい」

 覚えられていないから連れて行かないという建前を使いたくて短期間で魔法の歌を全部覚えるという題を出したのに、意外にもぴあのがそれを器用にこなしてしまいそうなのでヴォルナールはもう彼女を連れて残党狩りに出る時のことを考え始めていた。

「じゃあね~おやすみ~!」
「おやすみなさい」

 ヴォルナールに言われていたことをぴあのが考えているうちにいつの間にか宿屋に帰りついていた。次の日からの打ち合わせを軽くすると、一行はそれぞれの部屋へ寝に帰る。ヴォルナールの隣の部屋に帰って来たぴあのは、部屋のベッドに昼間ヴォルナールから借りたシャツが畳んで置いてあるのを見て、それを彼に返さなくてはいけないということを思い出した。

「ヴォルナールさん、まだ寝てないよね……」

 どくんッ……♡

 洗って日に干した彼のシャツをそっと掬い上げるように持ち上げたぴあのの体に、その瞬間ざらついた熱の舌で舐められたようなよくない感覚が奔り抜けた。渇きと欲求。先日感じたそれが前よりも力を増して彼女に襲い掛かってきたのだ。

「あ、え、嘘……ッ♡」

 普段は意識しない臍の下あたりにあるぴあのの女の部分。それが熱く疼き、ひとりでに潤んで腿をとろりとした雫が伝うのを感じた。

(おまえには生き物の雄の精を採り続けないと気がおかしくなってしまう呪いがかかっている)

 勇気や頑張りでなんとかうまく生活ができそうだと思っていたところで忘れかけていた、忌まわしい呪いが自分の体を蝕んでいるのだとぴあのにはわかった。忘れるほどにそれが鳴りを潜めていたのは助かってすぐにヴォルナールの血を飲んだからだ。

「あ……あつい……んッ♡ や……おなかが……甘い、なにもしてない……のに♡」

 ぴあのは自分の体を強く抱きしめ、ベッドに倒れると狂おしい渇望を押し込めようと体を縮こまらせる。血では精液ほど長く正気を保つことはできないという情報を仲間の誰かから聞いたこと、そして、ヴォルナールから「体の我慢がきかなくなったら来い」と言われていたことを思い出した。

(それって、ヴォルナールさんに抱いてもらうって……こと、だよね……)

 この苦しみから安全に逃れる術はヴォルナールに抱いてくれとねだるしかない。それは自分にとって、そしてヴォルナールにとってどういうことになるのか。それは精を求めて狂い始めているぴあのの頭で考えるには難しすぎる事柄で、考えるはしからあえなく霧散してしまう。

「ああッ……だめッ……♡ これ以上は、ほんとに、狂っちゃう……ッ♡♡ んあぁッ……♡♡♡」

 はあはあと荒い息で身を捩らせながら、気が付くとぴあのはヴォルナールの部屋のドアにすがりついてノックを繰り返していた。
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