森の魔女と訳あり王子の恋物語

るうあ

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雨晴れの雲間

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 梢がそよぎ、光がちらちらと舞っている。青々しい枝が伸び、草木も多いに繁茂して、魔女が住む森は新緑の匂いに満ち満ちている。人の往来があるからある程度道も舗装されているし、雑木林も間伐されているから鬱蒼とした感はない。とはいえ、道は曲がりくねっているから、若干の見通しの悪さはある。道は小川に沿って続いているが、途中で道は別れる。片方は森の魔女の館へと続く。もう片方の、川の上流に行く道は苔むして狭く、馬車どころか馬一頭分け入るのは難しい。
 森は、人里からそれほど離れていない。しかしいつの頃からか禁足地のような扱いになっていて、足を踏み入れる者は稀だ。森は広大だ。全容が知れない。先代の語るところによれば、ずいぶんと昔、当時の森の魔女の住む館は、森の中にあったわけではないらしい。いつの間にか森に浸食されて、気付けば森の中、という状態になったようだ。先代の森の魔女が「森を呼んだ」のだと、魔女の眷属は言っていた。ともあれ、先代の森の魔女は隠遁生活を満喫していた。人との付き合いも最小限にしていたようで、森に魔女が住み着いているという噂が立ったのは、ずいぶんと後になってからのことらしい。
 森の魔女の館は、もとは貴族の別邸だったようだ。造りはしっかりして頑丈だったし、広すぎない程度に広く、部屋数も独り暮らしには多すぎるほどだった。半ば廃墟と化していたのだが、改修工事をせねばならないほどに劣化していたわけではなかったようで、先代の森の魔女はほんの少し手直しをしたくらいで、廃墟のままの状態で暮らしていた。後に弟子を迎え入れてからは、館内はすっかり清掃され、住み心地のよい館に様変わりした。もっとも、様変わりするのに数年はかかったが。
 森の館の前庭には、森の魔女が丹精込めて耕し、育てた薬草の畑がある。先代の森の魔女がおおざっぱに耕して作った畑を、二代目の森の魔女が引き継いで、種類豊富なハーブ園にした。畑で育てている薬草……ハーブは、自家製のハーブティーや魔法薬作りに使用している。先代が植えた低木やハーブも健在だ。
「うーん、ここ、何を植えようかなぁ」
 新たに開墾した場所を、森の魔女は腕を組んで眺めやる。
 たいして広くはないが、新たに耕した場所を眺める森の魔女は満足げだ。黒々としてふかふかな土には栄養がたんまり詰まっている。
 森の魔女が今いる畑には、主に緑黄野菜が植わっている。他に豆類。小さな畑だから植栽されているのは手軽な野菜ばかりだ。薬草はここからは少し離れた場所に植えてある。毒性の強い薬草……というよりはほぼ毒草といっていい植物は別の場所で隔離栽培している。毒草を育てている場所だけは余人が勝手に入り込まぬ魔法がかかっていた。
「たいして広くないから植えるものも限られちゃうかな。リプは、何かほしいものある?」
 森の魔女は肩に乗っている眷属に尋ねた。金褐色の毛並みのネズミは名をリフレナスというが、森の魔女には「リプ」という短縮した愛称で呼ばれている。リフレナスはそっけなく応じる。
「向こうではびこってるミントを移植したらどうだ」
「ミントは有り余るほどあるもの、これ以上増やしたら大変。……せっかくだし、花がきれいなハーブにしようかなあ? リプは、野苺とかのほうがいい?」
「おまえの好きにしたらいいだろ」
「つれないなぁ、リプってば。やっぱり花がいいかな。見た目に華やかになりそうだし」
「花ならそこらじゅうに咲いてるだろうが。森の中なんだから」
「そうだけど、せっかくなんだから新しいものを植えたいかなって。そうだ、コーンフラワーにしようかな? とすると、ちょっとここだと狭いかなぁ」
「なんでも好きにしろ。それより、そろそろ館に戻った方がいい」
 どうして、と森の魔女が問おうとしたのと同時に、びゅうっと強い風が吹き付けた。風に、湿り気がある。
「あ、雨?」
 にわかに空が雲に覆われ、うす暗くなった。朝一番はよく晴れていたのに、急激に天候が変わった。風向きが変わり、雲を運んできたようだ。雨雲が空を覆い、陽射しが閉ざされてしまった。森の魔女は急いで屋内へと戻った。間もなく雨は降り始め、雨脚も強くなってきた。
「お前の師匠は、天気を読むのに長けていたがな」
 リフレナスは軽く皮肉ったが、森の魔女は別段気にもしていない。雨が降りそうな気配には気付いていたが、あえて口にしていなかっただけなのだ。
 森の魔女は窓の外を眺めやる。雨がガラス窓を打ち、視界はよくない。
「……通り雨だね。すぐ止んでくれるといいのだけれど」
 雨でなければ、でかけようと考えていたのだ。街へ買い物にいくついでに、トイン城にも。ちょっと様子を窺うだけでもよかった。なんの約束もなしに突然押し掛けるのはさすがに礼を失しているだろうし、たぶん城の主は多忙なはずで、居るかどうかもわからない。城を眺めて帰るだけでもよかった。ちょっとした気晴らしの散歩……偶然でも会えたらいいな、という期待を抱くだけなら、迷惑でもなかろう。
 頻繁に会っている人なのだが、数日会えないでいる。そんな日もあるのだ。
「……王子、どうしてるかなぁ……」
 恋しい人のことを想い、ため息がこぼれおちる。森の魔女の日常に欠かせない人となった、その人。
 恋人同士ではなかったころから、そうだった。
 王子……セレンは領主という多忙な立場にありながら、森の奥で独り住まいをしている森の魔女をいつも気にかけてくれる。先代の森の魔女が亡くなってからは、とくに。
 有難いけれど、申し訳なくも思う。忙しいのに時間を割いてまで会いに来てくれるのだ。セレンは良い気晴らしになるからと笑ってくれるのだが。
 来てもらってばかりでは申し訳ないからと、近頃では森の魔女の方からセレンの居城に行くようにしている。といって、「こんにちは!」と気軽に尋ねていって、すぐにセレンと会えるわけではないのだ。セレン自身はそうしたいようだけれど、一応「容儀」というものもある。事前に連絡している場合はさほどの手間はかからないのだが、突然思い立って会いに行く、という場所でもないのだ。
 うらめしく雨を睨みつけていても、それで雨が即刻やむわけではない。
 天候を操る魔法は知っているが、実践しかけたことしかない。ひどく魔力を使うしコントロールも難しい。師匠からも、天候を操る魔法はめったに使うものではないと言われていた。先代の森の魔女は風属性の魔力を持っていたから、風を使って天候を変える魔法はどちらかといえば得意だったのだが、それでもよほどのことがない限りやらなかった。
 とりあえず、屋外作業ができなくなったのだし、焼き菓子作りでもしよう。気持ちを切り替えて、森の魔女は窓から離れた。

