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46.ひそかな萌芽
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アリアさんはわたしの背の古い傷痕を見ても、ことさらに驚いたり気の毒がったりはしなかったし、もちろん不快な顔もしなかった。ただ、少しだけいたましそうに眉根を寄せた。
アリアさんはドレスのファスナーを上げ、その上からドレスを汚さないための白いケープをかけてくれた。
それからだった。アリアさんが遠慮がちに訊いてきたのは。
「ね、ミズカちゃん。不躾なことを訊いてもいいかしら?」
「え? はい。なんでしょうか」
わたしは再び鏡台の前に座るよう促され、言われるがまま、腰をおろした。アリアさんはわたしの左横に立ち、ナイロン製のケープを整えていた手を止めた。
「背中のその傷、ユエルは知っているのかしら?」
わたしは顎をあげ、アリアさんの気遣わしげな顔を見つめ返した。
「はい、たぶん……」
「傷の原因も?」
「はい。知っていると思います」
だって、……――
わたしはずっとこの傷の記憶を失ったままでいた。それはわたし自身が望んでいたことにせよ、わたし自身の力では消せない記憶だった。
ユエル様が記憶に蓋をしてくれたのだ。
忌まわしい記憶に結びつく傷痕だと知っていたからこそ、ユエル様はわたしの記憶を操作し、忘れさせていてくれた。それをユエル様から聞いたわけではないけれど、確信してる。
背中の傷を見られたという覚えはない。ユエル様も、きっと実際には見ていないと思う。
ユエル様はわたしが心に傷を負っていることに気づき、その傷の正体を確かめるべく記憶を読み、背にある鞭打ちの痕を知ったのだと思う。そしてユエル様は痛みを伴う「記憶」に蓋をしてくれた。「幻術」の魔術で。
それはまだ、わたしがユエル様の眷族になる前の話だ。全てわたしの憶測だけど、間違ってないと思う。
「……そう。そうだったの」
アリアさんは、わたしのまだ僅かに湿っている髪を優しく撫でつけた。
「ユエルが慎重すぎるほどに慎重になってるのは、そういうわけがあったからなのね」
「え?」
わたしはアリアさんを仰ぎ見た。アリアさんは穏やかに微笑んでいる。
「ユエルは、ミズカちゃんをとても大切にしているのね。本当に、何よりも大事に慈しんで、守ろうとしてるのね」
「…………」
――そう、だ。
ユエル様は出逢った時からずっと……眷族になる以前から優しく接してくれていた。身分も低く、素性も不確かで、身寄りも取り得も、何一つ持たないわたしなのに。
ユエル様はわたしを「ミズカ」と呼び、笑いかけてくれた。いつでも、優しすぎるほどのあたたかな微笑で。
胸がきゅぅっと締めつけられる。
切なくて、苦しくて、……だけど嬉しかった。
アリアさんの言葉が心に沁みた。まるでユエル様がそう仰ってくださったように感じられて、胸が震えた。涙が滲みでそうだった。
アリアさんにそう言ってもらえたのが嬉しかった。
「……ありがとう……ございます」
俯き、か細い声でお礼を言うと、アリアさんは、
「あら、どういたしまして、ミズカちゃん。だけど、本人にも言ってあげなくちゃ、拗ねちゃうわよ?」
と、朗らかに笑った。
それから、たっぷりと時間をかけ、アリアさんはわたしの身支度を整えてくれた。
お化粧するのなんて初めて。
半ば呆けたように、鏡に映る自分自身を凝視した。そこに、いつもと違うわたしがいる。
たしかに「わたし」なのだけど、別の女の子のようだった。わたしに似た、別の女の子の。なのに、その「女の子」がわたしと同じ動きをする。瞬きしたり唇を動かしたり。やっぱりわたしなんだと、自覚する。
目はアイメイクの効果でいつもより大きく見えるし、ファンデーションやチークのおかげで血色も良く見える。厚塗りはされてはおらず自然な仕上がりのメイクだ。
なんだか、ユエル様目当てに訪れる沢山の女の子達みたいだ。
鏡を凝視するわたしの肩に、アリアさんがそっと手を乗せた。青色の双眸が期待をこめてわたしを見つめてくる。
「どう、ミズカちゃん?」
「あ、はい……その……、びっくりです」
素直な感想を述べると、アリアさんは目を細めて可笑しげに笑った。
「リップは出かける前にまた塗り直すわね?」
