薔薇のまねごと

るうあ

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21.青雲と夏姿

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 ――果たして。 
 ユエル様の「占い」は的中し、午後の空には太陽が姿を現し、燦々と輝いていた。

 真夏の避暑地は大賑わいだ。
 お土産屋さんが軒を連ねているショッピング街は、人だかりのせいでまっすぐ歩けないくらいに賑わっている。
 背が低いからなのか、それとも単に鈍くさいからなのか、わたしはやたらと人にぶつかっては足を取られ、もたついてしまう。そのせいで、度々随伴している方に心配をかけてしまう。足元の覚束ない小さな子供でもあるまいし、我ながら本当に情けない。
 本日お伴をさせていただいてるアリアさんは、雑踏をかき分けて歩くのがお上手だ。人とぶつかる割合は低い。向こう側から避けてくれるってこともあるだろうけど。何しろ目を瞠るほど華やかな雰囲気を持った金髪碧眼の美女だもの。自然と人ごみが左右にひらいて、道ができる。
 それにしても、踵の高いピンヒールを履いているにも関わらず、アリアさんの足取りはとても軽やかだ。見るからに歩きにくそうな靴なのに、アリアさんは颯爽とした歩行で、つんのめったり躓いたりもしない。
 ついでに言えば、アリアさんの本日のお召し物は地色はオフホワイトのドット柄のシフォンブラウスと、すらりと長い脚線美を惜しげなくさらす、黒のタイトスカート。肌の露出は多いけれど、上品に着こなしていて、ため息が出るほど美しい。
「ずっと爪先だって歩いている状態ですよね、その靴だと。すごいです!」
 思わず感嘆して言ったわたしに、アリアさんは屈託なく笑って応えた。
「ふふ、こんなのは慣れよ、慣れ。ああ、でもね、こっちに慣れきっちゃったものだから、ローヒールの方がかえって疲れるようになっちゃったのよ」
 そう言ってからアリアさんはちょっと困ったような顔をして、語を継いだ。
「だけど、別荘地の中は舗装されていないところが多いから、そういった場所はピンヒールだとちょっと不便でアブナイわね」
 今朝方のことだそうだけど、苔むして湿った土にヒールの部分が全部埋もるほど突き刺さって、危うく派手に転ぶところだったのよと語って、アリアさんはご自分のことなのにころころと可笑しげに笑った。
 その点、ショッピング街はちゃんとコンクリート舗装されているから安心ね、と言って。
 さて、そのショッピング街はというと、一部地区は車両の乗り入れが禁止され、“歩行者天国”となっている。もちろん期間限定。
 人も多いから当然車の数も多い。
 一部地区の道以外の公道は観光バスやタクシー、自家用車がずらっと並んで渋滞している。ほとんどの駐車場で、満車の看板が出るくらいの混雑ぶり。レンタサイクル(貸し自転車)の数も多くて列を成してた。
 とにもかくにも、大賑わいのショッピング街。
 威勢のいい客引きの声、ひと時も落ち着いてられない子供達の騒々しい声、浮かれてはしゃぐ女性達の甲高い笑い声、観光バスの添乗員さんの人を探す慌てた声などがあちらこちらで飛びかって、ユエル様が好む清閑さはここには欠片も存在しない。
 それでもたぶん今日はまだ、観光客は少ない方なんだと思う。まだお盆前だし、平日だから。今だって十分すぎるくらいに混雑してるけど、これはまだ前哨戦といったところなんだと思う。
 何年前だったか、こことは別の避暑地でお盆の期間を過ごしたことがあった。そこも有名な観光地だったからすし詰め状態に観光客がごった返し、人口密度が上がったせいで気温まで上がり、「避暑地」の意味なんてなくなってた。
 ユエル様も心底うんざりした顔で歎息し、それでも「仕方ない」と若干諦め気味ではあった。
「これでも街中に居るよりはずっと涼しい方なのだからね。それに観光シーズンは、観光客目当てに商売をしている地元民にとっては書きいれ時だ。しゃかりきになって観光ムードを盛り上げようとするのも当然だろう」
 地元民にとってあまり有り難くないレジャー施設も多くあるのだけどねとユエル様は言下に足し、さらに「遠路はるばるやってくるほとんどの者が、避暑が目的ではないからね」と語を継いだ。

