うちのお母さんは最低だ

ツバサ

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その日の夜、私は早速お母さんに提案してみた。
「お母さん。今、ちょっといい?」
「なにー?」
お母さんは家事を終わらせ、ソファに座ってスマホいじりに夢中だ。わずかに見える画面にはカラフルなブロックが映っている。広告でよく見るパズルゲームでもやっているんだろう。こういう時、大抵の言葉は上の空で流されるけど。
「大学のことで相談があるんだけど……」
「大学? やっと行くところ決めたの?」
勉強、受験。それっぽいワードを混ぜ込むだけで、どんなときでも反応してくれる。腐っても親子だ。性格は知り尽くしていた。
「ううん。それはまだだけど……そのために来月、これに行きたいんだけど、いいかな?」
「なにそれ?」
お母さんは怪訝な顔をしながらチラシを受け取る。
「なるほど。オープンキャンパスね」
「うん。正直、生きたい大学って言ってもあんまりイメージが湧かなくて……だから、実際に見に行って、どういうところか体験してみたいなって。そこならサークルも授業も自由に参加していいみたいだし」
そのオープンキャンパスは申込みのときに1限から5限まで自由に参加できる。他にもゼミの見学やサークル活動など、自分で決められる自由度の高いものだった。だからこそ、お母さんを欺くのにもちょうどいい。それに、この大学の偏差値はそんなに低くないはず。だから行けると思っていたのだけど。
「……そう。この日なら空いてるわ。送ってってあげる」
「え!?」
お母さんがあまりに予想外のことを言い出すので、私はつい声を出して驚いてしまう。慌てて口を塞ぐけど、今のは失敗だった。じろっとお母さんに疑いの眼差しを向けられてしまう。
「なに? 私が送るとなにか困るの?」
「ううん。そうじゃないんだけど……実はそれ、友達に誘われて一緒に行こうってなったやつで。その友達と一緒に行くから、電車で行きたいんだけど……?」
「そう。友達とね」
お母さんはじっと私の顔を見上げた。私が嘘をついているか確かめてる目だ。でも、大丈夫。私は家ではずっと嘘をつき続けてるようなもの。そう簡単には見破られない自負があった。それに、実際オープンキャンパスの話はココロちゃんから聞いたもの。誘われたと言っても過言ではない。
「いいんじゃない。その友達は勉強出来るの?」
「それは……」
お母さんは冷たい声で聞いてきた。その目がわずかに細められる。まるで値踏みしてるような視線。
友達の存在を明かした時点で、それは聞かれるかもと思っていた。当然答えは頭に浮かんでいる。でも、私は言い淀んでしまう。
「何? 言えないの? もしかして、頭の悪いことつるんでるの? それなら──」
「ううん。頭の悪い子じゃない。すごく頭のいい子だよ。私もよく勉強教えてもらうくらい」
お母さんの声を遮って、私は努めて明るい声で言い淀んだ答えを口にした。
実際、ココロちゃんはふわふわしてるように見えてすごく成績が良かったりする。特に数学が得意らしい。二年の時までは、テスト前とかに私もよく教えてもらっていた。だから、決してお母さんが悪く言うような子じゃない。
ただ、それはそれとして不愉快だった。ココロちゃんが勉強ができるかどうか、値踏みされることそれ自体が。だから、質問にもすぐには答えられなかった。
そして実際に値踏みされた今、強く文句を言いたい気持ちに駆られている。でも、言えない。言う度胸がない。私に出来るのは、行き場のない怒りを封じ込めるように、歯を噛みしめることだけ。もちろん、強引に形作らせた笑みの裏で。
「ふーん。それならいいけど」
「……うん」
自分で聞いてきたくせに、あまり興味のなさそうな相槌を打つお母さん。その様子にも思うところがあるけど、私は笑顔を崩さなかった。
「うん。いいんじゃない。行ってくるといいわ」
しばらくチラシを読み込んでいたけど、ふっと目を話すと、微笑を浮かべてチラシを返してくれる。
「ありがとう」
私は笑顔を浮かべると、お母さんにお礼を言って背を向けた。
よかった。これで、北野さんと会える。はじめてのコスプレイベントに参加できる。今からもう一ヶ月後が楽しみだ。
本当は今すぐ両手を挙げて喜びたいところだった。でも、そんな気持ちを少しでも悟られないように。ゆっくり、静かに歩く。
 
