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第四話 主従の契り

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(天下を狙う野心は持っているが今は心の内に秘めて、じっと時が来るのを待つことにしよう。それなりのプライドは持ちながらも、私はもはや女性なのだ。時にはプライドを捨てて恥をしのぶことも必要。今がその時なのだろう)

「劉、劉……! 聞こえておらぬのか?」
「あっ。いえっ、単福様の声はしっかり聞こえております。それで、その話はまことでしょうか?」
「……ああ。曹操様はお気に入りの者だけを残している。お前以外に下級女官がいないのは……分かるな?」
「お気に入り……聞こえはいいのですが、気に入らなければつまり――」

 単福様は私を気にかけてくれているのか、宮中のことも教えてくれるようになった。そのほとんどは曹操のすることであり、それ以外のことは他愛の無い話。

 でもその他愛の無い話が私にとって一番の楽しみになっていて、会いに来てくださっていることがすごく嬉しい気持ちになっていた。これが好意によるものなのか、懐かしさが相まってのことなのかは分からない。

 警護兵の男も単福様には逆らえないようで、それがとても頼もしく思えた。

「ふふ、俺とて例外ではないさ。俺は好きでここに仕官したわけじゃないからな」
「そうなのですか? では、どのような――」
「……気にするな。それより、昼が過ぎてから向かうのであろう? 行くのならこれを持って行け」

 そう言うと、単福様は護身用の小さな懐剣を渡してくれた。

「これは……」
「なに、そなたの身を案じる為のものに過ぎぬ。そなたには傷を負ってほしくない」

 耳元で囁かれて、途端に頬が上気してしまった。本当に、どうしてあの方は私にここまでしてくれるのだろう。私のことを好いてくれている……そうだとしたら。

 彼の目を真っすぐ見つめ、すぐに頭を下げた。私を見るその目からは、何かの期待をかけたような揺らぎの無い意思のような感じがあった。

「単福様のお心遣い、ありがたく頂戴します」
「ではな、劉」
「はい」

 彼が一緒にいてくれれば、このまま下級女官として生きるのも悪くないかもしれない。でも多分、彼は「そうじゃない」とおっしゃることを思えば、今のままの関係がいいのかも……。

 とにかく、準備を揃えて夕刻前に約束の森に入った。以前来た時よりも薄暗く、進む足下もかろうじて見えるだけでおぼつかない。

 何かおかしい気がするけれど、間違ってないはず。でも何か不穏な気配を感じるような……。
 そう思っていると、突然数人の男たちが私を囲んでいた。

「へっへっへ……女! 一人だけで森に入って来るってことは、その覚悟があってのことだよなぁ?」
「女が一人。かかかっ! 魏王宮から来たようだぜ。迷ったか?」
「黒髪の美人か。目付きの鋭さは気が強そうで好きだぜ! 細身のラインも相まって……くぅ~たまんねえな!」

 少し道を外してしまっただけで、こんな賊が出るなんて……曹操の目もここまで行き届いていないのね。それに単福様が持たせた懐剣の意味がすぐに表れた感じかしら。

「――女官として、退くわけには参りません!」

 小さな剣ではあるけれど守ることくらいは出来るはず。約束の獣がいる場所に何としても行かなきゃ。

「おぅおぅおぅ! 威勢のいい女だぜ」
「女官かよ! だがそんな小せえ懐剣で敵うとでも思ってんのかぁ?」
「殺さずに捕らえりゃあいいだけの話だ!」

 賊の男たちはじりじりと歩み寄りながら、一斉に襲い掛かろうとしている。懐剣では正直、防ぐだけで精一杯……まさかこんなことになるなんて。

 怒声とともに男たちの手が伸びて来る、その時だった。

「オラオラオラオラァァ!! てめえらぁ! 寄ってたかって何してやがる!!」

 雄叫びのような声とともに、辺りの木々が大きく揺れている。風も強く吹き荒れて、目も開けられず袖で目を覆うしか出来ない。

 ぶわぁっ。とした強風を感じながら、全身からは羽毛のような柔らかさを感じた。
 これって、もしかして――

「無事のようでござるな。姉者」

 姉者って、私のこと? しかもこの声は雄叫びをあげた獣じゃない。もしかしてもう一体の獣? でも何だか、この獣からも懐かしい思いが込み上がって来るような……。

 優しく包まれている感触。獣ってこんなに温かい生き物だったんだ。

「ちぇっ、つまんねえ野郎どもだったぜ! それよりも兄者! 姉者に怪我は無いか?」
「うむ。見ての通りだ。拙者の髭をずっと触り続けているようだ」
「兄者から見て、どうだ? 何か感じるものがあるだろ?」
「……ふむ。この姉者からは確かに……」

 あぁ、これが至高のもふもふ……髭と聞こえたけど、触り心地がいいならどこでもいい。
 ――でもとりあえず、真面目に向き合わなきゃ。

 髭の獣からいったん離れ、二体の獣の正面に立って堂々と見つめた。
 すると私の立ち姿だけを見ただけで、獣たちは平伏したように頭を垂れた。これって、まさか……。

「我らはこれより、姉者と主従の契りを結ばせて頂く! これは運命なのだ。姉者からは気品に溢れた皇帝のごとく心を感じるからである。姉者の名をお聞かせ願いたい!」

(この言い方、まさか……)

「ま、まさか、あなたたちは、……?」

 どう考えても、ううん、どう思ってもこの獣たちは私のかつての義兄弟……そうとしか考えられない。
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