 森の魔女は薬作り以外に、料理も得意な方だ。気分転換のために菓子を作ることもままある。つくったものは街の友人らに振る舞うこともあったし、頻々と森の館に足を運んでくれるセレンに出すこともある。セレンの居城に行く時は必ず手土産として菓子を持っていった。幸い、城のメイドらにも好評らしい。
 ハーブクッキーを焼こう。そう思い立って、カモマイルにセージ、ラベンダー、ブラックミントのドライハーブを用意した。セレンはカモマイルがちょっと苦手だと言っていたけれど、クッキーに入れてしまえば大丈夫だろう。セレンは好き嫌いがほとんどいっていいほどない。少しばかり苦手なものはあるようだが、嫌いだからといって食べ残すようなことはない。こういうところも、森の魔女がセレンを好ましく思う点だ。
 菓子作りは手慣れた「作業」だ。準備段階ではリフレナスも手伝ってくれた。滞りなく作業は進んで、館内に香ばしいにおいが漂い始めた。
 キッチンの窓から外を見ると、雨は小降りなっているのが見てとれた。時折雲が切れ、光が零れおちる。思いの外長い通り雨だったが、じきに雨も上がるだろう。明るいうちにクッキーもすべて焼きあがった。
 クッキーの余熱をとって、ひとつ、味見をしてみる。歯ごたえはやわらかく、口の中でほろりととけて、甘い香りが広がる。甘すぎず、ハーブの香りも強すぎない。アーモンドパウダーの香ばしさが勝っているようだ。これならばセレンも美味しいと言ってくれるだろう。
 自家製のジャムを数種類と、ハーブティー、それらを持って、明日セレンに会いに行こう。
 リフレナスにその旨を伝え、まずは知らせを送らなきゃと手紙の用意をし始めた。届けるのはリフレナスだ。元風の精霊であるリフレナスは、風の魔法で「翔んで」行くことができる。鳥文のようなものだ。
 が、リフレナスは「その必要はない」と言う。
「どうして? さすがに突然押し掛けていくのは」
「押しかけていく必要はない、という意味だ」
「え? なんで?」
「すぐ分かる」
 リフレナスの言うとおり、その理由はすでに森の館に近づいてきていた。馬のいななきがそれを報せた。
 森の魔女は駆け足になって館を飛び出した。