『ココロちゃん。お母さんの許可、もらえたよ!』
無事部屋に戻ったら、私はカバンの中からスマホを取り出して、早速ココロちゃんに祝勝報告のラインを送った。絵文字たっぷりで最大限に嬉しいという気持ちを表現した文章で。
『ほんと?よかったね!おめでと~』
返信はびっくりするくらい一瞬で来た。相変わらず絵文字のない感情の分かりづらいメッセージだけど、返信の早さからちゃんと祝福してくれる気持ちは伝わってくる。
『じゃあ、本番は楽しみだね。オフ会は朝から?』
『うん。そうだと思う。イベントが朝の10時からだから。でも、オープンキャンパスが終わってから参加するから、私が行くのは午後になると思う』
会話が長くなりそうだと思った。私はフラフラと揺れるようにベッドに落ちて、仰向けでスマホを操作する。
『え?ほんとにオープンキャンパス行くの?それって、そういう口実じゃなくて?』
『うん』
『えー?せっかくのオフ会なんだから朝から参加しなよ』
『でも、ちゃんと行った証拠がないと、お母さんに疑われちゃうし…』
本当は私も朝から参加したい。でも、交渉の時、少し嫌な顔をされてしまった。特に友達と一緒に行くなんて言ってしまったのが失敗だった。
補習ならあらかじめ内容を予想して、それっぽい板書を装うことは出来る。でもオープンキャンパスだと資料が配られたりするだろう。もしそれを見せろなんて言われたら終わる。最悪の自体を避けるためにも、オープンキャンパスにい行かないという選択肢はとれなかった。
しばらく、返信が途絶える。どうしたんだろう。まさか、怒らせた? こんなことでココロちゃんが怒るとは思えないけど。
『それなら、ココロちゃんが代わりに行きます』
私が不安になり始めたころに、やっと返信がやってくる。その内容はあまりに予想外なもので。
『え?』
今度は私が驚く番だった。
『代わりって。そんなの悪いよ』
『ぜんぜん大丈夫だよ。27日なら予定も空いてるし』
『でも…』
『雫ちゃん。ココロちゃんが今日部室で言ったこと、覚えてる?』
『ごめん。なんのことだっけ?』
『こういうときはいちばん大切なものを大切にするべきだよ。ココロちゃんなら、他の何を犠牲にしてでもそうするって』
『それは、確かに言ってたけど…でも、やっぱり悪いよ』
『気にしないでよ。もしココロちゃんが雫ちゃんの立場だったら、多分同じことをお願いしてたから』
この文章を、ココロちゃんはどんな顔で打ってるんだろう。それとも、真剣な顔つきだろうか。ただ、結構本気で言ってる気がした。
『それに、これはココロちゃんがやりたくてお願いしてることだから。ココロちゃん的には、ここは素直に任せてほしいんだけどな?』
『まあ、どうしても雫ちゃんがココロちゃんに頼りたくないって言うなら諦めるけど・・・』
続けて拗ねたような文章。
『…その言い方はずるいよ』
ココロちゃんの言葉に対し、私も同じように拗ねたように、唇を尖らせて返した。
ここでも断り続けたら、私がココロちゃんを邪険にしてるように映ってしまう。この会話が将棋だとしたら、積みの場面だった。
『ココロちゃん。本当にいいの?』
『うん』
『じゃあ、お願いしてもいい?』
しばらく迷った末に、私はココロちゃんの厚意に甘えることにした。
『がってん!お任せあれ~』
マッスルポーズの絵文字が伝わってくる。このポーズ、ココロちゃんはよくするけど、好きなんだろうか。
『ココロちゃん。ありがとう』
『どういたしまして』
最後はその一言とともにスタンプが送られてきて、会話が終わる。
「ふう」
ココロちゃんとのやり取りが終わった後、私はぼーっと天井を見上げて細い息を吐いた。
ココロちゃんが自分から提案してくれたとはいえ、本来私がやるべきことを押し付けてしまったこと。当然、罪悪感はある。でも、少ししたらやっぱりフルで参加できる嬉しさの方がふつふつと込み上げてきて。
「……イベント、楽しみだな」
気づけば私の脳内は本番が楽しみという気持ちでいっぱいになっていた。
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