森の魔女と訳あり王子の恋物語

るうあ

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森の魔女と小さな眷属 1

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 その日、空には分厚い雲が悠然と横たわり、ゆったりと流れていた。陽が射したかと思えば、また翳る。目まぐるしい天候だ。暑い、ということはない。木陰に入れば風が涼しい。湿気を含んだ風は、緑の梢をさやさやと揺らしていた。

「絶好の魔法日和だな」
 細長いヒゲをぴんと伸ばし、冗談めかしてそう言ったのは、金褐色のネズミ。森の魔女の眷属だ。
「そうだね」
 森の魔女は気鬱げなため息をついた。森の魔女ががっくりと肩を落とすと、その拍子に眷属は肩から滑り落ちたが、慣れたもので、難なく地面に着地、澄まし顔で森の魔女を見上げて、「はじめるぞ」と促した。


 魔法陣は、仕掛ける魔法の内容によって図形が変わる。記される文字も当然違ってくる。描くのに大して時間をとらない単純な陣もあれば、複雑なものもある。魔法陣の種類は膨大なものだ。護符として使う魔法の印も含めれば相当な数になる。
 魔法陣は魔法を使う者の個性が表れる。ゆえに決まった形がないともいえた。円形だったり五芒星や六芒星だったりと、魔法陣の「土台」にあたる部分に規則性はあるが、他は魔法陣を組む者の術式や個性となる。
 魔法を使う時に、魔法陣は必ずしも必要なものではない。言葉……呪文だけで発動できる魔法が多く、魔力が強ければ呪文も唱えずに発動させることも可能だ。
 魔法陣をあえて使用するのは、発動させる「魔法」を固着させるためでもあるし、効き目を長引かせるためでもある。魔法陣を必要とする「魔法」も、やはりあるのだ。
 魔法陣が必須の「魔法」、それが今、森の魔女がはじめようとしている「魔法」なのだ。
 魔法陣が完成しなければ、魔法は発動しない。
 森の魔女が朝からずっとかかりきりで描いている魔法陣は、先代の森の魔女が考案し、作り上げた魔法陣だ。
 館の中でいちばん広い部屋、その床に魔法陣を描いている。屋外での作業はもとから思案の外だ。
「もうっ、ちっとも終わらないよ……」
 森の魔女の口から、思わず愚痴がこぼれ出る。
 広間の半分くらいは占めているだろう魔法陣は、基本の形が円形だ。その内側に複雑な古代文字がぎっしりと描きこまれている。魔法陣は白のチョークで描かれている。何本目かのチョークだ。二十本ほどは用意しておいたが、おそらく描ききると同時にチョークもなくなるだろう。使用している石膏チョークにも魔法がかけられていて、消えにくく、若干の光を帯びている。チョークの「調合」も先代の森の魔女直伝だ。
「なんでこんな複雑な魔法陣なの……」
 愚痴りながらも、森の魔女はちまちまと手を動かして、手本のとおりの文字を描きこんでいく。
「おまえの師匠が考案した結界魔術の陣だ。文句があるなら師匠に言え」
 手伝ってくれている森の魔女の眷属が、そっけなく言う。
「そんな無茶な……って、リプが無茶言うからひと文字書き損じちゃったじゃない」
「俺のせいにするな」
「ほんとにもうお師匠さまってば、なんでこんな複雑な魔法陣にしちゃったのかなぁ」
「長期間発動の魔法なんだから仕方ないだろう。実際、いままでよく保ってた」
「けど、もう限界なんだよね……」
「わかってるんなら、さくさく描け」
「わかってるよ、もう……」
 森の魔女が悪戦苦闘しながら描いている魔法陣は、守護、防御のための結界魔法だ。森の魔女の住まう館とその周辺を守るための結界だが、封印魔法ではないため、ひどく複雑なのだ。森の館を封じるわけではない。開放しつつ防御する。それゆえに単純な魔法陣ではすまなくなった、と先代が存命であれば苦笑いをしただろう。
 森全体を包むほど大きな結界ではないが、それなりに広範囲にわたる結界なのだ。森の魔女の「魔力」が及ぶ範囲、と一応の範囲指定はある。
 森の魔女の住まうリマリックの森には原始の魔力が未だ息づいており、そのために魔物の出現も起こりうる。無軌道な魔物は人間を襲うこともあるのだ。昨今魔物の出現はほとんどないといっていいが、念のため結界を張っておく方がいい。
 結界の規模が広くなれば必要な魔力は多大なものになる。大きな魔力を制御するには魔法陣が手っ取り早い。「型」があれば魔力の方向性も示しやすい。広範囲の結界であれば、呪文の詠唱より確実性が高いのだと、先代は言っていた。
 先代の後を継いで二代目の森の魔女と呼ばれるようになって、すでに二年は経つ。そして今回の魔法は二代目となってからはじめて行う、大がかりな魔法だ。
 二代目の森の魔女は、なるべく気負わずにやろうと思っていたのだが、しかし魔法陣を描くだけで気力が尽きてしまいそうだ。
 ――いつか魔法陣を作る時がきたら、ぜったい簡単な図形にしよう……――
 と、森の魔女は内心でぼやかずにはいられない。
 結界がなくても、不都合はさほどない。
 せいぜい盗賊や招かれもしない不作法な客が入りやすくなる程度だ。災害に遭う確率も多少はあがる。
「それでも構わないというなら、いいけどな」
 と、眷属リフレナスにちくちく背中をつつかれて、森の魔女は匙を投げることもできず、ため息つきつつも、魔法陣を描き進めることに専念した。