「はい」
「髪型も、これで良かったかしら? 気に入らなかったら言ってね」
「良いです、とっても!」
髪も毛先を若干巻かれ、ふわふわと軽く肩に流されている。どちらかといえば短めの髪だから、髪自体は編み込まれたりまとめ上げられたりはしていない。代わりに、薔薇のカチューシャで飾られた。
アリアさんは満足げな様子でわたしの全身をくまなく見やって、「我ながら会心の出来だわ」と喜びの声をあげる。
そこへ、タイミングを見計らったかのようにユエル様がやってきた。ドアがノックされ、アリアさんが応える。部屋に入ってきたユエル様はわたしを見るや、第一声、
「ああ、ミズカ。綺麗に仕上がったね」
そう言ってくれた。深緑色の瞳が穏やかな光を含んで、まなざしがやわらかい。
「……あ、あの……」
わたしは頬を赤くして口ごもった。
こういう時、気の利いた台詞一つ出てこない自分がもどかしくてしようがない。
さっきアリアさんに言ったように、「ありがとうございます」って、たったその一言を伝えればいいのに。その一言すら、わたしの舌は紡いでくれない。喉がきゅぅっとしまって、苦しいくらい。
優麗な微笑を浮かべてわたしに近づいてくるユエル様を、ドキマギしつつ、見つめ返した。
――綺麗なのは、ユエル様の方だ。
ユエル様は、黒いストライプ地のスリーピーススーツを着用していた。一つ釦のジャケット、深めのⅤゾーンのノーカラーベスト、光沢のある白いシャツ、そしてブーツカットの細身のパンツ。全体的に細身で、体にフィットしたドレススーツは、ユエル様の引き締まった体躯をいっそう引き立てている。ネクタイもスカーフも巻いておらず、サテン地のシャツの前をはだけていて、白い胸元を覗かせている。首元には、円筒の形をした銀のネックレスがさがっていた。
つややかな髪が肩に流れている。ユエル様は首を少し傾げて、髪を片手で軽く払った。小さな所作ひとつひとつがひどく艶めかしい。ユエル様が纏っている甘いような爽やかなコロンの香りに……酔い痴れてしまいそうだった。
「とてもよく似合っているよ、ミズカ。支度を、アリアに任せたのは正解だったな」
「元の素材がいいもの。飾り甲斐があったわ。ふふっ、だけどちょっと可愛くしすぎちゃったからし? たくさん虫が寄ってきちゃいそう。うっかり目を離せないわよ、ユエル?」
アリアさんは悪戯っぽく片目をつむる。
「ああ、そうだな。そのあたりもアリアには気をつけていてもらおうか」
「イスラにも言い聞かせておかなくちゃね? 自分はさておき、周りを煽っちゃいそうだものねぇ、イスラは。まぁ、あれでも十分わきまえているけれど。イスラなりの親切心なわけだし」
「親切? あれでか?」
「イスラなりにね。面白がってるとこもあるけど、本気よ? ユエルだって分かってるくせに。まったくあなたたちったら、いつまでたっても子供っぽいんだから」
「…………」
ユエル様は苦虫を噛みつぶしたような顔をして押し黙った。何か言い返したげではあったけれど、僅かに開かれた唇の間からこぼれたのは、短い嘆息だけだった。
アリアさんは表情を引き締め、ユエル様を見やった。
「ま、それはともかく。ミズカちゃんのことはできるだけ気をつけて、目を離さないようにするわ。イスラにもそれは言い聞かせておくから、安心して、ユエル」
「……頼む。この借りはいつか返す」
「あらあら、殊勝なこと。恩に着せるつもりなんてないわよ、少なくともあたしは」
「…………」
二人の会話を、わたしは首を傾げつつ、聞いていた。
ユエル様とアリアさんの話の内容は、よくは分からない。
だけど、わたしのことを気にかけてるのは分かった。
つまり……パーティーなんてものに縁がなくて、初めて行くわたしの身を案じてくれってことをユエル様は頼んでるってこと……なのかな? パーティーに不慣れなわたしが、会場で何か粗相をしないよう気をつけてやっててくれ、と。……なんとなくそれだけではないような気もするけれど。
今さら辞退なんてできないけれど、また不安が強くなってきてしまった。大丈夫なんだろうか、わたし。ユエル様やアリアさん、イスラさんに迷惑をかけないよう、慎重に行動しなくちゃ……。
「ミズカ」
「は、はいっ!?」
名を呼ばれ、反射的に返事をした。ぱちくりと目を瞬かせる。
