森の魔女と訳あり王子の恋物語

るうあ

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明けの花色

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 やわらかな朝の陽光が目覚めを促した。
 窓から射し込む朝日は、寝台までは届かない。初々しげな光が窓辺を彩り、ゆるゆると室内を明るく照らしていく。
 上半身を起して窓に目をやった黒髪の少女は、まだ少しぼんやりとしていた。
 いつの間に寝入ってしまったのだろうか……憶えがない。覚醒もしっくりこないし、体もひどく気だるい。
 夢うつつで定まらない少女の視線は、窓辺から象牙色の絨毯に流れ落ちた光と影、そして小ぶりな円卓の上に飾られている花瓶へと移った。活けられた花は美しく咲いているが、深黄色の花びらを散らしているものもあった。
 丸く瑞々しい花弁を持つ深黄色の花は、どうやら活花には向かないようだ。観賞用としても美しい花だが、花も葉も食用として用いられ、実も塩水に漬けて保存食にできる。実は胃腸に効く丸薬の材料にもなるから、魔法薬作りを得意とする少女にとっては馴染みの深い花だ。
 花は、料理に使おうと早咲きのものを森の館の畑から摘んできたのだ。
 朝食はどうしようか。でも、城勤めのメイドさんらはきっともう準備に取り掛かっているだろう。お手伝いしたかったけれど、かえって邪魔になってしまうかもしれない……――
 そんなことを、まだ覚めきっていない頭で考えていた少女だが、肌寒さに肩を竦ませ、慌てて掛け布団を手繰り寄せた。素裸であることに気がつき、同時に真横で寝入っている恋人の存在にも気がついた。
「……っ」
 危うく声を上げるところだった。そして、ぼんやりしていた目もすっきりくっくり、覚めた。
 恋人の寝室にいることは起きた瞬間に理解していた。あまりに自然で、なんら不思議に思わなかった。
 けれどやはり、いまのこの状況を目の当たりにして、驚いてしまうし、なによりうろたえて、羞恥心が怒涛のごとく押し寄せてくる。
 いつの間に眠ってしまったのか。それは憶えていなくとも、眠る直前まで瞳に映していたものや、素肌に感じていた熱は、忘れようもなく脳裏にも体にも刻まれていた。それを思いだすと、とても平常心ではいられない。
 少女は両手で頬をおさえ、うろたえつつも再び視線を真横で眠る人に向けた。
 森の魔女と呼びならわされ、事実魔力を持つ「魔女」という存在の少女だが、「魔女」という呼称から受ける印象……官能的で好色的(非常に偏った印象ではあるが)からは程遠い。むしろ、そういったことには不慣れといっていい。
 不慣れだけれど、拒絶的ではない。
 こうして、恋人と一夜を過ごす悦びも、すでに知ってしまった身なのだ。
 森の魔女の長い黒髪が、白いシーツの上と恋人の腕にかかり、ひどくあだめいた紋様を作っていた。
 掛け布団をたくしあげたせいで恋人の眠りを妨げてしまったのではと、気もそぞろになった。しかし珍しいことに、恋人は未だ夢の中だ。瞼を上げる様子は見られない。
 ……睡眠不足だと言っていたから。
 よほど熟睡しているのだろう。
 森の魔女はホッと胸を撫でおろし、恋人の寝顔を窺った。
 まるで美神の彫像をみているようだと森の魔女はしみじみ思う。
 肌理きめの細かい青白い肌は、一見冷たく硬質な感を与えるが、触れるとやわらかく、当然ではあるのだが血の通った温もりがある。指先でつついて感触を確かめたかったが、我慢した。
 秀でた額、すっと通った形の良い鼻梁、若干薄めの唇、そして今は閉じられて見えないが亜麻色の瞳は特に美しい。瞳の色よりもやや淡い色の髪はなだらかに波打って、絹糸のように柔らかくしなやかだ。痩躯だが、筋肉の引き締まった体質で、肩も腕も……胸元も、存外硬くて逞しい。
 ――セレン。
 と、森の魔女の口から青年の名がこぼれ落ちそうになった。はっとして口に手を当て、声を飲み込んだ。
 名を呼べば、セレンはきっと目を覚ましてしまう。
 朝まだき、起きるにはまだ今少し早い時刻だ。
 鳥達が忙しなく鳴いて朝を報せ、目覚めを促そうとしても、まだもう少し、セレンには休息のための睡眠が必要だ。
 ――まだ起きないで。
 セレンの長い睫毛の下には蒼い陰が落ちている。
「…………」
 少女は手を伸ばし、セレンの亜麻色の髪に触れた。抓まず、シーツの上でただ触れている。少女の黒髪がそこに重なった。
 森の魔女はセレンを見つめ続けた。