 時代感覚の鋭いユエル様に、わたしは日本の行事や社会構造、その他諸々の事を教わった。ユエル様は飽き性なところも多々あるのに、わたしに関しては……だと思うけれど……、とても根気強く、ゆっくりと丁寧に、時代に対応した教育を施してくれる。そして、うまく時代感覚を掴めないわたしをサポートしてくれた。
 ……わたしって、本当に……ユエル様に迷惑をかけてばかりだ。
「ねぇ、ミズカちゃん?」
「あ、は、はいっ!?」
 いけない!
 並んで歩くアリアさんのことを、一瞬忘れてしまってた。
 声をかけられて、わたしは慌ててアリアさんの方に顔を向けた。
「八月の中旬って、たしか仏教の……お盆って呼ばれる時期よね? そのお盆はお墓参りに出かける時期だって聞いたんだけど、違うのかしら? そろそろそのお盆の時期のはずだけど、なんだかそんな雰囲気じゃないわよね?」
 アリアさんが、不思議そうに訊いてきた。
 日本へは度々訪れ、長らく滞在したことのあるアリアさんは、日本の伝統的な習慣や行事についてある程度の知識はあるみたい。だからこそ、「よくわからない」と思うことが多いようだ。
 わたしは少し考えてから、答えた。
「基本的には、ちゃんとお墓参りに行く時期ではあるんです。帰省ラッシュなんて言葉もあるくらいで、生まれ故郷で親戚一同集ってお墓参りに行く人はまだまだ多いみたいです。だけど昨今ではお墓参りは事前に済ませて、海外旅行に出ちゃう家族も多いみたいです」
「ふぅん、そうなの。バケーションだからって遊んでばかりもいられないってところなのかしら? お墓参りにも行って、レジャーも楽しむとなると、なかなかタイヘンね」
 アリアさんはなるほどと得心し、それから少し皮肉めいた笑みを浮かべた。
「それにしても、土産屋の多いのには驚いたわ。観光に来るというよりは、観光地の何かを買って帰る目的で来ているみたいね? 日本人って、オミヤゲっていう買い物を義務に思ってるような感じを受けるわ。買って帰って、配らなきゃ、みたいな」
「そう……ですね」
 わたしが苦笑で応じると、アリアさんは呆れ顔をやんわりと穏やかな微笑に変えた。
「だけど、買い物自体がけっこうな娯楽よね? 買っても買わなくても、いろんなお店を見て回るだけでも楽しいわ」
 もしかして、気を遣わせてしまったのかもしれない。“日本人”の、わたしに。ううん、もしかしなくても、きっとそう。
 ユエル様にしても、アリアさん、イスラさん、そしてイレクくんも、みんな鋭くて、優しい。
 わたしの心を読んだみたいに、思いもかけなかったことを聞いてきたり、気遣わしげな笑みを向けてくれたりする。
 だから、アリアさんがわたしを誘い出してくれたのも、そうした気遣いだったのかなって思った。もしかしたらユエル様から何か話を聞いていたのかもしれない。……これは邪推といってもいい憶測だけど。
「ショッピングは女の特権! そして得意芸だもの。買いまくりましょうね、ミズカちゃん!」
 アリアさんは朗らかに笑ってわたしの腕に、しなやかな腕を巻きつけてきた。