ユエル様は絶佳としか言いようのない麗しい微笑をその面貌に浮かべてわたしを見つめ返す。
「ミズカ、私に見惚れるのは構わないが、突っ立ったままで眺めているよりは、寛いだ姿勢で観賞する方がいいだろう? 出かけるまでにはまだ多少の時間があるから、テーブルについて茶でも飲んで、そこで心置きなく、存分に見惚れてくれて構わないよ?」
「……は、はぁ……?」
わたしの口から間の抜けた声がこぼれ出た。
ユエル様はわたしの緊張を解こうと、そんな冗談を(本気で言ってる気もするけれど)言ったのかもしれない。深い緑色の瞳が、強張ったわたしの顔を映している。
「茶を淹れてあげよう。ミズカ、何かリクエストはあるかな?」
「えっ、あの、いいですっ。お茶ならわたしが淹れます、ユエル様! ずっと座り続けていたから体を動かしたいですし!」
「そう? それじゃぁミズカにお願いしようか」
「はい、すぐにお淹れしますから! あ、アリアさんの分も」
「あら、ありがと、ミズカちゃん。あたしの分は別にお願いしていいかしら。あたしも着替えなくちゃならないし。ここに持ってきてくれると嬉しいわ。そうね、アイスティーをお願いできる?」
「はい、わかりました」
「ミルクとシロップもお願い。ストローがあるといいのだけど」
「あります。お付けしますね」
「ありがと。――ユエル」
アリアさんはやわらかな笑みを不意にひそめ、表情を厳しくしてユエル様の方に顔を向け、刺すように言った。「しっかりなさいね」と。
ユエル様は決まりの悪そうな顔をしてアリアさんから目を逸らし、「分かっている」と小声で応えた。ふっと、ため息を吐く。ユエル様は額にかかる髪を煩わしげにかきあげた。
それからすぐにユエル様はわたしの方に顔を向きなおした。
「それじゃぁ、下へ行こうか、ミズカ」
「はい」
頷いて応えた。
「あ、あの、ユエル様……」
ユエル様とアリアさんのやりとりが気にかかったけれど、訊ける雰囲気ではなかった。だから質疑はしない。知りたい事訊きたい事はたくさんあるけれど、どうしてなんだろう、答えを得るのが怖かった。
――答えが得られないかもしれない事よりも、ずっと。
「なに、ミズカ?」
「……いいえ、なんでもないです」
木漏れ日のように清明でまぶしい、ユエル様の艶美な微笑から目を逸らした。
胸の奥で、小さな痛みが疼いていた。
アリアさんはドレスのファスナーを上げ、その上からドレスを汚さないための白いケープをかけてくれた。
それからだった。アリアさんが遠慮がちに訊いてきたのは。
「ね、ミズカちゃん。不躾なことを訊いてもいいかしら?」
「え? はい。なんでしょうか」
わたしは再び鏡台の前に座るよう促され、言われるがまま、腰をおろした。アリアさんはわたしの左横に立ち、ナイロン製のケープを整えていた手を止めた。
「背中のその傷、ユエルは知っているのかしら?」
わたしは顎をあげ、アリアさんの気遣わしげな顔を見つめ返した。
「はい、たぶん……」
「傷の原因も?」
「はい。知っていると思います」
だって、……――
わたしはずっとこの傷の記憶を失ったままでいた。それはわたし自身が望んでいたことにせよ、わたし自身の力では消せない記憶だった。
ユエル様が記憶に蓋をしてくれたのだ。
忌まわしい記憶に結びつく傷痕だと知っていたからこそ、ユエル様はわたしの記憶を操作し、忘れさせていてくれた。それをユエル様から聞いたわけではないけれど、確信してる。
背中の傷を見られたという覚えはない。ユエル様も、きっと実際には見ていないと思う。
ユエル様はわたしが心に傷を負っていることに気づき、その傷の正体を確かめるべく記憶を読み、背にある鞭打ちの痕を知ったのだと思う。そしてユエル様は痛みを伴う「記憶」に蓋をしてくれた。「幻術」の魔術で。
それはまだ、わたしがユエル様の眷族になる前の話だ。全てわたしの憶測だけど、間違ってないと思う。
「……そう。そうだったの」
アリアさんは、わたしのまだ僅かに湿っている髪を優しく撫でつけた。
「ユエルが慎重すぎるほどに慎重になってるのは、そういうわけがあったからなのね」
「え?」
わたしはアリアさんを仰ぎ見た。アリアさんは穏やかに微笑んでいる。
「ユエルは、ミズカちゃんをとても大切にしているのね。本当に、何よりも大事に慈しんで、守ろうとしてるのね」
「…………」