 セレンはもともと食が細い。仕事にかまけて食事を疎かにしがちだった。
 ことに、春は多忙だ。執務室で仕事をしながら、その合間に軽食で済ませてしまうことが多々ある。外出時も同様で、パンに干し肉と野菜を挟んだ手軽な携帯食で済ませてしまう。
 城内で働くメイドたちもセレンの身を案じ、
「お体によくありません。お食事はきちんと摂ってください」
 と、忠言するのだが、セレンは「わかっているよ」と微笑んでやり過ごしてしまう。
 そういう愚痴……心配からくる不平なのだが……を、森の魔女は何度となくメイドらから聞かされ、協力を求められた。つまり、森の魔女の手料理ならば、セレンは何を置いても食すはずだ、というわけである。最愛の人の手料理を無下にするセレンではない。あるいは食卓に、森の魔女も同席すれば、セレンもゆったりと寛いで食事を摂ってくれる。
 森の魔女としてもセレンの身は大事だから、協力は惜しまない。少量でも滋養のある献立を考えてメイドらに伝授したり、もちろん自分でも作ってきたりすることも多い。恋人同士になってからはセレンの居城にこまめに通うようになり、厨房に立ってメイドらを手伝うことも増えた。調理中、隠し味的に、ほんのちょっぴり体力回復の魔法をかけることもある。
 今朝も、そのつもりでいた。
 滋養のある朝餉を用意しようと考えていたのだが、すっかり朝寝坊してしまった。
「…………」
 森の魔女は息を細め、眠るセレンを見つめる。
 疲れているだろうに。……いや、疲れているからこそだろうか。
 昨夜のセレンには手加減がなかった。
 もっとも、疲れていようといまいと、セレンは時々、手加減を忘れてしまうのだが。
「愛らしすぎる君がいけない」と艶笑して、森の魔女をおおいに照れさせるのは、セレンの得意とするところだろう。
 今朝はめずらしく、森の魔女の方が先に目を覚ました。
 いつもは寝顔を見られる側の森の魔女だ。こうしてセレンの寝顔を観察できるのは正直嬉しかったりもする。
 セレンの秀麗な容貌は、翳りを帯びてさらに美しくなるのだろうか。
 そんなことを、ふと思う。
 セレン自身、きっと気付いているだろう。セレンは心に空洞を抱えている。大きくはないそれは、喪失感という空ろだ。それが翳りをつくっているように、森の魔女には感じられた。
「私の、愛しい魔女殿」
 美艶に微笑み、甘い囁きをくれるセレンだが、ふと、思い詰めたように亜麻色の瞳を細め、「ごめん」と呟くことがある。何に対しての謝罪なのか、森の魔女はとまどい、けれどもセレンに問い詰めたりはしない。
 昨夜もそうだった。

 森の魔女を見つめるセレンの瞳は優しく、激しさをも含んでいるが、切なげな揺らめきもあった。
 ひとりにしないでと縋り懇願するような瞳を、森の魔女は知っている。同じ目を、自分も持ち、そうしてセレンを見つめ、希求しているのだから。
 ――わたし達は互いの空虚を互いに埋めようとし合い、こうして共にいるのかもしれない。互いの喪失感を慰め合っているだけなのかもしれない。
 幼い頃に大切な人を失い、その悲しさを知り合っている二人だからこそ、心の空洞を晒してしまえるのかもしれない……
 セレンが鬱然とした想いを吐露してしまうように、元来明朗な性質の少女もまた、時には杞憂に心を沈ませ、昏迷してしまう。
 愛しく想ってもらえる価値が果して自分にあるのか、と。
 それでも、不安に勝る想いが確かにあるのだ。
 セレンは、森の魔女の孤独感を知り、不安感もひっくるめて、抱きしめ温めてくれる。セレンのその包容力を、森の魔女は身を持って知っている。
 時々、少年のような繊細さと不安定さを見せるセレンだが、やはり強毅とした立派な大人の男性なのだと思う。
 ――とても敵いそうにない。
(セレンってば……)
 ずるいな、と思ってしまう。
 寝ても覚めても、セレンのことばかりを想い、心にかけている。
 そんな自分が可笑しくもある。まさかこんな、という意外さも自分に感じていた。
 結局のところたくさんの哀歓を与えてくれるセレンが愛しくてたまらないのだ。
 セレンの想いを受け止めることが、あるいはセレンの寂しさを拭ってあげられているのかもしれない。
 森の魔女はそろそろと身を横たえ、セレンの腕の中に戻った。さすがに腕枕をしてもらうのは気が引けて、頭は腕の下に落とした。
 寝様の良いセレンは先ほどからまったく動かず、まるで恋人が腕の中に戻るのを待っているかのようだった。
 ――わたしの腕は短いから。
 セレンのようには、心の空洞を包みこんではあげられない。
 だけど、空洞の中に入って、寂しい心を温めてあげるくらいならできる気がする。空洞を埋めることはできなくても、こうして寄り添って温もりを分けるくらいなら。
 次に目が覚めたら、「おはよう」と笑いかけよう。朝餉の後にはとっておきのお茶を淹れてあげよう。
「……セレン」
 春の朝日のように淡い色の声で、恋しい人の名を呼ぶ。ただ声にしたかった。心地の良い響きの、恋人の名。
 森の魔女は目を閉じ、そのまま心地の良い眠気に身を委ねた。


 セレンは僅かに身をずらして、森の魔女の肩を抱いた。
 すんなりと二度寝に身を委ねてしまった森の魔女は、セレンが目覚めていたのに気づかなかったようだ。
 セレンは恋人の額にそっと口づけ、囁いた。
「ありがとう、……キラ」
 セレンの胸の内で、キラという純真な光が静々と広がっていった。
 明けの光に照らされた満開の花のように、匂やかに。
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