「一緒にショッピングしましょ」、というアリアさんのお誘いに応じたわたしは、真っ白いワンピースを着ている。アリアさんがワードローブから探し出し、選んでくれた。裾にフリルがあるひざ丈のワンピース。こんな可愛らしい服があったのかと驚いた服だった。
 普段着なれない服だから、着るのにちょっと躊躇ってしまった。だけどアリアさんに「とっても似合うわ」と褒められては、別のものには着替えられず、恥ずかしさを押し込めて、袖を通した。
 ワンピース一枚では心もとなくて、薄い生地の藍色のボレロを羽織った。半袖のボレロは、透け感はあるけれど肩から肩甲骨あたりまでちゃんと隠せる。背中は、できればきっきりと隠しておきたかった。
「ねぇ、ミズカちゃん? 服を漁ってて気づいたけど、シンプルというか、質素なものが多いのね? アクセサリー系もないし……ユエルが用意してくれないの?」
 アリアさんが、少しばかりユエル様を非難するような声音で訊いてきた。
「そんなことはないです。このワンピースだけじゃなくて、他にもたくさん買って下さいます。それこそわたしには似合わなそうな、可愛すぎる服も勧めてくれて……。でも、仕事をするのにはやっぱり動きやすいものがいいですから、シンプルなものをわたしが選んで、買っていただいてるんです」
 とはいっても、ユエル様の趣味も大いに取り入れている。
 ユエル様は趣味も良いし、わたしなんかよりはるかにセンスもいい。それにユエル様もシンプルな衣服を好まれるようだから、買ってきてくださる服は大抵わたしの好みとも合致する。
 ただ金銭感覚がけっこう大雑把だから、ちょっと無節操に買い過ぎなのではと思う事もあって、控えるよう進言したりもするのだけど。
「仕事? ……仕事、ねぇ……。そう。そうなの。ミズカちゃんはそんな風に考えているのね。ユエルが踏み出せないでいるのも、わかる気がするわ」
「え?」
「ミズカちゃんがそう思ってしまうのも無理はないけれど、少し……困ったものね? 困りものねっていうのはミズカちゃんが、じゃなくて、ユエルよ?」
 アリアさんの言葉の意味が分からない。
 ユエル様が、困る……?
 わたしのせいで、ユエル様が何か困っているというのなら、……どうしよう……。
「あらあら、ミズカちゃん、今、見当違いのことを考えちゃってるでしょ? そんな不安そうな顔をしないで。大丈夫よ」
 アリアさんは優しく微笑み、わたしの頭を撫でつけた。
 ……そういえば昨夜、イスラさんにもこんな風に頭を撫でられた。
 子供を宥めるような……落ち着かせるような、そんな優しい手つきと微笑みで。
 そりゃぁ、お二人にしてみたら、わたしなんて子供のようなものなんだろう。年齢差や経験値を考えてみれば当然のことだ。だから、子供扱いされることに関しては不満もないし、ましてや不快感なんてまったくない。
 ただ、慣れなくて戸惑ってしまう。
 ユエル様がわたしにかけてくれる優しさとはまた別種の優しさだ。親切というのが近いかもしれない。ユエル様のそれよりもずっと直截な表し方をするから、すぐに応対できなくて、あたふたしてしまう。……もっとも、ユエル様が示す優しさにもうろたえがちなのだけど。
 どうして困ってしまうのか、分からない。わたし自身の気持ちの問題なのに、その気持ちの正体が分からず、それが焦りに通じてしまうのかもしれない。
 そしてまた心配をかけてしまうのだ。ユエル様やアリアさんに。
 アリアさんはちょっと首を傾けて、わたしの困惑顔を覗き込んでた。
「ミズカちゃん、もうちょっと肩の力を抜いて。ね?」
「えっと、……はい」
 もうこれ以上、アリアさんに無用の心配をかけてはいけない。肩の力を抜くべく、深く息を吐き出した。
 そんなわたしを見て、アリアさんは青い瞳を細めて小さく笑った。
「ユエル達ったらね、つれないのよ。あたしの買い物には付き合いきれないなんて言うんだもの。とびっきりの美女と連れだって歩けるっていうのに、男気がないわよねぇ?」
 舌足らずな声と、拗ねた子供のような口調と仕草が、アリアさんの華麗すぎると言っていい外見からくる近寄りがたい雰囲気を和らげている。
「だからってわけじゃないけど、ミズカちゃんとこうして出掛けられて嬉しいの。ミズカちゃんもそう思ってくれたら嬉しいのだけど」
「はい! それはもちろんです! 誘ってくださって嬉しかったです。ほんとに、ほんとです」
「そう? なら、よかったわ。じゃ、早速見て回りましょ! 気になってるお店がいくつかあるの」
「はい、お供します!」
 なるべく明るく元気な声を出して応じ、意気揚々と歩きだしたアリアさんについていった。
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