――そう、だ。
ユエル様は出逢った時からずっと……眷族になる以前から優しく接してくれていた。身分も低く、素性も不確かで、身寄りも取り得も、何一つ持たないわたしなのに。
ユエル様はわたしを「ミズカ」と呼び、笑いかけてくれた。いつでも、優しすぎるほどのあたたかな微笑で。
胸がきゅぅっと締めつけられる。
切なくて、苦しくて、……だけど嬉しかった。
アリアさんの言葉が心に沁みた。まるでユエル様がそう仰ってくださったように感じられて、胸が震えた。涙が滲みでそうだった。
アリアさんにそう言ってもらえたのが嬉しかった。
「……ありがとう……ございます」
俯き、か細い声でお礼を言うと、アリアさんは、
「あら、どういたしまして、ミズカちゃん。だけど、本人にも言ってあげなくちゃ、拗ねちゃうわよ?」
と、朗らかに笑った。
それから、たっぷりと時間をかけ、アリアさんはわたしの身支度を整えてくれた。
お化粧するのなんて初めて。
半ば呆けたように、鏡に映る自分自身を凝視した。そこに、いつもと違うわたしがいる。
たしかに「わたし」なのだけど、別の女の子のようだった。わたしに似た、別の女の子の。なのに、その「女の子」がわたしと同じ動きをする。瞬きしたり唇を動かしたり。やっぱりわたしなんだと、自覚する。
目はアイメイクの効果でいつもより大きく見えるし、ファンデーションやチークのおかげで血色も良く見える。厚塗りはされてはおらず自然な仕上がりのメイクだ。
なんだか、ユエル様目当てに訪れる沢山の女の子達みたいだ。
鏡を凝視するわたしの肩に、アリアさんがそっと手を乗せた。青色の双眸が期待をこめてわたしを見つめてくる。
「どう、ミズカちゃん?」
「あ、はい……その……、びっくりです」
素直な感想を述べると、アリアさんは目を細めて可笑しげに笑った。
「リップは出かける前にまた塗り直すわね?」
「はい」
「髪型も、これで良かったかしら? 気に入らなかったら言ってね」
「良いです、とっても!」
髪も毛先を若干巻かれ、ふわふわと軽く肩に流されている。どちらかといえば短めの髪だから、髪自体は編み込まれたりまとめ上げられたりはしていない。代わりに、薔薇のカチューシャで飾られた。
アリアさんは満足げな様子でわたしの全身をくまなく見やって、「我ながら会心の出来だわ」と喜びの声をあげる。
そこへ、タイミングを見計らったかのようにユエル様がやってきた。ドアがノックされ、アリアさんが応える。部屋に入ってきたユエル様はわたしを見るや、第一声、
「ああ、ミズカ。綺麗に仕上がったね」
そう言ってくれた。深緑色の瞳が穏やかな光を含んで、まなざしがやわらかい。
「……あ、あの……」
わたしは頬を赤くして口ごもった。
こういう時、気の利いた台詞一つ出てこない自分がもどかしくてしようがない。
さっきアリアさんに言ったように、「ありがとうございます」って、たったその一言を伝えればいいのに。その一言すら、わたしの舌は紡いでくれない。喉がきゅぅっとしまって、苦しいくらい。
優麗な微笑を浮かべてわたしに近づいてくるユエル様を、ドキマギしつつ、見つめ返した。
――綺麗なのは、ユエル様の方だ。
ユエル様は、黒いストライプ地のスリーピーススーツを着用していた。一つ釦のジャケット、深めのⅤゾーンのノーカラーベスト、光沢のある白いシャツ、そしてブーツカットの細身のパンツ。全体的に細身で、体にフィットしたドレススーツは、ユエル様の引き締まった体躯をいっそう引き立てている。ネクタイもスカーフも巻いておらず、サテン地のシャツの前をはだけていて、白い胸元を覗かせている。首元には、円筒の形をした銀のネックレスがさがっていた。
つややかな髪が肩に流れている。ユエル様は首を少し傾げて、髪を片手で軽く払った。小さな所作ひとつひとつがひどく艶めかしい。ユエル様が纏っている甘いような爽やかなコロンの香りに……酔い痴れてしまいそうだった。
「とてもよく似合っているよ、ミズカ。支度を、アリアに任せたのは正解だったな」
「元の素材がいいもの。飾り甲斐があったわ。ふふっ、だけどちょっと可愛くしすぎちゃったからし? たくさん虫が寄ってきちゃいそう。うっかり目を離せないわよ、ユエル?」
アリアさんは悪戯っぽく片目をつむる。
「ああ、そうだな。そのあたりもアリアには気をつけていてもらおうか」