 雨がやんだのと、セレンが森の館に到着したのは、ほぼ同時だった。ほんの偶然だったのだろうが、森の魔女を驚かせ、喜ばせるには絶大の効果があった。
「王子!」
 喜んで駆けつけたものの、森の魔女は濡れそぼっているセレンを見やり、「こんな雨の中、どうしたんですか」とつれないことを言ってしまった。
 セレンは雨用のコートを羽織っていたが、やはりずいぶんと濡れてしまっていた。乗騎して栗毛の馬も同様で、全身しっとりと濡れてしまっている。
 ともかく、このまま放ってはおけない。こんな時、森の魔女は存外手配りがいい。リフレナスを呼びつけて馬の世話を頼み、自分はセレンの手を引っ張って屋内に連れ込んで、タオルを何枚か手渡した。コートは撥水加工が施してある皮製だったから、乾いた布で丁寧に拭い、干しておく。セレンには温かなお茶を出し、ソファーに座らせた。
「王子ってばもうっ、こんな雨の中、どうして」
 亜麻色の髪をタオルで拭いながら、セレンはやれやれとため息をついてみせる。「王子」と呼ばれるのにはもう諦めもついているが、「どうした」はないだろうと思うのだ。が、森の魔女の表情は明るく、嬉しそうではある。
「城下の視察に出ていてね。それで、せっかくだから森へ足を伸ばそうと」
「春といっても、まだ雨は冷たいですよ? 体調崩したらどうするんですか、もう」
 たったひとり、供も連れずにやってくること自体には、森の魔女ももう驚かなかった。いつもセレンはそうなのだ。トイン城下の街からここまでは治安もいいし、護身用の剣は馬の鞍に下げられている。繊細華麗な見た目のセレンだが、剣の腕はそこそこにある。達人には程遠いが、身を守るための剣術は一通り習っており、過不足なく剣を使いこなせている。
 一応街へは供もつけていたらしいけれど、森の魔女の館に行くからその旨執事に伝えるよう、先に帰城させたらしい。
「そこまでやわではないつもりだけど、心配をかけてしまったね」
 セレンはちょっと困ったような笑みを森の魔女に向けた。
「……王子、あのっ」
 つい小言ばかりを口にしてしまったけれど、本心をまだ伝えていない。森の魔女は慌ててセレンの傍に寄った。しかし気ばかりが焦って、二の句が継げない。
「魔女殿。お茶のおかわりをもらっても?」
 たぶん、セレンは森の魔女の気持ちなどお見通しなのだろう。森の魔女が気負っていることに気づかぬふりをした。
「あ、はい」
「珍しいこともあるものだね、君にしては、ちょっと味が薄かったよ?」
「えっ、急いで淹れたから……っ! すみません、次はちゃんと淹れますから」
「うん」
 セレンはおっとりと微笑みを返した。急かした私が悪いのだから気にしないで、と言い添える。そしてセレンは、ふと窓の外に目をやった。
「――ああ、また降り出したね。陽も射しているから、すぐにやむかな?」
「本当。こういう時は、虹を見られますよ。ここの窓から見られるかも」
「それはいいね。君と一緒に虹を見られるのは、幸甚だ」
 いかにも嬉しげにセレンは言う。
 こんな具合に、セレンはさらりと心を言葉にして、屈託のない笑みを恋人に向けてくれる。
 セレンのその照れのなさに、森の魔女の方が照れてしまうのだ。セレンの微笑は陽の光のごとくに眩しく美しい。
「ああ、そうだ。君に渡したいものがあったんだ。森の魔女さんに会うのなら、渡してほしいと頼まれてね」
 セレンは荷袋からそれを取り出した。顔見知りの店員から渡されたものだという。小さな麻袋に包まれたそれを森の魔女に手渡した。
「花の苗だよ。私は花には疎いので名前は忘れてしまったけれど、青色の花を咲かせるそうだよ。ハーブでもあるけれど、鑑賞用にもいいだろうと言っていたかな」
 森の魔女はありがたくそれを受け取って、包みの中を確かめた。包みの中には苗が二株。明るい緑色の葉は細長い形だ。花はつけていない。
 だが、これはもしかして……?
 森の魔女は黒曜石の瞳をセレンに向け、尋ねた。
「花の名前、コーンフラワーと言いませんでしたか?」
「ああ、そうだったかも。……っ、魔女殿?」
「王子ってば!」
 森の魔女は飛び付くようにして、セレンに抱きついた。嬉しさが、言葉より先に行動になった。
「王子ってば、すごいです! ありがとうございます!」