「ちょっ、ちょっと休憩……」
 ほとんど一日がかりの仕事だ。魔法陣を描く作業は、少なからず魔力を消費する。図案通りに描きつつ、必要なところに魔力を注がねばならないから、やたらに時間をくってしまうのだ。
 森の魔女は大きく伸びをして、いったん魔法陣から離れた。
 根を詰め過ぎれば失敗も増えるだろう。外の空気でも吸って、少しでも心身を癒そう。お茶でも飲んでひと息つこう。
 館を出て、森の魔女は全身をほぐすように伸ばし、深呼吸をした。緑の匂いが濃い。
 突然、強い風が吹き付けてきた。木々の隙間を、風が奔る。風の塊が森の魔女の森の魔女の長い黒髪を掬いあげるようにして、乱した。
「わっ」
 風の勢いが強く、森の魔女はちょっとよろめいた。
 突風は森の魔女の元には戻らず、梢を大きく揺らして空へと還っていく。
 ほんのすこし、空気がひんやりとし、疲れた身体に心地よかった。
 日暮れ時にはまだ時間があるものの、光は黄昏の色を濃くし始めていた。風には湿気が含まれている。甘い蜜のような匂いもまじっているように感じた。ひんやりとした、水の気配を肌に感じる。
 にわか雨でもありそうな。
 そう思って。森の魔女は目線をあげた。
 再び風が吹き付ける。一瞬のつむじ風、それが森の魔女の頭上で光った。
 きらきらと、風が音をたてて光る。そして同時に、森の魔女の頭にその光……ちいさな光が落ちてきた。

「リプッ!!」
 頭に落ちてきたそれをとっさに捕まえて、森の魔女は眷属の元へ急いだ。
「リプっ、これ、なにっ!?」
 リフレナスはキッチンで苺のジャムをつまみ食いしていたのだが、見つかっても叱られなかったのは幸いだった。
「何って、何がだ」
「これ! 今しがた外で捕まえたんだけどっ」
 おそるおそる、森の魔女は両手で覆ったその中身をリフレナスに見せた。そうっと掌をひろげると、そこにはキラキラと光る「何か」がまだいて、逃げる気配はなかった。
 森の魔女の小さな掌に乗るそれは、人の形に酷似していた。光はかすかだが、動くとしゃらしゃらという硝子が鳴るような音がする。
「……ああ」
 リフレナスはそれを一瞥し、ひとまずジャムの瓶の蓋をした。森の魔女は興奮気味だが、リフレナスは別段珍しげな様子もない。
 森の魔女の掌から動く気配がないそれは、青白い光を放っていて、徐々に形が定まっていくようだった。人間の形を模したのは、捕まえたのが森の魔女だったからだろう。見たものの姿を反映させている。
「力は弱いが、水属性の精霊だろう」
「精霊? それってば、空から降ってくるものなの?」
「今は結界も弱まってるからな。それにおまえ、魔力を解放しているだろう。それに引き寄せられたんだな」
「え、でも召喚なんてしてないのに」
「おまえの魔力は光属性だ。水の精霊は光に引き寄せられやすい傾向があるからな。それに」
 リフレナスは窓の外に視線を向けた。
「通り雨だ」
 リフレナスがそう言ったのと同時に、大粒の雨が降り始めた。空は明るい。晴れ間の雨、だ。
「こういう日は精霊界と繋がりやすい。精霊が落ちてくることもあるさ」
「精霊って、落ちてくるものなの?」
 怪訝そうに森の魔女が訊くと、リフレナスは「たぶんな」と曖昧に応えた。元精霊のリフレナスがそう言うのだから、そうなのかもしれないが、それにしてもちょっとお気軽すぎないかと、森の魔女は腑に落ちない様子だ。
「リマリックの森だからな。精霊界に通じる場が、そこかしこにある。ほとんどが閉じられつつあるんだが」
「そっか。原始の魔力がこの森には残ってるって、お師匠様も言ってたっけ……」
「そういうことだな」
 姿を見せないだけで、リマリックの森には精霊がたくさんいるのだと、これも先代の森の魔女から聞いていた。それほどに、リマリックの森は魔力に満ちた「場」なのだ。
「とはいえ、精霊を捕獲なんか機会はそうそうない。……どうする。契約を結べば眷属にできるぞ」
「眷属にって、……リプがいるのに」
「眷属は、どれだけいたって不都合はないだろう。まあ、多すぎれば、主側に負担がかかるから勧めはしないが」
「……でも」
 森の魔女は煮え切らぬ様子で、掌で気ままに遊ぶ精霊を見やった。女の子のような姿と形だが、まだ確然とした性別はない。童女のように見えるのは、おそらく森の魔女の姿を模しているからだろう。
 とっさに捕まえてしまったものの、捕えた精霊をどうするかなんて、考えもしなかった。
 森の魔女が小首を傾げると、それを真似て、小さな精霊も小首を傾げた。
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