「イスラにも言い聞かせておかなくちゃね? 自分はさておき、周りを煽っちゃいそうだものねぇ、イスラは。まぁ、あれでも十分わきまえているけれど。イスラなりの親切心なわけだし」
「親切? あれでか?」
「イスラなりにね。面白がってるとこもあるけど、本気よ? ユエルだって分かってるくせに。まったくあなたたちったら、いつまでたっても子供っぽいんだから」
「…………」
ユエル様は苦虫を噛みつぶしたような顔をして押し黙った。何か言い返したげではあったけれど、僅かに開かれた唇の間からこぼれたのは、短い嘆息だけだった。
アリアさんは表情を引き締め、ユエル様を見やった。
「ま、それはともかく。ミズカちゃんのことはできるだけ気をつけて、目を離さないようにするわ。イスラにもそれは言い聞かせておくから、安心して、ユエル」
「……頼む。この借りはいつか返す」
「あらあら、殊勝なこと。恩に着せるつもりなんてないわよ、少なくともあたしは」
「…………」
二人の会話を、わたしは首を傾げつつ、聞いていた。
ユエル様とアリアさんの話の内容は、よくは分からない。
だけど、わたしのことを気にかけてるのは分かった。
つまり……パーティーなんてものに縁がなくて、初めて行くわたしの身を案じてくれってことをユエル様は頼んでるってこと……なのかな? パーティーに不慣れなわたしが、会場で何か粗相をしないよう気をつけてやっててくれ、と。……なんとなくそれだけではないような気もするけれど。
今さら辞退なんてできないけれど、また不安が強くなってきてしまった。大丈夫なんだろうか、わたし。ユエル様やアリアさん、イスラさんに迷惑をかけないよう、慎重に行動しなくちゃ……。
「ミズカ」
「は、はいっ!?」
名を呼ばれ、反射的に返事をした。ぱちくりと目を瞬かせる。
ユエル様は絶佳としか言いようのない麗しい微笑をその面貌に浮かべてわたしを見つめ返す。
「ミズカ、私に見惚れるのは構わないが、突っ立ったままで眺めているよりは、寛いだ姿勢で観賞する方がいいだろう? 出かけるまでにはまだ多少の時間があるから、テーブルについて茶でも飲んで、そこで心置きなく、存分に見惚れてくれて構わないよ?」
「……は、はぁ……?」
わたしの口から間の抜けた声がこぼれ出た。
ユエル様はわたしの緊張を解こうと、そんな冗談を(本気で言ってる気もするけれど)言ったのかもしれない。深い緑色の瞳が、強張ったわたしの顔を映している。
「茶を淹れてあげよう。ミズカ、何かリクエストはあるかな?」
「えっ、あの、いいですっ。お茶ならわたしが淹れます、ユエル様! ずっと座り続けていたから体を動かしたいですし!」
「そう? それじゃぁミズカにお願いしようか」
「はい、すぐにお淹れしますから! あ、アリアさんの分も」
「あら、ありがと、ミズカちゃん。あたしの分は別にお願いしていいかしら。あたしも着替えなくちゃならないし。ここに持ってきてくれると嬉しいわ。そうね、アイスティーをお願いできる?」
「はい、わかりました」
「ミルクとシロップもお願い。ストローがあるといいのだけど」
「あります。お付けしますね」
「ありがと。――ユエル」
アリアさんはやわらかな笑みを不意にひそめ、表情を厳しくしてユエル様の方に顔を向け、刺すように言った。「しっかりなさいね」と。
ユエル様は決まりの悪そうな顔をしてアリアさんから目を逸らし、「分かっている」と小声で応えた。ふっと、ため息を吐く。ユエル様は額にかかる髪を煩わしげにかきあげた。
それからすぐにユエル様はわたしの方に顔を向きなおした。
「それじゃぁ、下へ行こうか、ミズカ」
「はい」
頷いて応えた。
「あ、あの、ユエル様……」
ユエル様とアリアさんのやりとりが気にかかったけれど、訊ける雰囲気ではなかった。だから質疑はしない。知りたい事訊きたい事はたくさんあるけれど、どうしてなんだろう、答えを得るのが怖かった。
――答えが得られないかもしれない事よりも、ずっと。
「なに、ミズカ?」
「……いいえ、なんでもないです」
木漏れ日のように清明でまぶしい、ユエル様の艶美な微笑から目を逸らした。
胸の奥で、小さな痛みが疼いていた。
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