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第五話 恋のすゝめ
しおりを挟む「む? 拙者のことをそう呼ぶのは、兄者か軍師しかいなかったはず……で、では――!」
「ほらな? 兄者。ここにいる姉者は兄者としか考えられねえって!」
獅子に似た獣は張飛、そして黄金に輝くほどの神々しい鳥をさせているのは関羽。
「関羽、張飛……あなたたちには翼があって、自由に羽ばたける。あぁ、羨ましい……」
「だからこそのお迎えだぜ」
「ぬぅ。何か事情があるのでござるな……? 良かったら拙者に話してくれぬか? もし姉者が兄者だったのであれば、包み隠さず話してもらいたい」
(ふ、雲長の疑い深さは変わっておらぬな。翼徳は初めから余のことを分かっての言動だったようだが。しかし余の記憶といい、翼徳たちの記憶といい……何者かが仕組んだことであろうか)
「私の前世の記憶は、蜀皇帝である劉玄徳。しかし今は、下級女官"劉"に過ぎませぬ。それ故、たとえあなたたちがかつての義兄弟だとしても、容易く主従の契りを結ぶことは厳しく思うのです……」
名も無き女人として目覚めたのはいいとしても、力のない私が彼らを繋ぎとめておくなど贅沢すぎる。彼らに出会うことが分かっていたとしても、前世の記憶など無い方が良かったのかも……。
そうすれば彼らの想いも素直に受け止められた。
そんな気がする――
「はっははは! わっははは! ではその願い、叶えてしんぜよう。さすれば、誰も傷つかずおぬしの思うままの生き方が出来よう」
――むっ? 一体どこから聞こえて来る声なの?
「ぬぅぅ……何故兄者……いや、姉者の元に現れたのか!」
「兄者! どうするよ、おい!」
「我らの願いは既に遂げられておる。となれば、姉者のことも見守るしかあるまい。何を願い、何を遂げるおつもりなのか……」
老人の声が聞こえると同時に、獣姿の彼らはまるで動きを封じられたかのようになっている。もしかして、彼らを甦らせた神なる人物なのでは。
「皇帝劉玄徳は若き娘として目覚めた。じゃが、今のおぬしは前世の記憶が鮮明に残り過ぎておる。それがかえって重荷となっておるのであろう?」
「そ、そうとも言えまする。ですが……この姿で目覚めた以上、このまま生きるしかございません」
「かつては天子の宗親。曹操に劣らず万民は安じられたのじゃが、今のおぬしはそうではないようじゃな」
(ふ、朝廷に戻れずして万民は安ぜられずだったな。力のない姿でそれを目指しても仕方ないのだ)
「……それならば女人としての生き方を尊重し、より守護を受けられるようにしてやろう!」
まさかそんなことが出来るというの? しかし前世の記憶の一部だけでも残しておきたい。そうじゃないと、これから先に出会う者たちが嘆く可能性も……。
「カーッ!!!」
記憶の心配をしていたその時。
突然声を張り上げた老人に反応するように、周りの木々が激しく揺れ、急に空が暗くなった。
な、何が起ころうとしているの? まさか全て夢として終わらせるつもりが……?
「……よし、これで事は済んだ。これより先、おぬしは過去に縛られることなく自由に生きていけるじゃろう。勿論、守護獣とともにな」
自由に生きていける……。私自身それほど変わった感じはしないけれど。
「あ、あなた様の名は?」
「字は元放、名は左慈という。では達者でな。おぬしには強力な獣がそばについておる。曹操なる女に負けず生きるがよい」
「――ど、どうしてそれを!」
「はっはははは! 愉しむがよい」
何とも不思議な老人だった。曹操が女人となっていることもご存じだったようだし。それでも、何が劇的に変わったかは分からないままだけれど。
でも、目覚めた時よりもさらに心が軽いようなそんな感じがする。
「姉者! あの老人に何を願ったのであるか?」
「そうだぜ、あいつは心の中で願ったことを勝手に叶えちまう。オレたちもそうだったんだぜ……」
「人でなくともお仕え出来ればいいと願ったが、まさか獣だとは思っていなかったのだがな」
「そ、そりゃあ、まぁそうだけどよぉ」
彼らは獣の姿をしているけれど、尋常じゃない力が備わっているわね。ということは、さっきの老人に願って、獣として生きることを望んだ……そういうこと?
「私は名も無き下級女官、劉。ですがその名を捨てて、新たにあなたたちと共に生きたい。どうか、私の傍でお守り頂けませんか?」
あの老人に出会ってから遠き記憶が薄れた気がしてならない。それでも、目の前にいる獣の彼らに恐ろしさは感じられないし、傍にいて欲しいとさえ思っている。
「姉者? まさか兄者としての記憶が……」
「おいおい冗談だろ? せっかく再会出来たってのに! だからといって、主従の契りを反故にするつもりはねえけどよ」
「……ふむ。女人としての生き方を強く願ったということなのだな。であれば、我らがすることは決まっている。そうであろう? 翼徳」
「おうよ! 初めっから決めてたぜ! 変わりはねえよ」
私のことで何やら相談をしていたみたいね。癒しの聖獣が傍にいてくれたら、嫌なことも忘れてしまいそう。
相談事が終わったのか、二体の獣が私に向かって平伏している。この態度で判断すれば、名も無き私と主従の契りを交わしてくれるのかも。
「我らはこれより、まだ名も無き姉者を守護し、主従の契りを結ばせて頂く!」
獅子の獣がそう言うと、続けて鳥の獣が続いた。
「――我らは天に誓う! 我ら生まれた日は違えども、姉者が死する時には同じ日、同じ時を願わん!」
主従の契りと永遠の誓い……あぁ、これで私はようやく生きる道が見つかった。
そうなると後は、王宮から抜け出すだけ。
「あ、ああぁぁ!」
一滴の涙がこぼれてたまらない。どうしてこんなにも喜びに溢れているのだろう。
とにかく落ち着こう。落ち着いて、まずは――
「――あの、あなたたちのことを何とお呼びすれば?」
「何だ、そんなことか。オレのことは翼徳でいいぜ!」
「拙者のことも雲長で構わぬ。姉者の名は、これから考えねばならぬな」
「それなんだけどよ、まずは姉者がしたいことを聞いた方が良くないか?」
「うむ。女人としての生き方として考えられるとすれば、"恋"ではないか?」
恋……あぁ、そういえば王宮の単福様にお礼を申し上げなければ。彼に抱くこの想いは、まさしく恋に違いない。恋をする生き方をしていこう。
そうすれば――
「オレはよく分からねえが、恋ってのはいいもんなんだろうな?」
「翼徳もしてみるか? 恋を」
「よせやい。獣となったし、そんなのは要らねえな。それより姉者には頑張ってもらわねえとな」
ふふ、私を守護する獣たちが恋のことで相談している。何にしても、まずは王宮の外に行かないと。
「あ、あの、何を頑張れば良いのですか?」
「決まってらぁ! これから出会う男どもを手玉に取ってやろうぜ! それがいい!」
「えっ? て、手玉……ってそんな……」
下級女官でそんな贅沢は許されるのか分からない。だけど、それが許されるなら……。
「翼徳いい加減にしろ!」
「す、すまねえ」
「……だが、姉者には自由に羽ばたいて頂きたい。姉者さえ良ければ異論無く進めさせて頂く。よろしいか?」
「ええ。お願いします」
元放という老人の力で、前世の私は見事に薄れた。
それでも忘れたわけじゃなく、新たに与えられたというだけ。
新たな生き方を重ねて、自由に羽ばたける恋を目指して彼らと前へ進んで行こう。
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