 雨が完全に上がるのを待たず、森の魔女はセレンと連れだって屋外へ出た。
 水を含んだ土のにおいが風にのり、ふたりの鼻腔を優しくくすぐってくる。落日にはまだ早いが、西から射す光はすでに夕照の色を帯びていた。ひどく懐かしいような、愁思を誘う光景でもある。
 森の魔女に連れられてきたセレンは、魔女ご自慢のハーブ畑を眺めやる。見慣れた風景ではあるが、雨に濡れた畑はいつもと雰囲気が違って見える。
「相変わらず見事なハーブ園だね、魔女殿」
「あそこの、空いた所に何か植えようかって、考えてたんです。それで、コーンフラワーがいいかなぁって思ってて。だから、まさか王子が持ってきてくれるなんて、驚いたし、すっごく嬉しいです。王子ってば、時々ちょっとびっくりするくらい……魔法使いみたいなところがありますよね」
 わたしの思ってること、読めちゃったりするし、と魔女は笑う。
 今日だって、会いたいと思っていたのだ。それを知っていたみたいに、こうして会いに来てくれた。王子はすごいです、と森の魔女は繰り返す。
「君の考えていることならなんでもわかる、と言いたいところだけど、苗に関しては本当に偶然だよ。それでも君が喜んでくれたのなら、その偶然に感謝しなければね」
「王子は良い偶然を引き寄せるのが上手なんですよ。人徳の成せる業、ってことだと思います。王子ってば、ほんとにそういう牽引力みたいのものがあるもの」
「妙に、褒めちぎってくるね。悪い気はしないけれど」
「言っておきますけど、お世辞とかじゃなくて、本心からですよ? ……王子に会いたかったから、嬉しくて」
 それで、ちょっと浮かれているんですと言う。森の魔女は気恥しげに肩をすくめる。
 朱に頬を染める森の魔女を、セレンは愛しげに見やり、雨に濡れた黒の髪にそっと触れた。
 と、ほぼ同時に、だった。
 森の魔女が「あっ」と声をあげて西の空を指差した。
「王子、虹ですよ!」
 西の空、木々の隙間からそれは見えた。多彩な色を煌めかせている。思いの外くっきりと、その半円が見えた。
「……ああ、とても綺麗だね」
 セレンも空を眺めやった。
 雨も半ば止みつつあったが、場所によってはまだ強い雨が降っているのだろう。分厚い雲も空にいくつもかかっていた。けれども、森の魔女とセレンの居る場所には陽が落ちてきていて、眩しいほどだ。
 セレンの亜麻色の髪も、光に煌めいていた。虹も綺麗だけれど、王子も、とても綺麗だ。
 森の魔女はセレンを見つめ……というより、見惚れていた。
「……あの、王子」
「うん?」
 呼ばれて、セレンは艶麗な微笑を森の魔女に向けた。
「王子、ちょっと屈んでくれますか?」
「……うん」
 促されるまま、セレンは身を屈めた。森の魔女と目線の高さが近くなる。これでいいかな、とちょっと期待を込めて首を傾げてみる。濡れた黒曜石のようにキラキラと光を弾くまなざしが、セレンを映していた。
「ありがとう、……セレン」
 ちゅ、と軽く。森の魔女の唇が、セレンの頬に触れた。羽が触れるほどの、軽い接吻だった。
 森の魔女は微笑んでいるが、顔は真っ赤だ。たぶん、森の魔女にとってはこれが精いっぱいなのだろう。まだまだ恋にはあどけないままだ。
 セレンは小さく笑い、「おかえしに」と、森の魔女の額に口づけた。額に一度、そして真っ赤になっている耳にも、軽く。
 次は、唇を重ねてほしいのだけど。
 あえてそれは言わず、赤くなっている愛しい恋人の頬に触れた。
 虹の煌めきにも勝る、美しい光だ。
「キラ」、とセレンはその名を口にする。光を現す名を持つ、森の魔女の真名。
 雨上がりの清涼な風と、空にかかる光の半円は、自然の織りなす、とっておきの魔法だ。
 ――その魔法の力にあやかろう。
 キラは眩しげに微笑み、セレンもまた明朗な微笑みを返した。そうして心を重ね合わせる。
 たったそれだけの、他愛無い恋の魔法だ。
 たったそれだけ。それだけのことが、二人の心を晴れやかにするのだ。

 葉の上で、雫が光を弾いてキラキラと光っていた。
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